朝市と身体と・2
「ええと。朝市まで一人で来たのかって意味なら、一人で来ましたけど……」
連れが、と言おうとする前に、ガシッと、おじさんのごつごつした手が私の頭を掴んできた。不意の出来事で、その後の言葉を紡ぐことができないまま、ぽかんとおじさんを見つめている。
「コラ! こんな時間に嬢ちゃんみたいな子がうろついていい場所じゃないぞ! 危ないじゃないか!」
「ひぃっ!?」
大声でおじさんに怒鳴られ、思わずびくっと身体が震え、小さく悲鳴まで上げてしまった。辺りにいる他の客は、なんだなんだとこちらに振り向いてくる。今、私は周囲から完全に注目されているだろう。
「三崎に住んでる子か? それにしたって、親もなしに朝市に来るのは許せねぇ。家に電話してやる!」
なんだかとても大ごとになってきている。周囲の客からも、おじさんを止めるような様子はない。むしろ、同調していて、私を非難するような視線を周囲から感じる。
彼女はこうなることがわかっていたのだろう。お腹がすいたといっていたのに、わざわざこんなイベントを起こそうとするなんて思わなかった。
――ああ、そうだ。彼女がいるんだった。
「ち、ちがいます。誤解です! 連れが、連れがいますから、一人じゃないんです!」
そういいながら、後ろの休憩所に振り向いて、右手の人差し指で彼女を指し示す。彼女は遠巻きに私たちを見ていたが、私に指さされたことがわかると、軽くため息をつきながら、ゆっくりと立ち上がった。
(あ、今、言葉にはだしてないけど、『仕方ないなぁ』って口を動かしたのがわかったぞ……)
苦笑いの表情で私達の横までやってくると、「皆さん、お騒がせしてすみません」と周りにむかって一礼すると、おじさんに向かい合う。
「誤解を与えてしまって申し訳ありませんでした。『妹』におつかいさせたつもりだったのです」
(妹。今、私のことを妹と言ったか?)
この場を胡麻化すための方便とはいえ、まさか妹にされるとは思わなかった。……正直、あまり似ているとは思えないのだが、通じるのだろうか。
「あ、あぁ。保護者がいたのなら問題ねぇよ。すぐ近くにいたんだな。俺はてっきり、家出少女でも店にやってきたのかと思っちまったよ」
美人のお姉さんに謝られて、おじさんのほうも少し戸惑っているようだ。少し声が震えているのがわかる。つい先ほどまでの剣呑とした雰囲気は一瞬で去って、周囲で見ていた他の客たちもこちらへの興味を失ったようだ。
「ごめんなさい、この子、年の割にしっかりしてるから、よくおつかいとか頼むんです。今日も、いつもと同じ感じでお願いしてしまって。近くにいるから安心してたのですが、確かに一人でお店に行かせたら、お店側は困惑しますものね?」
彼女のこの即興で設定がスラスラと出せることは、才能じゃないだろうか。度胸も満点だと思う。正直、計られたことによる怒りよりも、素直に感心してしまった。大学生と言っていたが、演劇部にでも入っているのだろうか。
「ああ、もういいよ。誤解だってわかったからな。……それで、うちの店のマグロ丼を希望かい?」
「ええ、私の分と、この子の分。2杯、お願いします。……お金はこの子に渡してありますので」
「あいよ。じゃあ、マグロ丼ふたつヨロシク!」
おじさんが元気よく店舗の中のおばちゃんに声をかける。おばちゃんはやっとか、といった表情でこちらを仕方なさげに見つめた後、発泡スチロールの丼容器に酢飯と漬けマグロを詰めていく。
「嬢ちゃん、怒鳴って悪かったな。怖かっただろ?」
再び私と同じ視線になるようにしゃがみこみ、申し訳なさそうな目でこちらを見つめてくる。右手をのばし、私の頭をわしゃわしゃと撫でてきた。
「チビったりしなかったか?」
「してません! そんな子供じゃありませんよ! ……でも、誤解を与える言い方をした私にも非がありますから。私も、ごめんなさい」
おじさんに向けて、ぺこり、と頭を下げる。いやまぁ、もとはと言えば彼女が原因なのだが、私の想像力も足りなかった。私が不用意な発言をしたからこそ、騒ぎになってしまったのだ。改めて、自分の身体の不便さを思い知った。
「二杯で1400円だがね。怖い思いをさせちまったから、1000円でいいよ。ほれ、できあがりだ」
「そんな、悪いのは私ですから、ちゃんと払いますよ!」
「いいんだいいんだ。子供は大人の好意は素直に受け取っておけばいいんだよ」
店舗内のおばちゃんが作った二杯の丼を、おじさんはトレイにのせていく。にこにこと笑いかけながら、何度も1000円でいい、と私に伝えてくる。
――ここで私が値引きを拒否しても話がまたこじれるだけなんだろう。
「……わかりました。では、1000円で。ありがとうございます」
「おうよ。じゃ、1000円、確かに」
私が財布から千円札を一枚取り出し、おじさんに手渡す。おじさんはしっかりと千円札を両手で受け取ると、会計箱へとしまう。
「それじゃ、これ、2杯な。持てるか?」
代わりに、マグロ丼が2杯のった、いつものかわいい盆を私に差し出す。私は両手でそれを受け取る。ズシり、と重さを感じるが、今の身体でも持ち運べない重さではない。
「大丈夫そうです。『姉』のところまで、ちゃんと運べそうです」
「おう。姉ちゃんのところまで、ちゃんと運んであげな。……大人びた感じはするから心配してないが、途中に段差もあるから気をつけな。転ぶなよ」
「……ありがとうございます。それでは」
そこまで心配されていると、結局子ども扱いされているだけじゃないか、と思う。まぁ、この身体ではしょうがないのかもしれない。盆をひっくり返さないように、集中しながら休憩所までもっていく。途中の段差は、問題なく乗り越えられた。
「二杯で1000円になりました。あとでお釣りを渡しますね、『お姉ちゃん』」
盆をベンチに置きながら、からかうように彼女を見上げる。
「あら。フフ、『お姉ちゃん』ね。かわいいじゃない」
「もうからかっても無駄ですよ。正直、貴女のそのアドリブ力に驚きました。」
「そう? 私は、こうなることが予想してたからね。アドリブっていうより、準備をしっかりしていただけ」
「……ああ、そのことについては、あとで問い詰めますから。まずは、食べましょう」
正直、もう空腹が限界だ。緊張から解放されたのもあって、いつ再びお腹から音が鳴るかわからない。それに、目の前のマグロ丼はとてもおいしそうに見える。過去に何度も食べたことがあるから、その美味しさは自分自身でお墨付きだ。
彼女は休憩所に据え置かれたテーブルに丼を置き、私は届かないので膝の上にマグロ丼が乗った盆をのせる。割りばしを持ちながら両手を合わせ。
「そうね。後で話をしましょう。――じゃあ、いただきます」
「いただきます」
――ワサビの刺激でのたうち回ることになるのは、すぐ後のことだった。
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まだ、もう少し続きます。