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三崎にて・2

 私は駐車場の裏で縁石に座って、ぽつり、ぽつり、と自分について彼女に語っていた。

 30分か、1時間か、そのぐらいは話していたと思う。


 彼女は、時折難しそうな顔をしながらも、私を否定せず、すべての話を聞いてくれた。時折相槌や質問をしてくれる。その全てが、やさしい口調で、そしてどのような答えでも反論はしないでくれた。

 話している間に気分は落ち着いてきて、今はもう泣いていない。


 空が少しずつ白み始めている。

 まだ日は出ていないようだが、時間の問題だろう。

 ぽん、ぽん、ぽん、と、車とは違う軽いエンジン音が聞こえる。沖合に出ていた漁船が戻り始めているようだ。それとも、これから出航なのだろうか。


「…話をまとめると。貴女は本当は男性の大人で、突発性の女性化の病気で、今の姿になった。戸籍の修正で運転免許が失効するから、その前にバイクで旅に出たかった。……合ってる?」


 一通り話し終わった後、彼女は私にそう聞いた。その声は……信じられないことに、優しく感じられた。


「合っています。その、信じて、くれるのですか?」

 自分でも荒唐無稽だと思うし、証拠なんて何もない。これで信じてくれるとはやっぱり思えない。


「信じる、というかね。世の中にそういう病気があるってことは、一応知ってるから。あとは、一応、スジは通ってるってことよね。話が破綻してないもの」

 そこまでの話を、貴方ぐらいの年の子が咄嗟に話せるとは思えないし、とも言って、彼女は笑った。

「だから、今は信じてあげる。……少なくとも、今警察を呼ぶのはやめてあげるわ。これでも私、人を見る目はあるつもりなの。貴女、嘘を話してるようには見えない」


「……ありがとう、ございます。」

 なんだか、とてもうれしい。他人に、こんなにも信じてもらえたことが、初めてだった。

 悲しくないのに。今はとてもうれしいのに。

 

 また、涙が零れてきてしまった。


「あれ、どうして……ごめんなさい、うれしいのに、ありがとうって気持ちで一杯なのに、なんで、涙が」

 その言葉を言い切る前に、私の頭は、女性の胸に抱かれていた。


「うれしくて泣くのなんて、当たり前じゃない。貴女、いままで、そうやって泣くこともできなかったんじゃない? 家族もいなくて、ずっと一人で。きっと、職場でも、病院でも」


 言われてみて、そうと気づかされた。昔から一人が普通だったから、誰かを頼ることなんてなかった。

 たぶん、父の教えだ。私が小学校に上がるころに父は亡くなったが、遺言で母を支えて助けてやれと。それが男の役目だと。だから、私は幼いころから家の仕事を積極的に行い、高校ではアルバイトをして家計の足しにした。母を少しでも助けたかった。

 その母も、私が高校を卒業し職に就く頃に亡くなった。

 家族を失い、一人になった後。わたしはがむしゃらに働いた。しっかり働いて社会に貢献することが父の教えを貫くことだと、無意識のうちに思い込んでいたのだと思う。

 だから、発病した後も、ただ働けるかどうかばかり考えていたような気がする。


 今は――目の前の女性の腕の中で、ただ、安心している。

 彼女の腕が、私の小さな背中をなでる。それが、私の気持ちを落ち着かせていく。

 そのことに対して、私は、意外と思わないことに気が付いてしまった。


 ゆっくりと身体を離して。落ち着いた気分で、彼女を見上げる。

「私は、ただ。ただ、嫌だったのかもしれない。私の身体が、いままでと同じように働けないことが。誰かを頼らなくては生きていけないという事実が。だから、それまでの私と同じことができると、信じたかった。だから――」

「そう、なのかもね。だから貴女は旅に出た。それでも――」


 彼女はそこで言葉を切った。そして、彼女を見上げる私を、正面からじっと見つめ返してくる。


「貴女を、大人の男性として扱ってあげるのは、無理かな。今の貴女は、話が本当であれ嘘であれ、身体は小学生の女の子と同じなの。夜中にバイクに乗って旅に出るなんて、無謀すぎるわ」

「それは、……」


 それは、私の中で認められない、しかしどうしようもない事実だった。法的に私は大人で、まだ免許が有効で、と思っていても、身体的な問題は残ったままだ。

 その不都合な事実を見ないフリして、愛車を理由に、表面化していなかった不満を爆発させたのだ。

 気づいてしまった。理由を。私が。

 

 そんな旅を、まだ続ける理由、あるのだろうか?


「だからね。貴女に必要なのは、保護者だと思うの。今日一日限定のね」

 彼女は、私を見つめたまま、意味が分からないことを言ってきた。


「え? 保護者? ……誰が? 誰に?」


 思考が追い付かない。

 保護者という単語は、どこから生まれて、どこに飛んで行ったのか。

 ああ、だめだ、本当に思考がぐちゃぐちゃだ。

 たぶん、今、私はきょとん、としているのだろう。目の前にいる彼女が、クスっと小さく笑った。


「なんて顔してるの。貴女けっこう可愛いのね。ふふ」

「……ええと。つまり?」


 まだよくわからない。なんだか、彼女に遊ばれているような、からかわれている気分だ。


「だから、貴女がまだ旅を続けたいのなら、私が保護者として同行するってことよ。今日のお昼までなんでしょう? 付き合ってあげるわ」

「それは、えっと、確かに。貴女が一緒なら、補導される危険は少なくなりそうですね。」

 補導される危険性に今気づいたが、それは言わないでおこう。からかわれそうだ。


「見た通り、私は成人してるからね。警察が絡んできても、あなたの証言の足しぐらいのことはしてあげられるわ。もっとも、貴女がちゃんと運転できるのなら、ですけどね」

「……同じ失敗はもうしませんよ。ちゃんと運転できます」

 少し拗ねるような声で答える。……ああ、今の自分の声で拗ねた声を出すと、本当に小学生が拗ねてるようだ。自分でもわかってしまうのだから、彼女からはどう思われるのか、もはや考えたくもない。


「あは、じゃあ、次はしっかりとね。ん、ちょっとお腹すいちゃった。私、この朝市のマグロ丼を食べにきたの。まだ残ってるかしら」

「ああ、そういえば私もそうでした。バイクがないと食べにこられないので、どうしても食べたかったのですよ。……あ。」


 くぅ、とお腹の音が小さく響く。その音は彼女にも届いたらしく、一瞬目を丸くしたと思ったら、くすくすと笑いだした。


「あ、あはは、それじゃ、はやく食べに行きましょう。売り切れてたら、二人して飢え死にしちゃうわ」


 そういって彼女は私の手を取ると、朝市会場へと向かって歩き出す。

 私は、今、顔が真っ赤なのだと思う。返事をすることができなかった。

もう少しだけ続きます。

近日中に投稿予定です。

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