深夜 愛車に乗って
神奈川県南東部・三浦半島。
私は、その突端にある三崎を目指し、バイクを走らせていた。
バイクといっても、125ccのスクーター。小型限定免許になるから、バイク好きの人から見たら、これをバイクと扱うのはおかしいといわれるかもしれない。
が、いいのだ。私はコレをバイクと呼ぶ。近所のおじさんおばさん連中もバイクと呼ぶ。まぁ、50ccより大きいからバイク、とかまぁその程度の認識なんだろうけど。
道路にはヘッドライトの明かりと、街灯の明かり以外は真っ暗だ。
それもそのはず、時刻は午前4時過ぎ。まだ日が昇るにも1時間はかかる。他の車やバイクの姿を時々みかけるが、数は多くない。
せっかく交通量が多くないんだ、赤信号で先行車の前に出て、先を走らせてもらおう。ハンドルの左フレームには、固定アームで取り付けたスマホが地図を表示している。横目でそれをちらりと見る。目的地の岬まではあと数キロある。
アクセルを回し、愛車のエンジン音と振動をもう少し楽しもう。
5年間、通勤に旅行に買い物に、ほとんどの行動を共にしてきた、もはや戦友ともいえるこのバイクだが、残念ながら今日でお別れだ。
今日のこのツーリングは、まぁ、愛車との最後の思い出作りのようなものだ。
だからって、何も夜も明けてないような早朝から出ることもないと思うが、それには理由がある。
今日のお昼には、私の愛車をバイク屋に持っていって、売却することになっている。
手続きはほとんど済んでいる。購入した時から世話になったバイク屋で、それなりにくたびれ始めた車体だけど、それなりの金額で買い取りしてくれるそうだ。
だから、愛車に乗れるのは、今日の昼まで。
別に、お金に困って売却することになったわけじゃない。まぁ、余裕があるわけでもないけど。
そもそも私は、愛車どころか、どのようなバイクも、自動車も、今日以降運転できなくなる。
――私の免許は、今日で失効する。
また、赤信号だ。両手でブレーキを軽く握り、停止線の手前で停車するようにゆっくり速度を落としていく。
停車する直前で、揃えていた両足から左足だけ車体の外に降ろす。
しっかり踏ん張れるように意識を左足に集中する。体が小さくなった分、車体が斜めになる角度が大きい。
ズシリ、と左足に重量がかかるが、支えられない重さじゃない。
が、やはり重い。はやく信号が青に変われと願ってしまう。痛くはないが、態勢が傾いているから、足だけじゃなくて全身が緊張している。
ややあって、青信号。アクセルをひねって加速する。そして一息。
スマホ地図では、目的地までもうすぐのようだ。自分の意志でツーリングにでておきながらこう言うのもどうかと思うが、赤信号の度につらい思いをするぐらいなら、出かけなければよかった。
改めて、自分の体の小ささを実感する。以前乗った時よりも、明らかに視点が低い。
ハンドルを握る両手と両腕も短くなっているため、シートに座る姿勢からして、前のめりだ。
だから、身長の差以上に視点が低く思える。明るくなった時、遠くを見ようとするのが難しそうだ。
あぁでも、視力は上がった、というより、戻った。以前は眼鏡をかけてやっと0.7だったのに、今は眼鏡なしで1.0だ。眼鏡なしでバイクにのれるのは、新鮮だし気持ちがいい。
そのことだけは、私が女性化してしまったことのなかで、よかったと思える点だ。月が出ていなければ、星もよく見える。
そう、私の身体は1か月前まで男性で、今は女性となってしまっている。
職場で急に倒れた私は、運ばれた病院で目が覚めた時、すでに女性化していた。
突発性性別変態症候群、だったか。非常にまれな病気だが、一応国内でも年に数件ほど発生しているらしい。
発症原因は不明、発病すると、意識の喪失の後、数時間で身体が一気に作り変えられる。
病院の先生によると、運ばれてから女性化が完了するまで、音もなく静かに、しかし確実に少しずつ体が変わっていったそうだ。
研究用にビデオが撮られているそうだが、私はそれを見る気にもならなかった。
正直、自分の身体が女性化したことに対して、最初は受け入れられることができなかった。
1か月経った今でも、本音ではまだ受け入れられない。何しろ、まったく別人のような姿になっているのだ。
身長は170あったのが、今は140ちょっと。小・中学生といったところか。視点が低くなるのも当たり前だ。
髪まで勝手に伸びていた。肩より下に髪の毛が伸びていて、髪の毛が重いと思うことになるとは思わなかった。
見た目は、はっきりいって美少女といっていいだろう。だが、私はれっきとした社会人の男性だったのだ。
その姿で仕事をすることが全く想像できない。
職場には、病院に運ばれてからまだ入院していることになっている。休職扱いとなっていると聞いた。
正直、助かった。この姿で生きていくことすら、まだ受け入れられていないというのに、働くことなどとてもできないだろう。
入院中、検査やリハビリ(最初は満足に体を動かすことすらできなかった)を続けながら、法的な面での手続きも進められた。
事例が少ないとはいえ、過去に何件も発症例があるため、少しずつ法整備も進められてきているらしい。
身体が完全に女性化してしまっているため、戸籍の性別を変更する必要がある。
発病者の生活にかかわるため、医者の診断書があれば最優先で裁判所を経由し、戸籍が修正されるそうだ。
私の場合、すでに身内と呼べるものがいないため、意識がない状態では手続きが進められなかったのだが、幸いにも意識自体は1日で戻ったため、病院側はすぐに手続きに入った。
正直、何が起きたのかわかっていない状態で勝手に手続きに入られたようなものだが。
人権侵害じゃないかと少し考えたが、まぁ今考えてみたら、戸籍と身体がちぐはぐの状態が続くほうが困る。あえて追及はしないでおいた。
だが、戸籍が修正されることによって、いくつか不都合が出た。その最たるものが、運転免許だ。
当然ながら運転免許には、私が男性だったときの顔写真と、性別・男が記載されている
今の私の顔とは似ても似つかない。そして性別も遺憾ながら男だと証明することができない。
よって、私の運転免許は、戸籍の性別変更により、失効するそうだ。その日付が今日である。
幸いにも生年月日の変更はなされていないため、見た目はともかく、私の年齢は免許取得可能年齢となっている。よって、再度試験を受け合格すれば、免許を再交付してくれるらしい。
だが、身体が大きく変わっているため、無条件ではなく、必ず実技試験を受けなくてはいけないらしい。
そして、今の私の身体は小さい。少なくとも試験場の厳しい検査員のもと、実技試験が合格できる気がしない。
よって、私は運転免許を再取得することを諦めた。
この身体が実年齢と違い、これから成長することがあれば、その時改めて免許を取りに行こう。
そう決めて、退院し自宅に戻った時、駐輪場に停めてある私の愛車を見て、もう乗ることができないと思ってしまったのだ。
駐輪場の月額費用もかかれば、各種保険・税金だってかかる。もう乗ることができないのに、抱え込んでおくことはできない。……収入だって、今後どうなるかわからないのに。
私はその日のうちに馴染みのバイク屋に電話をかけ、――事情説明と本人確認に手間取ったが―― 愛車を売却することが決まった。
だが、売却が決まると、なんだか無性に、どうしても、どうしても、最後にこの愛車と旅をしたくなった。
昼間のうちは、現実的に無理だ、と思って諦めた。まだ不慣れな小さな体で運転するのは危険だ。警察に停められて、免許の確認を求められたらどうしようもない。
でも、夜になって。もう明日には愛車がいなくなる、と思ったら。
夜中の3時。どうしようにも衝動を抑えきれなかった。
習作となります。
よろしくお願いします。
前編、セリフが一回もでてきていない。説明ちょっとくどいですね。