2層 14話目
エキドナちゃんが私を起こしたのは、
まだ空も暗く、
肌寒さも残る空気が漂っている最中だった。
「ぎぅ」
眠気眼を擦りながら、
いったい何事かとエキドナちゃんを見やると、
凛とした佇まいで眼を細めて、
木々の隙間のその奥をジッと見つめていた。
視線の先に何かあるのかな……?
私も目を凝らしてみる事にする。
が、良くは分からなかった。
エキドナちゃんが何を警戒しているのか、分からない。
ただ、何の理由も無くこうなる子では無い事は知っている。
私はもう少し様子を見る事にした。
――と、その前に、念のために楯子ちゃんを起こしておこう。
鼻ちょうちん作ってスピースピーと寝てる所悪いけど。
「起きて」
「あい……」
無駄に可愛い。
まあそれは置いておいて。
私はエキドナちゃんと同じ方向をジッと見つめて……ふと、森の奥先に異変がある事に気づいた。
ガサリと草木の擦れる音がして、
それが段々とこちらに近づいて来る。
私は何か嫌な感じがして――その予感は程なくして当たった。
「……あら」
森の奥から草木を分けて姿を現したのは、
昆虫のような外骨格を纏う二足歩行をする魔物。
一際に膨らんだお腹が目立っているその魔物は、私を見ると嬉しげに舌なめずりをした。
紫色のその舌から、にちゃりと緑色の唾液が糸をひいていて、尋常ではなく気色悪い。
異様な魔物だ。
……なるほど。
エキドナちゃんが私を起こした理由が分かった。
おそらくこの魔物が近づいて来ていたからだ。
「見つけたわぁ」
見つけた……?
まるで私を探していたかのような口ぶりだけど、
どういう事……?
心当たりなんてものは当然だけど無い。
と言うか、人の言葉を喋る魔物か。
そんな魔物、今のところ私は人型スライムの彼女しか知らないけど。
まさかこの魔物……彼女と同じくボスとか?
いや、ボスはそんな簡単に現れるものでもないと思う。
「へぇ亜竜に妖精――いえ、人造生命体かしら? 召喚士ってスキルは初めて見るけど、中々面白いのを連れてるじゃない」
私を探していた上に、
スキルが召喚士だって事も知っていると来た。
本当なんなの……?
「……随分私に詳しい見たいだけど、何で知ってるの?」
「なんで私があなたの事を知っているかって?
それをあなたが知る必要は無いわ。
あなたはこれから私に連れ去られて、私のだーりんに毎日昼夜問わずに犯されて、赤ちゃんをポコポコ産むだけの道具になるのだから、それ以上を知る必要なんてあなたには、な・い・の」
昆虫の魔物は私の問いに答えるつもりは無いらしく、
その代わりになのか、
非常に気持ち悪い言葉の羅列を並べ立てた。
どうやらこの魔物の目的は、
私を自分の彼氏への貢ぎ物にする事らしい。
……それも性玩具として。
「まあ、最初はちょっと嫌だったりするかも知れないけど――大丈夫よ。すぐに女の喜びに目覚めて自分から求めるようになるわ」
「……へ、へぇそうなんだ」
色々と腑に落ちない点は多い。
ただ、何だか色々ヤバそうな魔物だという事だけは分かる。
とにかく何か行動しなきゃ――。
と、私が考えた瞬間。
突然、蒸気を発する液体が魔物の顔に降りかかり爆発した。
「――ぎゃ、ぎゃああああ! な、何!?」
魔物が顔抑えて転げまわると、
険しい顔をしたエキドナちゃんが私の前に出てくる。
もしかして……。
「……今のってエキドナちゃんの新しいスキル?」
「ぎぅ!」
エキドナちゃんが肯定する。
どうやら、あの酸爆ノ息とか言う新スキルで間違いないらしい。
何か物騒な名前のスキルだとは思ってたけど、
その名前に恥じないぐらいに凶悪なスキルのようだ。
――まあとにかく。
折角エキドナちゃんが先制攻撃をしてくれた。
今のうちにこの魔物をどうにかしてしまおう。
ここは精霊行使でも使って一気に決着つけ――
「ハァ、ハァ……ク、クソガキャアアア!」
――ようとして、私が錫杖を構えるより先に。
昆虫の魔物は、鬼の形相になると息を荒げて立ち上がった。
顔面の半分が溶け出していて、
今も湯気が立ち上っているにも関わらず……。
「えぇ……」
私は思わず軽く引いた。
魔物の復帰が予想外に早過ぎる。
しかも奇襲をされた事に苛立っているのか、
この魔物、かなり激昂している様子だった。
「人が話してる最中にふざけやがって! 手足切り落として達磨にしてやるっ! 生きて穴さえ空いてりゃ他はどうでもいいわっ!」
こ、こわっ……。
「安心なさいな! その程度じゃ案外人間って生き物は死なな――」
「だめー!」
「――いんだから?」
魔物はこちらに特攻しようとして、
その脚をガクンと落とした。
「へっへーん」
楯子ちゃんが自信ありげに鼻を擦る。
どうやら何か魔術を行使してくれた見たいだ。
そして、それに合わせるようにして、
エキドナちゃんが再び酸爆ノ息を魔物に浴びせた。
……二人とも助かるよ。
「あ、あぁァァァッ、熱っィイっ……ッ!」
じゅうじゅうと煙を立ち上らせながら、
魔物が悲痛に顔を歪ませ膝をついた。
――今度こそ。
私はすぐさまに錫杖を構えると、詠唱を始めた。
折角二人が作ってくれたこの機を逃せない。
「――湖いずみよ湖、あまねく湖」
ウロボロスの時のような、
精密なイメージをしている暇はなく。
ひとまずこの魔物を何とか出来るなら、何でも良い。
「――借りし力を型造る。球よ球。浮かびし輪郭小衛星」
私は大きな水球を思い浮かべる。
それで魔物を押し潰すつもりだ。
「――包含重さは鉄塊超えて」
鉄塊を超える重さを持たせよう。
生半可な力では抗えないくらいの重さを。
「――揺らぐ水面を固めて彩る」
いちいちディテールに拘る暇も無い。
とにかく重さを増した水球を、
むりやりに固めて形づくる。
「……絶対、絶対に許さないわァっ」
怒りを宿した瞳の魔物が、
戦闘態勢を整えこちらを見据えてくる。
が、もう今からでは私をどうこうするには遅い。
すでに魔物の頭上には、
直径3メートル程の水球が姿を現しているのだから。
「――この地の央に導き引かれろ! 圧殺せしめる――っ【小さき水衛星】!」
私が言い終えると同時に、
水球が激突する衝撃音が辺りに響き渡る。
「――!? ~~~~ッ!?」
魔物が何か喋っていた気がしたけれど、
良くは聞こえなかった。
そして、大量に舞った砂埃が風に払われた後に残ったのは……水球の何倍かの大きさのクレーターだ。
「……速さ重視の突貫詠唱の割りに、威力凄いね」
詠唱が適当で短かった分、
規模や威力も抑え気味だったハズなんだけど……。
それでもこの破壊力である。
ウロボロスと比べればマシな加減ではあるけど、それでも過剰過ぎますね。
もう少し抑え気味である事を、
明確に詠唱の文言に追加するくらいが、
丁度良い塩梅なのかも知れない。
さて、ところで。
この威力の直撃を食らった魔物だけど、
クレーターの中心で横たわり、
ぴくりとも動く事は無かった。
しかし、あれを食らってなお、
その原型をきちんと留めているとは……。
硬過ぎるよ。
やっぱりボスか何かだったんじゃ、って思えるくらいに硬い。
まあでもともかく――もう終わった事だ。
この様子じゃあ生きてるとは思えないし、
生死の確認もいらないでしょう。
そう言えば、
こいつはかなり強そうだったから、
良い感じの魔石とか取れそうな気はする。
でも、何か近づきたくないから、
今回はパスしておく事にしよう。
「ぎぅ」
「すごいおとしたねー! おわったー?」
エキドナちゃんと楯子ちゃんが近くに寄ってくる。
私は二人に「ありがとうね」と軽く伝えると、
そそくさとこの場から離れる事に決めた。
しかし……あの魔物は何で私の事を知っていたのだろうか?
それだけが分からない。
■□■□
勇気たちが立ち去ってすぐ。
優しく吹いた生暖かい風に撫でられて、
第二層のボスがむくりと起き上がった。
「……まさか精霊行使まで使えるなんて」
第二層のボスの表情には驚きがあった。
初めて見た瞬間は、あの女は何だかか弱そうに見えていた。
だから、多少なら油断しても構わないと思っていたのだが、
それは間違いだったようだ。
召喚獣についてはまだ予想の範疇で、
あの酸のような攻撃も痛くて熱かったけれど、
あと何回か食らえば、
恐らく慣れて我慢する事も可能だったろう。
ただ、召喚士本人が使った精霊の力――これは違った。
第二層のボスにとってこれは誤算だった。
だーりんと同時期の転移者であれば、
迷宮に来てまだ日が浅い迷宮新参なのは間違いない。
奥にもぐった人間たちが戻ってきたならまだ分かるが、
そうでも無い明らかな迷宮新参が、
固有以外の強力なスキルを持っているなんて、
ちょっと信じられない――
――それが、第二層のボスの素直な感想だった。
「しかも、倒れた私に近づいて来なかったわね。
生死の確認ぐらいしに行ると思ってたのだけど。
折角……来たら手足切り落としてやろうと思ってたのに。
随分と警戒心が強いわ」
第二層のボスは面白くなさそうに口元を歪ませた。
精霊の力を使った攻撃によって、
かなりのダメージは負ったものの、
一撃か二撃分くらいならば最高速で動けない事も無かった。
不用意に近づいてきたなら、
達磨にしてやるつもりだったのだ。
「簡単に終わると思ったのに、
なかなか面白い事してくれるじゃない。
これは少し対策が必要ね。
傷を癒しながら、
何かあいつに弱みが無いか、
だーりんに少し話しを聞いて見ましょう」
第二層のボスは、
べちょりと舌なめずりをすると、
眼光をギラつかせて自らの腹を擦り――
「……え?」
――大きかったそれが、
すっかりと凹んでしまっている事に気づいた。
新たに宿っていたハズ命が。
愛しき我が子が。
この世に産まれ落ちる事すらなく、
その生涯を終えてしまった。
先ほどの女の攻撃のせいに違い無かった。
硬い肉体を持つ自身は耐えれても、
その腹内に収まっているのだとしても、
まだ柔らかく小さな生命にとっては、
あの衝撃は死神の一撃でしかなかった。
「……」
第二層のボスの表情が、怜悧なものへと変わった。
そうして氷河を思わせる程の冷淡さを滲ませつつ、ぽつりと呟く。
「……絶対許さない」