28話目
しかしまあ、二段が放った拳は、
これまたなんとも重そうな一撃だったね。
肉が押し潰れるような音なんて、
今までの人生の中で初めて聞いたよ……。
ちらりと二段の表情を読んで見る。
今ので決着は既についたとか、
そんな表情してるだろうなと、
俺はそう思っていたのだが……、
しかし、意外な事に、
何か納得いかないって顔を二段はしていた。
「……手ごたえが無い。おかしいな」
あれで手ごたえが無いって、
どういう基準なの。
「いやあ、今ので沈んだんじゃ……」
「音だけだった。肉だけ叩いたような感覚だ。骨身にまで響いた感触じゃない」
何でその感覚を知っているのか、
と言う点についてはひとまず置いておくとして、
ともかく、二段の言う事がその通りであるなら、
まだ相手は健在と言う事になる。
俺と二段の視線が、吹っ飛んで行った何者かに向く。
うつ伏せに倒れていたソイツは、
改めてみると人の形をしていた。
薄汚れたような、深い茜色のローブを身に纏っていて、
両の手には短刀を握り締めている。
「人型の魔物なのかな……」
「さぁな。――知らん」
そう言いながら二段はそいつに近づくと、
思い切り踏みつけた。
当然にぐちゃっとした音がする。
トドメですかね……。
なんとも無慈悲な一撃だとは思ったけれど、
しかし予想外な事に、
そいつの体は二段の脚を深く沈みこませるのみに留めていた。
肉が弾けるワケでも、骨が砕けるような感じでも無い。
何というか、柔らかいゴムの塊を踏みつけているような絵面だった。
俺はそのおかしな光景に結構驚き、
対して攻撃を加えた二段は渋い顔をしているのみだった。
まるで、こうなる事に検討がついていたかのような表情だけど……。
ああそう言えば、手ごたえが無いって言ってたね。
こういう意味か。
「……人間じゃあ無いのだけは確かだな」
「スライムなんじゃないかな」
恐らくだけど、ね。
今までこの階ではスライムとしか会っていないし、
何よりも、およそ人としてはありえない粘性を見ると、
そうとしか思えない。
そして恐らく、
今まで出会って来たスライムとは格も違うと思う。
多少は特性や特徴に違いはあれど、
二段よりも明らかに攻撃力の落ちる人間の蹴りで、
あっけなく倒せてしまう、
そんな魔物がスライムだったハズなのだ。
けれども、目の前のコイツはそうでは無い。
警戒心が産まれたのか、二段が少し距離を取る。
すると、それを察したのか、茜色のローブのそいつがゆっくりと起き上がった。
上から下まで、確認するように見やると、
そいつの顔つきや体型は壮年の女性のそれに近く見える。
けれど、肌の色が病的なまでに白い上に、
明らかに人としてはおかしい瞳の存在が、
見た目通りの人間では無いのだという事を教えてくれていた。
こいつの瞳には虹彩や瞳孔所か白目すらも無く、
そこには、単色の緑色だけが収まっていた。
分かりやすく言うならば、
緑色のグミが双眸に押し込められているような感じである。
ちょっと不気味……。
「……いきなり攻撃してくるなんて、とんだ野蛮人だこと」
人型スライムが喋った。
いやまあ、人の形をしているから、
その可能性も考えられない事は無かったけど、
いきなりだと、少しばかりびっくりする。
「いきなり刃物を投擲してくるヤツに、とやかく言われたくは無いな」
「そこは男と女の違いよ。女が男に襲われるのは恐怖でしか無いけれど、逆の場合は男として嬉しい限りでしょう?」
「少なくとも俺は違うな。惚れたワケでもねぇ女に襲われたら、うっかり殴り殺しちまう自信があるぜ」
二段と人型スライムは、
こんな感じのふざけたような言葉のやり取りを幾つかすると、
特に合図も無いのに戦闘をはじめた。
俺から見ると戦闘開始がいきなりに見えるんだけど、
多分この二人からすると、そうでも無いんだろうなと思う。
なんとなくそんな感じがする。
さて、突如として始まった戦闘だけれど、
二段の蹴りや殴打が本当に良く当たっていた。
しかも結構強烈な音がする。
ただ、人型スライムは衝撃を吸収してるっぽいので、
あまり効いてはいないように思えた。
しかし、打撃があまり通じていないにしても、
二段は凄いなと改めて感じる。
何せ攻撃力が云々以前に、刃物持った相手と相対して怖がらずに前に出て、
その上できちんと避けているのだから。
とてもじゃないが俺には真似出来ない。
俺はこの戦いを見つつ、
現状では間違い無く自分は邪魔にしかならないだろうなと、
否がおうでも改めて理解した。
そして引っ込む事を決意する。
「でも、どこかに隠れるにしても、良さそうな場所が……」
俺はきょろきょろと自分が隠れられそうな場所を探して、
「……ん?」
ふとある場所が目に入った。
それは門の向こう側であり、人型スライムが元々居た場所である。
考えて見れば、人型スライムが中から出てきた事によって、
もしかしたら中は空っぽで逆に安全かも知れない。
「……エキドナちゃん、中の様子見てきてくれる?」
「ぎぅ」
念のためにエキドナちゃんを先に潜入させて見た。
すると、待つこと数十秒でエキドナちゃんが戻って来る。
案外早かった。
「きぃ」
うん、どうやら大丈夫らしい。
中の安全が保障された所で、
俺は早速中に入る事にした。
背中から、ぐちゃああとかズズッとか言う、
二段と人型スライムの激闘の音が聞こえ続ける。
そう言えば、二段がスキルを使わないのは何でだろう?
制限時間があるって所から、もしかしたら一度使うと、
クールタイムがあって連続使用が不可能とか?
制限時間なんてあるんだから、
当然その手の制限もあるよね。
使い所でも考えてる感じかな。
それぐらい、言わなくても分かるだろ、って所か。
まあ、細かい事は良いや。
今俺に出来る事と言えば、この中に隠れて――ついでに中を物色する事くらいだ。
取りあえず何か拾わせます。