08話 死の魔法試験
<アンダルト>
小走りでついて行く。子供のオレが大人のこの人の速さについていけるわけないのに、全然速度を落としてくれない。
階段を下りて、廊下を通って、階段を上がって、ぐるっと回った後また下りて、ちょっと外を通って、また中に入って、少しいったところの部屋に通された。とても同じ建物の中とは思えない広さだ。もうここがどこだかわからない。
部屋には簡素な机といす。観葉植物くらいしかない。机の上にはエッグスタンドに乗った、透明なゆで卵のような物が置かれている。
奥にもう一つ部屋がある。ガラス張りになった巨大な窓から向こうの部屋が見えるが、あっちには家具も何もない。
「一応自己紹介してやる」
身長的にもすごく上から目線で、高圧的に言った。
「オレはマドリード・オスカー・デューク・アン・ティラナ。この国の宮内府副長官だ」
それがどれくらい偉いのかわからない。
「あ、オレは……」
「知っている。必要ない」
手で遮られる。まあ、当然と言えば当然か。
「王女殿下からお前の教育を仰せつかった」
昨日もめていたやつか。結局引き受けたんだ。
「まず、あるテストを受けてもらう」
オレをゆで卵のような物が乗った机の前に立たせた。
「それは魔宝珠《クリスタルエッグ》と呼ばれる、魔法道具だ」
「はぁ……」
オレは触ろうと手を伸ばした。
「高いものだ。壊すなよ」
慌ててひっこめる。
「説明はおいおいするが、きちんと教養さえあれば魔法は誰にでも使える。問題は、系統によって得意不得意があることだ。この道具はそれを調べることができる」
「はあ……」
軽く聞き流そうとしていたオレは、耳を疑った。
「……え、ってことは! オレでも魔法が使えるんですか!?」
「そうだ」
「でも、貴族しか使えないって話じゃ……?」
「それは平民は魔法に関する教育がされてないからだ。魔法は万能な力じゃない。法則だってきちんとある。それも知らずに使えるわけないだろう」
ティナの言い方だと、魔法は貴族の特権のようだった。
でもこの人は、オレでも使える、と言った。
王女様が使っていた氷の魔法。アスタナ様が使っていた短剣を動かす魔法。そんなことができたら、すごくかっこいい……!
「じゃあ早速だが」
一人でテンションを上げるオレに、マドリード様は淡々と告げた。
「すでに何度か魔法は見たと思う。使ってみろ」
……………………は?
ずいぶんといきなりの無理難題だ。無茶ぶりすぎるだろう。
確かに何度かは見てるけど、それでいきなりできるようなものじゃないだろう、あれ。あんただってさっき「魔法の教育がされてないと使えない」とかなんとか言ってたじゃねーか。
うろたえるだけのオレを見て、あっけらかんと言った。
「やっぱ、無理だよなー……。仕方ねぇ」
マドリード様は魔法道具とやらを持つと、「ついてこい」と言って奥の部屋に移った。
奥の部屋には窓なんてなかった。ガラス張りになっていたはずのところも、壁の一部でしかない。どうやら、向こうからは見えて、こっちからは見えない造りのようだ。
壁には無数の穴が開いている。何のための部屋なのか。意味がわからない。
部屋の真ん中にエッグスタンド付き透明ゆで卵を置く。
「固定魔導《ブロック》」
そう唱えてから、エッグスタンドを倒そうと強く押したが、びくともしなかった。
「よし」
そのまま、オレを残して部屋を出る。
ガチャという音がした。どうやら外からカギをかけられたようだ。どういうつもりかは知らないが閉じ込められた。
「もう一度言うぞ」
声だけが聞こえる。
「魔法を使ってみろ。何でもいい。使いやすそうなものをイメージしろ」
「できませんよ! できるわけないじゃないですか!」
オレは怒鳴り返した。
「だろうな。んじゃ、仕方ねーな。やってくれ、アスマラ」
「本当にやるんですか? 手加減しませんよ?」
マドリード様とは違う方向から、別の若い男性の声がした。
「殺さない程度だ」
……え? 殺す? 何を言ってるんだ?
考えている時間も、質問する暇もなかった。
壁の穴からオレめがけて一斉に何かが飛んできた。
「うわっ!?」
かろうじて一つ目をよけるが、二つ三つと次々に飛んでくる。
死角から飛んできた何かが後頭部に当たった。体勢を崩す。そんなオレに構わず、何かは集中攻撃してきた。地面を転がり回避するが、すべては避けきれない。
自分に当たってスピードが落ちた『何か』を視認する。
……ゴムボール?
何かがわかったところで、当たったら痛いことも飛んでくるのを止める方法もわからない。
顔面だけは当たらないように何とか隙間をかいくぐり、腕でガードする。
ゴムボールが当たった腕も足も体も、あちこちが痛い。
こう狭い部屋では逃げ続けるのも大変で、すぐに体力に限界が来る。
「くそ、ちょこまかと逃げやがるな」
「早くしないと、私の魔力がきれます」
外からはのんきな声が聞こえてくる。
オレは闘技場というものがあることを思い出した。貴族の娯楽で、魔法の使えない平民と魔物をどちらかが死ぬまで戦わせるものらしい。大抵は平民が血祭りにあげられるため、それを見て楽しむ貴族がいると、ティナが言っていた。
こいつらはオレでそれをしようとしてるんじゃないか? テストとか言っていたが、力尽きるまでオレをタコ殴りにして、楽しんでるんじゃないか?
マドリード様はオレのことがたいそう気に入らないようだった。王女様から教育を仰せつかったという大義名分のもと、オレを再起不能にしようとしているのかもしれない。
「仕方ねぇ。剣もまぜちまうか」
「夕飯はパスタにしよう」というのと同じくらいの軽さで、マドリード様の声が聞こえた。
あがった息で酸欠になりそうな頭を必死に回転させて、その意味を考える。
剣……? まさか……飛んで……!
その意味を理解する必要はなかった。「了解しました」の声と同時に、ゴムボールに混ざって短剣が飛んでくる。
鋭い刃先。ライトを反射する光沢。それはまさに人を殺すのにはうってつけの、凶器だった。
狙いは的確で、オレのいるところにまっすぐ突進してくる。
……死!
地面に落ちていたゴムボールを踏んでこけた。短剣が頭をかすめる。ほっとする暇はない。
ゴムボールに加え、別の短剣が違う方向から向かってくる。
まるでスローモーションのように正面から飛んでくる短剣を見つめていた。オレの顔が銀の刃に映っているのがはっきりと見える。
そうだ、忘れていた。
いや、そうだと思いたくなかっただけだ。
殺さない程度、と言っていた。殺されないと思っていた。
でも……。
こいつらにとってオレは殺してもいい存在なんだ。
親に捨てられて、養父母にこき使われて、王族に金で買われて、貴族になぶり殺される。
オレの人生、誰かに振り回されっぱなしで、自由なんてなくて、ホント、クソみてーじゃんか。
あぁ、これが走馬灯ってやつかな。ってことはオレ、死ぬのかな。
何一つ好きなことできなくて、やりたいことすら見つけられなくて、このまま……。
……死にたくねぇ!
視野が異常に広かった。脳が冴えきっていた。
オレは自分の人生を誰かにすり減らされたまま死にたくない! やりたいことも、生きる目標だって、そんなもんありはしないけど! だからって死にたくはない!
足元に転がるゴムボールが、視界の端に映った。体中が今までに感じたことのない不思議な力で満たされた。
銀の刃はもう目の前だった。
体内の不思議な力が手を伝ってゴムボールを取り囲む。それを一気に引き寄せた。
スローモーションがきれる。
眼前に迫る短剣を、横から飛んできたゴムボールが吹っ飛ばした。
ガゴン! カラァン……。
短剣とボールは壁に当たり、地面に落ちた。同時にゴムボールの雨も止む。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
何が起こったのか、誰がやったのか。理解が追いつかなかった。
ただ、まだ自分は生きている。そのことだけはわかった。
透明だったゆで卵のような物が、赤く光り輝いている。
「おう! 出たな、物理魔法だ!」
外からの声が意識を呼び戻す。
そうだ、オレは、オレが……。
時間をかけて理解した。
オレがやった。ゴムボールを触らずに動かした。迫った危険から身を守るために、ボールで短剣を吹っ飛ばした。
オレが……オレが!
混濁した脳が正常に働き始める。
同時に命を脅かされた恐怖が襲ってきた。落ち着き始めていた心拍数が、また速くなる。体がガタガタと震え始めた。
こいつらはオレを殺そうとした。躊躇なく。こいつらはオレのことなんかなんとも思っちゃいない。このままじゃ……殺される!