06話 夕食
<アンダルト>
アスタナ……様が出て行くと、部屋は急に静かになった。
着替えてから、散乱している洋服を綺麗にたたんで、ていねいにクローゼットに収納する。
外が暗くなるのにつれて、部屋はさらに暗くなってきた。
オレはベッドの上に寝転んだ。王女様の部屋のソファにははるかに劣るが、ティナの家のどの家具よりも高級なものだ。穴があいてスポンジが飛び出ていることもないし、スプリングもきちんと役目をはたしている。
なんだか今日はいろいろありすぎて、頭も体も追いつかない。
ティナは、ダイスは、今頃何をしているんだろうか。オレがいなくなって、せいせいしてんのかな。それとも殴る相手がいないと、壁にストレスをぶちまけてるんだろうか。もしかしたらオレを売った金でいいものでも食ってるのかもしれない。
オレは……どうなるんだろう。
今日何度か頭に浮かんだ不安が、一人になった途端強くのしかかってきた。
ティナがよく言っていた。貴族は平民のことを家畜程度にしか思っていない。気に食わなければ殺すし、罪に問われることもほとんどない。危険で害しかないのだから、絶対に近づいちゃいけない、と。
アスタナ様みたいに貴族にだって話の分かるいい人はいるんだろう。
でも、きっと全員が全員そうじゃない。
ティナの言っていることもどこかで正しくて、このままオレがここにいたらそういうやつにもきっと出会う。それは今日会った貴族に向けられた眼差しから明らかだった。
あのままティナの家にいたら、きっとオレはいつか死んでいた。
でも、ここにいたって、やっぱりいつか殺されるんじゃないか?
……なんで、王女様はオレをここに連れてきた。やはり護衛の男が言ってたように、ペットか何かのつもりなのか?
オレは……。
*
「おい、起きろって!」
「私がたたき起こしましょうか?」
「やめろ。疲れてるんだろう」
遠くから声がする。あれ……オレ、どうしたんだっけ?
「ほら起きろ、アンダルト! ご飯が冷めるぞ!」
誰の声だ? 聞きなれない……。
「おーい! 起きろって!」
うるさいな。もう少し寝かせてくれよ。
声のするほうに背中を向けた。
「うわっ!」
「おうっ!」
寝返りをうったオレはベッドから落下して目を覚ました。投げ飛ばされたり、馬車に轢かれたり、木箱に衝突したりしてきた体は、五十センチほどの落下も堪える。
「大丈夫か……?」
振り向くと、王女様と、昼間王女様と口論していた男性が立っていた。
部屋は、カンテラの明かりに照らされている。炎の光かと思ったが、揺らめきもなく炎より明るい。
「あ、はい、すみません」
寝起きで回らない頭のまま、ゆっくりと立ち上がる。
「いいご身分だな。王女殿下じきじきに食事を運んでいただいて、自分はグースカ寝てるんだから」
男性の嫌味は左耳から入って、すぐに右耳から抜けていった。
食べ物のいい匂いが鼻孔をくすぐる。それに反応して、ぐぅ~と腹が鳴った。
王女様がくすっと笑った。
「ちょうどよかった。夕飯を持ってきたんだ」
机の上に食事がのったお盆が置いてある。そういえば、昨日の夜から食事を抜かれていたので、かれこれ一日以上何も食べていない。空腹の限界は近い。
「大したものは確保できなかったんだが……」
この人たちの基準と、オレの基準が全然違うということが、だんだんわかってきた。
見ると、パンが二つととシチューの入ったお椀がのっていた。十分だ。ありがたい。
空腹警報を鳴らすオレの脳は、食べ物を目の前にして「今すぐかぶりつけ! でないと死ぬぞ」と告げていた。
王女様を見るとニッコリとうなずいたので、欲望に従うことにする。
ひたすらに食べ物を口に放り込むオレを見て、男が「野蛮人……」とつぶやいた気がしたが、今は気にしない。生きるためなら何を言われようとかまわない。
小麦のパンは柔らかくふわふわで、シチューにはなんと肉が入っていた。こんな豪華な食事、食べたことがない。
完食した。さすがに王女様の目の前でシチューの皿をなめたりはしなかったが、一滴残らず、パンのカスすら見当たらないくらい、きれいに食べつくした。
「おぉ! よく食べたな!」
「下民が……」
王女様は感心しているようだが、貴族の男にはさらに軽蔑されていた。
お前に飢えた者の気持ちなんてわからないだろ! と心の中では対抗する。
「足りたか?」
「はい」
本当はもう少し食べたい気がしたが、何食か抜かれた後に一気に食べると気持ち悪くなるということを、経験上知っている。
オレの返事に「そうか」と嬉しそうにうなずくと、食器を持った。
「……オレが片付けます!」
立ち上がろうとしたところを止められる。
「いや、悪いがまだお前が出歩いていいという許可が下りてないんだ……」
「王宮内を無関係の平民が勝手にうろついていたら、騒ぎになるからな」
男性の言い方はムカつくが、きっと事実なんだろう。今日会った様々な貴族の反応からそんな気がした。
「そういうわけだから、今日はもう寝ててくれ。トイレは部屋を出て右に行くと突き当りにある。なるべく人に見つからないように」
「なるべく、では困ります。絶対、です」
隣りから口を挿まれ、王女様は「はいはい」と適当な返事を返す。
「……わかりました」
「また明日、来るから」
「私としては、明日にはあなたがこいつのことを忘れていることを望みますが……」
この貴族はいちいち一言多い。
「あ、そうだ」
王女様は去り際に振り向くと言った。
「その服、似合っているぞ」
自分の服を見ると、いつの間にかさくらんぼのパジャマに変わっていた。
誰が! いつの間に!
思い当たるのは一人しかいない。その人は頭の中で「やっぱり似合うでしょ」と笑った。