02話 王女様
<アンダルト>
「それ」
女の子はオレが持っていた木桶の破片を指さした。
「さっき壊れたのか?」
「え、あ、はい」
「そうか。悪かったな」
とくに悪びれることもなく、淡々と言った。
いや、貴族が平民に謝ることなんて滅多にない、というか皆無だろう。もしかしたらすごく譲歩しているのかもしれない。
しかしなんでこんなところに貴族が、それも子供が一人でいるんだろうか。護衛の一人や二人つけておかないと、いつ暴漢に襲われるかわかったもんじゃない。
「お前、名……」
少女が何かを言いかけたときだった。
「殿下!!」
今朝、オレがティナに投げ飛ばされて衝突した木箱が、物理法則を完全に無視してオレめがけて飛んできた。
「うげっ!?」
木箱が腹部に直撃する。本日三度目の強烈な痛みに、腹を抱えて丸くなる。このペースでいたぶられていたら、オレ死ぬな……。
「おいっ! 大丈夫か!?」
心配そうな表情で手を伸ばす女の子の後ろから、三人の男がばたばたと走ってきた。
「殿下、お下がりください!」
オレから女の子を守るように、二人の男が間に立ちふさがる。
起き上がろうとしたオレの体を、もう一人の男に取り押さえられた。じたばたと抵抗するが、大人の男に力でかなうはずもない。
「貴様、何者だ! このお方がどなたかわかっているのか!」
「今すぐここで処刑……!」
「やめろ!」
男の言葉を女の子がかき消した。
「殿下……?」
「放してやれ、今すぐにな」
「いや、しかし……」
「命令だ」
女の子との間に立ちふさがる片方、リーダー格の男の指示で、押さえつけてた男がオレから離れた。まるで汚物を触ってしまったかのように、ハンカチで手をふく。
「どういうことですか、こんな下民と」
「馬車で轢いて放置するほうがどうかと思うがな」
「たかが平民、それもスラムのガキですよ? そもそも私はこんなところを通ること自体、反対したはずです。ここは暴力的で凶悪なやからがたくさんいます。あなたのような高貴なお方が来るところではありません」
女の子は「うるさいなぁ、もう」と面倒くさそうに言った。男の間をすり抜けて、再びオレと対面した。
「殿下! 危険です! 離れてください!!」
男を無視してオレに言う。
「お前、名前なんていうんだ?」
「へっ……?」
突然話を振られ、変な声が出てしまう。
「おい、平民! 王女殿下の御前だぞ! ひざまずけ!」
オレの後ろに立っていた、さっきの男が頭を押さえつけてくる。
「やめろ。お前らなにもするな」
男はなぜ止められるのかわからず不満そうだが、従った。
「……アンダルト、です」
「そうか、アンダルト、か」
ここまで来て、大バカなオレの頭は大きな勘違いに気づいた。確かに今考えてみれば、数秒前にもその単語は出ていたのだ。
この女の子は、いやこのお方は、貴族なんかじゃない。
王族。ベルン王国第一王女、ルーシャ・ヴァリエッタ・ベルン様だ。
ベルン王国。この、アルクレイム大陸で国土、人口ともに最大の国。
何百年だかと続くベルン王家が代々治めている。その地位はこの広い大陸でいまだ健在だ。
いくら無知でバカなオレだって彼女の名前ぐらいは知っている。何しろこの国の王女様だ。知らない者などいるはずもない。
現国王バレッタ様の一人娘で、王位継承権第一位。生まれながらにして女王になることが決められた存在。
その地位だけでなく、学問はもちろん。魔法でもとびぬけた才能を持っているらしい。
オレなんかが本当は一生会えるはずもないお人だ。そんな人が今、目の前にいた。
「で、お前の家、どこ?」
「は?」
雲の上の人はオレの頭では理解できない質問をする。
「えっと、あそこ……ですけど」
恐る恐る指をさす。
「そうか」
一言つぶやくと、すたすたと歩いていった。男たちが慌てて後を追う。
ドアの前で一度大きく深呼吸をすると、ノックした。スラムでご丁寧にノックするやつなんていないぞ。
「遅いよ! ドアぐらい自分で開けな、のろまが!」
どたどたという足音の後、扉が勢いよく開いた。不機嫌そうなティナが怒鳴り出てくる。どうやらオレが帰ってきたと思ったようだ。
王女様は一歩引いたが、コホンと咳ばらいをすると、凛として言った。
「ここはアンダルトの家であっているか?」
「え?」
まず、目の前にいる男たちに驚いた。
次に、声の主が視界の下、小さな女の子であることに気づく。身なりから、彼女が平民ではないことも。
驚きで黙ってしまったティナの答えは「イエス」だと判断したようだ。王女様は話を続けた。
「私はベルン王国第一王女、ルーシャ・ヴァリエッタ・ベルンだ」
「は、はい!?」
オレと同じように、ただの貴族かと思っていたティナは、王女様の自己紹介に戸惑いを隠せなかった。もちろん、ただの貴族でも戸惑うが。
「お前に二つ言わなくてはならないことがある」
「は、はい……!」
後ろの男に睨まれて、ティナは一歩下がるとひざまずいた。あのティナがだれかに頭を下げる姿なんて初めてだった。こみあげてくる笑いを抑える。
「一つ。この家の木桶を壊してしまった。すまないな」
「い、いえ! そんな、滅相もございません!」
後ろにいたリーダー格の男が何かを言いかけたが、王女様に黙殺される。
「そしてもう一つ」
王女様はオレのほうを見た。目が合うと、ふっと笑った。
「あいつを、アンダルトをもらっていきたい」
「……は?」
「なっ!」
「……?」
ティナと男が同時に奇妙な音を発した。王女様の言ってることがわからない、そんな驚きでうまく声にならなかったようだ。
もちろんオレにも理解できなかった。
オレを? もらう? なんで?
男たちがわめき散らす。
「何をおっしゃっているのですか、殿下!?」
「いったいどういうおつもりで!?」
「言葉のままだ。私はあいつを王宮に連れて帰る」
リーダー格の男は騒ぐ二人の男を制すると、自らを落ち着かせるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「あの平民を、ですか?」
「そうだ」
「庭師か何かになさるので? とてもそのような才があるようには……」
「違う。私付きの使用人だ」
「……ご冗談でしょう?」
「こんなつまらん冗談を言うように見えるか?」
「…………」
「お気を確かに!」
言葉に詰まるリーダー格の男に代わり、ほかの男の一人が気遣うそぶりを見せる。王女様はそれを振り払った。
「確かだ! もちろん、保護者が首を縦に振ってくれんことには、話にならんが」
そう言うと、ティナを見た。
「な、なりません。ご自分の立場をもう少しご理解なさってください!」
「十分理解しているつもりだ。お前らうるさい、黙ってろ」
リーダー格の男は焦りを見せ始めた。
「こればかりは黙っているわけにはまいりません! 平民、それも素性も知れぬ薄汚いスラムの子どもを王宮に招き入れるなど……!」
「うるさい!!」
王女様が怒鳴った。コンクリートの高い壁に声が反響する。男たちは押し黙った。
「お前ら口を開くな、いいな」
いつもなら喧騒にかき消されるような小さい声だが、怖いほどの迫力で、静かなスラムでは嫌に響く。
「それで、話の続きだが……」
「ひ、ひぃ! しししし、しかし、アレは、私の物でして……!」
この状況で王女様を前にして、自分の利益は守ろうとする。逆に立派なものだ。オレはお前の物じゃないが。
「そうか……では」
王女様がティナに何かを耳打ちした。途端にティナの顔色が変わる。
「そ、そんなに……! どうぞ! あんなものでよろしければ、お持ちください!」
会話の内容など聞こえない。これは直感だった。
オレは金で売られたのだ。
いくらかなんてわかるはずもない。知りたくもない。
ただ感じたのは嫌悪。ティナにとっても、王女様にとっても、オレはそういう存在なんだと。
男たちはまだ諦めない。
「殿下! こんな薄汚いガキをペットにでもなさるおつもりですか!? お考え直しください!!」
それを無視してオレのほうに歩み寄ってくる。
「よろしくな、アンダルト」
そういうと、ニコッと笑った。
「……はい」
いったいどういうつもりなんだろうか。オレはどうなるんだろうか。
事態はオレの意思や感情には関係なく進んでいく。