01話 出会い
<アンダルト>
「うぐぁ!!」
放り投げられたオレの体は、宙を舞い、積み上げられた木箱の山に突っ込んだ。
受け身が取れず、木箱の角に腕や背中をぶつけた。崩れてきた木箱が、追い打ちをかけるように顔面に当たる。
「っつー……!」
やっとの思いで体を起こすと、目の前に二つの木桶が転がっていた。
「これ以上痛い目見たくなけりゃ、とっとと水汲んできな」
薄汚れた金髪を適当に結い上げた、オレの養母、ティナが言った。
「……やだ」
「あぁ!?」
最後の抵抗も、睨まれ、あっけない終わりを迎える。
ティナは指の関節をポキポキと鳴らした。女とはいえど、相手は大人だ。オレが勝てる相手じゃない。
「……はい」
オレは転がっている木桶を拾い上げた。
オレはアンダルト。歳はたぶん十。
小さいころ親に捨てられた。いろいろあって知り合いの親戚という、完全他人の家に身を寄せている。
身寄りもないオレを引き取ってくれるなんてありがたい話のようだが、その実ただの小間使いだ。いや、もはや奴隷といってもいいかもしれない。
水汲み、食事の支度、洗濯、掃除、買い物、肩もみからストレス発散のサンドバッグまで、すべてオレの仕事だ。
その上、少しでも機嫌を損ねれば食事を抜かれるし、寝るところは冷たい床の上。
我ながら、明日死んでいてもおかしくないと思う。そんな毎日だ。
昨日の夜、ティナは夫のダイスの稼ぎが少ないといって、すごく機嫌が悪かった。
この家庭だって、生活水準は平民の中でも下の下。貧乏人や犯罪者が集まる、スラムのような場所に住まざるを得ないのだ。
正直オレを引き取れるような金銭的余裕すらないはずだ。
引き取った理由は一つ。ティナが家事をしたくなかったからだ。オレという奴隷がいれば、雑用をすべて押し付けられる。行く当てのないオレは従うしかないのだ。
そんなわけで昨晩の機嫌が悪いティナは、自分は酒をラッパ飲みしながら平然とオレの食事を抜きやがった。
育ち盛りの子供の食事を、何の躊躇もなく奪うなんて本当に鬼だ。
翌朝、つまり今日だが、空腹でイラついていたオレは腹いせに水汲みに行くのを断った。
どうせ力で脅されることはわかっていたが、殴られればあいつの手も痛むだろうと思った。まさか投げ飛ばされるとは思わなかったが。
しかしこんなことをしてしまったので、きっと朝食も抜きだろう。下手したら昼食ももらえないかもしれない。
となると、帰ったらなるべくティナのご機嫌を取って夕飯ぐらいはもらわないと、本当に死んでしまう。
などと考えながら、井戸……と呼んでいる水が溜められた穴に辿り着いた。
こんなスラムに、整備された井戸なんてない。
一歩間違えたら落っこちて溺れ死ぬような縦穴が、運よく家から十分くらいのところにあった。
誰が作ったのか、ありがたいことに滑車もついている。
オレは持ってきた木桶に水を移し替えると、今来た道をゆっくりと歩きだした。
水がなみなみと入った木桶は、とても重い。そんなものを持って足場が悪い道を歩くのだから、行きよりずっと時間がかかる。
時々、なるべく平らな場所を選んで木桶を置く。休まないと手がちぎれそうだ。
これをあと何回か繰り返さないといけない。毎日やっているとはいえ、そう慣れるものでもない。
そういえば……、と。ふと思った。
今日はやけに静かだった。
昼間でも薄暗いこの辺は、光に当たりたくない者、当たれない者も多く集まる。
いつもなら、怒号や罵声、誰かの悲鳴なんかが常に響いている。
何かが腐ったような臭いとアルコールの臭い、血の臭いが入り混じり、空気の悪さはいつも通りだが、路地裏からこちらを見ている目つきの悪いやつも、酒を飲んで暴れているやつもいない。
嵐でも来るのかな?
遠くからガラガラガラと聞きなれない音がした。
そこの角を曲がれば家に着く。
貯水用の容器に水を移し替えたら、また井戸まで歩かなければならない。
ガラガラガラという音はどんどん近づいてきていた。カポッカポッという硬い足音も聞こえる。
それは結構なスピードだった。こっちに来ると気づいたときには遅かった。
曲がろうとしていた角から、二頭の馬が顔を出した。続いて車輪のついた箱が。
馬車だ。馬車がオレのいる方向に曲がってきた。
慌てて壁際へ避ける。が、重い木桶を持っているうえ、スピードを出している馬車の動きに対応できるはずがない。
走ってくる馬は避けたが、内輪差でオレの反応速度以上に内側を通った馬車の後部にぶち当たった。
吹っ飛ばされ、コンクリートの壁に全身を強打した。
「がはっ!!」
オレはその場に突っ伏した。
馬車はオレにぶつかったことなんて気づいてもいないようだ。スピードを落とすことなく走り去っていった。
「かっ……はっ……!」
全身が痛い。頭がグワングワンする。呼吸がままならない。
地面に這いつくばった状態で、痛みが引くのをひたすら待つ。
ティナやダイスに殴られるのも痛いが、馬車に轢かれるのはそれ以上だ。
しばらくうずくまっていると、やっと動けるようになった。
まだふらつく頭を動かして、状況を確認する。
「……やべぇ」
ここまで必死に運んできた水は地面にぶち撒かれ、二つの木桶はバラバラに砕け散っている。
水だけならまた汲みに行けばいい。
だが木桶はそうもいかない。
そもそも腕の本数分あること自体がラッキーだったのだ。一度の水汲みで倍の労力が必要だが、そのぶん行き来する回数が半分になる。時間も短縮できる。
予備の木桶を買っておくほど、うちに余裕はない。
まずい、やべぇ、どうしよう……! ティナに怒られる!!
木を留めている鉄の輪が外れただけならオレでも直せたかもしれない。
でも馬車にでも踏まれたのか、木の部分がバキバキに折れている。直しようがない。
どうする……!?
「大丈夫か?」
「大丈夫なわけないだろ!?」
突然後ろから声をかけられた。反射的に怒鳴り返してしまった。
振り向くと、驚いた表情の女の子が座っているオレを見下ろしていた。
視線が合う。思わず見とれてしまった。
艶やかな黒髪。きれいな青い瞳。歳はオレより三つか四つ下だろう。薄汚いスラムには似つかわしくない立派な身なり。神々しさすら感じる。
……って貴族!?
オレは自分がしでかしたことに気づいた。
世の中には生まれついての『身分』というものがある。
上から、王族、貴族、平民。
王族は国を治める者。絶対的な権力を持ち、国事のあらゆる最終決定権を有す。
貴族は王に仕え、国を支える者。王から爵位を賜り、苗字を持つ。あらゆる場面で平民より優遇される、いわゆるエリートだ。
そしてオレたち平民は、その家畜と言ってもいい。毎日働き、少ない稼ぎを税として納め、その日をくらすのにも手いっぱい。
これがティナから聞いた、身分制度というものだ。
とにかく、貴族というのはオレたち平民なんかとは次元の違う存在だ。
幼少期から英才教育を受け、『魔法』というとんでもない力が使える。魔法が使えない平民には、とても太刀打ちできる相手じゃない。
オレはそんなお貴族様に怒鳴り返してしまった。
子供とはいえ、魔法だって使えるんだろう。オレのことなんか簡単に殺せるんだろうな……。
などとここまで二秒。命の危険を感じると、人間、恐ろしいほど頭がよく働く。
貴族の女の子はしばらく固まっていたが、ふっと笑った。
「大丈夫そうだな。……立てるか?」
そう言って、オレに手を差し伸べる。
「あ、はい……」
オレは彼女の手を借りて立ち上がってから、自分はバカではなく大バカだったと思い知った。
相手が差し伸べてくれたとはいえ、その手に触ってしまった。
ティナ曰く、貴族の中には目が合っただけでも気に食わないといって、魔法をぶっ放してくるやつがいるらしい。
そんな理不尽な殺され方をしても何もできないくらい、平民と貴族の間には差がある。
向こうから手を貸してくれたんだから大丈夫だよな? ひっかけでした、はい、死刑! みたいなことにはならないよな?
なんて、どこかくだらないことが頭をよぎる。
女の子は目を軽く見開いて再び驚いたような表情を見せたが、すぐにどこか嬉しそうな顔になった。オレの主観だが。
はじめの終わりに
読んでいただきありがとうございます。
初投稿・処女作ですが、根気が続く限りがんばろうと思います。
未熟な点も多々あるとは思いますが、精進してまいります。
おもしろかった、つまらなかった、誤字脱字、こうしてほしい(は無理かもしれませんが)などどんなことでもコメントしてください。首を長くして待ってます(びよーん)!