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幕の壱【街道茶屋】

黒曜の剣


幕の壱【街道茶屋】


新緑が、

雨上がりの涼やかな風に揺れる。

山間部を縫う街道は差し込む陽光と緑が木陰をまだらに作り、人影こそ少ないものの古びた木造の茶屋の暖簾(のれん)が、時折思い出した様に持ち上がる。

明るい緑に包まれた陽だまりに小鳥のさえずりが心地良い。


和国の初夏は、総じて湿度が高い。

ゆえに家屋は風通しに主眼を置いて造られる。初夏の暑さもあって自然と密閉度は低くなり、屋内の音も外へ洩れやすい。

客商売である茶屋なれば、さらにだろう。


大きな声が響き渡った。


「尋常に勝負だ!半蔵!!」

凛とした声は、内容はともかく、発した主が声だけで女性であると判らせる程に甲高かった。

茶屋の暖簾が勢い良く跳ね上がる。


「外へ出ろ!!」

言って大股で茶屋から出て来たのが、年の頃十七前の、旅袴で腰帯に長刀を差した娘の姿。小鳥達がバサバサと慌てたのも当然だったかも知れない。


後頭部で束ねた長い黒髪を、初夏の風になびかせながら振り返る。腰帯から鞘ごと抜き放った長刀の先端を、自分が(くぐ)った暖簾へ指し向けた。引き締まった体躯が切れのある動きを呼び、勇ましさすら醸し出す。

そこへ、

少し遅れて暖簾がゆうらりと持ち上がり、そのまま留まる。垂れ下がる暖簾を額で受けながら、冴えない不精髭が困り果てた顔で立ち尽くしていた。


(あや)さんだったか、勘弁してくれぃ」

所々破れて汚れた、藍と白の旅装束の着物を着流した大男が、がっくりと肩を落とした。腰帯には小袋が見えるが、得物は提げていない。

ふぅとため息混じりに歩み出た男の右肩口、そこに垂れた暖簾が更に持ち上がり、ずいとばかりに長刀の柄が現れる。

背負った刀は、大男の身長とさほど変わらぬ大振り幅広な直刀だった。





『和刀』には、形状によって幾つかの分類がある。

一つに『直刀』。

刀身に反りが無く折れやすい故、突く事に重点を置く刀。斬るには技量が必要で、[大刀]と書いて[たち]と読む。


一つに『打刀(うちがたな)』。

刃渡り二尺(一尺は約30.3㎝)以上で刀身の[中程より先]が反る、先反りの刀。この抜き打ち(抜刀)に適した形状によって、打ち斬る操法に良く合う。腰帯に直接、刃を上にして帯びる。本来は腰刀で、指添え(さしぞえ:予備の刀)の一種だが、主兵装として使われる様になり、太刀と同様の長大な打刀さえも現れた。


更に『太刀(たち)』。

打刀(うちがたな)と同様に刃渡り二尺以上だが強い反りが有り、この反りを利用した斬撃に主眼を置く。衝撃にも強く、太刀緒(下緒)で吊す様に、刃を下にして()く。打刀が徒歩での活用に利を求めるのに対し、太刀は馬に騎乗しての運用が主用途の一つになる。


そして『大太刀』。

太刀の中でも三尺以上の大振りで、五尺を超える物も少なくはない。三尺超え程の太刀は野太刀とも呼ぶ。余りに大振りな為、背負ったり、腰帯に直接差す者もいる。刀身の柄元近くは、掴んで扱う為に、刃を付けない事もある。





風薫る初夏の街道に、なんともおかしな光景が展開されていた。


暖簾を揺らして、茶屋からとぼとぼと歩み出た大柄な男を、勇ましい立ち居振る舞いの娘が待ち受ける。

半蔵と呼ばれた男は大柄だが痩せ気味で、背負った刀が微妙に似合わない。大振りな長刀が逆に、こけおどしに見えてしまう。


対照的に線の細い、綾と呼ばれた娘の方がいかにも武家らしく見えるのは、動きに機敏さがあるためか。手にした打刀の拵え(こしらえ:外装)も良く、黒地に薄紫で『藤の華』が描かれ、漆塗りの鞘が光沢を放つ。


「構えろ半蔵!」

綾は鋭く言い放つと、長め細身の打刀を鞘のまま腰溜めに構えた。鞘払いをしていないため斬り合うつもりまでは無いと判るが、当たれば当然ただでは済まない。鞘と言えども要所は鉄拵えだ。


「勘弁してくれぃ。さっきも言ったが、俺はただの刀鍛冶だぞ。」

と、肩をすぼめて今にも泣きそうな顔だが、身の丈六尺近い半蔵の仕種など可愛げのかけらも無い。

当たり前だが、綾も許す気分にはならない。


「か・ま・え・ろっ!!」

額に青筋を立てんばかりの綾の言葉に、半蔵は天を仰いだ。





きっかけは半月程前に遡る。


綾の家は一応ながら武家になる。祖を辿れば、近隣の土豪に行き着く血筋だ。

通例としては、刀剣を扱うのは男子の務めだったが、父は綾にも稽古をつけた。

無論の事、女子である綾は二人の兄と比べ、膂力(りょりょく)では敵うべくも無かった。しかし、こと剣才と言う点において綾は、兄達は元より、近隣の武家をも唸らせる才覚を見せ付けた。

齢十二の綾が、遊び程度の手合わせとは言え、体格・腕力に勝る齢十五、六の成人男子を打ち据えたのだ。


以後、父は女である綾に、その才をより発揮出来るであろう『ある武芸』を考案し、仕込み始めた。

それは、武家の娘としての、人生の起点であったかも知れない。


その綾が、覚悟を決めなければならぬ事態が起きたのがひと月前。度重なる戦乱で、既に父と兄達を亡くしていた綾が、所用で出掛けた都から戻った時であった。



「…静かだな」

既に月は、煌々と夜道を照らしていた。

日は落ちていたが、既に一族の住まう屋敷までさほど遠くはない為、今夜中に辿り着ける目算であった。


昼間ならば、領民を何人か見かけるだろうが、流石に夜も更けると誰も出歩かない。

山道に沿って鬱蒼と繁る草木が、月の光を遮り、黒よりも暗い闇を創る。本当の闇には、人の眼の焦点など合いはしない。

綾は軽いめまいと寒気を覚えた。

迷信など信じないが、現実に闇を前にすると、恐怖感が沸き起こる。本能的に、そこに死を連想するのかも知れない。

自然、歩みは速くなり、屋敷が見えた後は走るように門に駆け込んだ。

門を閉め、安堵感に綾は息を整える。


雲が風に流れ、月光が庭に差し込む。


月明かりは屋敷を照らした。

風は血臭を運んだ。

そして綾は、異変に立ち竦んだ。


出掛ける時には家族であった『それ』を目にした途端、息が詰まり、動悸と吐き気に胸元を押さえ、押さえた指に力が篭る。手の平に爪が食い込み、血が滲み始めた。


それは、理解する事を拒絶したくなるような、襲撃の惨状であった。





思えば近頃、山賊・野盗の類は増えており、『手に負えぬ』規模の集団の噂も聞くようになってはいた。しかしそれが自らの家に、家族に降りかかるとは考えていなかった。


綾は自らの油断と甘さを呪った。

このところ続いた戦で、父ばかりか兄達さえも亡くし、それがために御家(おいえ)の事に、自身の身の振り方にと、もはや他を考える余力が無かったのも事実ではあった。しかしそれでも、亡き父への言い訳に逃避するのははばかられた。



翌朝、領民の手を借りて亡き骸を弔うと、悲しみに暮れる間もなく、綾は皆からのわずかな手掛かりを元に、賊の後を追った。未だ幼い妹の、十和(とわ)の遺骸が、屋敷の何処にも見当たらなかったのだ。


「生きている!」

その盲信とも取れる一念だけが、綾を突き動かした。



和国は小さな島国だったが、この時代、(まつりごと)を司る者等が天下を二つに分け、互いに自らを『帝』であると宣言した。

端緒は帝の後継争いではあったが、背景には、台頭著しい武家の思惑があった。

帝の勢力基盤として武力を提供した武家は、見返りに政治権力の一部を手に入れた。更に、勝てば和国最大勢力として君臨出来る好機。

利害は一致し、結果、全てを巻き込み世は乱れた。

死に行く者は武家や兵だけでは無い。略奪と破壊は日常と化した。


そうした世、落ちた武家を筆頭に、行き場を失った者ども等は賊へと成り果てる。

多くの人の運命が、陰惨な道を辿りつつあった。



「何だ!?お前は!!」

綾の発した言葉は、山裾を包み始めた夕闇の焚火跡にぼんやりと立つ独りの男に向けられた。


妹を捜して半月、ようやく賊の足取りを掴み、決死の覚悟で乗り込んだ川辺の野営地。

剣に自信があると言っても、綾のそれは実のところ『一対一ならば』の話である。綾は戦場の剣、つまり、多対一の剣は知らない。


覚悟していた。

たとえ生きて戻れなくとも、死に様は己が意思で決める。

壮絶な決意と共に臨んだ決戦場の筈だった。

だったのだが、


居たのは、冴えない不精髭の大男。

やたら長い幅広の直刀を背負い、ぼけっとあさっての方角を向いて佇むその姿には、緊張感の欠片も無い。

綾に「何だ」と問われ、初めて振り向く顔には怪訝そうな表情すら張り付いていた。


「ぁえぇと、どちらぁさん?‥‥‥ここのぉ、お仲間にゃあ見えねぇが?」

問われて問い返す間の抜けた反応に、一瞬、膝の力が抜けそうになるのを綾は気力で踏み止まる。


「お前は誰でっ、ここの賊共は何処だ?」

ずいっと踏み出し、腰帯に差した打刀に手を添える。

ところが、「ぅん?」と一言、男は綾を眺めるのみで、まるで気にした風が無い。


しばし返答を待つか、更に問い詰めるかと思案を始めて、ふと綾は男の右の視線が自分からずれている事に気付いた。生来のものか、怪我の後遺症かは不明だが、斜め下外への斜視が気を引いた。


斜視は決して少ない症状では無い。幼少時に一方の視力が弱く、筋力の釣り合いが崩れたり、怪我の影響で発症する事もある。誰にでも可能性がある症状。綾の曾祖父や次兄などがそうであった様に、剣の稽古や戦での怪我が元となる者もいる。いつもなら、さほど気に留めぬ事柄。

しかし男の右眼は、綾の出で立ちを検分する様に動く左眼とは対照的に、じっと綾の左脇を見つめている。


「ぅん、成る程。そういう事かぃ。」

綾の不思議そうな表情を読んだのか、男は右眼だけを閉じると、勝手に何事か納得したように呟いた。


「俺は半蔵と言う。此処に居た連中に、少しばかり聞く事があったんだが、上手い事はぐらかされてなぁ。さて、どうしたものかと思案しておったところだ。」


右眼に気を取られていたところへ、意外にもまともな返答を受けて、綾は完全に気勢を削がれてしまっていた。





「賊を相手に、一人で来たのか?」

綾は自身の事を棚に上げて、半蔵と名乗る男に聞き返していた。

うぅむと唸った半蔵が若干呆れたような表情を見せたが、綾は気にしない。

「奴らと一緒に、七、八歳の女の子がいなかったか?」


語気に漂う切迫感に、半蔵も真顔になる。

綾にとっては最も大事な問題である。賊の野営跡に半蔵が踏み込んで、ほとんど争った形跡が無いのは幾分不思議だったが、状況の説明に時間を取られるのは、今の綾には惜しまれた。


「居らんかったなぁ。」

少し思い返すような仕種をしつつ、半蔵は続ける。

「人捜しもぉ分かるんだが、賊相手に女子一人で無茶はせん方が良い。」

と、まるで諭すように言を紡ぐ半蔵だが、無論、この男とて言えた義理では無かろうと綾は眉をひそめた。

その上、綾が賊の数は行方はと問うても、半蔵の答えはどうにもはっきりしない。

出が武家である事も手伝ってか、綾は物事に万事明快さを好む。

ただでさえ妹が、今どのような状態にあるのか分からぬのだ。徐々に焦りの色が濃くなり始めた。


「何故隠そうとする!」

綾の手が、再び刀の柄に添えられた。指先に明らかに力が込もっている。

「待てっ待て待てっ!」

流石に半蔵も慌てる。

「俺がぁ教えたら、お前さん、追うつもりだろう?」

当然だと語気を荒くする綾に、半蔵は半ば諦め顔で話し掛ける。


賊から妹の事を上手く聞き出し、後日綾に伝える事。自分の身なりなら、さほど警戒されずに賊に接触出来るであろう事。そしてどのみち、自分の用事も済ませなければ為らぬから、一石二鳥だと。


刀に伸びた綾の手から、僅かに力感が消えた。

綾は半蔵から視線を外し、想いを巡らせる。

確かにこの男の話に乗れば、安全に妹の行方を知る事は出来るだろう。しかし同時に、もう一つの目的が危うくなる。


もう一つの目的。


屋敷への、家族への襲撃に対する報復。

仇を、賊の首領を討ち、妹への仕打ちの償いをも必ずさせる。

そう考えた刹那、

家族との温かな記憶と、襲撃された屋敷での凄絶な光景が、綾の内で交錯した。


落ち着いた筈だった。

剣を知る綾は、心身共に弱くはない。

精神を制する(すべ)も身に付けている。


それでも、

指が震えた。

震えは肩に伝わる。


「私を連れて行け。」

その場でけりを付ける、と綾は低く言い放った。

案内さえしてくれれば、もし、妹がまだ囚われていても、闇に乗じて自分が救出する。その後斬り込み、敵を引き付ければ、半蔵も逃げ易かろう。


「剣ならば、誰にも遅れは取らない!」

そう、一対一ならば。

その言葉は飲み込んだ。


(たぎ)り始める感情を押さえ込めず、身体が震えた。


「無茶を言うな…」と、なだめようとする半蔵の言葉は、既に綾には届いていない。悩み顔の半蔵が視線を落とすと、刀の柄に添えられた綾の手に、再び力が籠るのが見て取れた。


「教えぬなら…力ずくで聞く!」

気が付けば、綾の頬を伝うものがあった。





顔色を変えて、半蔵が飛びのいた。

その唖然とした表情が物語るのは、綾の打ち込みに対してのもの。


綾の言動をつぶさに観察はしていた。切羽詰まった様子から、半蔵とて警戒していなかった訳ではない。髪をまとめ、武士然(もののふぜん)としていてはいても、女子の細腕という思いが少なからずあった。


重ねて言うが、

綾は鞘から抜刀してはいない。

腰帯から鞘ごと抜き打ったのだが、半蔵を驚かせたのは彼我(ひが)の距離、およそ三間(約546㎝/一間は六尺で約182㎝)を一息に詰めての初太刀だった。

おかげで、何か言おうと口をぱくぱくさせる半蔵だが、言葉にならない。



武芸に於ける『間合い』の重要性は、言うまでもなく高い。

自らの間合いを悟らせず、有効な一手を放ち、相手の間合いを外して、攻撃を潰す。剣術であればその為の手法として、刀の長さを変えたり、刀身を背後に隠す者、相手の視線上に刀身を合わせ距離感を殺す者等様々ある。

通常は間合いの探り合いとなり、擦り足や左右の動きで距離を詰めつつ、自らの間合いへ相手を取り込む者が多い。

噛み砕いて表現するならば一種の『情報戦』であり、攻め手の探り合いをも含んでいる。


そうした世の常に習えば、

普通の判断におくならば、

綾の行動は不用意であった。つまり、踏み出してから近接するまでの時間が長い程、相手に事に応ずる時間を許す。剣を抜いていれば受け、いなければ半蔵の様に飛び退く余裕をも与える。

かくして初太刀の結果は、ごく自然な光景だった。


鞘払いされていたのなら。


標準的な刀の重さは、刃渡り二尺物でおよそ二百四十匁(もんめ/900g)程である。重心のある刀身から離れた位置を掴むため、実質的な重量感はかなり大きい。それに加えて鞘がつけば、なかなか素早く振れるものではない。

綾の振るう長刀の打刀は、およそ刃渡り三尺半(106㎝)。目算で三百六十匁(1350g)。これに鞘が加わる。

それら自重に加えて、腰に帯びる打刀としては、抜くのも難しい長さがある。

綾はそれを一挙動で、腰帯から自然に抜いて見せたのだ。

それはそのまま、抜刀すれば更に速いと言う事実を示す。


「もう一度言うぞ。答えろ!!」

半蔵の答を待たず、綾の言葉が厳しさを増す。

構えは中段右半身にして、やや前傾。刀身を隠す事も無く、力みも特異さも見当たらない。

自然体。


初太刀と構えを見る限りに於いて、素人目にさえ剣の操法は熟達の域にあると判る。それに反するかの様に、間合いへの配慮には若干の迂闊(うかつ)さが(うかが)える。

実戦経験の不足か、自信故の(おご)りか。定かではないが奇妙な違和感があった。


今、半蔵との距離およそ二間。


半蔵には嫌な間合いである。警戒したにもかかわらず一間を詰められた。綾に殺意は無いとは言え、次の一刀は受けざるを得ない可能性が高い。

口をぱくぱくさせていた半蔵が、その現実を認識したのか、しかめっ面になった。


綾に動きが生じる。

先よりも速く、初夏の陽光を切り裂く様に、影が走る。

視線の先には半蔵のしかめっ面。

腰を落とした半蔵が、ぼそりと何か呟き後方へ跳ぶ。


風を巻いて。


綾が一刀を打ち込もうとした瞬間、急激に、あたかも引き剥がされる様に、半蔵との距離が開く。

開いて行く。

綾が追う。

半蔵はまだ滑空している。

賊の野営地の端は、緩い斜面が下へと続いている。

少し下った所で、半蔵が着地した。そして再び跳ぶ。


綾の追う足が止まる。

何が起きたのか。

呆然と、異様な速さで離れ行く半蔵の姿を目で追う。


目が合った。

その半蔵の表情、閉じていた半蔵の右目はいつの間にか開いている。

その目は今もまた変わらず、綾の左脇を見つめていた。




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