柄創師にして空操師
まるで、猫のようだなんて最初は思っていた。
知らない相手に近づくなとばかりに威嚇する野良猫。
いつでもぴりぴりと周りに壁をつくって、自分を守っている。それしか自分を守る方法がわからないように。
そんな彼女を、自分は憎んでいた。
突然だが、ある英雄の話をしよう。
多くの人々を救い……殺した、少女の話を。
ごくごく平凡で少しだけ恥ずかしがり屋の少女の親友だった少女の話を。
それは、五年ほど昔にさかのぼる。
当時、今でこそ実用されている疑似ゲートの発生装置の研究はあまり進んでいなかった。
その研究を中心に行っていたのが英雄と呼ばれた少女の通う学園と隣接して作られていた研究所である。
ある時――不運な事に、ちょうど高校生たち上学年と教師たちが演習を行うために学園にいなかった時に、その事件は起こってしまった。
研究所が疑似ゲートの発生を成功させるも、暴走。そのゲートから現れたのは……最悪のエネミーだった。
エネミーの中でも最強、別格の強さをもつ――ドラゴン種。
そんなドラゴンに、残っていた教師と中学小学の年端もいかない子ども達が抗えるはずが無かった。ただ、蹂躙されて殺される結末が見えていた。
が、それをたった一人の空操師が……少女が覆した。
元々、学年の学友たちを束ねていたリーダー格だった彼女は、そのカリスマをして残っていた全校生徒と教師たちをまとめ上げた。
けが人の救助、非戦闘員の戦場離脱を指揮し、見事にやってのけた。
ドラゴン種との戦闘を、柄創師とは言えまだ小中の学生と数少ない教師だけで行い、討伐隊が到着するまでの時間を稼いた。
全てが、空操師の少女の指示によって行われたと言われている。
少女は多くを救い―――――殺した。
彼女がいなければ、多くの非戦闘員や未来ある子どもが死んだだろう。
しかし、彼女の指揮により、命を散らした柄創師たちがいた。
その時はしようがなかったのだ。
無情な判断をせざるを得なかったのだ。
より多くの人を生き延びさせるため、多くの命が消えた。
もしも、彼女が生きていれば……その声は未だに聞こえて来る。
もしも、生きていたならば最高の空操師と呼び声高いミント・オーバードの後継、いやそれ以上の空操師になっていたかもしれない。
ミントの護法陣のような特化した『場』を持っていた訳ではない。
味方の力を分析し、どのような支援が一番的確なのかを判断する観察眼。
人の上に立ち、指示するのに必要なカリスマ性。
なにより、生き延びようとする意思。それに見合う実力。
それが彼女にはあった。
だが、彼女はもうこの世には存在しない。
討伐隊が着く直前に、少女と戦場に残り戦い続けた学生たちはほぼ全滅していた。
だから、戦場で起こったことのほとんどは僅かに生き残った人々の断片的な記憶に基づいている。
あと数分早ければ彼等は……。
運命は残酷である。
少女は友を庇い、ドラゴンに殺された。
それにより少女の『場』の消滅。なにより、少女の的確な指示と支援が無くなったことによって一気に不利になった学生たちは、ものの数分で全滅に追いやられていたのだ。
少女がかばった親友は空操師だった。
少女のようなカリスマは無く、『場』を創りだす事も上手く出来ない普通の学生。
初めての戦場の恐怖に怯え動けなかった、英雄の少女とは正反対の学生。
学生は事件が収束し、無事に保護されたが……恐怖と哀しみに心を閉ざしてしまっていた。
彼女は責められた。
じかに言葉に出されたことは無い。面と向かってなじられたことは無い。
だが学生は知っていた。
なぜ、あんな平凡な空操師が生き残って、英雄は死んだのか。
言葉には出されない。
しかし、その心情を雄弁に語る視線が、無言の圧力が、影で行われる噂話が、学生を苦しめた。
また、違う人々にも大きな傷を残した。
戦いの中、命を散らした子ども達の肉親、そう家族。そして、生き残った幸運な学生だ。
なぜ自分の子どもは死んだのか。
当然、家族はそう苦しんだ。
生き残った者たちは、なぜ自分が生き残ったのか。
友人を失った者、戦えない体になってしまった者、庇われて生き残った者。誰もが悩んだ。
これは数年前の話。
既に、表面上はその大きな傷は補修されている。
が、それはあくまで表面上の話……。
土曜日といえば、休日。
いつだって十時ごろまで惰眠をむさぼり、朝食と昼食が一緒になってしまう一日を過ごすのが普通だ。
が、それを彼女は許さないらしい。
「白野さん、朝ですよー」
鼻歌交じりで掛けられた声。
それと共に鼻腔をくすぐる味噌の匂い。
休日にもかかわらず、彼女は私に早起きをさせるつもりらしい。
寝ぼけ眼で時計を確認すれば、朝九時。
どうやら少し遅めに起こしてくれたようだ。
しょうがない、起きるか。
二度寝をしてもいいけど、どうせ起きるまで声をかけたり起こしに来たりするのだろう。
面倒だからとミントが朝食を作っているであろう、リビングキッチンに向かった。
「おはよう、白野さん」
今日も爽やかな笑顔で朝食を作っている。
机の上には、すでに二人分の焼き鮭とナスが盛りつけられた皿と箸。
茶碗としゃもじが脇に置かれ、あとはよそるだけだ。
そして、ミントはというと最後の仕上げとばかりに味噌汁の味見を見ていた。
一応、二十歳を過ぎている話だったが、エプロン姿が似あいすぎている。
「おはよう……」
そう応えると、ミントはニコリと微笑む。
「あ、ごはんよそってもらえる? こっちもすぐによそっちゃうわね」
「……う、ん」
軽くごはんをよそっていると、ミントは味噌汁を上手によそって机に。そして、冷蔵庫からすでに作ってあったサラダとドレッシングを出していた。
どうやら、ドレッシングは手作りらしい。
……ここにきて二日だって言うのに、冷蔵庫の中はミントの持ちこんだ食料やらなにやらに占領されて素晴らしい事になっている。
元々、中にはほとんど何も入っていなかった冷蔵庫だから別に何とも思わないが。
「昨日はお疲れさま」
「……え? ……う、ん」
昨日……実戦の話だろう。
二人揃って席に付き、朝食をたべながらミントは話しかけてきた。
「でも、あんなむちゃな戦い方して……私たち空操師は近距離戦なんてだめですよ?」
「昨日はそっちが『場』を創っていたから」
今日の味噌汁は油揚げらしい。
一口、口に含みながらも言い返す。
やはり、悔しいが美味しい。鮭の塩加減も絶妙だ。
ミントの料理の腕なら定食屋でも開店できそうな気がしてきた。
まぁ、『最高の空操師』なんて称号をもらっている人が戦場から離れることなんてできないだろうけど。
「そうですけど、もしものことがあります。この前の様に私が負傷して、『場』を作れなくなってしまったら誰が『場』を創るんですか? あの時、一番適切だったのは白野さんだったはずです」
「うちよりも成績も実績も上の奴等が沢山いたと思うけど」
「実戦を経験していたのは白野さんだけです」
「……でも、私の『場』じゃ、暴走する柄創師がいるかもしれない」
「ですが、今回一緒に来た柄創師のほとんどの人が一度は白野さんの『場』に入ったことがあると聞きましたよ? 一度目ならともかく、二度目なら大丈夫でしょう」
「そう、なの?」
なんだか言いくるめられたような気がする。
もういいや。と、朝食を頂くのに専念することにした。
ミントは困ったような顔で私を見ていた。
そして、思い出したように話しを変える。
「そうだ。白野さん。実は、午後から特務クラスのみんなが集まって自主訓練をするんですって。一緒に行かないかしら?」
「あー、よかった! しづき来たんだ!」
コユリの明るい声が響く。
場所は『AOM』アルカディア対策本部。本部と言っても、日本での本部という意味だ。
『AOM』とは八年前、初めてゲートが出現してから作られた組織であり、『アルカディアの交錯』について調査と研究を行っている。
アクト・リンクを発見したのも、空操師を見つけたのもこの組織の研究員で、如月学園もこの組織が創設し運営している。らしい。
よくは知らないが。
もうどうにでもなれと何も聞かず、ミントに連れてこられたのだが……なぜこんな所にいるのだろうか。
この前、第一襲撃班との初実戦の時にも此処に来たことがあるからそこまで驚かなかったが疑問は抱く。
「ここの設備を使って訓練をしているらしいですよ」
ミントが私の疑問に気づいたのかご丁寧に教えてくれた。
なるほど、設備か。
学園の設備はかなり整っているが、所詮は学生の為の設備。やるなら本場の、ということだろうか。
しかし、案内された部屋に居るのはコユリとリクだけだ。クロムとトーマは居ない。
まあ、彼等がいようといまいとどうでもいいが。
と、後ろで誰かの歩いて来る足音が聞こえてきた。
「失礼します」
ノック音とあまり感情を感じさせない声。部屋に入ってきたのは、見覚えのある人物だった。
この前の第一襲撃班にいた唯一の女の人だったはずだ。
戦闘では外していたらしい細いフレームのメガネをかけている。
「万由里さん?」
「こんにちは、ミント。その後、左腕の調子はどうです?」
「はい、大丈夫ですよ。一応、今年度までは教師として通う事になりましたが、左腕の完治次第、空いている日は第一襲撃班の一員として戦場に立つことになりました」
「そうですか」
良かったとは言わないまでも、仄かに笑みを浮かべて呟く言葉の端には心配りと思いやりがうかがえた。
用事はそれだけだろうかとマユリを見ていると、彼女は表情を変えてくるりとコユリの前に立った。そのまま、問答無用で額にチョップ。
「そして……湖由利、騒ぎすぎです」
「うぅ、はーい」
……。
眼の前で、どれだけ注意されても騒がしいコユリが首を垂れていた。
出合って間もないけど、珍しい……ことだと思う。
芳野万由里は芳野湖由利の姉だからか。
騒がしく、いつもふざけているようにしか見えないコユリと前回の実戦で常に冷静で苛烈だったマユリとでは性格があまりにも似ていないが。
性格は似ていないが、顔の造形は似ている。でも、その表情はちっとも似ていない。
人懐っこい笑みを浮かべるコユリと常に冷静で澄ましたマユリでは受ける印象がまったく違った。
「それで、お姉ちゃん……どうしたの?」
「用があって来たのに決まっているでしょう」
「うぅ、そうだけどさ」
遠目から見ていると、どこかのほほんとした姉妹の微笑ましい日常の様子だった。
‐‐と、離れて見ていた私にマユリは用があるらしい。コユリとの話が一段落した途端、こちらに向き直して来た。
「白野さん、こんにちは」
「……なんですか」
「突然で申し訳ないのですが、『教授』が貴方と話したいと」
「……?」
教授?
大学の人だろうか。
でも、マユリのいう『教授』のニュアンスは、どこか違う気がする。
第一ここは大学じゃないし、研究所でもない。
「きょ、教授が? な、なんの用事なんです?!」
「知りません」
ミントの様子がおかしくなる。
どこか、焦っているけど……そもそも私と話したいなんて奴は一体誰なんだ?
「えっと、その……し、失礼します」
「ミント……?」
「えっ、ちょっ、ミントさん?!」
マユリとコユリが一緒になってミントに声をかけていた。が、ミントは慌てた様子で部屋から出ていってしまった。
「とにかく、白野さん。今から来てもらえますか?」
マユリに案内をされて白い廊下を歩く。
教授とやらは、コユリとリクのいた部屋から離れた場所にあるらしく、こうして移動しているのだが……。
普通、こう言うのは用がある人が来るべき事じゃないのか、なんで自分が。と文句を心内でいいながらもマユリの後を追う。
教授って言うくらいだから、偉いのだろう。文句を言った所でどうしようもない。
まだつかないのかとため息をついていると、明らかな異音が奥――今まさに進もうとしている先から聞こえてきた。
まるで、壁が吹き飛ばされたような轟音。そして、違和感。
それと共に、騒がしくなる。
「まさか……」
訳もわからず立ち止まったマユリの呟きが聞こえるとともに、又一つ何かの壊れる音が響いた。
「白野さんはここで待機を」
「……」
面倒事が起きている。反射的にそう感じ、頷く。
だって、そんなことには関わりたくない。
「身の危険を感じた時はすぐに逃げること。では」
言うだけ言うと、マユリはすぐさま走って現場に直行する。
走る中、懐から銀色の柄を取り出して大剣を顕現させているのが見えた。
あんな重そうな物を持って走れるのかと普通なら考えるだろう。
だけど、さすがは異世界の金属と言うべきか。聞いた話によると、柄と同じくりらいの重さしかないらしい。
ただ、柄自体が見た目よりも重いらしいが。
さて、これからどうするか。
おそらく、先ほどの違和感はゲートが開いたことによるモノだろうと梓月はあたりをつけていた。が、いつもとなにかかってが違う為に確証ができない。
音がしていたのはこの先。なら、そこから遠ざかるか。
マユリは此処で待機するよう言っていたけど、まぁいいか。どうせ、何かがあったら逃げるようにと言われているし。
よし、ここから離れよう。
結論に達した後の行動は迅速に。
身を翻して進もうとした先に、知っている顔を見つけた。
「……白野?」
驚いた様子の……トーマだった。
驚いたのもつかぬ間。どこか、微妙な顔に代わる。
見たくない物を見てしまったような、遭いたくない者に遭ってしまったような……。
「さっきのは、なんだ?」
それでも、疑問は聞いて来る。
嫌なら、聞かなければいいのに。
「……知らない」
あれからなにも起こってない。けど、マユリが帰ってこないという事は何かがあったことに他ならない。
だとしても、知らない物は知らないから、そう応えた。ゲートが開いたのかもしれないと言う事は、言わないでおく。
確証が無いからだ。
「そうか……」
まるで、負い目があるようにその目を伏せる。
なぜ、そんな目をする? なんで、そんな顔をする?
苛立ちが募る。
「……や……よ」
なんで、私にそんな目を向ける。
「あ?」
なんで、そんな顔で私に話しかけて来る。
知らないと思っているのだろうか。
気づかれていないと、覚えていないと、思っているのだろうか。
私は知ってる。気づいているし覚えている。
矢野冬真は
「やめてよ。ふざけないでよ。なんでそんな目で見て来るんだよ!!」
私のせいで死んだ矢野雪菜の兄だ。