二つの夢2
悪化をする戦場で、梓月は初めて疲労を感じていた。
戦場は広い。支援や『場』の保持で神経が削られていく。
梓月はどちらかというと『場』の作成も保持も得意な方だ。その効果範囲も維持する時間も桐原教授からは最高の空操師と呼ばれたミント並みと言われている。
しかし、実質的に二つの『場』を創り、そのまま保持、さらに影による支援まで行っている中で、疲れない方がおかしい。
柄創師の様に身体を張って戦っている訳ではない。それでも、空操師は空操師の戦いがある。
「おい、大丈夫なのか?」
冬真が近くに寄って来ていたガーゴイルを破壊しながら声をかけて来た。
目線だけ向け、こくりと頷く。
先ほど、フェニックスとともに現れたエネミー達が押し寄せてきた周囲は、乱戦となっている。
戦えるクロムと冬真がエネミーたちを迎え撃つ。
戦えない湖由利は梓月の後ろに隠れ、梓月は『場』を創りながら影を操り、身を守る。そして、危なければ周りで戦っている冬真達の援護をしていた。ちなみに、アイテールは初めてあった時にいた真っ赤なコートの道化が守っている。彼のことは梓月達にはよく解らなかったが、とりあえず、現在は近づいて来るエネミーを片っ端から潰していた。
それまで、学生の冬真達が楽に倒せるようなエネミーしか出てこなかったが、徐々に強いエネミーが現れる。
メドゥーサの蛇頭を切り落とした冬真は、現れたエネミーに息を飲んだ。
双首、三つ首の犬――オルトロスとケルベロスだ。
一頭のケルベロスがオルトロスの群れをまとめ上げ、統率している。
オルトロスは精錬された動きで周囲に散らばっていく。
「まずっ、クロム、トーマ! 囲まれるよ!!」
「ちょっ、無理!!」
湖由利が警戒を呼び掛けるが遅い。他のエネミーを相手にしていたクロムと冬真がオルトロスと対峙した時には、すでに逃げられないように囲まれていた。
少しずつにじり寄ってくるエネミーに、クロムと冬真も後ろに下がる。
だが、エネミーの群れに畏れることなく道化がぶつかった。道化に向かってオルトロスたちが襲いかかっていく。
そこに、冬真が参戦し、クロムは二人ではなく梓月達を狙ってくるオルトロスを殺す。
そんななか、『場』が少しずつ揺らいでいた。
傷ついて行く柄創師達に、梓月は焦っていた。
死乃絶対完結理論では誰も守れない。時雨日和はちょっとした回復しか出来ない。
守ることは、できない。
さらに言えば、なぜだかあちらの世界から来たローズマリア達はこの『場』の影響を受けていないため、回復も支援もいっていない。
「どうすれば……いい?」
ローズマリアへの支援は意識すればできるかもしれないが、これ以上考える事が増えると『場』の構築に無理が生じるかもしれない。どうすればいいのか、わからなかった。
ふと、梓月は気付く。オルトロス達の群れの向こうに……狐の仮面をかぶった女がいた。
時雨日和の『場』に、いつも現れる女性。いつもの白無垢ではない。
どこか、見たことのあるワンピースで……。
「え……な、なんで……」
違う。
彼女は何時もの狐の花嫁ではない。
だって、花嫁は白無垢の黒髪で。
「どうして……」
こんなに綺麗な金髪ではない。
彼女が歩いて来る。
エネミー達には見えていないのか、彼女は平然と戦場を横切った。
「ここに、いる、の?」
知っている。
狐の嫁入りではない。
梓月は彼女を知っている。
「ミント」
後ろの湖由利が息を飲んだ。
狐の面がずらされると、口元だけが見えた。
その口が、小さく動く。
「ごめんね」
「なんで、なんでっあやまるの!! あやまるなら……あやまるならどうして」
どうして死んだの?
どうして、目の前にいる?
言葉にできず、梓月はただミントを見た。
訳がわからない。
狐の面をかぶって現れたのが、花嫁ではなく、死んだはずのミント?
いや、目の前に居る女はまるで生きているように見える。
一体、なにが起こっているのか。
それを見た冬真は、自分の考えが合っていたことを知る。が、オルトロスの特攻にも似た突撃に梓月達の元に行く事が出来なかった。
「お願いがあります。聞いてくれますか?」
戦場では場違いな優しい声で、ミントは歌うように言紡ぐ。
「どうか私も、戦わせて下さい」
出された右手に、梓月は戸惑いの視線を向けた。
「戦うって、なにを……それに、どうして」
「どうしてここにいるのか。それは私も分かりません。でも、いるのなら、なにかできるのなら、私は私のやりたいことを、自己満足だったとしてもやりとげたい」
ミントのやりたかった事は、誰かを守ることだ。
誰かが目の前で、死なないことだ。
今、この瞬間にも人々は傷ついている。
それを、目の前に居るのが本当にミントならば是としないはずだ。
だから
「うん」
その手をとった。
それは、重ねられた三つの世界。
白野梓月によって創られた三重世界。
時雨日和と鈴村晶許の『場』を模した死乃絶対完結理論、そしてミント・オーバードの世界だったはずの守護法神。
桐原空人によって提唱されてきたハーモニクス理論とは似ているようでまったく違う、たった一人によって創られたハーモニクス理論の『場』。
最高の空操師と呼ばれたミント・オーバードは死んだ。それは皆、知っていた。
それでも、生きているのではないか、今、ここで教え子と共に『場』を創っているのではないか、そんな事を思ってしまう。多くの人々が、ミントの死を嘆いていたから、本当のことだと納得していなかったから。
戦場の様子が変わり始める。
たとえどれだけエネミーが強くなろうと、ミントの守護の前では同じ事。そして、今は梓月の『場』による力も備わっているのだ。
オルトロスをどうにか全滅させた冬真とクロムは数匹のヘルハウンドを侍らせていたケルベロスに向かう。きっと、二人なら大丈夫。そう、梓月は確信する。
「死んだ時、私はみなさんを守れたでしょうか」
狐のお面をかぶったまま、彼女は問う。
「……みんな、怪我した人も、死にかけてた人も、芳野の無くなった足も、みんな、元通りに、なった……」
「そうだよっ、ミントさんまだ歩けないけど、消えちゃった足が元に戻ったの」
「そうですか」
死んだはずのミントがいる事に混乱せず、湖由利は笑顔で言った。
ミントの声に嬉しそうな響きが宿る。
「だから、心配しないで」
もしかしたら、心配して化けてでたとでも思ったのかもしれない。
魔王やらなにやらいて、人間だって言う割には人間とはかけ離れた様な戦いを平然と行って、魔法やら神様やら、幻想世界に迷い込んでしまったような体験をしすぎたせいかもしれない。
こんなことでいちいち驚いていたら身が持たない。
「でも」
湖由利の言葉を遮って、梓月は呟いた。
「でも……?」
「自分が死んだら、意味ないだろっ。どうして……なんで死んだの?! 私達をおいてったの。まだ、なんにも始まってないのに!!」
まだ、授業だって終わってない。三年生にもなっていない。クリスマスにみんなでパーティーをしようだなんて言っていたのに。まだ、料理も教わってない。ほんとうは、もっとあんな生活が続くと思っていた。思いたかった。ほんとうは楽しかった。止まっていた時間が動きだしたようで、もしかしたらなにか変われるかもしれないと思っていた。
いろいろあった。
最高の空操師だなんて呼ばれるミントと出逢って、うるさい湖由利やクロム、本当は腹黒い陸、……冬真達に出逢った。そろそろ告白しろよともやもやする暮羽地結城に会った、ミントの友人だった風間陽香や羽水汐と知り合い、同じ空操師でも寿楓にライバル意識を燃やされたり、河崎瑠璃や雅原ほのか、亀井義男とかいろいろな人がいて、様々な世界を知った。
忘れようとしていた鈴村晶許や矢野雪菜、あの事件や過去のことを思い出した。今まで助けてくれた理郷戸朱を失った。
今ならわかる。ずっと、目をそむけてなにも見ないようにしてきた自分を周りが支えてくれていたのは。ミントもまた、白野梓月を助けようとしてくれていたことも、今なら。
目の前に教師として現れ、なぜだか一緒に暮らす事になって……。
「なんで、死んだのっ」
なにも言えなかった。
今だって、たった一言言えばいい事を、言えない。
「どうしてっ」
こうやって、責めることしか出来ない。
それでも、なんでもわかっているかのように、彼女は微笑んだ。
「もともと、私は助からなかったんです。だから、この世界の神様にお願いをして、ずるをしたんです」
自分が死ぬ代わりに、みんなを助けて欲しい。
すでに死ぬと解っているのに、その神は、願いをかなえてくれた。
「といっても、まさかこんなに早くみんなと再会する事が出来るとは思っていなかったのですが」
でも、すぐに消える。これは、蘇った訳ではない。そう、梓月も湖由利もミントも、気づいていた。
どうしてこんな奇跡が起こったのかわからない。けれど今は考えない様にして。
「そうだ、いくつか言い忘れていたことがあったんです。芳野さん、あとでお姉さんとしっかり話して上げてくださいね。いつも万由里は妹のことで私達に心配だなんだとぐちってくるんです。私が居なくなったら、たぶん陽香と汐くらいしか話を聞いてあげられる人が居なくなってしまうので」
「え」
姉は自分の事を嫌っていると思っている湖由利が困ったような声を上げる。
ほんとうですよ。なんてミントが言っても信じられないらしく、うろうろ視線を彷徨わせていた。
「それと、白野さんに機会がなくて離していなかったのですが、このまえ鈴村穂波さんという方と会いました」
「っ?! え、まって、穂波お姉ちゃんっ!?」
「実はすっかり忘れていて……いや、死んだ後に会えるなんて幸運です」
「……」
いや、ぜんぜんよくないだろう。せめて生きて話したかったとか言って欲しかった。なんて梓月が思っていると、ミントはまた話し始める。
「あと、最後にみなさんに」
今の状況では伝えられないから、梓月達から話して欲しいとミントは微笑む。
「私は、幸せでした。本当に、この国に来てよかった。みんなに出会えてよかった。今まで、ありがとうございました」
……どうか迷っても、わからなくても、独りで悩まないでください。私はもういれないけれど、ちょっとだけ隣に目を向ければ助けてくれる人はたくさんいるから。真っ暗な道でも、きっと誰かが一緒に歩いてくれるから、前に進み続けて。後ろを振り返ってもいい、けれど、決して過去にとらわれないで。
たぶん、それは梓月に向けた言葉。
ローズマリア達は突如現れた集団によって救われ、数の不利を悟ったのか黒金のドラゴン、フェニックスたちが撤退していく。
残ったエネミーたちは柄創師達によって殺され、消えていった。
やがて、『場』の中でエネミーの反応が亡くなる。
「……では、また、さようならですね」
『場』が消えていくに従って、ミントの姿も消えていった。
「ミントさんっ、また……会えますか?!」
大好きだった、憧れの先輩に向かって、湖由利が泣きながら聞いた。
「そうね、いつか」
足元から消滅し、腰まで消えていく。ミントに、梓月は何も言えなかった。
何か言わなければと焦燥に駆られるが、それでも言いたい言葉はなにも出てこない。
「あの人と会えなかったのは残念ですが、最初で最後の教え子の姿を見る事が出来て、ほんとうによかった」
両手も消え、もう、うっすらと向こうが見えてしまうぐらいに薄れてしまった。
「ありがとう」
自分が消えていると言うのに、いつもの様に微笑んで言った。
それが、梓月の決心にようやく繋がる。
「ミ、ミント……ミント・オーバード!!」
初めて、名前を呼んだ。
「…………ありがとう。助けてくれて」
言わなければならないたった一つの言葉に気づくのに、どれだけ時間がかかってしまったのだろう。
少しだけ驚いて、でも、いつもの様にミントは笑って、消えた。
戦場を、一人の青年が見下ろす。
金にも銀にも光の加減で見える髪をたなびかせ、青年は眼下の戦いを見下ろす。
いるのは空中。羽も翼もない彼は、何も無いと言うのに宙に浮いて、あまつさえまるでソファにでも座っているかのような姿で戦いを傍観していた。
人あらざる彼は、辺りを見渡して目的の少女を見つける。
冷たい水晶の様な薄青の瞳を陰らせて、微笑む。
「ああ、もうすぐだ。もうすぐ……」
アルカディアには『使い』と呼ばれる存在が存在しない。
しかし、『アルカディアの使い』であると言う矛盾を孕んだ彼は異端で在り、異形であり、人でなしだった。
「こんどこそ、幸せにするよ」
狂気の熱を持った瞳で少女を何時までも見つめていた。
彼の幸せが、少女の幸せではないことに気づかず。
これは、ローズマリアに後から聞いた話だ。
なんでも、あの戦いのときにヴィオルールたちの味方だと思われていた魔王の一部が反旗を翻し、ローズマリア達の元に駆けつけてくれたらしい。
ヴィオルール達は不利を悟って撤退。残ったエネミーは私達でも倒せるような奴らだけだった。
そして、ローズマリアの仲間の魔王達はいつまでも此処に居るといらぬ誤解を与えるかもしれないと人間であるローズマリアとロイドを残して元の世界に戻った。とはいっても、二人ともどっちも人間離れしているけど。
ムニエルとユイシャンは、ぼろぼろに為っていたけど、どうにか生き残って、ローズマリアの計らいで元の世界に戻ることが出来た。二人揃って律義に最後の挨拶と言って来てくれた。
そして、争いの元となったアイテールは、ローズマリア達に保護され、あちらの世界に行く事になった。このままここにいると、またヴィオルールが来るかもしれない。ローズマリア達とアイテールが話し合った結果のことだった。
ローズマリアとロイドはどうやらアルカディア対策本部日本支部長との会談を行い、現在の出来ごとについて、そしてこれからについてを話し合ったらしい。それこそ、何週間も。
ちなみに、実はいろいろ隠してムニエルとユイシャン、アイテールを保護していた桐原教授はひどく叱責を受けたとか。それは一緒になって秘密にしていた斑目隊長達も同じ。私達も呼び出されていろいろ聞かれたり怒られた。
そして私は、ローズマリアの知り合い、しかも戦闘中に三つの『場』を創ると言う予想外の奇跡を起こしてしまった空操師として、有名になりつつある。学生であり、こちらが望んでいないので顔は広まっていないのが救いだ。
……ミントの事は言っていない。
とある人物に、言わないようにと前もって釘を刺された。
今回の出来事で、世界は変わるだろう。
ローズマリアの話が本当なら、アルカディアという世界はゲームの世界などではなく、ほんとうに実在している。世界は、一つだけではない。
向こうの世界で人を襲わなかったエネミーたちが狂い、人々を襲っていることや、魔王による邪神の復活。いろいろなことが明らかにされていくことだろう。
そんな変わりゆく世界の中で、私は空操師を……やめることにした。
今日は二回更新します




