“シェイド” 守りたい物、護れなかった者2
「『場』が、消えた……」
その衝撃は、あまりにも大きかった。
呆然とする陸に対して、桐原は冷静。通常と変わらぬ様子で情報を得るために本部へと連絡をとる。
ドラゴンという強敵。空操師の突然の不在。情報系統の混乱。その影響は大きく、どこもかしこも情報が錯綜している。
そもそも、ミントは無事なのか――
「ふむ。施設の子どもが取り残されているというのか?」
「え?」
難しい顔をして、聞いているのはようやく繋がった久留橋からの報告だ。
と言っても、彼女もミントになにがあったのかまだ解っていないらしい。
それとともに、子どもが戦場に居るかもしれないと言う事態が解り奔走しているらしい。
無言で久留橋の説明を聞く。
『ほとんどの人がドラゴンにかかりっきりで……そもそも繋がらない人もいて、今、なにが起こっているのか解っていないんです』
「……」
桐原空人は研究者である。しかし、ここにいる自分は違う。
その手には柄を。武器は持っている。
「ぼくが――」
言おうとした時に、彼女は現れた。
「私が、行こう」
先ほどよりも幾分か顔色は良くなっているが、それでもまだ不調が解る顔で、ヴァリサーシャは立っていた。
人気のない町は不気味だ。
所々戦闘の後が残り、電灯は壊れて消えてしまっていた。
すでに深夜。何時もなら明日の用意をして眠りについていそうな時間だ。
と言っても、眠らない者達だっている。いつもだったらもっと明るいであろう夜の街を奔る。
後を追うのは黒髪の女性。ヴァリサーシャ。
怪我を理由に止めたが、結局来てしまった。
何時もとその様子が違うように感じた。まるで、切羽詰まったような。
だが、もうそれは過ぎてしまったこと。とにかく、今はサーシャと共に目的の場所に行くしかない。
「見えたな」
ヴァリサーシャが目を細めて呟く。
――教会が見える。と言っても、本当は教会が目的地、ではない。ただ、目立っていたため目印として覚えていただけだ。
本来の目的の場所はその隣――児童養護施設。
ちらりと巨大な時計が見える。もう、クリスマスイブだ。そんな場違いなことを考えながら施設の敷地に入った。
おそらく、何かのエネミーが入りこんだのだろう。玄関の鍵は閉まっていたが、すぐ横の窓ガラスが割れていた。
その割れた窓からは、中に簡単にはいることが出来た。
順番に部屋を巡り、誰かいないかを探す。
時々声をかけるが、反応はない。もしかしたら、外に出てしまったのかもしれない。
いや、それはない。ここに取り残されてしまった子どもがいることは、実は彼等から電話が来たことでわかったらしい。
今はもう配線が切れていて繋がらなくなってしまったらしいが、一時間ほど前まで連絡が取れていたとか。
早いうちから解っていたのなら、すぐに保護をすればよかったのに。なぜ、ドラゴンに襲撃された、しかも『場』が消えた今なのだろうか。
そう考えるが、ドラゴンが現れる前も前で、途方もない数のエネミーが町を跋扈していたからであることは知っていた。エネミーに襲われ、避難所が壊されてしまったことで、柄創師達が必死に避難をする人々を守っていた事も知っている。しょうがなかったのだ。
考え事をしている内に、一番奥の部屋の扉に手をかけていた。
ゆっくりと開けて声をかける。が、中にはやはり誰もいない。
と、思って扉を閉めようとした時、ガタリと音がした。
何事かともう一度中を見る。
誰かの部屋なのだろう。二段ベッドと二つの勉強机。そして洋服ダンスと押入れ。
音がしたのは空耳か、それとも保護をしに来た子どもか、それとも……エネミーか。
ゆっくりと押入れに近づく。
「誰か、いるんですか? アルカディア対策本部の者です、助けに来ました」
ゆっくりと開けると、誰もいない。様に見えたが下の段を覗きこめば、少年と少女の姿がある。
まだ、小学生ぐらいだろうか。どちらも私服で、布団のはいった押入れの中に隠れていた。
「いたか、リク」
焦ったように入って来たサーシャは、怯える子ども達をみて安堵する。
……その安堵は、彼らの無事を喜んでいる安堵ではないことに、陸は気づいた。
たしかに彼等が見つかった事を喜んでいる。が、どこか、違った。
「他に、取り残された者はいるか?」
いつものように子どもに問いかける。
首を振った子ども達は、周りを見回しながら押入れから這い出して来た。
「よかった……これから、ぼくたちが君たちを避難所まで保護をするよ。……大丈夫だよ。恐かったよね……」
怯えたように辺りを見回す二人に、陸は優しく声をかけていた。
涙ぐみ、無言で頷いた少女に、陸はぽんと頭を撫ぜた。
児童養護施設から避難所まで、徒歩十五分ほどの場所である。そこまで遠くはないが、緊急時にはもう少し近場であったならばと思われる距離だ。が、現在は近くでドラゴンとの戦闘が始まった為、そこからさらに歩いて二十分ほどの場所に避難所は移動していた。
すでに深夜となり、真っ暗な夜道を陸達は歩く。
雪と吹いて来る風のせいでとても寒い。施設から防寒具を失敬して来たのをあとであやまろうと陸は思いながらも周囲を見回した。
遠くから、戦闘音が聞こえる。
未だに、ミントの『場』は回復しない。
他の人々は大丈夫だろうか?
幾つもの疑問と心配が顔に出たのか、心細そうに見上げて来る子どもににこりと笑いかけると、陸は前を向いた。早く、なるべく早くここから離れなければならない。
後ろから聞こえる戦闘音は、離れているはずだと言うのにどんどん大きくなっている。このままでは、ドラゴンがこちらに来るまで時間がそうないだろう。見つかったらどうなるか、あまり考えたくない。
そして、陸にはさらにもう一つ、心配ごとがあった。
サーシャだ。
子ども達を見つけて避難を始めてから、彼女は始終口をつぐんだままで、落ち込んでいるようにも見えた。どうしたのか聞きたいのだが、聞ける雰囲気ではない。
早く子どもを安全な場所まで避難させなければならない。とにかく、現状がどうなっているのか聞こうと、借りて来た通信機にで連絡を取ろうとした。
『左近堂君、緊急ですっ! そこから離れてください!!』
「っ?! どうしたんですかっ」
切羽詰まった久留橋の声に、慌てて周囲を見回す。が、とくに変化は見られない。
いや、まだ、見られなかった。
『ドラゴンが、そちらに向かって移動していますっ。ミントさん達の部隊と未だ連絡が取れません、このままでは危険です、即刻離脱を!』
「そんな、無茶ですっ」
ただでさえ、小学生がいるのだ。これいじょう速度を早くする事は出来ない。いまだって、緊張もあいまって、保護した少女の顔色はどんどん悪くなり、歩みも遅くなっている。
「リク、とにかく、逃げられる所まで逃げよう」
「は、はい……」
『すぐに部隊を編成して送ります、それまで持ちこたえてください……!』
「……了解で――」
背後で、なにかが破壊される音がした。
見れば、先ほどまでいたあの養護施設で。周囲には煙が経ち、黒い巨体を所々隠している。
「走れ……」
自分の声がどこか遠くにリクには聞こえていた。
とにかく、目の前で咆哮をあげるその化物から目をそらすので精いっぱいだった。
「逃げろっ!!」
とっさに少年少女の手を掴み、走る。
後ろを振り返る余裕なんてない。今はただ、逃げることに集中をしなければ、立ち止まってしまいそうだった。
が――
「サーシャさんっ?!」
隣で走っていたはずの女性がいない。
慌てて見回すが近くにその姿はなかった。
「リク」
「っ?!」
慌てて振り返ると、立ち止まり、背を向けたヴァリサーシャがいた。
「なにしてるんですか! 早く、逃げますよ!!」
「……リク、先に行け。おそらく彼は――私を御所望だ」
「えっ?」
ドラゴンが一歩、また一歩と近づいて来る。
その目線はリク達に――いや、ヴァリサーシャの言葉が本当なら、彼女を見ていた。
だが――。
突如その巨体が宙に浮く。
羽ばたいた瞬間、突風が吹き、リクと子ども達は吹き飛ばされない様に必死に支え合うが、一瞬の間に吹き飛ばされた。
「……ヴィオルール、様……」
目の前のドラゴンを見たのは、三回目だった。
一度目は殺されかけた時。二度目は……。
「きっと、あの時のことなんてもう、関係ないのだろうな」
二度目は、皆と世界を巡るなどと言ってアルトカの森から飛び出して行った時。
「だから……貴方を、止めさせてもらう」
ヴァリサーシャは、笑って漆黒のドラゴンを見上げた。
周囲は、かのドラゴンが羽ばたいた衝撃だけで壁が崩れ、屋根がはがれ、木々が軋んでいた。
真紅の瞳がヴァリサーシャを捕らえる。周囲で唯一、危険であると思われる『魔人』を、睨みつけていた。
「サーシャさんっ!!」
ずいぶんと遠くから、ヴァリサーシャを呼ぶ声が聞こえる。
どうやら、風で吹き飛ばされたらしい。それでもこちらに声をかけるだけの余裕がある事に安堵しつつ、サーシャはドラゴンを睨みかえした。
「リク! こいつは私が止める。だから、その子等を、守れ」
口元に、笑みなどを浮かべて、言った。
地面を蹴る。
風の様に早く軽やかに、突風の様に鋭く、ドラゴンとの距離を詰め――宙を飛ぶ標的に向かって右手を振るった。
一瞬のうちに作りだされた黒く、長い剣。絶え間なく形を変形させるそれは鞭のようにしなりながらドラゴンの巨体を撃つ。
生き物のように動く剣は、見た目に反して鋭く、今までどれだけ柄創師が攻撃しても傷一つ付かなかった巨体に筋が入った。
そんな小さな傷など、ものともせずに、ドラゴンは口を開くとすぐそばにきた標的のサーシャに向かってブレスを吐いた。
真っ白な、太陽の様な光が絶え間なく降り注ぐ。
身をひねってかわすが、熱波で髪や服が若干燃えてしまう。
さらに、翼が震えて羽ばたくと、ヴァリサーシャはその風圧だけで地面に叩きつけられた。
道路が隕石でも降って来たかのようにへこみ、クレーターが出来る。が、そこから、這い上がる。
苦痛に歯を食いしばって、諦めの色など微塵も見せず。
そして――またドラゴンに立ち向かった。
『なぜだ』
男の声が、サーシャの頭の中に響く。
それは、俗にいうテレパシーのような物だった。
近くに居たリクにも子どもたちにも、聞こえない声。
その声を、サーシャは知っていた。
「ヴィオルール様、まだ話せるだけの知能があるとは驚きだ」
『ヒトのミカタなんぞするお前は、オレよりも狂っているんじゃないのか? 誇りを失った魔人……ククッ……ああ、いや、元々異端者だな』
「元々狂っているからな、貴方と違って。それに――魔人如きと嗤えば良い。異端者と罵るが良い。誇りを、生きる意味を捨てたとしても、それでも私は護らなければならない者が在るのだっ!!」
ドラゴンとヴァリサーシャが戦っている。
それを間近で見ることしか出来ない陸は、焦っていた。
ドラゴンの巨体が動くたびに脆弱な自分たちは動けなくなる。吹き飛ばされて来た瓦礫にあわやといった場面もあった。このままでは、ドラゴンの動きを止めなければ、ここから避難が出来ないのだ。
「どうすれば……」
ヴァリサーシャが折角稼いでくれている時間だと言うのに、なかなか進む事が出来ない。
すぐ近くを、ドラゴンのブレスが横切った。
閃光に思わず顔を守る。熱風が一瞬包んだ。
「っ!!」
ブレスの直撃地――ケロイド状に溶けたコンクリートが湯気を立てていた。
思わず背筋が寒くなる。こんなものが直撃したら……などと考えたくもない。
「リク!!」
「なっ、コユリっ?! なんでここにっ」
一ヶ月ぶりになる声を聞き、思わずリクは大きな声をあげた。
あの時からほとんど変わらない少女が瓦礫を避けながらリクの元へと小走りで駆けて来る。
どうしてここに、いや、それよりも助かったのかもしれない。
自分だけではこの状況をどうもできなかった。しかし、コユリが、仲間がいたのならば。
そんな安心が一瞬のうちに広がり――それは隙となった。
少女が必死に叫ぶ。
「リク、避けてっ!!」
一瞬の油断。気の緩みは、ドラゴンの動きを見逃してしまう。
声が聞こえた時、少女が自分を突きとばしていた。
「コ、ユリ?」
声が震える。
誰かの泣き声と、降り注ぐ瓦礫の中で見た。
見てしまった。
コユリが倒れている。
その傍で、無傷の子どもが泣いている。横には、先ほどのブレスとは違う――まるで、抉り取られたかのような地面。
そして、大量の血痕。
「湖由利?」
返事はない。
「な、んで……? 湖由利? 湖由利、コユリっ?!」
駆けよって、ソレを見た。
「よかった……ぶじで……」
かすれた声で、呟くコユリの顔は、急速に色を失っていく。
そのまま、目を――閉じる。
「コユリッ!!」
いつも通りの顔。両手だってある。ただ――足が無かった。
膝から下が――二つの足が――消えていた。
文字通り、無くなっていたのだ。地面と同じように。肉片すら残さずに。
断面は滑らかで、血が溢れていく。止まらない。
「あ……あ…………」
死ぬ。このままじゃ、きっと湖由利は死ぬ。
なのに、動けなかった。
動く事が出来なかった。
そんなリクを、誰かがつきとばした。
「おい、リク! しっかりしろ! 早く、そこ押さえろ!!」
「……クロム?」
「おい、あ、ほら、泣くなよ。大丈夫だから。リク! お前はしっかりしろ!!」
てきぱきと突如現れたクロムが止血をしようとする。
泣いている子どもを慰めながらも、リクを叱咤する。
「おい、早くまたあの変なのやられる前に、こっから離脱するぞ」
力強く、彼は言う。
しかし、リクは気づいた。
彼の手が酷く震えている事に。力強く見せようとしている声が、若干震えている事にも。
「……そう、ですよね」
震えているクロムの手をどけると、素早く止血を行う。
「ごめん。ちょっと動揺しすぎた」
「ああ。オレもさっき、おんなじことしてたよ」
どうして湖由利が、クロムがいるのか、聞きたかったが、ここから逃げるのが先だろう。
かなりの血液が流れてしまった。今も、止まることなく流れている。移動させるのは危険だが、ドラゴンのブレスなどのほうがよっぽど危険だと判断する。
「行こう……」
後ろでは、ヴァリサーシャがこちらにドラゴンが向かわないようにと立ちまわりながら戦っている。
湖由利達を避難させ、もう一度ここに戻ってくる。そして、ヴァリサーシャを……。そう誓いながら、陸は湖由利の手当てに意識を集中した。




