“シェイド” 守りたい物、護れなかった者
目の前で起こった悲劇。
かわされた約束。
始まった狂気。
護れなかった者。
どこで間違えてしまったのだろう。
ソレは考える。
どうすれば、よかったのだろう。
必死で、考える。
もはや、意味などないと言うのに。
彼女の願いはただ……「護ること」。
しかし、既に満身創痍だった。
死に体を晒す彼女に、誰かを護る力などない。
「ごめんなさい……」
彼女を唯一受け入れてくれたあの場所。仲間達。親友。彼らに向かって、届くはずのない声をあげる。
「ごめんなさい。また、護れない。ごめんなさいっ。唯一の希望を……最後の宝物だったのに……迎えに、行ってあげなきゃいけないのに」
誰かが、そっとその手を握る。
視界はぼやけていて見えない。けれど……とても暖かくて、とても懐かしい。
かつて、同じようにその手を握ってくれた人がいた。
「レイ、ムリア……」
ごめんなさい。護れなくて。
貴女も、貴女の護りたかったモノも、護れなかった。
眠っている女性を見て、左近堂陸はそっと嘆息した。
白い部屋、そして資料に埋もれた机。女性の横たえられたソファはよく使われているため置かれていないが、そこかしこに本が乱雑に積まれていた。
冷めきったコーヒーがぽつんと置かれた机にも、なにが書かれているのか解らない書類が数枚。こぼして汚したらおそらくこの部屋を管理する少女のほうに怒られてしまうだろう。
しかし、彼女には感謝しなければならない。
そこは、桐原空人の研究室だった。ビルに隣接された柄創師達の訓練施設や研究棟があるアルカディア対策本部の施設の一つである。
インビジブルバード、そして魔人と呼ばれたエネミーとの戦闘後、陸はヴァリサーシャをつれ、風間陽香に手引きされ本部ビルから脱出して桐原の元に避難して来たのだ。
あのままいれば、ヴァリサーシャがどうなるか解らなかった。彼女は指名手配されている。そして、自らエネミーと同じ存在だとカメラ越しに他の者たちへ教えてしまった。今はまだ混乱時だからどうにかなったが、もしも通常時だったら、彼女にはすぐさま追手がかかっていたことだろう。
ゲートが出現しなくてもこの世界に存在しているエネミー。そんな存在がいるなんて、恐怖以外の何物でもない。もしも他にもいるのなら早急な対策を。そして、さらなる情報を引き出すために……その為にヴァリサーシャを追い詰めるはずだ。
「サーシャ、さん……」
顔色はずいぶんよくなってきた。しかし、まだ目覚める気配はない。
当初、ここに逃げ込んできた時は本当に彼女が死んでしまうのではないかと焦っていたが、陽香の手当てとリコリスの治療がよかったおかげで少しずつ回復に向かっている。『場』の恩威は受けられていないらしいが、それでも。
そもそも、彼女が人間でないことが幸いした。『場』によって回復している、と思っていた回復は彼女の能力だったらしい。
そっとその顔を覗き込み、ため息をつく。
これから、どうするのか。
彼女は、いったい何者なのか。どうして、人の味方なのか。
『ごめんなさい』
涙を流しながらうめくサーシャの姿を思い出す。あの姿は、まるで子どものようだった。
悪夢でも見ていたのかもしれない。では、なにがそこまで彼女を追い詰めているのか。
エネミーだと言う彼女を、自らを魔人だと言った彼女を、陸は理解したかった。
「リ、ク?」
「サーシャさんっ!! よかった……気づきましたか?」
呻き声をあげながら立ちあがろうとするヴァリサーシャを、すかさず陸が支える。
すまないと申し訳なさそうに呟く声は、今まで聞いたことのないほど弱々しい声だった。
「……なぜ、だ?」
「え?」
「なぜ、そこまで私をつけようとする。本当に理由なく、こんなことをするのか?」
それは、ヴァリサーシャにとっての最大の疑問だった。
初めて逢った時から抱いていた物。
なぜ、彼は自分を助けたのか。明らかに不審な自分を。ましてや、エネミーだと告げてもなお、彼はサーシャを助けようとした。
陸にとってエネミーは敵なのだ。倒すべき、殺すべき、人類の敵。
だというのに、理由なく助けると言う。本当に? なぜ?
ヴァリサーシャの再びの問いに、陸は答えを躊躇う。
「それは……」
迷う。
理由なく助けたいと思っているのは本当だった。助けてもらったから。けれど、その前は。
その後だって、本当は……。
それを言っていいのか。いや、拒まれることが怖いのかもしれない。
陸は、じっと見つめて来るサーシャを見て、泣きだしそうに笑った。
「たぶん、僕が貴女に恋をしたから」
突然、路地裏に現れた女性。
死んだような目をして、何もかも諦めているように疲れ果てて。それでも損なわれないその美しさは、きっと、大切なモノがあるから。
どんなに絶望的な状況でも、護りたい何かがあるから。
その美しさに見とれ、気づいた時には、焦がれていた。
ただ、それだけのこと。
どうしてもこうしてもなく、視た瞬間に引き込まれてしまったのだ。
ヴァリサーシャ・ロイリエリーヌ・シェイドという『女性《オルロンドの眷族と似た存在》』に。
可笑しなものだ。
サーシャは独りソファに座りこんで少年の事を思い出しながら考えていた。
そばに彼は今居ない。教授だかなんだか知らないが、近寄りがたい笑みを浮かべる研究者に呼ばれて行ってしまった。
いったいあの男は何者なのだろう。本能的に近づくとヤバイと思わせるような人間は初めてだ。
それはともかく、今考えていたのはリクのことである。
あの少年は、あろうことか自分に恋をしたと言うのだ。
「恋……か…………」
そのようなこと、よく解らない。サーシャはそのようなことには疎い。
だから、彼の行動が解らないのだ。
「恋とは、怖ろしいモノ……この世界には、『恋は盲目』なんて言葉がある」
何時の間に居たのだろうか。
二人分のコーヒーを盆に載せ、小学生ほどの少女がたっていた。
その姿に思わず息を飲み、あわてて立ちあがる。
「っ」
が、傷の痛み思わず座り込んでしまう。
「なにしている。座ったままでいなさい」
少女は呆れながらコーヒーを机に置くと横に座った。
まるでどこかの令嬢の様なドレスを身に纏う少女の顔には不機嫌そのままの表情がある。
思わず緊張しながら、サーシャは口を開く。
「先ほどは、ありがとうございました」
「魔人の事なら、アレは私の所に来た変態だから殺しただけ。さっきの治療なら、あの少年が哀れだったから助けてあげただけ。感謝をするならあの変態がたまたま私の近くに来たことと、あの少年にすればいい」
小学生、と言ってもいいリコリスに対して、大の大人のサーシャが礼を言う。しかも、その様子は明らかにリコリスを畏れている。
それは、当たり前のことだった。
「まさか、この世界に居るとは……ダリアロッド殿」
「リコリスだ」
「す、すみません」
ダリアロッド――あの魔人が追っていた魔人。そして、彼を殺した者。
少女の姿をしているが、おそらく姿を偽装しているのだろう。
いくら人外だとは言え、負傷していたサーシャに、傷をここまで癒すほどの体力はない。いまこうして起き上がることが出来ているのは、目の前に居る少女が治癒を行ったからだとすぐに解った。
「これ以上、話す事……ない」
「解りました」
ならば、なにも聞かない。なにも、話さない。
そうしなければ、自分の命にかかわる。
解っている。
しかし、ヴァリサーシャは陸たちの知るエネミーの中では、おそらく強敵の部類にはいるだろう。弱い訳ではないのだ。
だが――弱いとか強いとか、そういうものでは無く、すでに勝敗がつかないほど強力すぎる力を持った者がいる。たとえば、目の前に居るモノとか。
ダリアロッド、いや今はリコリスと名乗る少女は、その愛らしい外見とは裏腹に、おそらく今破壊を行っているであろうティアロナリアの使い『ヴィオルール』と戦えるだけの力を持っている。魔王と呼ばれ畏れられる彼らと、五分の戦いが出来るのだ。
彼女の機嫌を損なう事は、そのまま死を意味する。
なぜ、少女が人間の元に居るのか。それもこの様な姿で。
好奇心は身を滅ぼす。それを知っているサーシャは、問う事も疑問を顔に出す事もなかった。
「あなたは、恋をした事はある?」
「え……?」
まさかの、リコリスからの問いに若干頭が真っ白になる。しかも、それは先ほどまで考えていたことに関連している。まさか、先ほどの会話を聞いていたのかと動揺する。
「恋は、怖ろしいモノ」
「知って、います……」
それで、身を滅ぼした人間を知っている。
そもそも、この世界に襲いかかる理不尽は――。
「いや、知らない。まだ、知らない。本当の狂気を。……意味のない忠告をする。ヴァリサーシャ・ロイリエリーヌ・シェイド。貴女の死は、世界を揺るがすモノと為る。もはや、後戻りは許されない。巻き戻ったとしても、その狂気は世界を変えるだろう」
「……それは」
どういう意味なのか。
彼女は知っている。愛に狂った男の結末を。そして、同じように狂った男の行為を。
しかし、リコリスはまだ知らないと言う。
リコリス……いやダリアロッドという魔人は、あまりにも長い時間を生きている。忘れてしまうほどの年月を生きて来たはずのサーシャよりも。
彼女の忠告は、意味が無かったとしても覚えておかなければならないものだと、サーシャは神妙に頷いた。
世界を変えうる狂気は、そう、どこにでも転がっているものではない。なぜ、自分が巻き込まれたのか。真剣に考え込むサーシャに、リコリスはコーヒーを押し付けた。
「そろそろ、逃げる準備をしておかないと」
そう言うと、自分のコーヒーを持って部屋を出て行く。
残されたサーシャは、まだ温かいコーヒーを両手で包みながら、ぼんやりとその後ろ姿を見送っていた。
どう見ても、ただの少女にしか見えない。
しかし、彼女は独りで国一つ滅ぼせるほどの力を持っているのだ。そのギャップに騙されてはいけない。
ふと、考える。もしかしたら彼女以外にもこの世界に紛れこんだ異端な化物が自分の様にいるかもしれない。そんな、恐怖。
「私は……『彼』を守れるだろうか」
そもそも、今、『彼』はどこで何をしているのだろうか。安全な場所に避難をしているだろうか。
「こんどこそ、間違えないだろうか」
幾度も、後悔をした。何度も、過去を振り返った。
自分の間違いは、あまりにも大きすぎて、どれほど悩んでもどうにもならなかった。
そして、もう一人……思い浮かぶのは……。
あわただしい音が聞こえて来る。
どうやら、何かあったらしい。
ヴァリサーシャはコーヒーを飲み干すと、ゆっくりと立ちあがって騒動の元となっている少年たちの元へ急いだ。




