異常と日常の合間2
アルカディアの交錯と呼ばれたゲーム。そこで行われる課題。
それらが何を意味する事なのか――。
「これはね、魔王を蘇らせるゲームなんだよ」
「――は?」
突然の言葉に、集まった彼らは首をかしげる。
当たり前だ。
彼等は知らないのだ。
このゲームの最終的な終着点を。
「クエストをクリアしていくと、最終的に魔王が現れる。そして、その魔王を倒してエンド。今までのエネミーの出現は、此れまでの戦いは、その工程となるクエストと酷似している」
来た道を戻ろうとミントは足を進めた。
頭の中では先ほどの会話が繰り返されている。
アルカディアの交錯。ゲームのストーリー。魔王の出現。どれもこれも、非現実的なモノだ。が、この十数年の間にこの世界の常識は壊れ切ってしまっている。
だからと言って、その話を信じることが出来る訳無い。
『もちろんこれは推定の域を超えない戯言だ。しかし、今回どのクエストにもエネミーデータにも当てはまらない完全なイレギュラーが現れた。これは、何かの予兆なのかもしれないし、ぼくの持論を覆すものかもしれない。どちらにせよ、君達には――一番苛烈な戦場に立つ君達には、伝えておきたかった。……もしも、『魔王』と称されるエネミーが出現するとしたら、此れから戦いはさらに苛烈するだろう。エネミー達のレベルも格段に上がる』
そう、幸乃は言っていた。同時に、警告と忠告も。
「どちらにせよ、私達は戦うだけだけどな」
そっと横から話しかけて来るのは陽香だ。
ある者は考え過ぎだと一笑し、ある者は真に受けていた幸乃の話。ミントはというと――困惑していた。
陽香は既に「空操師だから戦うだけ」と言う考えで魔王の話などまったく考えていないが、ミントはそうはいかなかったようだ。
「そう、です……」
言葉を濁しながら、陽香に頷き返す。
「……けど」
聞こえないようにと呟いた言葉は、力が無い。
「それで、ミント。日程のほうは決まったのか?」
「へっ? えっと、なにの?」
「忘れたの? 汐の名前を借りたパーティー」
「あ……」
最近忙しすぎて忘れてしまっていたミントは、思わず口を塞ぐ。
その様子に、陽香は大きくわざとらしいため息をついてミントの肩を抱き寄せた。
「こっちをいつまでもやもやさせるつもりだ。さっさとくっつきなさい」
「え? あ、あの、く、くっつく、とはっ?!」
「言葉通りの意味っ」
「――っ?!」
頬が真っ赤に染めあがってくる。
まるで出来あがったような状態だ。一見すればミントが結城の事を好きなのはバレバレだが、本人達はおそらくまだその事に気づいていないのだろう。
そして今、ミントはようやく陽香に完全にバレていることを知った。これまで、幾度も陽香達がミントと結城をどうにかしようと画策して来たが、それはただ単におふざけと思っていたようだ。それはそれで鈍いものである。なぜ恋心を抱いている事がばれて居ないと思っていたのか。
いや、その恋心にミント自体がそこまで自覚していなかったようだが。
「あの、えっと」
「……十二月の……二十四日の夜なんてどう?」
「よ、ようか?」
「確か、今年は金曜日だったし……他の人も呼ぶか。ミントの同僚とか。矢野少年とか、あの特務クラスメンバーとか」
「な、なぜですかっ?!」
「久しぶりにあの少年が気になってな」
「そう言う事じゃなくって!」
くすくすと笑いながら陽香は歩いて行く。
それを慌ててミントは追っていった。
白い部屋。そして、鉄色の扉。
机といす。そしてベッドという必要最小限のものしか置いていない。質素、というよりも本当に必要最低限の物しか置かれていないのだ。
そこに、少年は収容されていた。
ふらふらと歩きまわっていたが、そのうち何をやることもなくイスに無造作に座った。
「――ロイリエリーヌさん、ちゃんと逃げられたかな」
そして彼――左近堂陸は、遠い目で一人の女性の事を考えていた。
それは、少々時間が遡る。
事の発端は黒晶鳥の出現、そして撃墜。討ち果たした者は柄創師でも空操師でもなく、左近堂陸がたまたま出逢った女性、ヴァリサーシャ・ロイリエリーヌ・シェイドだったことだった。
「ロイリエリーヌさんっ!」
黒晶鳥が消滅した。それを確認した陸は何も考えずに駆けだしたヴァリサーシャを追っていた。無意識のうちに。
正体不明のエネミーよりも、大切な事があったから。
荒れ果てた町を駆けて、顔をゆがませる。
人々の声が聞こえていたからだ。
助けを求める声、勝利に喜ぶ声、そして――
「あの女を拘束しろっ!」
ヴァリサーシャを狙う声。
「ロイリエリーヌさんっ。待ってっ」
まだ建物がかろうじて崩壊していない場所まで、彼女は全力疾走をしていた。此処から先は、そこまで壊れていない。そして、人々が溢れかえり混乱している。
「なぜ、ついて来た」
足を止めてヴァリサーシャは陸に振り返る。
その姿に、いつの間にか創られた感情に陸は瞳を揺らした。まるで、今にも消えそうで恐ろしく、同時に不安をもっていたから。
「そりゃ、心配でっ。さっきので……アルカディア対策本部が貴方を――」
「分かっている。面倒だが、あいつらにもばれたな。――我ながら馬鹿な事をしたよ」
しょうがないとばかりにヴァリサーシャは諦めを含めた笑みを見せた。
「リク。これ以上かかわれば、唯ではすまされないだろう。いや、もう後戻りのできない場所まで来ているのかもしれない。だから、これ以上は……私の事は、忘れろ。抵抗なんぞ、するなよ」
くしゃりとリクの頭をかき混ぜた。
思わず目を瞑り、そして陸が目を開けた時には誰もいなかった。
「忘れろって、そりゃ無理というか、なんというか」
「何を言って……。答えてください、左近堂陸。あの女は一体何なんですか? どのような関係なんですかっ?」
眼を閉じたってすぐに思い浮かべられる、あの鮮烈な女性。それを思い返しながら、なんども聞いてくる問いに応えることとする。
「知りません。忘れました」
そう、ヴァリサーシャ・ロイリエリーヌの事は忘れた。抵抗もせず、ただそう騙る。
それは彼女が言った言葉の意味を歪曲したものだ。確実に彼女の込めた意味とは別の意味としてとっている。
彼女が望んでいたのは、陸が無駄な抵抗などせずに全てを話す事。そうすれば、彼の身はおそらく守られる。危害を加えられる事もない。
しかし――。
「……誰が、応えるかよ」
冷たい目で目の前で尋問をする男を見る少年は、どこにいるのかも分からない彼女に思いを馳せていた。
矢野冬真がそこに来ていたのは、たまたまだった。
立ち入り禁止と書かれたプレートを無視して、無断に入りこんだ先は屋上。
六階建ての校舎の屋上からは、町が見通せる。
そこから北を向けば――ついこの前まで在ったはずの町が消えて居る。
痛々しい戦場の跡。それが良く見えた。
無駄にただっ広い屋上には何も無い。天気がいい日にはここで弁当を食べるのもいいかもしれない。が、そんなものが見える場所でゆっくりしようとは思えない。
すぐ近くと言う訳ではないが、そこまで遠くもない場所にアルカディア対策本部も見える。研究者の居るビルと柄創師達の訓練施設だ。
そこに左近堂陸は居るはずだ。
そして、自分もまた放課後に呼び出されることになっている。白野と共に。
あの事件から既に一週間は立っている。ようやく落ち着いてきたから呼び出されたのかもしれないが、おそらくここまで遅かったのは生徒であることとミントがいた影響もあるのだろう。自分達子どもよりもミントの話のほうが重要視されるだろうし。
ならば、陸は。まだ学生であるはずだというのにすぐに拘束されて未だに連絡もつかない。
「ったく、いったい何に巻き込まれたんだよ」
そう愚痴る。
あまり出さない様にしているが、冬真にはけっこうショックだったのだ。
昔からの友人だと思っていたのに、危ない事に一人で足をつっこんで何も相談しなかった。言ってくれなかった。
いや、本当はなにかあったんじゃないかと常々思っていた。それでも、何時か陸から話してくれると思っていたと言うのに、今回の出来事が起きてしまった。
クロムの様に、今、何が起こっているのか知りたい。が、自分の様なまだ学生と言う身分でしかない子どもが何かできるとも思えない。
ここから見えるアルカディア対策本部は、あまりにも大きく、自分達は小さすぎた。
「……あ」
いや、一つだけ出来ることがあるかもしれない。
思い当たったことをクロム達に話そうと、少し早歩きになりながら屋上を出ようとした。
その顔には少しだけ不安がある。
扉に手を掛け、思いっきり押すと何か重い物がそれにぶつかって鈍い音を立てた。
「キャっ、あっ、す、すみません! ごめんなさい! ほんのちょっとした冗談なんですっ。屋上に入ろうなんて考えていませんから!」
なんとなく、聞き覚えのある様な声が聞こえた。
「え?」
慌てて扉を戻して、今度はゆっくりとあけると、ドアの向こう側に額を押さえて床を転げ回り悶絶する少女がいた。
立ち入り禁止と書かれたプレート。それが掛けられた扉の前の階段で、少年と少女が座り込んでいた。
少女の額には濡らしたタオルがあてられている。
「なんかごめんな。まさか人がいるなんて思わなくって……」
謝る冬真に慌てて少女は否定する。
「こ、こちらこそっ。立ち入り禁止なのに入ろうとしてたのでっ」
緊張をした様子で、少し裏返った声をだす。
その制服は冬真の知る物とは少しデザインが違う。梓月のものよりも少し色が薄く、紋章の形や文字も変わっていた。
少女の顔はまだまだ幼さを残している。その体つきもまだまだ大人のそれとは程遠い。
「こっちも立ち入り禁止に入りこんでたんだけどな……。ところで、中学生?」
「は、はいっ。如月学園中等部二年の蓮水守架です」
冬真は二年生。高校と中学ということで立場は違う。
この少女が高等部に入る時には、既に冬真はいないだろう。
その名前を聞き流しながらも話を促す。
「今日はその……高等部の見学に来て……先生と……」
「はぐれたのか」
「は、い……」
「とりあえず、職員室に行けばなんとかなるか……。じゃあ、送るよ」
「ほんとうですかっ!」
さっきまで落ち込んで項垂れて居た暗い顔が、一瞬のうちに明るく輝く。
その顔に、冬真は思わず目が離せないでいた。
もしも――もしも雪菜が生きて居たら。
そんな考えを抱いてしまうのは、なんとなく少女が雪菜に似ていたからだ。といっても、雪菜はもっと大人しいし、兄と違ってきちんとルールは守るし、もっと可愛い……等々、いささか兄バカな思考で否定をしている。
とりあえず立ち直りの早い子だ、なんて考えながら冬真は立ちあがって少女に手を差し伸べた。
「ありがとうございます、先輩」
「矢野冬真だ。さっきのお詫びも兼ねてだから気にするな」
手をとって立ちあがる少女は、一瞬驚いたように目を見開く。
「もしかして、特務クラスの?」
「あ、ああ、そうだけど。なんでおれのこと知ってるの?」
「えっと、たしか柄創師だけど空操師の先輩ですよね? 一応、特務クラスの先輩の事はよく話に聞くんです」
「へー」
「私達の憧れです」
「憧れるようなもんじゃないけどな……」
特に、今は。何もできないことを痛感している。
「あの、先輩はどうして戦うんですか?」
「え?」
「人によっては柄創師にはならない人だっています。でも、先輩は如月学園にいる」
「それは……」
どうして柄創師になろうと思ったのか、そういえばそんな事考えた事が無かった。
ただ、なんとなく柄創師になれるから流れで中学生の時にこの学園に入学した。そしたら雪菜まで空操師になるなんて言い始めて。
「やっぱり、この国を守りたい! とかですか?」
どこかわくわくと期待に満ちた視線で少女は聞いて来る。
ちょっとだけ悪いななんて思いながらも、正直に答えた。
「いや。なんとなく、だよ」
「でも、戦ってるんですね」
何が楽しいのか分からないが、それでも笑顔で少女は笑った。
なぜかなんども頷いて、そして――。
「まあ、戦う理由は人それぞれだし。この世界は平和だからね」
「え?」
「あの、先輩は卒業したらやっぱり柄創師になるんですよね!」
「あ、ああ。そうだけど」
「がんばってくださいね! ……死んだり、しないでくださいね」
「当たり前だ。でも、ま、ありがとう」
そろそろ職員室に着く。少し照れながらそれを言おうと、冬真はすぐ後ろにいた少女を振り返った。
――が、そこには誰もいない。
さっきまでたしかに後ろにいたのに、放していたのに。
「おい、どこに……?」
そういえば、名前は何と言ったか。
名前を呼ぼうとして、頭を抱える。覚えて居なかった。
こう言う事になるならしっかりと聞いておくんだったと後悔する。が、すでに遅い。
一人残された廊下で、冬真は数分そこでぼうっと立っていた。
「人々が力を持つサンテラアナと呼ばれた世界。しかし、ここは違う」
人ごみの多い通りを歩く影が在った。
一歩進むたびに姿が歪み、変わる。
疲れた様子のサラリーマンの男に、家に帰ろうとする小学生に、買い物をする老婆に、ウィンドウショッピングをする高校生に――そして、消えた。
そう、あとかたもなく。だと言うのに誰も気づかない。人々は自らの途を歩くのに必死だから。
そして、そっと吹いた風が、そこを歩いていた誰かの痕跡を残らず攫って行った。
「ここは人々の切り開く世界だから、私の力などいらない」
故に人々は苦境を強いられる。
神は力を持たず、侵食を防げない。
だとしても、人々には力などいらない。
ここは魔法も奇跡もない世界。
それでいい。
そのままでいい。
科学はやがて自らを殺す事となるだろう。
だが、それでもそれが子ども達の選んだ道なのだから許容する。
この世界に魔法も奇跡も必要ない。
しかし、魔法も奇跡も力もない世界に魔法と奇跡と力を持ちこんだ愚か者どもがいる。
「だから、アルカディア。落し前はつけてもらうよ――」
ふとした拍子に零れ落ちる蒼い花弁。
やがて、それは塵となって消えて逝く。
それは、違う世界で語られた言葉。
『例えばの話です。そう、これは例えばの話。私、ローレン・ロータスを大賢者と人は言ったとしても、私はただ一介の人に過ぎず、この全ての世界を知る術など持ち合わせて居ないのですから、『例えば』の話です。例えば――貴方の目の前に現れた人を『人』と貴方は判断しますが、それは一体なにを基準にして、何を根拠として、目の前に現れた人を『人』と称したのですか? 本当にその人は『人』なのですか? ああ、これは戯言。例えばの話です。そこまで深く考えないでくださいローズマリア。だから、私が『人』であるという根拠はないのです。先ほどは『一介の人に過ぎない』とは言ったものの、それが真実かは私しか知らない。嘘なのかもしれません。そして、貴方の隣にいるその人も――人々はもっと疑うべきなのかもしれません。今まさに親しい隣人、突然の出会い、まさかの再会で出逢った彼等が、本当に人なのかを』
貴方は『人』ですか?
目の前に居るそのヒトは、本当に――『人』ですか?




