異常と日常の合間
夕刻。黄昏時。
すぐそばの人の顔が良く見えなくなる。そんな時間帯。
十二月になり日の入りが早くなった教室は、すでにオレンジ色の光で照らされていた。もう、あと数分すれば暗く影が落ちていくことだろう。
その小さな教室に三人だけ生徒が残っている。
帰りの雑踏が遠くから聞こえて来て、壁があるように感じた。
「湖由利、転校したんだってな」
ぽつりとクロムが呟く。
一番湖由利と親しかったはずのクロムが、知らなかったらしい。
静かに聞こえて来る。
「お前もだろ?」
「来年だよ」
「英語しゃべれねーくせに」
「失礼なっ。しゃべれるしっ!!」
「この前赤点取っただろ」
「テストはテストなんだよ」
「意味わからねっ」
男同士の会話をなんとなく聞き流しながら外を見る。
雲が赤く染まっていて、なんとなく綺麗だ。
いつもと変わらない放課後に、どこか寂しさを感じる。
自分達は変わっていくのに、変わらない普遍的な繰り返し。それが、寂しいのかもしれない。
突然湖由利が転校して居なくなった。クロムももうすぐ居なくなる。
もう、進路を聞かれるような時期になった。年が明ければすぐに三年生になる。
あと、一年。それで、この高校生活も終わり。
別に、なにか思い入れがあった訳ではない。最初からとりあえず行けと言われて通って来ただけの高校だ。部活をしている訳でも目指す物の為に何かをした訳でもない。
それでも、いつか終わりが来る。それなのに、世界は変わらず同じことを繰り返している。
あの頃と変わらないことを繰り返している。
もう戻らないあの頃も、日は昇って落ちて行く繰り返しをしていた。
同じ時間に同じことを繰り返していた。
でも、私達は同じことを繰り返さないで変わっていく。
黒い鳥のエネミーが現れて町をめちゃくちゃにしたことで、学園内も変わった。
居なくなった人もたくさんいる。それがどんな理由なのかは詳しくは知らない。
それでも、世界は漫然と続いて行く。
「で、お前らは本当に陸のこと知らないわけ?」
クロムは英語のテストについては話したくないとばかりに話題を変える。
そういえば、この前の単語の小テストじゃ零点だったか。
「知らないってば。白野の話じゃミントさんも知らないって言ってるみたいだし」
「あの日、逢ったんだろ?」
「あー、あの黒いエネミーが襲って来た時? なんかロイなんとかっていう人を追いかけていって、後は知らないぞ」
「じゃあ、どうしてこないんだよーっ?!」
「知らんがな」
「学園長に突撃してみるか」
そう言えば、リクは学園長の息子だったか。
思い出しても、あまり実感が無い。
確かに勉強が出来て、かなり優等生だったけど、だからどうだと言う感じだ。
それに、そういうことは言わなかったし。
「じゃあさ、白野はなんか知らね?」
いきなりこちらに話題がふられる。
ただ教室にいただけなのだが……。そう思いつつもふと考える。なんでうちは残っているのだろう。
「……知らない」
「えー、もっとさ、ない? 陸の彼女はどんなだったとかさ」
「彼女? ああ、ロイリエリーヌとかいう人の事?」
ぱっと思い出す。
普通の人だった様な気がするが、あまり覚えていない。
「そうそう。どんな人だったんだよ」
「別に……」
「じゃあさ、なんて町のほうにいた訳?」
ずかずかと聞いて来るクロムに思わず視線を向ける。
「いや、別に言いたくないのなら言わなくてもいいけど。……すごい顔だな」
「五月蝿いから」
半眼で視線を送るとすかさず視線をそらす。
「って、冬真、どこ行くんだよ」
そのまま静かに帰ろうとしていたトーマを発見してそのかばんを奪った。
無駄にやることが早い。
「え、帰る」
それを奪い返しながら、トーマはさも当然そうに言った。
まあ、そりゃそうだ。
そろそろ自分も帰ろう。
時間を見ると、ぐだぐだともう二十分近くうだうだとしていたようだ。さっさと帰って……そういえばやることないな。疑似ゲート施設のほうにでも行くか。
「ちょっ、おまえらちょっと待てってっ」
「え?」
「うちも?」
「え? じゃなくって。白野もさも関係なさそうな顔すんなっ」
「なんだよ」
「帰りたいんだけど」
やることはないけども。
「……おまえらさ、これでいいと思ってんのかよ」
突然、居ずまいを正して真剣な様子でクロムが聞いて来る。
「ああ、お前と湖由利の話?」
「んなに言ってんだよ。そうじゃなくって、陸とか湖由利とか、その……いろいろとだよ」
「へー……」
興味が無いらしく、冬真は扉に手を掛けている。
「だって、おかしいだろっ。俺たちは魔法を使えない。俺たちはエネミーについてゲームの情報しか知らない。エネミーはしゃべらない。ゲートの向こう側にはいけない。アルカディアなんて世界は無い。それが、俺たちの知っている事なのに、どんどん覆されていく。そもそも、エネミーがこの世界に現れるのはなんでだ? 空操師ってなんなんだ? アルカディアは――本当にあるのか?」
それは、分からない。
私達は子どもで、なにも知らされないから。
ただ、教えられた情報を享受することしかできないから。
後からトーマ達に聞いたキュウビの話とかも同じ。トーマが知っていることしか分からない。
「あの時の炎はなんだ? このまえのエネミーを仕留めたあの黒い影はなんだ? なんでエネミーは俺らを憎んでる? お前たちが逢った奴等は一体何もんだ? 陸と一緒にいたロイリエリーヌって人は、なんであの鳥の事を知ってたんだよ。冬真の妹が死んだのも、湖由利が怪我をしたのも、陸が居ないのも、俺がイギリスにもどるのも、全部ゲートの所為だろっ。なんで俺たちには何も知らされねぇんだよ。なにも出来ないんだよ。当事者なのに、全て終わった後に知ればいいみたいに周りの大人達は考えてるっ」
「当たり前でしょ。子どもなんだから」
大人はずるいものだ。
もう大人なんだから、なんて言うくせに子どもだからと扱う。
どうせ、今回だって何を言っても子どもだからですまされるのだ。
「なにも、できないのか?」
ぽつりと彼は呟いた。
「……何かをしたいわけ?」
「知りたくないのかよ」
「知りたくない訳じゃない。でも、知ることが出来る訳? 知ってどうなる?」
「それは……その……」
知りたくない訳じゃない。
どうしてこんな事になっているのか、教科書で分からないことを分からないと教えられてきた私達は、それ以上のことを知らないから。
あのエネミーは何だったのか知りたいし、彼等は誰だったのか知りたい。でも、知ってどうなる? 知って、何かが変わる?
トーマが帰ろうとしていた足を止めてどこかを見て居た。
「理不尽だよな、いろいろ」
その「いろいろ」のなかに、どれだけの物が込められているのだろうか。
早朝。いささか緊張した面持ちで、アルカディア対策本部を歩く女性がいた。
本部の建物内は一週間にわたる徹夜が続いているせいか可笑しなテンションの研究者が闊歩し、死屍累々と燃え尽きた屍が転がっている。まさに戦場、といった様相だ。
見覚えのある顔があれば彼女は足を止めただろうが、そんな人に会う事もなく彼女は一瞥もせずに彼等の横を通り過ぎた。
いつもと違い正装で身を正した彼女――ミント・オーバードはアルカディア対策日本支部支部長朱月美の部屋へと向かっていた。
目的地にくると、扉をノックする。そして名前を告げると入るようにと声が聞こえて来る。
部屋に入った途端、ミントは部屋にいた顔ぶれにおもわず身を引き締めた。
支部長朱月、総指揮官館石、研究所所長箙柳、そして如月学園の学園長左近堂。朱月以外いないと思っていただけに、緊張もする。
特に支部長と所長の箙柳はほとんど部屋から出てこないだけに、姿を見るのはまれだ。
朱月に関しては彼女が忙しく世界各国を巡っているため、ほとんど逢った事はない。
箙柳とミントが逢うのはおそらく二度目。アルカディア対策本部に入り浸るようになって数年になるがそれでも一度しか会ったことが無い。
ほかの研究者と同じように徹夜続きなのか眼の下に隈を作って時折船をこいでいる。立ったまま器用な事をしている、と考えながらもミントは一礼をして部屋の中へ入った。
「朱月支部長。ご用件はなんでしょうか? それと――なぜ左近堂陸君が拘束されているのでしょうか?」
エネミー、アンノウン#32、通称黒晶鳥が現れ、町に大きな被害が出てから一週間がたっていた。
未だにエネミーに対しての調査は進んでおらず、ミント達が巻き込まれた現象についても調査中らしい。
そんななかで、ミントが気になること――それは特務クラスのメンバー左近堂陸の所在だった。
彼は現在、アルカディア対策本部に保護されている、らしい。しかし、保護とは言葉だけだろう。
彼は、なぜあのエネミーについての情報を知っていたのか、ミントもまた彼に聞きたい事があるが、アルカディア対策本部内ではかなり問題となっているらしい。
「ええ、その話もする。が、その前に少し君に聞かなければならない事がある」
朱月が目配せをすると、左近堂陸の父、稜峯は箙柳を伴って部屋を出て行った。
扉が閉まったことを確認すると、朱月はミントに向かう。
「……さて、ミント君。私は君と家族の確執については知っているのだが……」
「父の、事ですか」
「まあ、それもあるが……君の家族から、イギリスへの移動願いが出された。君は、どうしたいのかを聞きたい」
「え……?」
ミントにとって、それは初耳だった。
兄が来た時は、父が死んだ以外はまったく聞かずに梓月を探すと言う理由を盾に逃げ出した。その後のエネミー襲撃などでてんやわんやしていたため、あれから兄と会っていないし電話などもしていない。
「父親が死んで、思う所も変わったところもあるのでは?」
「考え、させてください」
その言葉が出たと言う事は、ミントの中で揺れている、ということ。
以前なら絶対に日本にいると言ってきかなかったであろうミントの変化に、朱月はなにも言わない。
それが彼女にとっていい変化なのか、ただの上司である彼女に分かるはずもないし、それなら館石あたりがあとでなにかしら言うだろうとの考えだった。
「稜峯、ごめんなさい。入って」
「もういいんですか?」
外に出て居た左近堂と箙柳が戻ってくる。
「ええ。それよりも、あの事について……桐原教授からの告発で、ここのメインシステムのサーバーが何者かによってハッキングされていたことが分かったわ」
「……え?」
「どうやらシステムに侵入されて外から一部の情報を書きかえられるようにと操作されていたみたいね。……そこで問題になった事が二つ。どうやってハッキングをしたのか。そして、情報の改ざんのほとんどがミント……貴方の関連するものだった事」
瞬間的に思った事は一つ。
なぜ。
そして……納得もする。
「それは、ゲートの出現の予測が遅れたことなどについて、ですか?」
「……えぇ。誰かが故意に予測の情報をシャットダウンした」
「やはり、そうでしたか」
数年前ならいざ知らず、最新の予測システムはかなりの精度を誇る。それが、なぜこうも短期間でゲートの出現を予測できない事件が幾度も起こったのかずっと疑問に思っていた。
その疑問が解け、納得もする。
そして、ミントはあの時のことを思い出していた。
学園に出現したゲート。そこで、襲われた時のことだ。
自分がなにかしら狙われているか注目をされているのかは分かっていたこと。
「それと、ミント以外にも数人――如月学園の特務クラス。彼等に関することでも、同様のハッキングが見られた」
「……え? な、なぜ……私はともかく、どうして学生の彼等がっ」
「分からない。ただ、私達はこれ以上貴方に如月学園での講師をさせるのは危険と判断した」
私達――館石、箙柳、左近堂達が静かに肯定の意を示す。
つまり、ミントの変則的な教師生活は終わりを告げたこととなる。
「もともと短期間の予定だったから、ちょうどよかったかもしれないわね」
アルカディア対策本部、研究棟。
その奥にある教授の研究室に、私は足を踏み入れました。
「やあやあ、ミント君。どうやら、何かあったようだね」
入って顔を見た瞬間、教授が笑みを浮かべながら聞いてきました。
確かに、先ほどまで朱月所長の話を聞いていました。でも、一目見て何かあったなんて分かるものなのでしょうか。
いや、もしかしたら私の顔にそれが出ていたのかもしれませんが。
「いえ。それで、あのエネミーについては分かったのですか?」
「ふむ。分かっていることを聞いて来るとは君も少し意地が悪くなったようだね」
「え? あ、その、そう言うつもりじゃなかったのですがっ」
まさか、そう返されるとは思っていませんでした。
そもそも、いじわるのつもりで聞いた訳ではないのにっ。
慌てて否定していると、どうやら冗談だったらしく教授は笑いながら奥の部屋へと引っ込んでいきました。
それと入れ替わるようにリコリスちゃんがコーヒーの注がれたカップを幾つも持ってきました。
どう見ても多いです。
しかも、いつもは使わないミルクや砂糖まで盆の上に置いています。
「あの、リコちゃん? それは?」
「そろそろ、きます」
「え?」
まるで計ったようなタイミングで扉が叩かれ、リコリスちゃんが答えます。
入ってきたのは見知った顔。斑目さんに万由里さん、ハードナーさん、そしてよくお世話になる溝呂木さんに柏崎さん、名前を忘れてしまいましたが他にも柄創師の方々……どうやら、柄創師の中でもトップクラスの実力者ばかりです。他、空操師である陽香や先輩の立花さん、古暮さんたちまで集まっています。
研究室の中ではかなり広い教授の部屋ですが、それでもこれだけ人が揃うと少々窮屈に感じます。入らない訳ではないのですが、ちょっとぎゅうぎゅうづめ。
いったい、どうしたと言うのでしょう。
「ふむ、集まったようだね……」
これだけの人数が集まって何をするのかと考えて居ると、奥から教授が出てきます。
ですが、何時もの笑みはなく、なぜかつまらなそうでリコリスちゃんに慰められているご様子。これは珍しい。
「君達の事を待っていた! と言いたいところだが、残念ながら今回君たちを呼んだのは私では無いっ」
「いや、俺も逢いたくないからっ。幼女趣味の変態根暗オタクっ!」
「そこ、五月蝿い! そしてカードマニアには言われたくないっ! カードなどと言う紙媒体を集めて何が楽しいのだかっ」
「なんだとっ、この変態っ。リアルで幼女を愛でるとか気持ち悪いんだよっ」
「愛でてなどいないっ!」
「……きょうじゅ、はなしがすすみません」
なぜか柄創師の一人と喧嘩腰になる教授に、リコリスちゃんが冷静につっこみを入れます。どうやら、あの二人は前から子の様な事を繰り返しているようで、リコリスちゃんも扱いには慣れた物です。
「ふむ、そうだね。こんな廃人間際のカードファイターは置いておいて……今回君たちを呼んだのは私では無い――」
「僕だ」
意外と身長の低い教授を見下ろすように後ろに待機していた青年――確か、アルカディアの研究者の方が言葉を繋ぎます。
名前までは覚えていませんが、エネミーの生態やゲームとの関係について研究をしていたはずです。空操師である私にはあまり縁のない人でしたが。
見降ろされているのが気にくわないのかそれ以外の理由なのか、教授は少しムッとしながら彼に場所を譲りました。
「やあ、どうやら僕の事を知らないような輩がいるようだから、一応自己紹介をしておくよ。僕は幸乃瑛士。主にエネミーと「アルカディアの交錯」についての関係を調べている研究者だ、ミント・オーバード君?」
突然名前を呼ばれて、思わずびくりとします。
どうやら、私が幸乃さんの事を知らない事に気づかれてしまった様子です。他にも少しばつの悪そうに顔をそむける人やへーなんていいながら彼を見て居る人もいるには居るのですが。
「斑目君達は覚えて居るかもしれないが、私がエネミーの出現とクエストの関係についての考察を考えるきっかけになった人物だよ。こういう輩は私とキャラがかぶるのでごめんこうむりたいものだ」
以前おっしゃっていたエネミーの出現のパターンと同じ様なクエストが在ると言う話でしょうか。
そういえば、空操師の研究専門の教授がどうしてエネミーやゲームに関係する考察を言い始めたのか、ちょっと気になってはいたのですが、他者からの影響を受けていたようです。
おそらくその影響を与えた人である幸乃さんが大きく残念そうに手を振っていました。
「君と似ているって? 冗談はほどほどにしてくれよ、空人。僕は未だに君の様な変人に遭った事が無い」
「いや、おそらく毎日鏡の中で逢っているだろうよ。ふふっ」
「それは初耳だ。しかし、お前も研究中の顔を鏡で見た方がいい。気色の悪い笑みを浮かべる変態がいる」
「その言葉をそっくりそのまま返そう」
「おふたがた、はなしをすすめてください」
またもや不穏な空気になった研究室で、リコリスちゃんの静かに怒りのこもった声が響きます。
この変な研究者二人組の間に堂々と入っていけるとは、畏敬の念でいっぱいです。周りの人達も唖然。私では決して入って逝けない領域を楽々と入りこんでしまいました。
「そうだったね。まったく、根暗のせいで話しがずれてしまった。そんなふうに睨むな、リコリス。それでだな、僕が君達を集めたのは――イレギュラーについてだ」
「まったく、部屋が広いからって私の所に集めるなんて非常識にもほどがあると私は思うんだがね」
「そこの根暗、五月蝿い」




