学園の非日常
そこは、学生たちの通う学園。
新しいその校舎の中は、現在休み時間なのか賑やかだ。
男子が多いせいか、走り回る者や何とも危険な行動を行っている者が目立つ。
少ない女子たちは集まり、あるクラスでは密かに女子同士の会話に花を咲かせ、またあるクラスでは男子達を尻に敷いていた。
普通の高校に見える。いや、普通の高校に見せかけている。
この生徒たちは皆異端である。
柄創師と空操師の卵たちなのだ。
皆、いずれエネミー達と戦う事が宿命づけられた者たち。
疑似ゲートにおける訓練を行い、すでに実戦に投入できるレベルにまでの実力を持っている。
が、まだまだ覚悟も知識も足りない未熟な学生の身だ。
鐘がなる。
休み時間が終わったことを知らせるソレが鳴り終わるとともに、生徒たちは席に着く。
その数秒後、教師によっては数分後、扉が開けられた。
「予習復習はやってきたかー? 今回はアルカディアの魔物の神について勉強すんぞ」
二年四組の教室には、すでに教師が来ていた。
三十代後半の男性の教諭は、体育の教員よろしく筋肉質であった。
実は、数年前まで柄創師として前線に立っていたからであることを生徒たちは知っていたりするのだが、今はあまり関係ない。
彼が教えているのは『アルカディアの交錯』のゲーム内で語られるその世界の成り立ちと、エネミー達についてだ。
エネミーの脅威に怯えるこの世界では、特に此れから戦う事が決定されている生徒たちには、必要な知識だった。
「いいか、エネミーっつうのはアルカディアの邪神によって作られた――」
始まって数分。教員の言葉を遮るように教室の後ろの扉が開けられた。
入ってきたのは、制服をものの見事に着崩した少女。
そう、白野梓月だった。
何も言わずに一番後ろの席に着く。
それと共に、教室内はざわめいた。
おい、また重役出勤かよ。お偉いさんはやっぱり違うってか?
知ってるか? 昨日の公欠って実戦に――
魔人と戦ったって。
実技の時だけ来るくせに。
そもそも、アノ事件の……。
ミントさんが負傷したって……絶対戦闘狂のせいだよ。
影でささやかれる小さな刃物のような言葉。
彼女は異端な生徒達のクラスでさらに異端だった。
座学の授業をほったらかしにして実技の授業だけはきっちりとくる。
さらに、彼女の攻撃的な『場』から「戦闘狂」なる二つ名をもらっていた。
それだけならまだしも、一つのうわさが彼女の周りで囁かれていたことでクラスの中の異物として扱われていた。
梓月を教壇の上の教師が声をかける。
「白野、まーた遅刻か」
「……」
問うてくる教師になんの反応も無く、淡々と教科書とノートを出していた。
その様子がさらに生徒たちをあおるのだが、本人はまったく気にしていない。
そのまま、静かに席について授業を聞いていた。
教師はそれ以上言う事はない。
そもそも、彼女の家庭事情を知っているために強く言えないこともあった。
授業が再開される。
いつものように、いつもの如く、一日は過ぎようとしていた。
柄創師と空操師の育成校、如月学園。
幼児の部から大学院まであるその学園は中等部と高等部だけ異様に人数が多い。
幼児期から如月学園に入学する者など、ほぼ居ない。
空操師としての異能に幼児期から目覚めた者や、国の重鎮やエネミー討伐の中心者たちの子どもなど、少々他とは違う子どもが多い。
小等部になると少々増えるがそれほどでは無く。中等部になると高等部の半数以上が入学し、高等部でピークとなる。
その後、大学や大学院に進むのは大抵空操師数名である。
このような学園は全国二校。昔は三校だったのだが、ある事件により閉鎖となっている。
その高等部、昼休みのなかで様々な会話がなされる。
「なぁ、しってるか? あいつ、特務に行くらしいぜ?」
「特務って……あいつ、空操師だろ?」
「そうだよ。柄創師しか特務に行けねぇはずなのによ。噂じゃ、あまりに危険なんで隔離したとか」
「うわっ、でも良かったかも。オレ、あいつの『場』なんかに支援されたくないし」
「まったくだ」
所々でかわされる話題。現在の旬な話は主に梓月の事だった。
それも仕方の無いことかもしれない。
『特務』と呼ばれるクラスは柄創師のみのクラスで、実戦を可能とする学生のみがいるいわば首席やエリートクラス。そこに、空操師がなど聞いたことが無い。
いまだに梓月にはその連絡がいってないというのに、すでに学園中に広まっていた。
「おい、くるぞ。うわさの戦闘狂が」
廊下を見れば、噂の少女。
梓月は好奇の視線にさらされながら、職員室へと向かっていた。
先ほど、教師に呼び出されたからだ。
当の本人は噂の事など露知らず、また怒られるのかと内心ため息をついていた。
座学において、彼女の成績は最悪なのだ。
梓月は元々閉鎖になった一貫校の出である。小学生からの。
といっても、当時の実技は中の下。座学は上から数えたほうが早かった。
現在はそれが逆転している。
遅刻ばかりで座学をおろそかにしているからだ。テストの日にまで遅刻や欠席をするのだから、始末におえない。
それもでも、以前よりはましになった方だ。
とにもかくにも、彼女は自分が特務に移動することになるとは思いもせず、職員室へと重い足を運んでいた。
その頃、ミントは職員室の隣部屋で待機していた。
手には梓月個人の詳細が載せられた書類。
それを見ながらため息をつく。
「あの、なんでここまで酷い成績なのでしょうか?」
隣には、二年四組の担任。つまり、梓月の担任の教諭である。
五十代後半の優しそうな女性。
彼女もまたため息をつく。
「やればできるこのはずなんですがね……やはり、あのことが原因なのでしょう。クラスでも孤立して……」
言いにくそうに口ごもる女性教師は特務の生徒の書類を見せる。
「特務にも、彼女と同じあの学園の関係者も居るのですが、彼と一緒のクラスにするのは、少々不安です」
「……なるほど」
一クラス三十人に満たない少人数のクラス構成が基本の如月学園で、特務クラスはさらに少人数。高等部の学年ごとに片手で数えられるほどしかいない事が普通である。
四人しかいない高等部二年の生徒。
彼等は柄創師。新参となる空操師の少女を彼等は受け入れられるだろうか?
特に、特務でもかなり珍しい少年……彼は、あの事件の被害者だ。
事件、とはなんなのか。
それは、それは数年前の悲劇だ。
三校あったはずの一貫校。現在は閉鎖されたその学園が事件の舞台となる。
その一貫校はある研究所と同じ建物にあった。
当時は今ほどエネミーと柄創師、空操師についての研究が進んでおらず、柄創師と空操師の卵たちの様子を研究していたからである。
もっとも、その研究所でその時に主に研究されていたのはゲートについてだった。
今では疑似ゲートを創りだすことが平然と出来るようになったが、当時は無論出来なかった。
そのため、この研究所はゲートの発生する理論と疑似ゲートを創りだす装置の研究をしていた。
が、実験の失敗により研究所は大破。それに誘発されたの如く、一貫校と研究所の中心でゲートが生まれ、ドラゴン種が出現。
多くの死者が出た。
それは、研究所の所長の無理な実験の強行とその他もろもろのせいであると言われている。
梓月はその時の生き残った生徒の一人である。そしてまた、特務の生徒の一人も。
学園では、白野梓月は生き残るために他の生徒を見捨てたとか、様々な噂が立てられていた。
ふと、足音が聞こえて来る。
どうやら、本人がようやく来たようだ。
ミントは立ちあがり、扉を開くと、ちょうど職員室に梓月が入るところだった。
「どうも、白野さん」
「……」
こくりと頭を下げる梓月は、どうしてここにこの人がいるのかと内心考えていた。
さらに、その後ろから自分の担任が来るのを見ると、口早に発言する。
「早退します」
「えっ、ちょ、白野さんっ?!」
聞く耳持たず。
ミントの停止の声も聞かず、面倒だと判断した梓月はさっさと元来た道を戻る。
はっきり言って、面倒事が嫌いなのだ、彼女は。
ただ、遅刻やさぼりはさらに面倒事を呼び込むとわかっていながらもやってしまうのはいかがなものか。
現在は戦闘に関してのことしか興味を持てないため、自然とそれ以外は本気を出す事が無くなってしまっていた。
梓月は足早に職員室の前から消える。
それを見送ったミントは、出せなかった手を悔やむ。
どうして止めなかったのだろうか。
理由はわかっている。
梓月はミントの昔の姿とよく似ていたからだ。
同じく止められなかった担任は、苦笑いをする。
「いつも、面倒なことが起こるとすぐに逃げてしまうんですよ」
「困った性格ですね……」
「それでも、以前よりもましになった方ですよ」
「以前……登校拒否をしていたという?」
「はい」
基本、学年が上がるごとにクラスや教師が変わる如月学園だが、転校してきた梓月があまりにも不安定だったため、中等部から同じ教師、つまりミントの目の前の女性教師が担任をしていた。
「如月学園に転校してきた際は、見るものすべてに怯えて話にならず。さらに『場』を創りだす事も出来なくなり非常に不安定でした。
事件のトラウマ。サバイバーズギルトとまではいかないにせよ、自分が生き残ったことに対する言葉にできない思いがあったのでしょうね。
中等部になり、登校拒否が始まり、三年間カウンセリングに通っていました。
ようやく登校できるようになったときには今の状態で……」
「そうでしたか」
ミントは今一度梓月の消えた廊下を眺めていた。
誰も居なくなった廊下に、昼休みの喧騒が遠く響いていた。
梓月は早退すると言いながら、未だ学園内に居た。
と言っても、学園内でも特殊な棟。ゲートの近くでしか『場』を作れない空操師の為の場所だ。
疑似ゲート研究棟。
そこに生徒章のカードを使って入る。と、入口に使用許可を求めるためのカウンターがあった。
そこには六十代ほどの老人がいた。
「おっちゃん、いつもの」
「おう、なんだ、梓月の嬢ちゃんか。まだ授業中じゃなかったのかい?」
「さぼり」
「なるほどねぇ。学生は勉強するのが本分だよ?」
疑似ゲート施設を使う手続きを老人は行う。
苦笑しながらも梓月を見守る姿は祖父が孫を見るようだ。
彼にとってこの学園の生徒は誰も彼も孫のような年齢であるから。そして、彼の孫はエネミーと戦って散ったうちの一人であったからでもあるのだろう。
「そういえば、この後特務の――」
手続きが終わったと見るや、梓月はさっさと目的地まで歩いて行ってしまう。
話は完全に無視されたようだ。
それに苦笑しながら、老人はまた仕事へと戻った。
幾つもの扉が並ぶ廊下。
そこを歩く梓月に迷いはない。通いなれた道だからだ。
何時も使う部屋へ。
先ほど、昼休みの終わりの鐘が鳴り、今は授業中。実技の授業もないようで、誰も居ない。
梓月は無人の廊下を歩いて目的地に着くと平然と中へ入って行った。
中は教室ほどの大きさの真っ白な部屋。
使用する手続きをしておいたため、すでに疑似ゲートが生まれている。
本来、この教室ほどの大きさでは小さすぎる。
先日、ミントの『場』が半径百メートル以上ひろがっていたことからわかるように、教室の大きさでは小さすぎるのだ。
しかし、所詮は学生。本場で戦うミントと比べるのは酷というもの。
ほとんどの学生はこの教室ほどの大きさに納まる『場』を創っている。
梓月に関しては、実戦でも使えるよな大規模な『場』を創れるのだが、これくらいの大きさが一番落ちつくし、そもそも『場』を創る練習のために此処に来た訳では無いのでこの部屋にいた。
壁は隣の部屋で『場』を創っている人がいることも考えられ、干渉が出来ない特殊な素材で出来ている。
複数人の空操師が集まって『場』を創れないというのに、この施設に多くの部屋があり、その部屋で『場』を創ることが出来るのはそのためだ。
一人、暗い『場』の中で座りこむ。
何をする訳でもない。
今日は、昨日の事を思い出していた。
初めての戦闘。初めて会った空操師。そして、魔人。
「まじん……」
あの時、魔人を見てこんなものかと思ってしまった。
それなら、五年ほど前にみたあの……ドラゴンの恐ろしさに比べたら、なんでもなかった。
あの時の恐怖に比べたら、どうにでもなった。
思考の海に入りこみ、一切動かずに『場』の中で座り込んでいる。その姿は、見ている者に不安を誘った。
ただでさえ梓月の心情を映して暗い『場』。
その中で動かない少女。
そんな光景を見たら、誰でも心配するだろう。
しかも、あたりに教師も居ない。
「おいっ、なにやってんだ?!」
「……は?」
梓月が顔を上げた時、目の前には少年が顔を覗き込んで来るところだった。
茶髪に、それと同色、いや少々明るい色の瞳。大人と子どもの狭間の中間的な容姿の少年は、いきなり顔を上げた梓月に反応できない。
あまりにも動かない彼女の事を心配したゆえの行動。
それに梓月は考え込んでいたことで気づくのに遅れ、なんともぎりぎりの所で止まる。
目と鼻の先の異性の顔。もう、ほとんど触れていると言っても過言ではない。
少年は慌てて後ろに下がり、梓月は無言。
何とも気まずい雰囲気を壊すのは梓月だった。
「……勝手に入ってこないで」
「す、すま、ん。その……なんかあったんじゃないかって、心配になって……」
どうも、無駄に緊張しているのか、どもりっぱなしの少年を、後ろから思いっきり小突く少女が一人。
「なーにやってんのよっ、トーマ!」
「うわっ、やめろ、コユリっ」
問答無用。
一刀両断、ではないがかなりの速さで片手チョップ。さらに右足の膝で腹を、流れるような動きでさらに顔面アッパー。
思わず拍手をしてしまいそうなほどである。
さらに、彼を突き飛ばして梓月の手を取った。
「大丈夫だった? この馬鹿に襲われなかったっ?!」
別段驚いていない梓月に少女はまくしたてるように言い募る。
「……」
「むしろ、俺を心配しろ……」
ぴくぴくと身体を震わせ、地に伏せる少年、矢野冬真は呟いた。
「で、この状況、なに?」
さらに、少女の後を追って、少年が二人現れる。
なんとも酷いその状況に、梓月は大きなため息をついていた。
一人になろうと此処に来たのに、これでは意味が無い。
そもそも、彼等はなんで此処に居る。今日は実習をするクラスは無かったはずだ。
そんな疑問を応えるのかの如く、後から来た少年の一人、メガネの男子が梓月を見て驚いたように言った。
「君、もしかして……白野さん? こんど、特務に来る」
「は?」
なんだそれは。聞いていないぞ。
そんな心情の梓月は、顔を伏せて表情を見せない様にしていた。
同時に、先ほどの呼び出しは遅刻に対するお叱りでは無く、そのことだったのかとなんとなく理解する。
メガネの男子は沈黙を肯定と受け取ったのか、ニコリと笑う。
それに対して、他の面々はなんとも様々な反応をした。
冬真は驚き、そしてさっと顔をそむける。それを心配そうに見守る少女、そして、もう一人の少年は興味津々と言った様子で梓月を見ていた。
それに気づかないのは顔を伏せた当人。
「あっ、僕は左近堂陸っていいます。さっきの失礼男が矢野冬真。それで、こっちの暴力女が芳野湖由利。でもって、こっちの影薄男が……クロム・グリセルダ。みんな、特務クラスなんだ。えっと……授業中なのに、なんでここに居るか聞いてもいい?」
「面倒だから早退して来ただけ。今から帰る」
『場』を跡形もなく消しながら、梓月は内心怒っていた。
わざわざ面倒な学校に来て、早退して一人になろうと思った矢先にこれだ。
遅刻して早退してさぼっているような彼女の言うことではないが。
「ねぇ、昨日実戦に行ったんでしょ? ミントさんと一緒に!!」
湖由利がいつの間にか復活して、梓月の制服の端を掴む。
入口を塞ぐように立つ彼女に、梓月は見覚えがあった。
「……芳野。昨日の人の姉妹か何か?」
「……」
微妙な間。
「うおっ、そのとおりっ。よくわかったねー。芳野湖由利。コユリってよんで」
それを感じさせない笑顔が咲く。
天真爛漫を絵にかいたような少女だった。
「ちぃちゃんって呼んであげてやると喜ぶぞ」
「ちょっと! クロムっ、殴るよ!!」
殴ると言いながら、蹴りをかましてクロムへ向かう湖由利。その横を梓月は無言で通り過ぎた。
梓月の前を塞いでいたというのに、クロムの元へ行ってしまった湖由利に彼女を止めることはできない。
あれよこれよと言う間に出口にまで行った梓月は一言だけ言った。
「関係ない」
何に対しての『関係ない』だったのか。
それを知るのは、言紡ぐ本人のみだ。