死にぞこないの抵抗者
それは、偶然の出来事だった。
たまたま、彼女は彼と見知った相手であり、彼にとって一番大切な少女と近しい者だった。
そして、最期の瞬間に言葉を伝えることの出来た唯一の相手だった。
偶然、いや世界に偶然と言うモノがないと言うのなら、必然。
これから起こる事は、全て必然。そう、運命だったのかもしれない。
しかし、運命なんて言葉の一言で終わってしまうことが酷く悔しい。そのような一言で終わってしまう事が口惜しい。
ミント・オーバードにとって、目の前で死を見ることは初めてでは無かった。
彼女は戦場に立つ者である。
故に、そこで散った命を知っている。消えて行く炎を見た事がある。
だが、その夜の出来事は、生涯忘れ得ぬモノとなった。
殺されたのだ。
人が、人によって。
戦場の理不尽な死では無く、人の手による理不尽な死。
明確な殺害理由はミントには分からない。分からないが、心当たりはあった。
そして、残された言葉の意味を知るために、動きはじめる。
アルカディア対策本部。そこでは現在、戦場となっていた。
エネミーが現れたわけではない。ゲートはそもそも出現していない。
しかし、その原因は空操師の『場』。
普段、ゲートが出現しなければ創れないはずの『場』が、原因だった。
『場』は通常、空操師の意志によって創られる。それが、無意識のうちに創られ、しかも暴走状態にも似た状況になる。
そんな事件が多発していた。
本部にはいつでもゲートが出現してもいいように空操師と柄創師が備えている。つまり、空操師が一つの場所に何人もいたのだ。
それがあだとなり、『場』と『場』が反発をし、消滅やさらなる暴走、異常事態を起こしていた。
当初、疑似ゲート発生装置の暴走かと思われていたが、町中でも同じことが確認された。空操師の能力を自覚していなかった人の『場』の暴走まで確認されている。
現在は一人一人を『場』を隔絶する事が可能な部屋に待機をしていた。
しかし、そんな中でも彼女はその部屋にいた。
あまり片付けられていない机。そして、周りには資料が積み上げられ、唯一ソファとその前のテーブルだけが綺麗に片づけられている。
そのソファに座るのは金髪の女性、ミントだ。
さらに、その隣には風間陽香までいる。
「……一夜のうちに、大変なことになっていたのですね」
「そうだね。まさかまさかの展開だよ、ミント君」
そう言いながら、部屋のあるじ、桐原空人は奥から歩いて来た。
その手には大量の書類。その後ろについて来る少女、リコリスもまた、なにやら持っている。
「それで、ミント君のほうはどうだったのかね?」
少し開いているスペースにそれを置くと、彼はミントのほうへと視線を向ける。
その顔の
「……理郷さんの話、ですか」
「彼は、どうして死んだのだろうね」
「それは……」
殺された。その理由を彼は問う。
それに対して、ミントは声を詰まらせた。
そんなこと、ミントに分かるはずが無い。
彼女は理郷戸朱と言う人を最近知ったばかりなのだ。白野梓月の保護者のような存在。ただ、それが故に出逢った関係なのだ。
彼について知っていることと言ったら、ほんの少しの事なのだ。
だが。
「あの……理郷さんの研究室に、入れますか?」
「ミント?」
不思議そうに陽香は聞く。
なぜ、彼の研究室なのかと。
「私はどの研究室にも勝手に入っている。別に、いいのではないのかな?」
「桐原教授っ?! それは」
「……すこし、用事を思い出しました」
そういってミントは席を立った。
その後を慌てて陽香は追う。
通常、研究室に入ることは叶わない。
しかし、ミントは勝手に入ろうとしている。その事に、陽香は困惑していた。
「まて、ミント! いったいどうした。どういうことだ」
「……知りたい事があるの」
理郷戸朱の研究室をミントは知っている。
以前、彼の部屋にお邪魔したことがあるからだ。
少々迷いながらも彼女は空人の研究室から少し離れた場所にある彼の研究室へ向かう。
その扉は、重く彼女等の前に立ちふさがった。
理郷戸朱が先日まで使っていた研究室。もう彼はいない。
よく考えなくても、鍵が閉まっているのではないかと思うところだが、ここは二人部屋だ。
世界的権威である桐原教授とは違う。
それが故に、
「すみません、誰かいらっしゃいますか?」
ミントがノックをすると、扉に手を伸ばす。
が、その前にその扉は開けられた。
「あー、なに、客人サマ?」
顔を出したのはメガネをかけた女性だった。
少し不機嫌そうにミントとその後ろの陽香を見る。
まるで、見定めでもしているかのようだ。
「へー、だれ?」
「すみません。理郷さんの知り合――」
「なんだ、理郷の知り合いか。どうぞ。入れば?」
「……?」
ミントは首をかしげる。
ミントは少々有名である。その彼女ではなく、理郷戸朱の知り合いときいて彼女は合点したように頷いて道を開けた。それだけで。
「で、そっちは?」
「私の友人です」
「あ、そう」
それ以上、彼女が聞く事は無い。
研究室は以前来た通りだった。
「あの、貴方は?」
「七氏リカ。別に名前は覚えなくていいよ。あいつと一緒に研究していたたぶんおそらく仲間メイビー」
「……」
ぶっきらぼうに彼女は言う。
そして、なぜか荷物を片づけていた。
ちょっとした大きめのカバンに、幾つも書類や本を放り込んでいく。
「どこか行くのですか?」
「あぁ、ちょっと外国に」
「……」
なぜ?
なぜ、こんな時に?
ミントが疑問を問おうとした時、彼女はバッグを閉めた。
「さてと、じゃあ理郷戸朱の家に行こうか」
「――はい?」
さっさとバッグを持った彼女は、ミントを睨みつけるように見る。
「行くでしょ?」
「なぜ」
「そこにしか、本棚は無いから」
ミントの顔色が変わる。
当たり前だ。
なぜ、彼女がその言葉を知っている。なぜ、ミントが本棚を探していることを知っている。
驚いた顔のミントを見て、リカはさらに笑みを深めた。
「おいでよ」
出された手は、あまりにも疑わしい。だとしても彼女は、ミントは――その手を取った。
「ちょっと、ミントっ?!」
それを、陽香は止めようとして、小さな小さな手に止められた。
七氏リカとはまったくちがう、小さな手で。
「っ?」
後ろにいるのは、いつの間にか追いついて来たらしい少女だ。
まるで日本人形の様な少女――リコリス。
彼女が、まったく表情のない顔で言う。
「貴方に、これ以上進む覚悟はある?」
思わず、陽香は怯む。
彼女はまだ幼い。幼いと言うのに、この迫力は何なのだろうか。
そもそも桐原空人の隣にいた時と、雰囲気が違う。
それに対して陽香は不気味さを覚える。
彼女は一体全体何者なのか。
小学生ほどの外見をしていながら、得体がしれない。
「いったい……」
「きょうじゅがよんでる」
ふと、いつもの様子に戻る。
いつもといっても、あまり変わりがないが、得体のしれない圧力は消えていた。
さっさと彼女は行ってしまう。
それに呆気に取られながら、風間陽香は桐原空人の元へと向かうのであった。
「……せいぜい、私の為に舞ってね。ミント・オーバード」
小さな少女の小さな呟きは、誰にも聞こえなかった。
「あの、いったい、あなたは?」
ミントは困惑していた。
七氏リカに言われるがままに車に乗せられ今に至るが、彼女は一体何者なのか。何を知っているのか。
まったく分からない。
その言動も、行動も、ミントにとって理解不能だった。
「くくくっ。ただの研究者さ」
教授と言い彼女と言い、どうして研究者の人は不思議な笑いをするのか、そんな少々外れた思いを抱く。
リカは何やら口元に手を当て、考え始める。
「そうさね。一つ君に質問をしようか、守護神ミント・オーバード」
「……はい?」
「ミント・オーバード。君はこの世界の秘密を知りたいか?」
そう言って、リカはミントを見た。
「秘密……ですか?」
「そう。この世界の。ゲートやらアルカディアやら、意味の分からないゲームの世界に翻弄されるこの世界の秘密を」いつの間にか車が止まり、どこかの駐車場に止められている。
どうやら、目的地に着いたようだ。
周りは普通の住宅街だ。車を置いた駐車場も、どうやらどこかのアパートの駐車場で在る。
「あたしは知りたい。何も分からず翻弄されるのはもうまっぴらごめんさ」
「……」
彼女は、『もう』と言った。それは……以前、何も分からずに翻弄されていた、ということ。そして……彼女もまた、疑問の答えを知らない。
それでも、リカは笑っていた。まるで、目の前の敵を嘲笑うように。
「でも、あんたは違う。あんたは、はっきり言って、なにも関係が無い。ネェ、それでもこちら側に来る?」
彼女はさっさと車から降りて、早く来いとでも言うように手招きをした。
わざと明るく、軽く問いかけて来るリカに、ミントは――少し頼りない顔をした。
「いままで、ずいぶんと意味深に話しをしていたにもかかわらず、今さらな問いですね」
「そうさな……くくくっ」
「私はただ……目の前にいる人達が、傷つくのは見たくないのです」
伏せられた目には、普段見られない表情を写している。
ミントが梓月や冬真達には決して見せない、弱さ。それが、表に出て居た。
「目の前限定か」
「私の手が届く範囲は、とても狭い」
世界中の人を助けたいなんて、出来ない。当たり前だ。人間はそこまで万能ではない。
もしもそれでも世界中の人を助けたいなんて言うのならば、圧倒的な力を持って世界を征服するようなことでもしなければ実現は不可能だ。いや、そんな事をしても無理だ。
だから、ミントはただ、目の前の人を助けたい。それだけだった。
それゆえに、己を偽善者と称す。
目の前にいる人よりも、さらに悲惨な目にあっている人達がいるにもかかわらず、目の前にいる人のみを助ける。それは、偽善だと考えていた。しかし、それと同時に世界中を助けることなんて、誰も出来ないと言う考えもある。矛盾。
矛盾だらけの思考。
しかし、それはしょうがないのかもしれない。人は、矛盾を持つ生き物なのだから。
「くくっ、よく解ってんじゃないか。それで?」
「目の前で誰かが死ぬなんて、見たくないんです」
「残念ながら、昨日見てしまったがな」
「……その彼が、言っていました」
ミントのその言葉に、リカは目を伏せる。
理郷戸朱は最期にミント・オーバードにいくつかの言葉を発していた。
それは、かすれかすれだったとしても、確かにミントに届いていた。
「守ってくれと。……白野さんが、危険だと」
「……へぇ」
「私は。自分が守れる範囲なら、守りたい。だから、その為に……」
「知りたいと? 馬鹿だねぇ。あたしだったら絶対にあんたのような選択はしない」
大きめのカバンを車から出した彼女は、アパートの一室に向かう。
そして、ポケットから鍵を出すと、慣れた様子で開けた。
「どうぞ。まあ、部屋のあるじは死んじゃったけど」
その表札には、理郷と書かれている。
アパートの一室は、意外と広かった。
いや、あまり家具を置いていないからかもしれない。
仕事道具らしい精密器具や、趣味のガラクタ、そして大きな本棚。それが綺麗に部屋に整理されている。
男性の一人暮らしをしている部屋とは思えない整理整頓された部屋だ。
「あの、なんで鍵を……?」
「そりゃ、この前型とって合鍵作ったから」
さらりと自分の犯罪を晒す。いや、もしかしたら理郷さんに了解をとっているかもしれないが、だとしても。
「ったく、あたしんちよりもきれいとか、マジなんだし」
そう言いながら、リカは勝手に上がり込むと、躊躇う様子もなく本棚を引き摺る。
「あのっ、ちょっと、何してるんですか?!」
玄関で躊躇っていたミントは、その凶行をみて慌てて止めようと声を上げる。
しかし、そのようなことで行動を止めるリカではない。
「なにって、本棚の裏を探すのさ」
「え、いや、そうですけど」
「ほんと、優等生だね。……って、なにもないじゃん」
本棚の裏を確かめた彼女は、ぶつぶつと文句を言う。
かなり大きめの本棚だが、そのうしろには壁。本棚の後ろにも何も無い。
しかし、ならば理郷戸朱が最後に言っていた事はなんだったのか。誰かが先に手に入れてしまったのか。
腕を組みながら、リカは部屋を物色し始める。
「あのっ、リカさんっ。貴方は……一体何者なんですか?」
「……はあ? 言わなかったっけ? あたしは……ただの研究者の振りをしたアルカディアの住人」
「えっ……ほんとですか?」
突然の事に、目を白黒させるミントに、リカは噴き出して笑う。
「うそに決まってんじゃん。……強いて言うなら、『対抗組織』の一人。ってところか」
「なにに……対抗しているのですか?」
「この世界を襲う、不可思議な現象の大本に」
この世界の異変には、誰かしら、何かしらが関わっている。そう、彼女は暗に告げていた。
ミントもうすうす気づいていたことである。
あのキュウビの事件の時にエネミーによってもたらされた情報からも、誰かがこの異変を起こしている事は分かっていた。
ミントは何時までも玄関に居ることが出来ず、中に入りながら、部屋を見た。
……この部屋の主はもう帰ってこないと言うのに、おそらく後で読もうと思ったのであろう本がテーブルの上に置かれ、買って来たというのに使わなかった文房具類が袋に入ったまま椅子に置かれていた。
「理郷さんは……異変に関わっていたのですか」
「いや。むしろ私達側の人間だった。だから殺されたのさ。あいつらがどうして今まで放置していたのかは知らないけど」
リカはそういいながら、部屋の物色を止めない。
そして、本棚を見て、首を傾げた。
「あいつ、子どもみたいな趣味あったんだな」
そう言って一冊の本を出す。
それは、通常のハードカバーのようなほんとはまったく違った。
薄く、かなり大きい。
「絵本……」
ミントはそれを見て、呟く。
そう、かなり大きめの絵本だ。専門書やなにかしらの小説の置いてある本棚の中で、少々目立っている。
丁度、リカが取りだしたのは外国の童話の絵本だ。そこには布団を持った少女と老婆の絵が描かれている。
「ホレのおばさんね……異世界トリップの決定版みたいなもんだね」
くすくす笑いながら、それを戻す。
それを見て居たミントは、ふと思い出す。
「……そういえば……理郷さん……絵本を持っていました」
「絵本?」
「たしか、狐の書かれた昔話の絵本を」
「……ふーん」
なぜ、死の間際にそのような物を持っていたのか、ミントは知らない。しかし、持っていたと言う事はなにかしらの意味があったのではないだろうか。
即座に動いたのはリカだった。
おもむろに、乱暴に、絵本を全て棚から取り除く。
しかし、その奥にも何も無い。そうと分かると、次は本を開いては確かめる。
「七氏、さん?」
「ようやくビンゴ。どう見ても本棚の後ろじゃないんだけど、そのへんはどうなのかしら?」
そう言って、リカは絵本に挟まれてテープで固定されていた薄いチップ型の大量記憶媒体をとりだした。
リカの行動は早かった。
持ってきていたカバンから、ノートパソコンをとりだし起動。その記憶媒体を接続するとともにコピーをしてパソコンにデータを移すと、さらにそこからメモリースティックを接続してそこにデータを移す。
移す際に時間がかかったが、ものの数分で終わってしまった。
そして、パソコンとメモリースティックを片付けると、何事もなかったかのように部屋を片付ける。意外と律儀だ。
「あの……」
「目的のブツは手に入ったし、さっさと撤収するよ」
「ちょ、待って下さい! 私にはなにも意味がわから――」
「はい」
ミントの問いを遮って、リカは小さなチップをつきつける。
先ほどの記憶媒体だ。
「あんたにこれを渡す。気を付けなよ。あいつらはどこにいるのか分からない。あんたがこれを持ってるって分かったら、どうなるのか分からない。そんでもって、下手なばしょで開いたらバレるからね」
「これ……」
「データはコピーしたからあげる。知りたい事があるのなら、これを調べればいい。そしたら、理郷戸朱が殺された理由もわかるかもね」
それをミントは……躊躇いがちに受け取った。
にんまりとリカは嗤う。
「あとでうちのメアド送っとくわ。くくくっ。何かあったら連絡しな。あたしらが少しはサポートしてあげる」
そう言うと、彼女は部屋を出ていく。
追って、ミントもその後に続いた。
不満そうな顔だが、何かを言う訳でもなく。
そこに、男の声が聞こえてきた。
「ミス、スズムラっ」
スーツ姿の男だ。どうも、外国人らしい外見である。
その彼は、苛立ちを隠す事もなく七氏リカの元へと足早に近づいて来る。
それに対して、素早く行動に移したのはミントだ。
リカの前に出ると、庇うように立ちふさがる。
ミントは空操師ではあるが、ちょっとした戦闘訓練なら受けている。対して、研究者であるリカにそのような技能が在る筈がなない。
リカの事をなぜスズムラと呼んだのか、訳が分からないが、とっさにミントはリカを庇っていた。
が、それは杞憂である。
「おうおう。ようやく来たか、ジョン」
くすくすと笑って、リカは彼を迎える。どうやら、既知の間柄らしい。
「ようやくじゃない! 唯でさえ危険だと言うのに、一人でっ」
「ふん。どうやら目が悪くなったらしいな一人じゃない。彼女と一緒だ」
「レディ同士で何が出来る、スズムラ」
「その凝り固まった男尊女卑の思想をどうにかしろよ。そんでもって、今は七氏リカだ。大声でその名を呼ぶんじゃねぇよ」
ぽかんと二人を見守るミントの前で、彼らは口々にののしり合い始める。
スズムラ。その名字にミントは聞き覚えがあった。二人の様子を見ながらも、考える。
スズムラ……スズムラ……どこかで聞いたことのある名前だが、思い出せない。
たしかに有名だったのだが、どうしたのだろう。そう、首をかしげる。
「んじゃ、ミントさんよ。あたしらはこれで失礼するわ」
「えっ?」
「ロサンゼルス便の出発まで、三時間を切った。さっさと行くぞ」
「はいはい、りょうかいりょうかーい」
たしかに彼女はアメリカに渡ると言っていた。しかし、それが今だとはまったくの初耳である。
どうも、彼女を迎えに来たらしいジョンと呼ばれた青年は、ミントをちらりと見る。
「……せいぜい気を付けな」
「は、はい……」
ミントが答えるのも聞かず、彼はさっさと先に行ってしまう。
それにつづくリカは、一度だけ振り返って――
「そうそう。梓月ちゃんにスズムラホナミがよろしく言ってたって言っといて」
そう、お気楽そうに言った。




