雨は降らない虹の向こう 序
真っ暗な場所は……実はあまり好きではない。
少し薄暗いくらいがたぶん一番いいと思う。
暗すぎると、落ち着くけど時々怖くなる。
それを言ったら、とあ兄は暗い場所は自分も好きじゃないと言っていた。
「……」
なんでこんな場所でその言葉を思い出すのだろう。
ふと、苦笑してしまう。
疑似ゲート発生施設の借りた部屋。最近は学園での騒動とかでまったく来られなかったそこに私はいた。
腕やらなにやらに大げさだと思うほど包帯を巻かれている。
幻獣の異常な連続出現から三日。日本中で何やらニュースになっている。
どうやら、静岡や北海道のほうで柄創師が数人亡くなったらしい。一般の負傷者も多数。最近ではかなりの大きな戦いだった。
私達は……とても幸運だったのだ。
たまたま、オウリュウに誰ひとり欠けることなく立ち向かっていった。
それについてもニュースで取り上げられていた気がするけど、もう過ぎたことだ。
それよりも――雨が……あれ以来、雨音が聴こえる……気がする。
今日は誰も居ない。一人で部屋にいた。最近、誰かがいることが普通になってしまった気がするが。
部屋の中に入ると、座り込んで目を閉じる。
そういえば、トーマ達と初めて会った日もこんな事をしていた気がする。
それが最近の事なのにどこか遠く感じることを不機嫌に思いながら『場』を創りだす。
強さだけを求めて――。
目を開ける。
何も変わらない世界が広がっていた。
目の前の世界は、何時もの日常からまったく変わらない。
「……あ、れ?」
なにも、変わっていない。
私はただの白野梓月なだけ。
――『場』が、創れない。
本当に?
思わず、もう一度。
何度やったって同じ事だとしても、また……『場』を創ろうとして、何もおきない。
なにも、変わらない。
疑似ゲートが創られていないのかと確認するが、しっかりと創られている。
くらりと目眩がする。世界が揺れている。
なんだ、自分は意外とショックみたいだ。
他人事のように自分を分析している。
ショックだけれど、だからと言ってそれ以上は無い。
もしかしたら、考えたくないだけなのかもしれない。
でも、もうそれでいい。考えたくない。……何もかも。
その後は、いつものように……いや、『場』を作って無かったから何時も通りではなかったけど、ほとんどいつものように部屋でぼんやりと過ごした。
人が通っても防音だから聞こえないし、見られた所で何とも思わないから外に気を配ってない。だから誰が来たとかはわからない。
そんなこと、どうでもよかったけど。
いつの間にか早くなっていた日暮れが眩しかった。
西日がもろに顔に当たるのだ。
そんな中で、ずっと考えていた。――なぜ『場』が創れなかったのか。
『場』は、空操師の心を映す。
なら『場』が創れないときは?
そもそも、『場』とはなぜ創られる?
そんなことを私が考えた所でなにもわからない。でも、もしかしたらあの人なら……。普段会いたくない人ではあるが。
それに、自分が『場』を創れなくなったなんて知られたくないから絶対に聞かないけど。
「……私は」
どうすればいいのだろう。
立ち止まり、空を見上げた。
いつでも変わらない空は真っ赤に染まっている。
強くならないと。
でも、どうして?
強くなれば、一人でも大丈夫。
でも、今は一人?
『俺たちの空操師だ』
目眩がした。
雨は降っていないはずなのに、雨音が聞こえる。
気持ち悪い。
目の前に、誰かがいる。
それは――誰?
『あの虹の向こうに――』
「――白野さんっ!」
遠くに行きかけた意識が戻ってくる。
呼んでいるのはミントだ。
見れば、息を切らせて走って来るところだった。
珍しいこともあるものだ。何事なのか、さすがに気になる。
走ってきたミントは膝に手をつき荒い呼吸を繰り返して、少し落ち着くと口早に言った。
「理郷さんが、病院に運ばれたと先ほど、連絡がっ!!」
その後の事はよく覚えて居ない。
昔は雨が好きだった。
その日だけは特別で、とても待ち遠しいものだった。
晴れの日も雪の日も曇りの日も好きだったけど、やっぱり一番好きなのは雨の日だった。
その日だけは――。
病院の廊下。待っている人の為に置かれた椅子にミントが座り込んでいた。
なぜ彼女がいるのかよく解らない。理郷戸朱とよく知っている知人と言う訳ではないのに。
私は壁に寄り掛かって、携帯をいじる。何かをしていないと落ち着かないのだ。
どうすればいいのかわからないから、何も考えないように他の事をする。現実逃避。
そうでもしていないと、自分が保てない気がして。
理郷戸朱が、病院に運ばれた。
その知らせがミントの元に来たのは、私と会う少し前らしい。
アルカディア本部からの帰り道、怪我をしたらしい。
なぜなのか、理由は聞いていない。
交通事故なのか、それとも事件に巻き込まれたのか……気になるが、ミントすら聞いていないとかでまだわからない。
「……白野さん」
「……」
携帯から顔を上げると、看護師とミントが話をしていた。
二言三言、話終わると看護師は足早に去って行った。
「理郷さんは集中治療室から一般に移ったそうです」
ミントが話し始める。
「……まだ、面会謝絶だそうですが」
言葉と言うよりも、全てが音の羅列の様に思えて来る。
「なんで」
どうしてなのだろう。その思いだけで頭がいっぱいになって、なにも考えられない。
「なんでとあ兄がっ」
足元が崩れて行く。
自分にとって、彼だけが昔からの知り合いで、友人で、家族だった。
だから――きっと恐いのだ。
彼が居なくなってしまうのが、怖ろしいのだ。
一般に移ったと言う事は、もう大丈夫と言う事なのだろうか。
自分にはそういう知識が無いからわからない。
もしも……もしもとあ兄が居なくなってしまったら……。
たすけてほしい。彼に助けて欲しい。
彼だけは私の事を知っている。
「通り魔に、襲われたそうです」
ミントが淡々と言紡ぐ。
言葉とは裏腹に、その顔には苦渋の色があった。けれど、そんな事なんて構っていられないほど私に余裕などなかった。
時間は過ぎて行く。
夜になっても、病院に灯りが煌々と灯っていた。
最近は日が陰るのが早いから。
ふと気づくと過去を思い出してしまう。
嗚呼、昔もこんな事があった。
こんな院内でずっと――
――お願い
挫けないで
戦って
それがどれだけ辛くても
哀しくても
苦しくても
それが世界を変えるから
どうか此れから始まる少年の物語の為に
たとえ、全てに意味が無くなったとしても
過去の為に――
ごめんなさい




