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その届かない手は4



いつも、その背中を見て居た。


いつかその隣に並びたいと思っていた。


だから……




「湖由利っ!」

目の前で、仲間が傷ついている。それがわかっているのに冬真は何もできない。

湖由利に駆けよるクロムが何かを言っている。その声がどこか……遠くで聞こえた。

足が鉛のように重い。

湖由利の元にようやく着く。

酷い。

白野がへんな盾を創ったことで少しはましだったようだが、それでも出血が多い。

どこに傷があるのかすらわからない。

一番心配なのは、湖由利の意識が無いことだ。

そして、もう一人、自意識亡失しているクロム。

「クロムっ」

「……ぁ」

ようやく思い出したように、クロムが動きはじめる。

倒れていた湖由利を仰向けに。背中にはワイバーンに襲われた際、爪で切り裂かれた傷がある。

出血が止まる気配も傷がふさがる気配もない。あたりまえだが、空操師がいる戦場ではそれが異なる。

『場』によって、傷の回復が出来る。ミントの『場』の様に、そもそも攻撃を遮断するなんて『場』まであるのだ。

だが、この『場』は違う。

「くそっ、回復しねぇ」

梓月の『場』は、攻撃だけを考えた世界。だから、回復も防御も考えて居ないのだ。

俺は、何もできない。できるのは、湖由利を戦場から離すことぐらいだ。

ただ戦うことしか出来ない柄創師……。

「ちがう……」

俺は、空操師でもある。

でも、今、自分が『場』を創れるか?

現在進行形で白野の『場』があるこの場所で、自分が『場』を創れるのか?

否。

『場』は二つ創ることはできない。

なら、白野の『場』を消してもらう?

ダメだ。

目の前ではオウリュウと激戦を繰り広げている万由里さん達がいる。

自分の『場』はあまりにもお粗末で、戦闘の支援などできない。

なら、どうする?

どうすればいい?

「考えろっ」

『場』は、空操師の願いを映した世界。

どんな願いでも現実となる。

「でも、俺は……」

自分の『場』はまだ創れない。

なら、白野は?


――時雨日和


なんとなしに、そんな単語を思い出す。

棗梓月が創っていたはずの『場』の名前。

「白野……」

瓦礫に足を取られながら、白野が歩いて来る。

至る所の擦り傷や切り傷から血が流れている姿が痛々しい。けれど、それに比べたら湖由利はさらに酷い。

「……何を期待してるのか知らないけど……私は何もできない」

「できない?」

うそだ。

そんなの嘘だ。

だって、空操師の『場』は、その人の心で決まる。

「それは、白野が出来ないって思っているからだろ?」

「そうだよ。空操師にとって、それほど重要な事は無い。出来ないと思っている以上、絶対に、たとえその認識が変わったとしても出来ないモノは出来ない。それが私たちなの」

「それは、一度でも試してみたことなのか?」

「……」

その言葉に白野は答えない。

忌々しそうにこちらを睨んで来る。それが答えだった。

「やってみないとわからないだろっ!」

「出来ない。絶対に、あんなのっ」

「あんなの……?」

繰り返すと、白野がまるで言ってはならないことを言ったかのように口元を押さえる。

クロムが縋る様な目で白野を見て居た。

「白野……あんなのって……?」

「う、うるさいっ」

慌てたような返答が、明らかに何かがあることを示唆している。

白野は、何かを隠している?

そもそも、雪菜の日記に書かれていた白野の『場』は、死乃絶対完結理論なんてのじゃなかった。

時雨日和。そう書かれていたのだ。

「じゃあ、時雨日和ってなんなんだよ」

『場』が、歪んだ。

圧力がかかったかのように、身体が重い。闇が、絡みついて来るようだった。

白野を見る。

恐ろしいモノを見たかのように、目を見開いて、彼女は口を開いた。

「…………ちが、う」

「え?」

「私は……あんな……あんなの認めないっ!!」

叫んだ瞬間、『場』が震えた。

『場』は空操師の精神状態で変わる。なら、この不安定な『場』は、白野の精神状態を示しているということ。

どうして? なにがそんなに白野を追い詰める?

わからない。自分じゃ、白野の事を何もわからない。なんでこんな事になっているのか、わからないのだ。

「これが、私が望んだ、私の世界だっ」

その願いが、『場』を創りだす。

そう分かってはいても……この世界である限り、湖由利はどうなる?

「なら――俺がそれを否定する」

「……え?」

「身勝手な理由かもしれない。けど、このままじゃ湖由利達が危ないんだよっ」

だから、この世界を変えたい。


自分になにが出来る?

何もできない自分が許せない。


『どんな世界も作ることのできる可能性がある』


ふと、思い出す言葉がある。

あの時の……たしか、氷の空操師の人の、言葉だ。


『君は、どんな世界をご所望なんだい?』


どんな? どんな世界、なんだ?

そうだ、今思いだしたいのは、その後の言葉だ。


『なぁ、それなら……もう、『場』を支援する『場』を創ってしまったらどうだ?』


支援する?

歪む世界……それを見渡して思う。

『場』はなんでも行える。

支援とかじゃなくても。

なら、なんで二つの『場』が同じ場所に存在できない?

どうして、ここまでもどかしい?

白野は認識が空操師の能力を左右すると言った。だったら。

「なら、この世界をおれが変える」

支援とか援助じゃなくて、書き換える。

「は――?」

白野が顔を上げて見て来る。

何を言っているのかわからないと言った顔だ。

自分でも、まだ思いつきの段階だ。考えがまとまっていないのは自覚している。

だから、もう一度、自分の考えをまとめる為にも言った。


「おれがこの世界を、変えるんだよ」

「なに、言ってるの? 無理に、決まってる」

反応は早かった。

ゆっくりと、言う。否定する。

その手は震えていた。

それは怒りか、それとも他の感情故か。そんなのおれにはわからない。

「無理じゃないっ、絶対に、無理なんてないっ。それが空操師じゃないのかよっ!」

自分は空操師としては異端で、まともな『場』を一つも創れない。

けれど、いや、だったら、誰かの『場』を支えることぐらいならできるかもしれない。

だから――。

「だから、変われっ!」


世界が、塗りつぶされる。いや、違う。塗りつぶされた訳じゃない。そうじゃなくて……世界が安定する。まるで、本来の『場』に戻って行くかのように。

「これは……?」

音が消えた様な、不思議な感覚。

あたりが、なぜか静かだ。静かに感じてしまう。


そして――雨が降る。


降っているのかいないのか、わからないほどの小雨で、思わず手を出して確認しても、わからないほど。

それが、いたるところにしとしとと落ちる。だが、落ちた先を濡らすこともなく、光の粒となって一瞬のうちに消えてしまう。

まるで、幻想。

おとぎ話でしかないような、そんな儚い一瞬の魔法。

不思議な光景だった。

「晴れてるのに、雨?」

クロムが呟く。

空を見上げても青天だ。

たしか、こう言うのはお天気雨とか言うのだったか。

その中を、呆然とした声が響く。

「うそだ……」

「白野?」

白野は空を見ていた。

その顔は、唖然としている。

そんな中、雨が落ちるたびに、光が弾けるたびに、身体が軽くなっていく。まるで――

「回復……?」


小さな雨が世界を変える。


白野が、腰を抜かしたように地面に倒れる。

空を見上げたまま。

何かを見ている。

それが知りたくて、その視線の向こうを見た。


そこには、虹が広がっていた。


『場』が、創りだしたもの?

わからない。

もう一度白野を見る――と、その後ろに白い女がいた。

いや、ちがうっ。

「ゆ、ゆうれい?!」

白い着物を着た女。それが、白野の後ろに佇んでいるのだ。

それに、白野は気づいていない。

そもそも、その衣装は死に装束なのか? いや、ちがう。

もっと、めでたい席での正装。

白い花嫁衣装……?

「白野っ?!」

なんなんだ? このあたりに人はいなかった。

そもそも、なんでこんな人の居ない町中に花嫁衣装の女がいる?

まさか、エネミー?

不審者。その認識から女から白野を守ろうとする。が、彼女の顔を見て、思わず動きを止めた。

白の花嫁衣装――彼女の顔は、キツネの面で隠されていた。

「お前、何者だっ」

女は応えない。

それどころか、微動だにしない。

白野の後ろに、静かに佇んでいる。

そして――さっきまでのは嘘だったかのように、消えた。

「な……?」

今のは、なんだ?

血の気が引いていく。

事実を認識したくない。

「ゆ、幽霊?」

本物の、死者?

いつの間にか、雨がやんでいた。

その横で、クロムが誰かを抱えて隣に来る。

「あ、あれ……しょ、正真正銘?」

「し、知らん」

クロムも視えていたらしい。

なんだ。自分だけじゃなかったのか。

なんとなく安心する様な、しない様な。

「ど、どうしよう。わたし、み、視ちゃった?!」

クロムの声じゃない。

思わず、息を詰まらせる。

「っこ、湖由利っ?!」

てへへ、なんて言いながら、頬を書いている手にはまだ生々しい血痕が残っている。

慌てて背中を確認すると、傷が治りかけていた。

さっきの雨のおかげだろう。

なぜか照れた様子で湖由利ははにかむ。

「なんか、三途の川が視えた気がする」

「ば――」

「お前はバカかっ!」

馬鹿ものと言おうとして、遮られた。

遮った本人――クロムを見れば、肩がふるえている。それが、今の心情を露わしている気がした。

そう言えば、クロムは湖由利と幼馴染だったか。幼少のころからのつきあいだからかもしれない。

それがわかっているからか、湖由利はそれ以上何も言わなかった。


オウリュウとの戦闘はまだ続いている。

そして、いつの間にか、白野の『場』が消えていて、他の空操師が『場』を創っている事に気づく。

きっと、先行していた万由里達に追いついた空操師が白野と交代したのだろう。

さっきのお天気雨から一変して、雪の花が落ちて来る。

静かな朝、足跡のない一面の雪景色とは違う、落ちて消えて行く雪の美しさ。

『場』なんていう、非現実的な世界だからだろうか。それは、とてもきれいだった。

そして、時計の秒針が一周するころに、クロムがぽつりと呟いた。

「よかった……」





「ぁ――」

言葉がこぼれる。

何が言いたかったのか、わからない。

何を言いたいのかわからない。

私は、なんでここにいるの?


『場』が揺らぐ。

消える。

私が消滅する。

他人の世界に立ちつくして、さっきの現象を思い出す。



雨が、降っていた……。


白い世界。鳴り響く電子音。雨音。足音。そして、消毒の匂い。


助けて欲しい。

この世界から。

見るもの聞くもの全てが遠い。

現実味が無い。


そして――何か、とても大切な支えが……元々継ぎはぎだらけで、必死に取り繕っていた世界が――壊れた。


白野梓月の世界は、とても脆かった。




白い病室。

なんで病院は白いのだろう。なんてよく思う。

もうちょっと色が合った方が飽きなくていい。

真っ白な壁を見続けるのはさみしい。

とっても。

「俺がいるだろ」

「えー、クロムがー?」

「おいおい。せっかく見舞いに来たのに、ひどくね?」

「だって、クロムだし」

包帯だらけで身動きの取れない私と打って変わって、べつになにも無さそうなクロム。それが少し恨めしい。

そりゃあ、自分の不注意な行動のせいだってわかってるけど、だからってこの差は何なんだろう。

一応、『場』のおかげでかなり治癒していたらしいけど、こんな感じになってしまった。

クロムは持って来たお菓子を何も置いてないベッドの横の机に置く。

クロムのお母さんが持ってけって押し付けたものらしい。

やっぱり、花より団子。クロムのお母さんは私の性格をよく解っている。

まあ、小学生ごろからよくお世話になっていたからそりゃ知ってるけど。

後でこっそり食べようと思う。ちょっと楽しみだ。

「つーかさ、お前、なんで引かなかったんだよ馬鹿」

「だってさー……お姉ちゃんも来てたし、うちが居なくても大丈夫かなーって」

「いや、だからこそ離脱しろよ」

「だってー」

あの時、オウリュウに立ち向かおうとしたのは、自分がどれくらいできるのか、知りたかったから。それと、お姉ちゃんがいたからだ。

「どうせ、姉と比べて妹はー、とか言われたくなかったからだろ」

「別に……いつもの事だから」

「いつものことって……俺もいつも言ってるけどさ、コユリは考え過ぎなんだよ。もっと気楽に行こうぜ?」

気楽に……行けたらどれだけ良かっただろう。

どうせ、みんな姉と私の事を比較する。

「なあ、コユリ」

「なに?」

「部屋の外に、万由里さん来てたぜ」

「そっか」

両親は忙しいから来ないって知っている。

お姉ちゃんのほうも、強い柄創師だからいつも忙しくて、来ないと思っていた。

むしろ、来ないで欲しかった。

お姉ちゃんは私にとっての憧れで、目標で、手の届かない存在だったから。

だから、少し驚く。

「でも、なんで?」

「そりゃ、妹が入院したんだから当然だろ」

「……そういうもん?」

「そういうもんだろ?」

少なくとも、両親はこないだろう。

あの人達は私よりもお姉ちゃんのほうが大事だから。

名前を見れば、それが解る。

『万由里』と『湖由利』。本当のゆりと小さなゆり……万由里という花よりも小さくて、代わりにもならない。

みんなから呼ばれる名前はいいけれど、家で呼ばれる名前はとても嫌だった。

柄創師なんていう、とっても不安定で何時死ぬかもわからない職場についている姉の代わりに私はいるようなもの。

「お前さ……あ、万由里さん」

何かを言いかけて、クロムは部屋にそうっと入ってきたお姉ちゃんを見る。一緒になって見ると、お姉ちゃんは顔をそむけた。

そのまま、こつこつと音を立てて歩いて来る。


パチン


そこまで、大きくない。でも、静かだったせいか異様に耳に残る音……。

「ま、まゆりねえちゃんっ?!」

いつもはさんづけのクロムが、驚いた拍子に昔の呼び方に変わる。

クロムがお姉ちゃんの事をさんづけし始めたのはいつごろからだっただろうか。

確か、そう、中学頃。お姉ちゃんが高校を卒業した後の事。

懐かしいと思いつつ、でもそこまで時間がたっていないことにどこか遠くで驚く。

頬がじんじんと痛い。

女の子でも、常に戦ってるような仕事をしているのだ。そんな姉の思いやりなしのビンタじゃ、痛いのは当然だ。

「……馬鹿もの」

わかりやすい一言だけを言うと、それだけとばかりに身を翻して部屋を出て行く。

乱暴に閉められた扉が嫌な音を立てた。

「ちょ、ちょっとまって、万由里さんっ」

そんな事を言いながらクロムが部屋を出て行くのがわかる。

見てはいない。

何もかも直視したくなくて、布団をかぶって何も見えない様にしていたから。

「……いったぁ」

間違って動かそうとした足が、酷く痛かった。

目じりが濡れているのは、誰にも見られなかった。




「万由里さんっ」

病室を出たクロムが見たのは、壁に額を打ち付けて、口から魂が飛びかけている死んだ眼の女だった。

……酷く、目立っている。

しかも、口から絶え間なくあーだのうーだの呻き声が出て居るからなおさらだ。

それに近寄りたくないがこのままでは仕方が無い。

「万由里さん……大丈夫ですか?」

「…………あと一時間ほど話しかけないでください」

「えっと、病院で、しかも公衆の目の前で自己嫌悪はちょっと……」

「自己嫌悪ではありませんから」

「じゃあ、なんなんですか」

「後悔です」

自分はそれについて言っているのだが……。ままならないとばかりにクロムはため息をつく。

この姉妹は二人とも頑固で、いじっぱりで、意外と自分からは何も言えないヘタレだ。

後悔するのならばしっかり言ってあげればいいのにといつも思う。

「湖由利が助かったんだし、それでいいじゃんよ……」

「そうはいきませんから。どうせ、あんな行動した理由は私にあるのだろうし……」

「か、考え過ぎじゃ」

「……あの子が私のせいで悩んでいる事は知ってますから」

クロムは小さい頃から湖由利達と知り合いで、二人の事はよく知っていた。だから、ため息をつく。

万由里が居なくなった後、湖由利のいる病室のドアを見て、またため息をつく。

この姉妹はとても不器用だ。

湖由利は万由里を誇りに思っていて、目指したい目標としていて、きっとどんなに頑張っても自分の手は届かないと思っている。万由里にとって、湖由利がただの妹なだけだと思っている。自分には手の届かない高嶺の花だと。あれ? なんか言葉が違うか?

とにかく、万由里は万由里で、湖由利が自分を恨んでいるなんて勘違いをしている。芳野家の人間は万由里ばかりかまって湖由利の事をかえり見ないからだ。だから、あまり関わらない様にしている。

二人揃って勘違いをしているのだ。

「まったく。どっちも手を伸ばせば近い所にいるっていうのに……なんで気づかないんだか」

そろそろ、自分が介入したほうがいいのかもしれない。けれど、それは最終手段だ。

いつか、彼女たちが気づくだろう。……と願いたい。


……その届かない手は、いつだって届く場所にあるのに。


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