出来るなら翅が欲しかった3
どうして、いつも自分はダメなんだろう。
少女は考える。
なんで、いつでも足手まといになっちゃうんだろう。
それは、小学生の後期ごろからだったろうか。
少女は交通事故に遭った。
命に別状はなかったが、二度と普通の足には戻れない。もう、まともに走る事はできないと言われた。
もともと足が悪かったが、それでも走る事は出来た。
それが、始まりだった。
置いていかれた。
元々、少し不器用だったから、何かをしててもみんな早くって。
置いて行かれるのが嫌で、必死に努力した。
最初は走るのは苦手だった。でも、努力して努力して――少しずつ早くなってきた。
それなのに。
そう、それなのに、だ。
誰もが、少女を置いていく。
置いていかないで。
そう叫んでも、
もっと、早く走らないと。
そうさけんでも、
みんな、彼女を置いて、先に行く。
だから。
少女は明るい性格で、誰かにそれを言う事は出来なかった。
一人で貯め込んでしまっていた。
しょうがないと、割り切ってしまっていた。
しかし、それでも憧れる。
走りまわる友人に。空を自由に飛ぶ鳥に。なにより、どんなにどんくさくても、全然動けなくても、いつかは小さな翅で魅せて飛びまわる、小さな虫達に。
河崎瑠璃は走っていた。
目の前には友人。周りでは、カマイタチがこちらをターゲットにして、いつ攻撃するかと機会をうかがっている。
「っ!!」
足に痛みが走る。先ほどから、まともに走ることができなかった。
もう、ほとんど歩いていると言ってもいい。
逃げているのに、これでは良いターゲットだ。
前の友人、雅原ほのかは前を走って逃げている。
待って
そう、手を伸ばしても、届かない。
どんどん遠のいていく。
叫ぼうとしても、疲れ果てた喉が、声を出してくれない。
ぜえぜえと、呼吸も辛かった。
他の人が抜かしていった。
「……いや」
置いていかないで、と少女は手を伸ばしても、誰も気づかない。
もう、誰もが恐慌状態で、少女一人を見ていられないからだ。
カマイタチが、鳴いた。
「きゃあっ!」
風が河崎の背中を撫ぜた。
その途端、痛みが走り悲鳴を上げる。
「いや」
足が限界のようだった。
そのまま、地面に倒れて涙でぐちゃぐちゃになった顔をあげる。
目の前には、カマイタチがいた。
死にたくない。
置いていかないで。
いやだ。
みんなの背中をずっと見ているのは、もう、いやだっ!!
『場』が、空間が、世界が、歪んだ。
河崎瑠璃の『場』が辺りに広がり、そして消える。
当たり前だ。今、白野梓月が『場』を創っているのだ。
しかし、その衝撃でか、驚いたのか、カマイタチが一旦姿を消していた。
「るりちゃんっ! だ、大丈夫っ?!」
「……ほのかぁ」
一旦は前に行ったと思っていた友人が河崎に手を差し伸べる。
どうにか河崎が立ち上がると、カマイタチが二人を襲おうとしていた。
「伏せろ!」
矢野冬真が槍を投げる。
それは、一点も違わず、カマイタチに命中し、絶命させた。
「大丈夫かっ」
「う、うん……」
「って、怪我してるよ。膝、見せて」
ほのかは、痛々しそうに転んだ時の傷を見ていた。
その様子に、河崎は嬉しそうな、苦しそうな、いろいろな感情がまじった顔をする。
雅原ほのかは恐がりだ。
岩龍アウグスディオが現れたとたん、尻もちをついて、すぐに河崎の後ろに隠れて震えて、一番初めの頃に逃げ出した。
カマイタチに怯え、周囲に怯え、始めから震えたままだ。
それなのに、戻ってきた。それに、河崎は嬉しかったのだ。そして、自分が足手まといであることに、苦しんでいた。
自分の事が無ければ、雅原はすでに安全圏に居たかもしれないのだ。
うれしいけれど、危険にさらしている。
「だ、大丈夫。それより逃げないと……」
そのうちに、白野梓月と寿楓も合流する。
亀井義男がさりげなく雅原の後ろに居るのは、彼等を心配していたからだ。
「さっきの、あんた?」
白野梓月は、冷たい声で河崎に聞いた。
その目は、何を考えているのか解らない。
無意識に雅原がびくりと身体を震わせた。
「う、ん。その、ごめん」
「……それが、本当の望み、なわけ?」
「え……?」
本当の望み。
そう聞かれて、河崎は思いだす。
先ほどの『場』は、いつもと違った。
ミントの守護に徹した『場』をモチーフにしたものではない。
あの瞬間、浮かんだ激情を元に創られたものだ。
それを、白野は気づいていたのだ。
「私の……本当の……」
願いは?
みんなが怪我も無く無事に帰れる事。
本当の、自分の願いは?
それは――みんなの背中を見たくない。
置いて行かれたくない。
出来ることなら、あの小さな体で空を自由に飛ぶ虫達のように、翅が欲しかった。
にやりと、白野は笑った。
どこか、面白そうに。
そして、突然『場』を消す。
躊躇いも無く。
今は戦闘時。それなのに、『場』を消すなんて。
そう、寿も亀井も仰天した顔で白野を見た。
「願いなよ。空操師は、それが出来るんだから」
世界が、変わった。
葉っぱの上でのろのろと歩くのは青虫。
沢山ある小さな丸い足を必死に動かして、歩いている。
蝉の幼虫は、何年もの間土の中。
ずうっと、日の光を浴びることも歩くこともないまま、眠り続ける。
ヤゴは何時だって水の中。
すいすい泳いでいるけれど、水中に閉じこめられて、地上には出れない。
みんな、空を見るだけ。もしくは、見れないでずっと地面に居るだけ。
それを自分に重ね合わせてしまう。
でも、いつかみんなは翅をひろげて、大空を飛ぶ。
それが、羨ましかった。
自分は、もう走ることができないから。
翅が、広がった。
大空に向かって。
薄く、半透明で、虹色に光る翅が。
「やればできるじゃん」
思わず、そんな事を言ってしまう。
自分はそういうキャラじゃないんだけど、まあいっか。
カワザキの創った『場』は、小さく、しっかりとした『場』でもない。実戦向きなものでもなかった。
味方に早さを与える物だ。そして、翅を。
「これは、逃亡用には持ってこい、ってところだな」
最初、驚いていたコトブキは、すぐに苦笑してカワザキの肩を叩いた。
「え?」
「ほら、さっさと逃げるぞ」
カメイが後ろの龍を見て、こちらを見て、せかす。
その顔からすると、逃げたいだろうにわざわざ戻ってきたようだ、この男は。
「ほら、るりちゃん」
「う、うん」
ルリ、と言うらしい。
そういえば、カワザキの名前を知らなかったと思い返しながら、足を動かした。
その足取りは軽い。そう感じるんじゃなくて、本当に。
裏口は、もうすぐそばだった。
それからすぐに梓月達は保護された。
校門のほうでは、エネミー討伐隊がすでにそろい、すぐにでも突入するところだったらしい。
そして、裏口には、知っている姿が揃っていた。
「しずきっ、よ、よかったぁ。無事だったんだねぇ!」
飛びかかって来たコユリを華麗に避け、ようとして失敗して、潰される。
それを馬鹿笑いしているのはクロムで、その横にはほっとした様子のリク。
先生方や、アルカディア対策本部の人達がたくさん集まっていた。
あのゲートの範囲は、小規模で学校内だけだったようだ。
みんな、助かった事に喜んで、その場に倒れたり、泣いたりしている。
それだけ、怖かったのだろう。死ぬと思ってたのだろう。
周りの大人たちは、生徒が無事に帰還したことを報告している。
その報告の中に、校舎に向かった討伐部隊が岩龍と戦っていることも聴こえて来た。
待ってても大丈夫だったのかもしれない。けれど、自力で逃げられたからいいかと思う。
そんな中、コユリが控えめに、しかしどうしても聞きたいらしく身を乗り出して、聞いてきた。
「と、ところで、しっちゃん、とーま……ミントさんは?」
その言葉に、あたりは凍りついた。
誰もが、疑問に思っていたのだろう。
なんで、あのミントがこの生徒たちと居ないのか。
あの少女は人を守ることに一生をささげるような人だ。それが、なぜ一番危険そうな生徒たちと居ないのか。そもそも、なぜミントが居るはずなのに生徒が『場』を創っていたのか。
「ミ、ミントさんは……」
トーマが視線をそらす。さっきまで喜んでいたのが嘘のように、顔色を青くする。
なかなか答えないトーマにしびれを切らして、事実を淡々と言う事にした。
「エネミーに連れ去られた」
「えぇっ?!」
コユリと、周りの人達の絶叫が響いた。
その時、一部の間から叫び声が聞こえる。
「ミント・オーバードが保護されたっ?!」
「ちょ、大丈夫なんですか?」
「救急車、どこにある?!」
にわかに騒がしくなる。
ついさっき、裏口から集まっていた彼等の前に走ってきた時と同じだ。
あの時は歓声と歓びの声だった。
今回は違う。
驚愕と混乱の声だ。
連続して鳴る機械音。
よく聞きなれた音だ。
何度も病院に世話になっていたから、いつの間にかなじみの物になっていた。
読んでいた本から顔を上げる。前には、白いベッド。そこに、金髪の女性。
ミント・オーバードが眠っていた。
別に、重傷を負っている訳じゃない。
ただ眠っているだけ、らしい。
でも、まだ目覚めない。
もう、丸一日は寝ている。
あの後、病院で検査を受けてそのまま病院で一晩を過ごした。
そして、私は一応保護者のような立場になっているミントが入院しているときいて、そのまま来たのだが、実は先客がいたりなんだりで、なぜかずっとこの部屋に居る。
窓の外を見ると、すでに日は落ちていた。
もう、ずいぶん日が落ちるのが早い。
冬に、近づいているからだ。
「んぅ……」
ベッドの中のミントが身じろぎをする。
「……」
「ふぁ……あ、あれ? 白野、さん?」
ぼんやりとした目で、こちらを見て来る。
どうも、状況がよく呑み込めていないらしい。
眠そうな目であたりを見ている。
「……」
無言で、ミントの膝のあたりを指さした。
「え? ……っ?!」
ミントは、口をパクパクとしている。
何か言おうとしているが、言えない。はっきり言って、迷惑だ。しっかりと話して欲しい。
でも、かなり衝撃が強かったらしい。
真っ赤になって、真っ青になって、驚愕して、ちょっと笑って、また最初に戻って。
「……帰る」
「ま、ま、ま、まってっ。こ、この状況は一体っ?!」
小さな声で、必死になって呼んで来る。
「見ての通り、だけど?」
そこには、寝てしまっている青年……確か、クレウチユウキとかいう人がいた。
さっきまで話していたのに、疲れがたまっていたのか寝てしまったのだ。
ミントのベッドに半分くらい寄り掛かって。
ミントの様子に、ある考えが浮かぶ。
「……好き、なの?」
「ひぇっ?! そそそそ、そ、そんなこと、ない! です! ます!」
「……なるほど」
真っ赤だ。リンゴもびっくりな赤さだ。
そして、言葉もおかしい。
「そ、そ、それに、私なんか、その、暮羽地さんは、その……別にそんな好きとか、思っていないと、思いますしっ、ですしっ」
そんな、良く解る様子で話されても。
そんな中、ちょうどよくもう一人の人も戻ってくる。
「ミント……よかった、起きたか」
「あ、そ、その……陽香……こ、こ、これは」
「見ての通り」
「し、白野さんと同じ返事っ?!」
混乱している。ほんと、なんだかバカバカしくなる。
「じゃあ、帰る」
「えぇっ?!」
ミントが後ろから何かを言っている。
それを聞かないようにしながら、帰り路を急いだ。
さっきのクレウチとか言う人、ミントは自分の事を嫌ってるんじゃないか、だって、いつも話していると顔をそむけるしなんだか会話をしてても上の空だし、こっちが好きでも、きっと……、なんて言っていた。
ふざけた行き違いだ。
バカバカしくて、さっさと帰って、ゆっくり寝ようと思った。
なぜ、私は生きているのでしょうか。
ふと、深夜。
誰も居ない病室で考えます。
そもそも、あの人は、誰だったのでしょう?
思い出すのは、つい先ほど、いえ気を失っていたのでそう思うだけで、もう一夜を過ぎてしまったのですが、あの時の事。
ゲートが開き、カマイタチに襲撃された時の話です。
あの時、私は突然の衝撃を受け、気づくと別の場所に移動していました。
白野さんは、矢野君は、みなさんはどこに言ったのか、無事なのか……『場』が消えてしまい、周囲の状況もわかりませんでした。
「なに、が……」
なにがあったのか、まったく分かりません。
目の前が歪み、くらくらします。
お腹のあたりにまだ先ほどの鈍い痛みが残っていました。
兎にも角にも、なにがあったのか、ここはどこなのか解らなければどうにもなりません。
あたりを見ると、校舎の裏側らしい事が解りました。
すぐ後ろに校舎の壁があります。
窓から見える教室は三年生の教室です。
どうして、こんな場所に居るのでしょう。
それでも、まったく知らない場所では無いのでいいのですが。
こほこほと咳き込みながら立ちあがろうと力を入れると、瞬間に世界が変わりました。
「これは……白野さんの」
白野さんの、『場』。
攻撃に特化した……少々、怖いと感じてしまいます。
暗い感情を感じてしまい、それが息苦しく思います。
そうだ、白野さん達に合流しなければ。
今さらながら、大切なことを思い出しました。
ゲートが開き、エネミーはまさに校舎を跋扈している最中。
学生だけではどうなるのか解りません。如何に特務クラスの矢野君と白野さん、学年の中でも優れていると評判の寿君がいるとしても。
そこに、声が聞こえてきました。
「……まったく、面倒な」
誰の声でしょう。
くぐもって、良く聞き取れません。
「……誰か、居るのですか?」
誰かいるのなら、ここは危険です。早く避難させなければ。
すぐ近くに、黒いマントのようなフードのような、身体を隠し顔を隠した方がたっていました。
誰なのでしょう。
「そのまま、寝ていればいいものを」
「あの……」
どういう、ことでしょう。
「やはり、邪魔か」
「――っ?!」
危険を感じ、いち早く動きます。
ただただ、その場から離れなければならないという思いが駈け廻り、横に飛び込むように移動しました。
そして、先ほどまでいた場所を見ると、黒服の方から放たれたナイフが数本、刺さっています。
さあっと血の気が引いていくのが解りました。
「何の――っ?!」
流れるような動きで、追撃をしてきます。
慌てて体勢を立て直し、逃げます。攻撃を受け流しながら、どうにか後退。
黒服の方は、どうやら私の命は、狙っていない様子です。どうも、時間を稼ぐように、もしくは時間をかけていたぶるように、攻撃をしてきます。
性質が悪い。
しょうがなく、腰から抜いたのは携帯している小型ナイフ。本当は銃もあるのですが、小型ですしアクト・リンクの弾しかありませんので手はつけません。
エネミー戦ではただのナイフでは効果はありませんが、対人戦では大丈夫。
小型ナイフを使い、黒服の方の攻撃を受け流し、時に反撃を行います。
攻撃力上昇の効果が今ばかりはありがたいのですが、守備力だけはそのままなので攻撃を受けないように必死に戦います。
「貴方は、どなたなのですっ!」
そう、問うた時、後ろから衝撃が走りました。
もう一人、居たのです。
いえ……倒れ際に見た時、数人の黒服が、その彼等の中央に居る誰かを守るように佇んでいました。
「やはり、始末しておくべきだったな」
そう、声が聞こえて、全ては闇に沈みました。
あの声は?
あの黒服は?
解らないことばかりと言うのは辛い事です。
どうすればいいのかがわかりません。何をすればいいのか分かりません。
だから私は、考えます。
あの時、なにがあったのか、一つも落さずに思い出そうと。
なにかしらのヒントくらいは見つかるはず。
漠然とした不安を抱えながら、夜は更けて行きました。




