二重調和のハーモニクス
放課後、ミントに無理やり連れてこられたのはいつぞやのアルカディア対策本部だった。
あまり思い出したくない、というよりあまり覚えていないそこで、奥の方さらに奥の方へと進まされる。
なんでも、この前も私の事を呼んでいた『教授』とやらがまた呼んでいるらしい。
この前会えなかったから、今度こそ。とのことだ。
昨日まで入院をしていたから伝えてこなかっただけで、ずいぶん前から会いたいとミントに話が来ていたらしい。
この前にはいけなかった本部の奥深く。最深部じゃないかと思われる場所まで来ると、ミントの足は止まった。
なぜか教授の姿はおろか部屋の扉さえもないなんにもない廊下の真ん中で、だ。
「白野さん」
「……」
前を歩くミントは振り返らずに聞いて来る。
「貴方の『場』の名は、なんですか?」
「……死乃絶対完結理論。それがどうしたわけ?」
「いえ。……なぜ、攻撃特化の『場』を創っているのかと。名前は『場』の特徴を示す事が多いですから」
「そう」
なぜ、攻撃特化なのか、か。
その言葉が何度も反復する。
なぜ、攻撃特化なのか。
「……」
力が無ければ、何もできないから、だ。
それと同時に、自分の望んだことでもあるから。
でも、そんな事ミントに言わない。
「ごめんなさい、変なことを聞いてしまって。さぁ、行きましょうか?」
そう、笑って振り返るミントは、どこか哀しそうだった。
また、白い廊下を歩き続ける。
「教授は、どうやら白野さんの『場』に興味があるようです」
「……」
私の、『場』。
だからミントはあんな質問をしたのだろうか。
でも、そもそも『場』の名前は学園側の資料に記載されているはず。
私なんかに聞かないで、調べれば早い。
「あ、着きましたよ」
なんの変哲もない白い扉の前で、ミントは立ち止まった。
「いやあぁ、良く来てくれたね、白野梓月君」
くひひと何とも近寄りがたい笑みを浮かべる、変人。それが第一印象だった。
桐原空人。そう名乗った通称教授は、両手をひろげて歓迎する。
こちらはそんな歓迎などいらない。
むしろ、早く帰してくれ。
さっさとこの息苦しい研究室から出て行きたかった。
白いコンクリートで出来た部屋。
そこに、見たこともない様な量の資料が山と積まれている。
ソファに案内されると、そこだけ普通に綺麗だった。
しかし、その向こう側に遭った机には一見しただけじゃ訳の分からない数値の書かれた物が散乱し、ガラスのまどからは隣の実験室らしい場所が見えている。
さらに、奥の部屋があるらしく、そこから女の子が三つのカップを持って現れた。
「コーヒーで構わないかね? 実は、今現在進行形でお茶を切らしていてねぇ」
「……」
黒のワンピースに白のエプロン。どう見てもメイドのような格好をした女の子が給仕をしている。
そのことに思わずほおをひきつらせながら、置かれたコーヒーを見た。
別にコーヒーが嫌いと言う訳ではない。が、飲む気分じゃない。
それを無視して教授を見た。
傍から見れば、睨むように。
「ふふっ、そんな挑戦的な目をされたら――」
「きょ、う、じゅっ、さぁ、話を進めてくださいっ!」
慌てた様子でミントが教授の言葉を遮った。
最後になにを言いたかったのか聞けなかったが、聞かなくて良かった気がする。
はっきり言う、気持ち悪いこの人。
「ほうほう、まあしょうがないか。では、本題に入ろうか」
さっさと入れ。
明後日の方向みてため息をつく。
「率直に言おう。白野梓月君、君にある実験の手伝いをして貰いたいんだ」
なら私も率直に言おう。
「嫌です」
「なんとっ?!」
驚く意味が解らない。
こんな変人の実験に付き合うとか、嫌に決まっている。
そんな事をしているのなら、寝てた方がましだ。
「ま、まあ白野さん、実験の内容くらいは聞いてみましょうよ」
「……」
はぁ。息をついてとりあえずは聞く事にする。
「ミント君にも手伝ってもらう事になるんだがね」
「えっ?」
「あぁ、館石君から許可は貰っているからね。あとからいろいろ言われない為にも根回しは完ぺきにしとく主義でね」
タテイシとは誰だろう。
たぶん……ミントの上司か誰かだと思うが。
「それでだね、今回の実験とは……『場』の二重発生『ハーモニクス』の理論を証明する事なんだよ」
「は?」
なんだ、それは。
『場』は、同じ場所で二つ発生する事はまず、ありえない。
お互いが干渉しあい、打ち消し合うかどちらかが消滅してしまうからだ。
だから、一つの戦場に二人の空操師はいらない。
だが、彼は、教授は……それを否定した。
「二つの『場』の展開、それによる能力の相乗と新たな効果の発生。それを『ハーモニクス』と私達は言っている。しかし、未だ理論上は可能という領域でね、まだ成功をしたことが無いんだよ」
「当たり前だ。二つの『場』が同じ場所で展開するなんてありえないっ」
そんな事、聞いたことない。
ありえるはずが無い。
そもそも、そんな理論が成立しているなんて、おかしすぎるっ。
それ以上、話を聞きたくなかった。
「……もういいですか? そんな実験しても無駄だし、ふざけてる。寝物語は寝て言ってよ」
立ち上がる。
そのまま、外に出ようとして、少女がそこに居るのに気づいた。
さっき、給仕をした女の子だ。
「逃げるのですか?」
「なっ――」
逃げる? 誰が? 私が?
逃げてなんていないっ。
そもそも、何に逃げているんだ。
訳が分からない。
だって、『場』の二重発生なんて、出来る筈がない。それを否定するのは逃げている事なんかじゃない。
「出来ないと、最初から否定するのですね……教授、最初から否定する空操師が『ハーモニクス』を行うことなんてできません。他を探しましょう」
「ふむ。そうなのだけれどね。でも、私は白野君ほど丁度いい空操師は居ないと思っていたのだが……仕方ないか」
冷たく、感情のこもっていない少女の言葉とは正反対に、おどけた様子で教授は言う。
その真意が見えない。
最初からそうだ。この人はどこかおどけて、わざとらしく良く解らない行動をして。
人間は未知のモノを恐がる。私もまた、未知な人物である教授に……恐怖と言うよりは得体のしれない感情を抱いていた。
「あの、ちょうどいいとは、どういうことなのでしょうか?」
ミントが控えめな声で問う。
こちらと教授を交互に見ながら、どうすればいいのかと悩んでも居るようだった。
「言葉の通りだよ、ミント君。『ハーモニクス』は相性が重要だ。守護に特化し、守りだけに力を注ぐミント君の『場』護法陣と攻撃だけに特化し、ただ力だけを求める白野君の『場』死乃完結理論……ここまであからさまに相反する『場』はない。だからこそ、君達なら二つの『場』を重ねることが出来るのではないかと、思ったのだがね」
わざとらしく、教授は頭を抱えて困った顔をする。
あまりにも白々しすぎて、呆れて来る。
「それに、白野君個人にも興味があったからね」
「――っ」
空気が、教授の纏うなにかが、あからさまに変わった。
酷く、殺伐とした、なにかに。
こちらを見て来るその瞳に先ほどまでの遊びはない。
背筋に氷塊が滑り落ちる。
道化師のような行動はこの本性を隠す仮面だったのだ。
「なにが」
「君の『場』……本当は、別の名前だったはずだ」
「――え?」
別の、名前?
いや、私の『場』は……。
鳴りやまない雨の音。
狐の仮面。
空に浮かぶ二重の虹。
白い病室。
「白野君、君の『場』は死乃絶対完結理論と言うらしいね」
「それが、なに」
ミントの『場』が守護法神という名であるにも関わらずに通常は護法陣と呼ばれているのと同じく、私の『場』は、死乃完結理論ではなく、本当は死乃絶対完結理論という名前。
それに、なぜか教授は確認して来る。
そんなこと、調べれば分かることだ。
全国の空操師は名前が決まるとアルカディア対策本部のデータベースに登録されるのだから。
一応、それが決まったのは二年前の事だから、その前は解らない。
けれど、私の事は登録されている。
「本当に、そうなのかい?」
「どういう意味よ。まさか、名前が変わったとでも言うつもり?」
ありえない。
そんなこと、二重の『場』を創るほど、ありえない。
しかし、簡単に教授は
「そうだよ」
肯定した。
「なにそれ……ばかばかしい」
ほんと、狂ってる。
そんなこと、ありえるはずが無い。
だから、思いっきり馬鹿にしながら嗤ってやる。
「そんなこと、有るわけ無いでしょう? 聞いて損した。今度こそ帰るから」
ミントは追って来なかった。
きっと、何か話をされているのだろう。
アルカディア対策本部の中を歩いていると、またあの日の事が思い出されて来る。
「……」
そういえば、あの時……なにがあったんだっけ?
芳野に置いてかれて、エネミーに見つかりそうになってトーマと逃げて、それで……暗い部屋に逃げ込んだ。
「梓月ちゃんっ?」
「え……?」
声がした方を見れば、昔からの知り合いがいた。
「やっぱり梓月ちゃんじゃないか。どうしたんだい一人で……?」
「とあにい……」
理郷戸朱。イギリス人だかイタリア人だかのハーフで、母の友人で、父の研究者仲間の一人だった人だ。
一応、自分の保護者みたいな人だ。
彼にだけは、いつでも本音が言えた。
自分の世界が完全に変わってしまった中でも、ずっと変わらずにいてくれている唯一の人だったから。
「ん? どうしたんだい? 今日はどうして本部に?」
「……教授とか言う研究者に呼ばれたの」
「教授? もしかして、桐原さんのこと?」
「さあ、たぶん」
名前は良く覚えていない。ただ、メイド服の少女を侍らせていた。
「……桐原さんの事のようだね」
「そう。その人に呼ばれて、なんかハーモニカなんとかっていう実験に手伝えって」
「ハーモ……ハーモニクス理論のことかな? へぇ、すごいじゃないかっ」
「……でも」
笑顔のとあにいは本当に嬉しそうだった。
でも、素直に喜べない。
「……あ、そっか……ハーモニクス理論って事は……」
それに、気づいたようだった。
そして、ちょっと考えてから手を差し伸べて来た。
「ちょっと、お話ししようか。僕の研究室に案内するよ。ここは初めてだろう?」
とあにいの研究所はすぐ近くにあった。
教授の部屋とは違い、綺麗に整頓されている。
ただ、あの部屋よりは小さいようだ。
もう一人の研究者と共同で使っているらしいが、もう一人のほうはいなかった。
「さてと。……しづきちゃん、実験が嫌なら嫌で良いと思うよ」
ソファに座るよう促されて、さっきと同じようにコーヒーを出される。
ただ、眼の前でたっぷりのミルクと砂糖が入れられた。
「はい、どうぞ」
「……ありがと」
いつも、とあにいはこうして温かくて甘いコーヒーを出してくれる。
そして、やっぱりいつもと同じ味がした。温かい。
「でも、このままじゃ良くないとも思うんだ。……梓月ちゃん、ちょっとだけ、挑戦してみないか? 確かに二つの『場』を合わせるなんて無茶なことかもしれないけど、さ」
「……挑戦?」
「うん。ちょっと勇気を持って、出来なくて当然のことなんだから、失敗するつもりで、やってみないかな?」
「……」
「まぁ、ゆっくりと考えてみな。時間はたっぷりあるんだから」
「う、ん……」
そうだ、まだ、時間はたっぷりある。
この話はもう終わりとばかりに、その後は他愛無い話が続いた。
教授の部屋から出た時、すでに白野さんの姿は見れませんでした。
もう帰ってしまったのでしょう。
とぼとぼと帰り路を辿っていると、前から数人の戦闘員の方々が歩いてきます。
道のわきにそれて道を譲ると、声を掛けられました。
「ミントちゃん?」
思わず、びくりと肩を震わせて驚いてしまいました。
その声は良く知った声です。
「暮羽地、さん」
暮羽地先輩でした。
どうやら、どこでかの戦闘が終わった後のようです。
少し疲れた様子でしたが、疲れを見せないようにと明るく笑っていました。
その笑顔に、思わず赤面してしまいます。
「お疲れ、さまです」
「いや。それにしも、今日はどうしたんだい?」
「えっと、きょ、教授の所に、白野さんと一緒に」
「そうか。白野ってあの時の空操師の女の子だよね」
「は、はいっ」
暮羽地さんを直視できず、下を向いてしまいます。
本当に、恥ずかしくて、その……話を切り出せないのです。緊張してしまって。
「教授……あの人、ほんと意味わからないからな……気をつけてな」
「は、はい」
そんな声を掛けられたのが嬉しくて、でも何を言えばいいのか解らなくて、もどかしいです。
なぜ、私はこんなに会話が苦手なんでしょう。
そうこうしている内に、会話がなくなってしまいます。
口下手な私は、会話のネタを提供することなどできず、口をつぐんだままでした。
このまま終了になるかというころ、そこに救世主が通りかかりました。
「ミント、暮羽地さん? どうしてここに?」
「陽香っ!」
ちょっと髪が乱れています。やはり戦場から戻ってきた所なのでしょう。
陽香も暮羽地さんの事は知っています。
私の元チームの人と言う事でよくお話しをしていたからです。
「二人がどうし……」
どうしてここに、なんて言おうとしたのでしょうが、なぜか口をつぐんでにっこりと笑います。
……なにか、嫌な予感しかしません。
「よ、陽香……?」
声をかけても、ちょっとストップと口を塞がれます。
慌てて逃げようとしても逃げられません。
そして、暮羽地さんに話しかけてきます。
「暮羽地さん、暮羽地さん」
「はい?」
「もごもあがっ」
「ミントって、料理うまいんですよ」
「へぇ、そうなんだ」
な、何を言いだすつもりでしょう。
恥ずかしさのあまり、顔がとっても熱いです。
「それで、この前暮羽地さんに御馳走しようとか、言ってたんだよね」
「もがっ、もがごははっ!!」
言ってませんから!
口を塞がれているので何も言えません。
い、いった陽香は何を考えているのでしょうっ。
「そうなの?」
暮羽地さんが聞いてきます。
にこりと笑っているその姿に……思わず頷いてしまいました。
「じゃ、じゃあ……その……何時か一緒に……」
なぜかそっぽを向いて顔を見せてくれない暮羽地さんは、言葉を詰まらせながらいいました。
「は、はい……」
「よかったな、ミント」
「……よ、ようかぁ……」
た、確かに嬉しいけど、その、その……。
陽香はしてやったり顔です。まるで、悪戯が成功したみたいです。
こちらからすれば青天の霹靂。もう、恥ずかしくてどうにもできません。
暮羽地さんの顔を見ていられず、おもわず陽香の後ろに隠れてしまいました。
暮羽地さん……どんな顔をしているのでしょうか。
「そ、そういえば、汐がこんど店を開くんですよね。そのお祝いにパーティーでもしませんか?」
さすがに一対一で会うなんて事、出来ません。
どうにかしようと足掻いてみるのでした。




