シ乃絶対完結理論2
「きょうじゅ、教授? おきゃくさまです。みんとさんです」
ぱたぱたと愛らしい少女が走ります。年は、そう……十になるかならないかと言ったところでしょう。
ピンクのワンピースに白いエプロンドレス。
頬ほどに切りそろえられた黒髪はどこか市松人形のようです。頭に飾られたリボンはやはりピンクのレース。
履いているのは羽の着いたスリッパとどこの人形なのでしょうか。見るたびに、可愛らしいと微笑んでしまいます。
教授の雇っている、という話しのリコリスさんです。
本名は知りませんが、リコリスさんという名前で呼ばれています。
「ほう、ミント君か。遅かったね」
『ふふふ』と、どこか怖ろしい声で笑いながら教授が奥から姿を現します。
なぜそんな効果音を出すのでしょう。
そんなことをしないほうが、絶対に印象が変わるのに。
「あの、遅かったとは?」
「ふむ。君が来ることを、あらかじめ予測していたということだよミント君。君はどうせ、白野梓月について問いに来たのだろう? で、うしろの少年は誰かね?」
さすがと言うべきでしょうか。
教授にはすべてお見通しだったようです。なんでなのか非常に疑問ですが。
それでも、矢野君の事は解らなかったようです。
そして、その当人である矢野君はと言えば、少々教授にひいています。
「矢野冬真君です」
「あぁ、あの柄創師で空操師の中途半端君か」
「……」
どうやら、教授の言葉になにかしら思う所があったようで、矢野君は少々何か言いたそうにしますが結局は何も言いませんでした。
半端者……土曜の事件以来、柄創師であり空操師である彼のことを、そう呼ぶ人も少なくありません。一応、悪気が合って言ってる人だけではないのですが……。
「まあいい。それで、白野梓月に関して聞きたいのだろう?」
「は、はい……」
「結論から言えば、解らない。ミント君。私は白野梓月の『場』を理解していない」
「はぁ……?」
それは、一体どういうことでしょう。
空操師の研究の第一人者である教授が、いきなりそんな事を言うなんて。
だからこそ、以前白野さんを呼んだのでしょうが。
「過去についてのデータが残っていないのだよ。あの事件で、緩奈学園は崩壊。その時にほとんどの資料は消滅してしまったようでね」
「そうなんですか……」
なんと。まさか、あの事件がこんな所にまで影響しているなんて。
元々、緩奈学園の卒業生である私は、少々他人事には思えませんでした。
しかし、さすがに情報管理がずさんすぎるのではないでしょうか。
学園のデータを、どこかにバックアップしておくくらいはやっていなかったのでしょか。
「彼女の教師や知人はほとんどが死亡している。はっきり言って、彼女や緩奈学園に通っていた生徒たちの情報はまったくないのだよ」
「……」
思わず、矢野君を見てしまいます。
矢野君はあの事件で妹さんを亡くされました。
思う所があるのではないでしょうか。
「君達が当時の資料を持っているのなら、なにかしら分かるかもしれないがね」
「……あの、日記じゃ、無理ですか?」
矢野君が、教授に自ら言いました。
おそるおそると言った様子ですが、その目には強い意思が見えます。
「日記? ほう、それは面白い。たしか、君の妹さんは空操師だったそうだね。その子の日記か……」
「一応、白野の『場』についてと、鈴村の『場』について書かれた場所があるんですけど」
いつものバックから出されたのは、女の子の持ち物らしい桃色のノートでした。
きっと、妹さんの日記でしょう。
若干、渡すのを躊躇います。まあ、普通の反応でしょう。
それを愉しそうに受け取る教授は付箋のつけられたページを食い入るように見て、矢野君ににやりと笑いかけました。
「あぁ、こういう資料でもいいね。リコ、長くなりそうだ。お客さまを部屋に。あとお茶も忘れちゃダメだよ」
「はい」
どこにいたのか、私達の後ろから、リコさんの声が聞こえ、私達は部屋へと通されました。
「興味深い内容だね」
部屋を移動し、日記を貪るように読み始めた教授はふと、突然言います。
リコさんに入れてもらった紅茶を頂いていた私はそれを皿に戻しながらちらりと矢野君を見ると、彼は握りしめた手を見て無言で座り込んでいました。
「それで、何かわかったのですか?」
「早まるでないよミント君。いいかい、真実とは実にあやふやな物だ。それを解き明かすとなれば、迂闊に物を言うことなど出来やしない。と、いうわけだからミント君。私に白野梓月の『場』について、知っていること全てを洗いざらいはなしてもらいたいのだがね?」
「は、はい……」
教授の話は、どこか癖がある話し方で少しだけ苦手です。
と言っても、そんな事を言っていられないので、解っていることを思い出す事にしました。
白野さんの『場』は「死乃完結理論」。そう、白野さんは言っていました。
どうやら、いろいろと裏がありそうですが、ともかく解っていることだけをまとめたいので裏の事は考えない事にします。
白野さんの『場』である「死乃完結理論」は攻撃特化の支援と『場』に浮かぶ黒の球体による物理攻撃を行うことができました。
『場』の中にいる人達の攻撃力を底上げし、さらに攻撃する為のスピードや視覚関係の強化もあるようです。その代わりに回復や守備力の増強はまったくありません。
まさに、攻撃の為にあるスピード型の『場』です。
私の守護特化型の正反対の性質を持っているようです。
それを告げると、教授は笑みを浮かべました。
まるで、とても面白い玩具を見つけたような子どもらしい無邪気な笑み。
それに、少々怖ろしく感じてしまった私がいます。
「なるほど。ふむ、やはりとても面白い議題が出来たよ、ミント君。これは少々骨が折れそうな問題だ……私からの回答は……無理だね」
「そんなっ」
「まあそう慌てるな、ミント君。今は。そう、今はと言うだけだよ。私の方で、もっと調べてみようということだ」
いつも狐に見えているその顔が、どんどん狐に近づいていくような気がします。
とても不安なのですが、教授が間違える事は無いと思って……いえ、願っています。
「わかりました……お願いします」
「おうおう、お願いされました。フフ……リコリス! さっそく調べて来ておくれ」
「はい、きょうじゅ」
何時の間に教授の後ろにいたのか。
ピンクのドレスが視界に入ればすぐにわかりそうな物ですが。
私の知らぬ間にそこ居た彼女は、前からずっとそこに居たかのように佇んでいて、教授の言葉に頷き早速行動を開始します。
それを見送りながら、教授は日記を矢野君に借りられないか交渉を始めました。
すぐに交渉は終わり……こちらを向きます。
「……まあ、一応今現在考えうる限りの物で良いのなら、少々意見を言ってみようか」
「は、はいっ」
思わず、佇まいを直してしまいました。
空気が締まります。
矢野君も真剣に教授の話しに全力で耳を傾けていました。
「白野梓月は、もしかしたら……前例がないことだからね、もしかしたらであり絶対ではないことだが……彼女は、鈴村晶許といったかな? その空操師の『場』を模倣した『場』を創っているのではないかな。以前まで創っていた『場』を完全に破棄してね」
模倣……まねを、している?
なぜ、そんな事を……。
白野さんの詳しい過去を、その過程での想いを知らない私では、『なぜ』に応えることなどできません。ましてや、私自身では無いのですから。
それがとても歯がゆい。
「ミント君」
「は、はいっ」
突然名を呼ばれました。
話は終わっていたとおもっていたのですが、どうやらまだまだ話は続いていたようです。
「今度、彼女と一緒にこの研究室に来てもらえるかな? どうしても為したい事が出来てしまってねぇ。……フフフ」
最後の笑みは一体どういう意味なのでしょう。
少し恐いです。何をされるのかまったく予測が出来ません。
「は、はい……」
ためらいがちに頷くと、教授はニヤリと嬉しいとかでは無く得物を見つけた猛禽類のような笑みを浮かべました。
「私の思い描いた世界はどうなるだろうね……」
一面が白い廊下。
無機質な電灯が明るいそこを歩くと、自分の足音が聞こえて来る。
舌打ちをしたい様な、大きくため息をつきたい様な……いらいらしていた。
無機質な壁を殴ってしまえたらどれだけすっきりするだろう。
でも、それはダメだ。
一応、まだ残っている理性が止めていた。
ここは病院。公共の場。たとえいらついていたとしても、それを表に出して周りに迷惑をかけるようなことはしたくない。
変な視線で見られるのも嫌だし。
うろうろとしていると、人通りの少ない所に来てしまったらしく、誰も居ないろうかに冬真は佇んでいた。
なぜこんな場所に居るのだろう。
迷った……わけ、ないよな?
誰かに訪ねようにも、誰も居ない。
どうするか……。
ミントさんの付き添いで病院に来て、ミントさんを待っていた……のに。
これまでの事を思い出して、頭を抱えたくなった。
「はぁ……一体、なんなんだよ……」
矢野冬真はため息をついた。
白野梓月……解らないことだらけだ。
そのうち、誰も居ないような人ごみの無い廊下でも、誰かがいるようで物音が聞こえてきた。
誰かがいるのなら丁度いい。
少し恥ずかしいがここがどこなのか聞いて戻ろう。
だいたい、高校生が病院の中を迷うって……。考えるとなんか落ち込む。
「あ……」
曲った先の廊下の奥に扉のあいた病室があった。
そこから物音が聞こえて来ていたようだ。
しかも物音と言うより、人の声。
その声は、聞き覚えがあった。
「しら、の……」
白野梓月の声、だと思う。
自信が無いのは、あまり話した事が無いからだ。
元々、白野自体もあまり話す方じゃなかったし。
気になって部屋にそっと歩み寄った。
中が見える。
白野には悪いが、好奇心から覗き込んでしまった。
そして、後悔する。
馬鹿だ。
なんで見たのだろう。
白野が今、どんな状態なのか解っていなかった。
真っ白なシーツに染みが広がる。
ぽたぽたと滴がとめどなくおちて、濡らしている。
「白野」
きっと、自分の声も聴こえていないのだろう。
少女が泣いていた。
赤子の様に。でも、声を押し殺して。
それが、どこか歯がゆくて。
「君は?」
突如、後ろから声を掛けられた。
白い白衣を着た青年が颯爽と、いや足早に歩いて来ていた。
部屋の前に居るオレを見て、怪訝な顔をするがすぐに合点が言ったような表情になる。
「梓月ちゃんの……っと、失礼。ちょっといいか?」
オレを押しのけ、その人は梓月のいる部屋へと入って行った。
「梓月ちゃん」
その一言だった。
声を掛けられた瞬間、白野は慌てて目元をぬぐった。
「とあ、にい?」
とあにい? 白野は前から良く知っている人みたいだ。
顔を上げた白野は、破顔する。
嬉しそうな、それでいて苦しそうな。
もう、どうしていいのか分からない、切羽詰まった顔だった。
「そうだよ」
優しい声だったとおもう。
白野の事を想っている、それが解る。
この人は一体誰なのか、疑問が持ちあがってくる。
年は二十代後半ぐらいだろう。
白衣の割には医者に見えない。そもそも、この病院の人間ならつけている名札をつけていないし、むしろ見舞いの人のつける腕章のような者をつけていた。
白い白衣の下の裾が少々汚れている。
もしかしたら、研究者なのかもしれない。
声を掛けられた白野の変わりようから見て、良く知った人なのだろう。
「わた、わたしっ」
「うん、大丈夫だよ、梓月ちゃん」
「ごめんなさい……」
「うん。大丈夫だから、落ちついて」
抱きついて来た梓月を、赤子をあやすように青年は対応する。
震える背中。それに何度も手を添えて、落ちつくように優しく叩く。
「大丈夫だから」
「……あ、あき、は……私が……わたしがっ」
「梓月ちゃんのせいじゃないよ……」
何度も肩を振るわせて、白野は何時までも泣いていた。
その姿に、見ていられなかった。
「と、申し訳ないな。あの子のあんな姿を見せてしまうとは……」
理郷戸朱と名乗った青年は、そう言って自分を先導する。
あれから、ほどなくして白野は眠ってしまった。
それに、良かったとほっとしてしまっている自分がいる。
梓月の姿は、冬真には見て居られなかった。
「あの、白野とどんな関係なんですか?」
二十歳後半の男が、どう見ても白野の家族でもなさそうな彼は一体何者なのか、まったく分からない。
思わずきつく言ってしまう。
「梓月ちゃんは……家族がいなくてね、遠い親せきが保護者なんだけど、あの学園に通うにはちょっと不便な場所に住んでいてね。自分は心配だからよく見守りに来る保護者のふりした人、かな?」
ふりって……。
最後の言葉に忘れそうになってしまうが、その前の言葉にひっかかりを持った。
『家族がいない』
つまり、両親は……もう亡くなっているという事。
母親までとは知らなかったが、片親かもしれないというのは考えにあった。
白野が棗明良の娘だというのなら、棗明良はあの事件ですでに亡くなっているからだ。
「梓月ちゃんのお父さんと仲が良くてね、昔からの知り合いなんだ……まあ、そんな関係か」
からりと笑う。もしくは、ニヤリと。
何かを含んだ笑みだ。
「で、君は梓月ちゃんの友達?」
「は、い?」
「梓月とはどういう関係か、と」
「……いや別に……同級生、なだけですよ」
そう、自分はただの同級生なだけだ。
それ以上、なんと言えばいいのだろうか。
実は妹のことで逆恨みをしていましたなんて、言えるはずがない。
話した事はあの初めて会ったあの日だけだし、仲がいいとかの前に彼女の事を全然知らない。仲が悪いという訳でもない。
ただ、知っているだけなのだ。
それが、どこかもどかしいというか……言葉にできない。
「あっ、矢野君っ。どこに行っていたのですか?」
いつの間にか、病院のロビーについていた。
困った顔をしたミントさんが駆けて、いや病院内だからだろう、早歩きでやってくる。
「そうか、残念だね」
「え?」
「じゃあ、また会おう」
理郷さんはそう言うと足早に去っていく。
ミントさんは彼に首を傾げ、理郷さんは小さく会釈をして擦れ違う。
なにが残念なのか、その意味を言う事は無く彼は去って行った。
「矢野君、先ほどのかたは……?」
「白野の保護者、らしいですよ」
「えっ?! そ、そうだったんですか? ど、ど、ど、どうしましょうっ、挨拶をし忘れましたっ」
慌てて理郷さんの消えた方角へと向かおうとする。
ミントさんは意外とこういう事に弱いらしい。
手足をばたつかせながらどこともなく走って行こうとしていた。
「……また会おう、か」
たぶん、また会う事になるのだろう。
なんとなく、そんな気がした。
その前に、
「ミントさん、理郷さんもういませんよ……」
あの暴走してしまったミントさんをどうするのかを考えないと。
「あなたはぜったいに……だって、それがかくていされたみらい……かんけつしたみらいがかわることなど、ない……だから……」
何度も、呪文の様に繰り返す言葉。
それは、彼女の世界を固定化させる言葉だった。
過去を忘れて生きる為の……呪文




