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 思い起こされるのは、三年前の記憶。

 当時の俺は、蓮見同様、天狗になっていたきらいがあったと思う。頭を下げることについて、イッパシであるつもりだった。ドゲコンに参加するに際しても、そうそう負けることもないだろう、なんてタカをくくっていた。

 天狗の鼻はへし折られた。

 美しすぎた。シャンと伸びきった背を、そのままに倒した上体。定規で測ったより正確に、等間隔をあけて突かれた両手。指の先まで全て左右対称であった。見せる意識、魅せる意識。自身の実力を誇示したいだけの俺とは次元の違うところで彼は土下座をやっていた。鳥肌が立った。完全に気おされた。知らず土下座の姿勢を崩して見入っていた。ロスト・アポロジーだなんて不名誉な負け方をしたのは、後にも先にもアレだけだった。

 それが俺と秋吉の出会いだった。

 だが。だが、俺はどうしても、ヤツの土下座に屈服したくなかった。それは、彼の土下座がショーであるからだ。魅せる土下座。ドゲコンが競技である以上、審査が入る以上、ある程度は致し方ないことだろうと思う。でもだからと言って、それが目的となってしまっては駄目だ。土下座は魅了するためにやるんじゃない。許してもらうためにやるんだ。かつて見たサラリーマンはかのヤクザを魅了したかったのだろうか。答えは断じてノーである。確かにあの土下座も美しかった。流麗で淀みのない所作に感嘆もした。だが、俺が真に感服したのは、その土下座の裏にある醜いまでの自己保身の精神である。殴られたくない、怒られたくない、お金とられたくない。そういう強い気持ちをして、あれほどの速くて綺麗な土下座が生み出されたはずだ。美しい土下座の裏に見苦しい浅ましさが透けている。それこそが、真に素晴らしい土下座というものではないのか。秋吉にはそれがない。だから俺の信じる土下座論と反するそれをする、彼には負けられない。それは俺自身のアイデンティティの保全の為であった。かつてはそうだった。

 それが変わったのは昨年のこと。秋吉もまた苦しんでいるということを知ったから。昨年、王座に輝いた彼は、帰りの電車でポツリと呟いた。「俺より恥ずかしい人間は居ないのかも知れない」と。細めた目で、新幹線の窓に四角く切り取られた山々の稜線を見つめながら、寂しそうに言ったのだ。

 俺は自身の不甲斐なさを感じた。彼がそこまで思いつめていることに全く気付かなかったこと。そこまで追い詰めてしまったのは、俺を始めとした他のドゲザーが彼の独壇場を崩せないのが遠因となっていること。チャンプであということは、まさしく今年一番のカスであるという証明に他ならず、それを三年もの間ほしいままにしている彼は、前述の言葉を吐いてしまった。吐かせてしまった。

 土下座とはドゲザー個々人のアイデンティティである。これは土下座界では常識すぎて今更語るものすら居ないほどである。だからこそ、ぶつけ合い、低め合う。アイツのああいう所が人間として駄目だ、俺も見習おう。そういう具合に、互いの欠点を吸収し合うような場がドゲコンである。だったら、学ぶべきモノを見つけられないドゲコンなど如何ほどの意味があるというのか。

 倒してやらねばならない。下には下が居る。もっとお前も下にいける。それを示してやらねばならない。その役割に一番近いのは俺だ。いつしかそれが使命であり、天命であると感じるようになった。最初は圧倒され、次に反目して、今はこういう心境だった。

 背にした扉の向こう、会場内が湧いた。どうやらもう一つの準決勝が終わったらしい。当然一人は秋吉、対戦相手は「比類なきインポテンツ」の異名をとる金沢氏だったはずだ。氏は今では珍しくなったRTBリターン・トゥ・ベイビー使いの第一人者で、いくら服を脱いで、衆目に裸体を晒しても、イチモツが微塵も反応しないという化け物である。彼のその有り様をして、RTBに対する性感可罰説の認識が覆った部分もある。もちろん既述の草野氏の著書がキッカケであるが、金沢氏は実技の中でそれを裏付ける存在だった。

 少しして、会場の扉が開き、件の金沢氏が顔を見せる。当然のように一糸纏わぬ姿だった。右肩に衣類がまとめて引っ掛けられている。七センチ程度の性器をブラブラと揺らしながらこちらに歩んできた。

「負けちゃったよ。通報もされちゃった」

「お疲れ様です」

「いやあ、秋吉君は本当に強いね」

「ええ。相手が悪かったというところですかね」

「ははは、わたしもそろそろ引退かな」

 金沢氏は頭頂部まで禿げ上がった頭をぺチンと叩く。呼応して太鼓腹とイチモツが揺れた。

「通報っていうのは?」

「ほら。今年は会場半分しか借りてないでしょう?」

 然り。半分は、地元の老人会の卓球大会だとかで、ネットで間仕切りされた半分側は、じいちゃんばあちゃんの社交場となっていた。

「ああ、それで」

「うん。やりにくくなったもんだよ。結果も知りたかったんだけど」

 何とも言えず、頷く。

「じゃあ、わたしは車待たせているから」

 会場の駐車場に、白と黒の車体とパトランプが見えた。パトカーを指して、車を待たせていると表現できる彼は、まだまだ懲りていない筈で、また来年もまみえることが出来るだろうと思った。


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