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 北陸に新進気鋭のドゲザーが居る。そういう噂は何度か耳にしていた。

 蓮見翔也はすみしょうや、それが彼の名前だった。見たところ俺とさして変わらないような年恰好だが、俺のように染髪することもなく、短く刈り込んだ黒髪と、力のある目、柔和な印象を与える小さな口元、と爽やかな好青年という印象が強い。この場にそぐわないとさえ思った。とても彼が醜くくも力強い、土下座などという行為に及ぶような人間には見えなかったのだ。

 さて。いざ向き合ってみても、その印象は拭えなかった。一体どんな土下座をしてくるのだろうか。彼に関しては、最近頭角を現してきたこともあり、前情報として有用なものは何一つ持ち合わせていない。ただ一つ、彼の「最上段からの魔術師」という、やはり土下座とは馴染みの薄そうな通り名を知っているくらいだ。

「第二回戦を始めます。白、瀬戸修。赤、蓮見翔也。用意はいいですね?」

 コクンと小さく首を縦に振る。目の前の青年もまた、自信に満ちた表情で頷く。俺を倒し、下克上を果たしてやろう、そういう気概を感じる。上等だ。俺だって挑戦者なんだ。相手が誰であろうが、ぶつかっていくのみ。

「よーい、ひざまずけ!」

 膝を折る。すねから床につけていく、そんな甘っちょろいやり方ではない。その場で折る。当然のように襲い掛かる浮遊感。両手を前に突き出し、落ちると同時に土下座の姿勢を作り出す。その集中の最中、俺は見た。

 最初は、彼も俺と同じような動きをしている、と思った。同じように膝を畳んだまま、宙に浮いていたからだ。だがすぐに、それが誤りだったと気付く。俺よりいくらか高い位置に浮いていたのだ。飛び上がったのだ、と理解したのと、俺が地に着いたのはほぼ同時だった。最上段からの魔術師、そういうことか。

「ファースト・アポロジー、白、瀬戸」

 横倉女史の宣言にかぶさるように、どんと大きな音がした。蓮見が落ちたのだ。俺も僅かに目線だけ上げて確認すると、彼は平伏していた。膝やすねがかなり痛いだろうと想像できるが、苦悶の声一つ上げず、微動だにしなかった。

 俺は少し相手の出方を窺うことにした。彼はすぐに動いた。腕を畳んだまま、そこに力を溜め込んでいるのがわかった。そして軽く、本当に小さく、足指を立て、そこを基点として、腕にためた力を解放する。ぴょこんと彼の体が小さく跳ねた。そして、最初の落下よりは控えめな音を残して再び落ちる。その間も彼の体の大部分は、床と水平に保たれたままだった。

「高土下座、赤、蓮見」

「なに?」

 こう、どげざ? 初めて聞くような類型だった。確かに、一瞬浮き上がった彼は、普通より高い位置で土下座をしたまま、すぐに落下するという作業を繰り返してはいるが、そんな土下座の基本概念から逸脱するようなものを認めてしまっていいのか。

 呆気に取られて、彼の動きを追っていたが、しばらくすると冷静さを取り戻した。

 ふうふう言っているのだ。確かに度肝を抜かれるような思いをしたが、冷静になってみれば何と言うことはない。高土下座だか何だか知らないが、そう何度も続けられるはずがない。彼の筋力は大したものだが、それでもあんな無理な体勢で、足の折れたツチガエルのようなマネをしていて、体力がもつはずもない。

 青いな、と思う。彼のパフォーマンスは確かに多分に自罰的なものではあるものの、こちらの良心を刺激するにはどうにも足りない。胸に迫るものがない。

 これならば、ダーク・ヒストリーを紡ぐ必要も無いだろう。

 ひざまずいたまま、そっと舌を出す。丁度彼の方は体力が尽きて、ぜえぜえ言いながら小休止しているところだった。一瞬視線が交錯する。俺が突き出した舌を見て、一体何をするのかと訝った雰囲気があった。構わずに、突き出した舌を床へ這わせた。

「ちゅ…… べろ、ちゅ、ちゅぷ」

 ぴちゃぴちゃと、大袈裟に音を立てて、床を舐め回す。

「ちょ、ちょっと、アンタ何やってんだ?」

 青年の顔に激しい動揺。

「ウォータリング・フローリング! 白、瀬戸」

 ウォータリング・フローリングは灰色の技。昨日今日始めたビギナーが知らないのも仕方ない。

「じゅるるるるるる」

 吸い立てる。口内に細かい砂利が入り込んだ。砂利を含んだ唾液を舌に乗せて、床へリリースすると、すぐさまそれをまた吸い立てる。今度は唾液を含ませたまま、舌で広範囲を舐め回す。

 ちらりと視線を上げる。蓮見はドンビキしていた。その蓮見に、視線で問いかける。どうする? と。お前が許すまで俺は舐めるのをやめない。同じ人間のここまでの痴態をお前は見続ける度胸があるのか、と問う。

「……俺の」

 か細い声が彼の喉から上がった。しんとなる会場。

「俺の、負けです。参りました」

 蓮見が立ち上がる。目からは試合前のような爛々とした輝きが失せていた。

「ちゅ、ちゅるる、ぴちゃ」

「やめろ! もう俺の負けだと言っているだろう」

「ロスト・アポロジー! 赤、蓮見。勝者、白、瀬戸」

「ずずずずず。ん、じゅぷ」

「瀬戸、勝負は決しました。やめなさい。オーバー・パフォーマンスで失格にしますよ?」

 その声にやっと俺は舌を離す。蛍光灯の光を反射して、床の一帯がぬらぬらと輝いていた。



 不可罰三行為と呼ばれるものがある。

 一つは、俺が先程はなった、「ウォータリング・フローリング」で、舌で自身の土下座フィールド内の一部若しくは全部を舐め回す行為である。一つは、「ホープレス・ピッグ」で、土下座中に、手足を動かし、対戦相手の後ろに回りこみ、靴を取って、その足を舐め回す行為である。一つは、「リターン・トゥ・ベイビー」で、土下座中に自身の衣服の一部若しくは全部を脱ぎ捨てる行為である。

 これら三行為のうち、ホープレス・ピッグについては、その行為による波及的な「アイデンティティ・プッシュ」の可能性が現実的であることから、ほとんどの審判が減点、若しくは失格の対象として取り扱っているので、実質、現行では不可罰三行為には含むべきではない。

 残りの二つについては、不朽の名著「誤まること、そして、謝ること」の中で、著者である草野亮くさのりょうが興味深い見解を示している。少し引用する。

 <このことを踏まえると、長らく支配的であった、性感可罰説はいささか乱暴な論理展開にわたしには思える。というのも、行為者自身にそのような性癖があるかどうか、という判断は、当然に外部からは出来かねるものであり、これら当該行為を、全て土下座にかこつけた、倒錯した性の欲求の発露と一括りに決め付けてしまうのはいかがなものか。もし仮に、行為者が心底ストイックに、多大な謝意を示したいという一念で、これら行為に及んでいる場合には、それはその人のスタイル、アイデンティティと呼ぶに相応しいものではないだろうか。これを、審判の一存で、倒錯した性の欲求の発露として罰しているのでは、さながらアイデンティティ・プッシュのようであり、由々しき事態と言える。このような現状に、わたしは疑問を禁じえない>

 この著作の発表後、土下座試技における、可罰行為、不可罰行為の大幅な見直しが行われたのは言うまでもない。同著の功績は、このことだけには留まらないが、蛇足になるので、割愛する。

 現在、俺が放ったウォータリング・フローリングを含めた三行為について、草野氏と同調するスタンス、即ち不可罰行為説に則り、罰しない者と、やはり旧弊な思想に捉われて科罰する者の二種類に大別される。未だ談論風発する議題ではあるが、主流は前者となっている。横倉女史もまた、行為自体についての注意がなかったところを見ると、その立場のようだ。だがあくまでも、罰を受けないというだけで、技巧として認められてはおらず、当然に加点対象とはならない。審判のコールがあるに留まる。

 蓮見は敗北のコールを受け取ると、粛々と会場を後にした。

 ドゲコンでは、参加者が他の参加者同士の試合を観戦するのはご法度なので、自分の試合が終わった後は勝者も敗者も一旦外へ出て待つ。敗者はそのまま帰宅することも出来るが、やはり決勝が終わるまで待っている人間が多い。今年一番の土下座をしたのが誰か、知りたいと思うのは、ドゲザーとしては当然だろう。

 だが、蓮見は帰った。駅の方へうなだれたまま帰っていく後姿を見ながら思う。

 是非とも帰ってきて欲しい。一度壁にぶつかって、一回りも二周りも小さくなって帰ってきて欲しい。もっと人間として大切なものを沢山捨て去って、不退転の気持ちで来年に向けて調整してほしい。

 蓮見の後姿は過去の俺だ。少しばかり人より速く土下座が出来るからと天狗になっていた俺。プロの技に触れ、打ちひしがれて、井の中の蛙と知って、恥ずかしくて悔しくて、涙が出た。きっと彼も今日は眠れないのだろう。自棄酒を呷るかもしれない。ひと気のない場所で泣き叫ぶかもしれない。

「這い上がって来い」

 米粒のように小さくなった背中に向かって、そっと声をかけた。


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