方向音痴少女のお昼
外を見ながら、ふと風に当たりたいな、と思って窓を開けた。桟に腰掛けて風に揺れる髪を押さえていると、下から鳴き声が聞こえた。
「あ、モモちゃん」
「ん、さっきの猫か?」
「どこ?」
「ひゃ! びっくりした」
いつの間に席を立ったのかも分からないほどの早さで私の隣から顔を出して、外を見る眼鏡の女の子。後ろを見ると、修くんもあまりの早さに驚いている様だった。
「猫、どこ?」
「え? あ、下」
モモちゃんは下から私を見ていたから、指をしたに向けて指し、私もそこを見た。
でも、
「「いない」」
そこにモモちゃんはいなかった。
「上だよ。気付けアホ」
「上? あ、ホントだ」
修くんに言われて、上を見ると、モモちゃんが身を乗り出して私を見ていた。踏ん張っているのか、体がプルプルと小刻みに震えていて、そんな頑張っているモモちゃんを見ると和む。
手を上に持って行き、ちゃんと上に乗せて眼鏡の娘にここだよ、と示して言うと、女の子はモモちゃんをじっと見つめた。
座っていたから分からなかったけど、この子は私よりも身長が低かった。どれくらいかと言うと、母さんくらい。だから、十センチ近くは身長差があることになる。
と、それはそうとして
「モモちゃん、いつの間に頭に乗ったんだろう? 修くん見てた?」
それが疑問だった。
だって、全く気が付かなかったし。
「お前が驚いてる間に乗ってたぞ?」
そうだったんだ。速いな、モモちゃん。
「前世は忍者かもね~」
「ゴロゴロ」
上に手を持っていき、頭を撫でながら言うと、気持ちよさそうに喉を鳴らした。
「その子、モモっていうの?」
「うん。なんか、ぴったりな気がして……あ、私は百合河菊。で、あっちが修くん。貴女は?」
なんか、なんでオレは短縮されてるんだよ、とか聞こえたけど今は無視無視。
「海野華」
「華ちゃんか。これからよろしくね?」
華ちゃんはこくりと頷いた。うん、静かな子だ。
「オレは千同修輔な? 断じて修くんが名前じゃねえぞ?」
「え~……いいじゃん、修くんで」
「お前は良くてもオレは良くねえ」
と、そこでグゥ~、と誰かのお腹が鳴り、腹減ったあ、と修くんが天井を仰いで言った。発生源は修くんらしい。そういえば、今日はお弁当を持ってきてないんだった。
「私もお腹すいた。さっき走ったからかな?」
「それしか考えられねえよ…………オレなんか朝飯食おうとした所でお前が来たんだぞ?」
「日付間違えてるからでしょ? それより、どうする? ごはん買いに行く?」
「そうだな。なあ、海野、学食の場所とか分かるか?」
華ちゃんは頷いて、付いてきて、と言うように歩き出した。
「モモちゃん、すぐに戻ってくるから待っててね?」
「にゃ~」
「よしよし」
桟に降ろして言うと、ちゃんと返事をするモモちゃんの頭を撫でて、外に降りたのを確認して先に行っていた修くん達の後を追う。もう少しで見失う所だった。
「待ってくれても良いのに」
「校内でも迷うのか? お前は」
「ふふん。中学校でも一日一回は迷子になってた」
「威張ることじゃない」
「全くだ」
「う……二人とも冷たい(心にぐっさりと刺さったよ)」
迷うことなく進んでいく華ちゃんの後に付いて、校内を進んでいき数分歩いた所で学食に到着した。私は、まずは学校の構造を少しでも覚えておこうと思い、壁に掛けてある地図を見た。
ここ水蓮高校は、北と南の二つの棟に分かれていて、北に普段の授業を行う教室があって、南は科学や生物の実験に使う教室や音楽に使う教室がある。二つの棟の間には庭があって、そこでご飯を食べることもできるらしい。
ご丁寧にそう書いてある。
それから、二つの棟とは別に図書館がある。ここの図書館はかなりの蔵書量があるのか、一棟まるまる図書館に使っている。一体何冊の本があるんだろう?
体育館はグラウンドの隣にあって、他にもテニスコートとかもある。
(強いのかな? 四面もあるなんて。それとも単に人数が多いだけかな? まあ、いいか)
職員室は一階の奥にある。学食も同じく一階で、職員室とは反対の位置にあって、気合いを入れる所が間違ってると思う。外には日傘付きのテーブルまであった。
とりあえず地図は見終わったから、私も何か買おうと思って券売機に向かった。
「どれにしようかな?」
後ろには誰も立っていないから、ゆっくり考えて決めることにして、上の列から順に見ていく。
唐揚げ定食にしようと決めて、五百円硬貨を入れてボタンを押そうとした所で、
「あ、母さんが待ってるか……」
昨日、今日はお昼前には帰るからと言ったら、お昼ご飯作って待ってるからね、と言っていたのを思い出した。
「無駄遣いはしちゃ駄目だよね」
払い戻しのレバーを引こうと手を伸ばすと、後ろから声をかけられた。振り向くと修くんと華ちゃんがパンを持って立っていた。
「あ、少し待って。お金戻したら――」
「あ」
「え?」
言っている途中で修くんが後ろを見て声を上げ、直後聞こえてくるピ、という機械音と小銭が落ちてくる音。振り向くと、私よりも五センチほど高い女子生徒が立っていた。
キャンディなのか、小さな白い棒が口から出ており、赤い髪がワイルドに跳ねていて、前髪は二本の黄色いピンで留められている。瞳の色は蒼で、少しつり上がっている。
「て! 何勝手に人のお金で券買ってるの!」
呑気に観察なんてしてる場合じゃない。しかも、この人が買った券には四百円と書かれている。つまり、お釣りは百円だけ。ああ~、四百円も無駄に使ってしまった。
「ん? だって、お前そいつらと話してたし、別にいいだろ?」
「良くない! はあ……もういい、この百円も貴女にあげる。行こう、修くん、華ちゃん」
「おい! いいのか、何も買わなくて」
「母さんが家でご飯作ってるから、いいの」
乱暴に答えて学食を一人さっさと出て行き、教室へと歩いていく。
「そっちは職員室だ」
また、襟を掴まれて、動きを止められる。それから、今度は手首を握られてそのまま華ちゃんの後を歩いていく。
視界の隅で、さっきの人が百円を指で弾いて遊びながら私たちを見ているのが見えた。
(やっぱり百円は取っておくんだった)
教室に着いた所で、窓によりモモちゃんを呼ぶと、近くにいたのかすぐに出てきてまた私の頭に飛び乗ってきた。流れでなんとなく、華ちゃんも私の前の席の椅子を回転させて座り、メロンパンをもくもくと食べ始める。
「お前、帰らなくていいのか? お袋さん、待ってるんだろ?」
「……一人で帰れるか不安」
「お前、家にすら帰れないのか?」
修くんは呆れながら言ってきた。確かに学校から家まではそんなに曲がったりする訳じゃないけど、朝があれだったからどうしても不安になる。商店街の人達の手を煩わせる訳にもいかないし。
「(でも、早く帰らないと母さんも心配してるだろうし)なんとかする」
「はあ……少し待ってろ、分かる所まで送るから」
「え? いいの?」
「それくらいはな」
言って、修くんはすぐにパンを食べた。席を立ち鞄を肩に掛ける。
「じゃ、行くか。海野……も帰るみたいだな」
「え? おお、いつの間に」
華ちゃんを見ると、どうやったのか既に鞄を右手に持っていた。でも、口元にチョココロネのチョコが付いていた。
近づいて、人差し指でそのチョコを取り舐める。
「ん、甘い。じゃ、行こうか?」
「お前……まあ、いいか」
「ん? あ、モモちゃんは、また外で待っててね?」
「にゃっ!」
元気な返事をして頭から飛び降りたモモちゃんを見送り、窓を閉めて、今度は最初から修くんに手を引かれて三人で歩き始めた。私はそんなに信用がないのだろうか?
そう思いながら、前を歩く華ちゃんを見ると、耳が赤くなっていた。
「華ちゃん、赤いけど大丈夫? 熱あるんじゃない?」
「問題ない」
「そう?」
「アホ」
引っ張られながら、何故か修くんにアホ呼ばわりされてしまったけど、どうしてだろうか。