方向音痴少女の遅刻
「ん~…………これは、またやっちゃったかな? しまったなぁ……道はちゃんと覚えているつもりだったんだけど。どこで間違えたのかな……とりあえず、家に連絡を…………ん? あれ?」
「み?」
家に連絡を取ろうと思って、鞄から携帯を取り出そうと手を突っ込み中を漁る。でもいっこうに見つからず、ポケットにも入っていなかった。
「家に…………忘れた」
ガク、と木が生い茂るどこだか分からない森の中で膝と手を付き項垂れると、猫ちゃんが頭から落ちてしまった。なんとか無事に着地して、私を慰めてくれているのか手を舐めてくれる。
「ありがとう、猫ちゃん。こうしていても何も始まらないし、とにかく歩こうか」
抱え直して頭に乗せ、とりあえず来た道を引き返すことにした。のは良かったけど、何とか森を抜け出した時には体感で一時間が経過していた。
(これじゃ、入学式は終わってるな……まさか、初日から遅刻することになるとは思わなんだ。まあ、猫ちゃんに会えたから良いけど)
少し歩くと、道があったからそこを道なりに進んでいくことにした。
なんか途中で、猫の像とか猿の像とか、いかにもな雰囲気を醸し出している神社とか色々あって、猫ちゃんがいなかったら怖くて泣いてたかも知れない。
家も結構あったけど、学生が多いのか、お年寄りが多いのか道には殆ど人がいなくて、途中で道を聞こうと思った家に限って誰もいなかったりした。その後、三件程回った所でやっと起きている人に巡り会えた。
「なに?」
その人は、染めているのか地毛なのか分からないけど、真っ白な髪をしていて、けど不健康な感じはしない青年だった。多分、私と大して年は変わらないと思う。
若干つり上がった蒼い瞳に、見た目よりは鍛えられていそうな締まった体。
「(て、私は変態か!)あ、あの……私、水蓮高校に行きたいんですけど、場所分かりますか?」
「水蓮高校? え、ちょっと待て、今日って何日だ?」
「え? 四月八日だけど、それが……って、どこいくの?」
質問に答えると青年は慌てた様子で中に引っ込み、その後すぐにバタバタと騒がしい音が聞こえてきた。
「どうしたんだろうね?」
「にゃ~」
猫ちゃんに聞いていると、その間に準備が済んだのか青年が戻ってきた。水蓮高校の男子の制服を着て。
何故か女子はセーラー服で男子はブレザー。ちなみに色は紫で、ズボンは縦線と横線が入ったチェック柄。
「え? あなたも水蓮高校なの?」
青年はそうだよ、と乱暴に答えながら家の鍵を閉めてかけだした。
「案内するから、付いてこい!」
「え! ちょ、待ってよ!」
猫ちゃんが落ちないように、頭から降ろしてしっかり抱えながら後を追いかける。
春先とは言え、陽が照っている中で走るのは疲れる。
必死で青年の後を追いかけながら、次第に見慣れた場所に出てきて、桜が舞い散る商店街に出た。
「ん? 菊ちゃんじゃねえか、学校はどうした?」
「今向かってるとこ!」
「は?」
「おい、話してる暇があるなら速く走れ!」
「分かってる! おじさん、また後でね!」
おじさんに手を振って、文句を言いながらも待ってくれていた青年の元へと走っていく。それからも、八百屋のおばちゃんや魚屋のおじちゃんに声をかけられたけど、全部後でね、と言って走った。
暫く走り続けて、漸く学校が見えてきた。
「着いた!」
校門の前で声を上げると、青年に静かにしろと軽く頭を叩かれた。
「そういえば、あなた名前は? 私は百合河菊。この子は……モモちゃん」
「は? モモ? まあ、いいや、オレは千同修輔」
「え?」
一瞬聞き間違いかと思ったけど、そうじゃない。本当に父さんと同じ名前なんだ。
「(でも、当たり前か同じ名前の人なんて探せばいくらでもいるだろうし。私はまだ同じ名前の人とは会ったこと無いけど、いや会いたい訳でもないけど……それはともかく)修くんって呼んでもいい?」
「あ? まあ、呼び名なんか何でもいいが。じゃあ、オレは先に行くぞ?」
「あ、まってよ、私も行く。モモちゃん、建物の中には入っちゃだめだからね?」
「に~」
桜の木の下に降ろすと、どこかにトコトコと歩いていった。敷地から出るつもりはないみたいだ。
(さて、私も早く行こう)
と思って足を前に出すと襟を掴まれた。
「どこに行くつもりだ? そっちは外だろうが」
「あ……いや~、ごめんごめん」
修くんに引っ張られて、私はやっと校内に入ることができた。
恐らく先輩達だろう人達が、グランドで走ったりしていたけど、中にはあまり人影が無い。入学式はとっくに終わっているんだから仕方ないけど。
職員室まで修くんに腕を引かれて連れて行かれて、ドアの前で修くんの方から手を離した。
中に入り、どの先生か分からないから、とりあえず奥に座っている先生に新入生であることを伝えると遅刻してきた二人かね、と眼鏡を光らせて言われた。頷くと、特に何を言われることも無く一年B組だ、と言われて、私たちはB組に向かった。
教室の扉を開けて中に入ると、もうとっくにみんな帰ってたと思ってたけど真ん中の席に一人だけ女の子が座っていた。縁なしの眼鏡をかけていて、小さな文庫本を読んでいる。
髪の色は茶色で、目の色は赤。
何も言わず私たちの方を向いて、また本に目を落とす。
黒板に貼ってあった座席表を見ると、まだ空いていることを示しているのか、二カ所だけ白くて、後は全部赤い線が引かれていた。窓際一番後ろとその隣が空いていて、私が窓際に座った。
「あ、狙ってたのに!」
「早い者勝ちだも~ん」
「く、まあ、いいか。ここなら寝てもバレ無いだろうし。にしても、あれだな、来た意味なかったな?」
「そうだね……そういえば、修くんはどうして日付聞いてきたの? もしかして一日勘違いしてたとかじゃないよね?」
「…………分かってるなら聞くなよ」
「……なんか、ごめん」
「いや」
頬杖をついて、そっぽを向きながら言う修くんに謝るとそう返ってきた。
特にすることも無いから、私も両手で頬杖をついて足をブラブラさせて、偶に窓の外を見ながら過ごしていた。
「修くんさ……部活とかするの?」
「なんだ、いきなり。しねえよ、面倒だし」
「そっか。あ、携帯持ってる?」
「ああ」
答えてブレザーの内ポケットから紫の携帯を取り出す修くん。
「ちょっと貸して? 番号とメアド書くから」
「は? んなことしなくても、赤外線で交換できるだろ?」
「私今日携帯忘れちゃったんだぁ……それで、道に迷っても連絡取る手段が無くて、道なりに歩いてたら修くんの所にたどり着いたの」
「迷うか? 普通」
「方向音痴なもので」
「ああ、それでさっきも外に行こうとしてたのか。いくら何でも馬鹿すぎるだろ」
(そんなバッサリ斬らなくても……)
差し出された携帯を受け取り、鞄からメモ帳を取り出してメモする。それを千切って胸ポケットにしまい、今度は自分の番号とメアドを書いてそれを渡す。
「よく覚えてるな?」
「修くんは覚えてないの?」
「番号くらいは覚えてるが、メアドとなるとそんなスラスラとは出てこねえよ。使う機会も殆どないからな」
「どうして?」
「する相手がいなくてな」
「成る程ね……」
時計を見ると、時刻は十時半を指していた。
また、静かになった教室の中で、女の子が本を捲るパラ、という音がやけに大きく聞こえた。