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加重

作者: 柴田彼女
掲載日:2026/08/31

 私の通っていた小学校では、一部の理科の授業を映像のみで行っていました。それは分銅を用いた実験です。

 正しく重さを量りましょう。用意された分銅は、一グラム、五グラム、十グラム、それぞれ複数個。片方の上皿天秤には何らかの粉の山。さて、この粉は一体何グラムですか? 分銅を使って、調べてみましょう。

 ビデオの中の、同年代と思わしき男女の子役が、ああでもないこうでもないとピンセットで分銅を摘み、重さを量ります。まだまだ少ないね。ううん今度は多かった。このくらいかな。そうそう、分銅は直接指で触ってはいけないんだよね。気をつけて――よしわかったぞ、合計は二十七グラムだ。

 そんなつまらないビデオだけで、私たちは実験を「行った」こととされました。

 けれど、母校には上皿天秤が確かにあったのです。鍵のかかった硝子戸の棚に、薄らと埃を被って、もう何年も使われていない様子で。皆、それから気を逸らしながら。面白味もないビデオに齧りつくようにして、必死に。長机の下で、両の手を強く握りしめて。何にも触れないように。



 さて、どの学校にも一つや二つ、怖い噂話はあったものでしょう。

 何階のトイレを放課後に何回叩くと、中からぬっと真っ黒い。何時間目の移動教室の時、中庭の楓の木の下を覗けばそこから。夜のプール、腰洗い槽の中からやけに細長い手が伸びてきて、その時私たちは。

 そういった、似たような話が何十何百とありそうな程度のもの。

 つまり当校では、それが分銅に纏わる話でした。


「上皿天秤の授業では、絶対に分銅を素手で触ってはいけない。魂が吸い取られて、代わりに分銅が二十一グラム重くなるから」


 よくわからない話です。精々何十グラムといった重さの分銅が、少し触っただけで二十一グラムも増えるわけがありません。私より九つ上の兄も同じ小学校に通っていましたが、曰く兄の学年では実際に分銅の実験を行っていたそうです。だから兄より下、私よりは上。その年代に、何らかの理由で分銅を用いた授業はビデオに切り替えられ、そしてそれに無理やり理由づけるかのように、

「この学校の分銅を素手で触ると、分銅に魂が吸い取られる」

 という幼稚な怪談話が出来上がった。おそらくはそういうことなのでしょう。



 幼少期、私は惨い子どもでした。

 蜻蛉の翅をちぎるような、蝶々の鱗粉にわざと手脂をつけるような、繰り返し金魚や兎の餌遣りを忘れたふりをするような、そういう類の、命を軽薄に見積もる、おぞましい生き物でありました。

 しかし、周りの人間は私のことを随分とうっかり屋の、浅慮で幼いだけの子どもだと思っていたようでした。何度注意しても、この子はすぐ忘れてしまうから。どこかあっけらかんとした両親のその解釈は、私にとって何より都合のいいものでした。

 私は意識的に無邪気にふるまい、そして蟻の巣の近くで地団駄を踏み続けました。靴底で、大量の魂が消えていく感覚を想像しながら。

 一匹一グラムにも満たない蟻の魂は、一体どれほどの重さだったのでしょうか。


 けれど時折、私が羽虫を殺す際に抱いている快感を見抜いてくる大人がいました。

 彼らは私を「おかしい」と言いました。この子は何か、変だ。幼いという範疇を超えた残酷さがある。生き物を痛めつけて、悦んでいる。

 彼らはそのようなことを、たびたび私の周囲の、私の本質に気づいていない大人たちに告げました。考えすぎだと笑われている最中、彼らの両目は、私の両目を見ていました。自分だけは気づいている。そのような、冷えた目でした。

 よくない展開が待っていると思いました。

 だから私は、擬態したのです。それまで私が気軽に殺してきた虫たちの中の、どれか一つのように。


 私は良い子になるよう努めました。

 勉学に励み、苦手な運動を懸命にこなし、親しい友人を増やしました。高学年になっても冷たい目の大人たちは私を訝しんでいるようでしたが、それらは次第に他の大人たちに紛れて見えなくなりました。そのころになると私自身、自分のそういった性質をすっかり忘れかけていました。



 ですから分銅の授業が始まる数日前、友人からこの怪談話を聞いた時、閉じていた目がぱっと開いたような、分厚い皮膜が勢いよく破れたような、そんな感覚に陥ったのです。

 触れば魂が吸い取られる。

 魂が吸い取られると、人はどうなるのでしょうか。

 瞬時に、死ぬだろう、と思いました。死んでほしいと思いました。その頃の私はまだ人間が死ぬところを見たことがありませんでした。見てみたい、という欲求を押さえることが、どうにもできないのです。目の前で、誰かの魂が吸われるところを見てみたい。どうにかして、誰かに分銅を触ってほしい。誰でもいいから。私の目の前で。たったの二十一グラムを失ってほしい。

 早速私は担任教師に願い出ました。分銅の授業をきちんと行ってほしい。実際に実験してみなければ、本当に学んだことにはならないのではないですか。そのようなことを言いました。その頃の私はもうすっかり良い子でしたから、担任教師は私の思惑になど過ってもいないようでした。

 それでも先生は困ったような顔をして、

「うちの学校では、分銅の授業はやらないって決まっているから」

 と繰り返すだけでした。どうしてですか? 道具がないんですか? 理科室には上皿天秤がありますよね。分銅だけがないということですか? それはなぜですか? 私は食い下がります。まるで学ぶことを求めている、至って真面目な学生のように。

 結局担任教師は折れることなく、ただ「できないものはできないから」と言うだけでした。

 何日か経って、私は理科室でビデオを見ていました。子どもが実験をしている、いくらか劣化した映像。ただの動画。


 その後、クラスメイトの話を繋ぎ合わせることによって、分銅の実験がなくなった理由がわかりました。七つ上の学年で、分銅を窓から落とす、という度の過ぎた悪ふざけが複数回行われた。ただそれだけのことでした。

 分銅に限らず、窓から落とせば危ないものがそこいらにあることくらい、誰にでもわかります。しかし、分銅を落とす遊びが校内で流行してしまった。怪我人こそ出なかったが、それは運がよかっただけのこと。もし窓の下を誰かが歩いていたら。想像力のない子どもの行いが、結果として怪談話まで進んでしまったのでしょう。

 それは全く魅力的でない、あまりにも現実的すぎる答えでした。

 くだらない。面白味のない。仕様もない。そんな、何もない怪談話の始まり。得てして、怪談とはその程度のものなのかもしれません。


 そう、それはただのデマでした。つまらないデマでした。

 でも、本当にただのデマなのでしょうか。七年も経てば、校内の教師もある程度入れ替わっていたでしょう。当時のことをはっきりと知っている生徒は極めて少なく、彼らも親きょうだいから何となく聞いた程度の、噂話の域を超えないそれでしかありませんでした。

 つまり、このデマ自体がデマである可能性は、捨てきれないのです。

 では、どうしたらいいでしょうか。

 実際に、誰かに、この学校の分銅を触らせればいいのです。

 それは、極めて簡単な結論でした。

 勿論、即座にそれを実行する術など私にはありませんでした。理科室には常に鍵がかけられていましたし、上皿天秤が収納された棚にもまた同様でした。

 当時の私にその鍵を破る手立てはなく、しばらくして私は小学校を卒業し、理科室どころか、校内に入ることさえ叶わなくなりました。



 そこから十年と少し。

 私は、小学校教諭になっていました。いくつかの赴任先を経て、この、我が校に戻ってきたのです。受け持ったクラスは一年生。まだ分銅を使うような学年ではなく、そもそも理科の授業は三年生から始まり、上皿天秤は四年生で使うのです。

 ですから、さっさと済ませることにしました。やっとここまでこられたのですから。


 ある日の放課後、私は特段懐いていた男子生徒一人を連れ、こっそりと理科室に忍び込みました。

「この教室は、まだあなたが使うことはないけれど、きょうだけは特別入れてあげますね。ああそうそう、何も触ってはいけませんよ」

 私は隠し持っていた鍵を使い、引き戸と戸棚を順繰りに開けました。

「せっかくですし、いくつか実験道具を見せてあげましょうね。理科はとっても学びのあるものです」

 そうして彼らの前に分銅の入った箱を置きました。蓋を開けると、彼はその銀色に光る物体に目を輝かせます。

「これは、分銅、と言います。重さを量る道具ですね。四年生になったら使えますよ。ほら、近くで、ようく、ご覧なさい」

 わあ、と小さな歓声。そして彼はぬっと手を伸ばし、

「あれ、重い」

 分銅に、直接触れました。


「いけない、それは触ってはならないんです」

 私は慌てたように声を出し、彼は勢いよく手を引っ込めます。

 その反動で彼はバランスを崩し、椅子ごと床に倒れました。鈍い音が鳴り、ゆっくりと赤い水溜りが広がっていきます。

 私は彼を見下ろしていました。あらかじめ支度していたバッグに、分銅をケースごと隠し、戸棚を閉め、それから痙攣している生徒の横に立つと、

「ああああ」

 金切り声を上げました。

 私の絶叫を聞いた他の教師が走ってきて、私の足元に転がる男子生徒を見、

「誰か、誰か、救急車!」

 ただ震えているだけの私をよそに、必死に生徒へ声をかけていました。



「彼が理科室を見てみたいと言って、私はそれに応えてしまって、本当に、申し訳ないことをしたと、浅はかなことをしてしまったと、それだけで、あとはもう、何を言っていいのか」

 私はそればかりを繰り返すことに専念しました。


 短い教員生活でした。

 今私は、母校から遠く離れた土地で、暗い部屋に引きこもって暮らしています。

 時折、分銅の箱を開けて、家庭用の電子秤で重さを量ります。

 二十グラムのはずの分銅と、画面に映る四十一グラムという数字に、私は命の重さを想い、その甘ったるさに目を細めています。

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