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序章

【魔女に呪われ(あいされ)た少女の日誌】


 私の名前は、何だったか。

 もう思い出せなくなってしまった。もう、消えてしまった。家族のことも、国のことも、魔女のことだって、もうどうでも良くなっていた。魔女に拾われ、星の煌めきがどれだけ私達に冷酷な視線を向けているのかを知って。私はどうでも良くなったのだ。

 ────せめて、そのままで居たかった。


 魔女狩りが起こった。三代貴族の一つである〔アインシュトルツ家〕が、この大陸を制する〔クレジェンテ王国〕の裏切り者だと告発されてしまったらしい。アインシュトルツ家の中で唯一“魔法の使えない落ちこぼれ”であったとある少女が最期に処刑されるまでに、私を親元から離し育ててきた魔女は死んだ。

 魔女の処刑を執行する処刑人が、私の元に来た時のことは、鮮明に覚えている。



 あの日も、拾われた時と同じように星空が広がっていた。




 ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ 




「貴女は、誰?」


 膝を抱え、座り込んでいる私の眼前、倒れて血を吐く魔女の、虚ろな双眸。顔を上げると、銀色の刃を私に向けて、少女が私を見下していた。

 刃が月光を受けて光る。木々の中、奥の方に幾らかのランタンの灯りも見えた。恐らくは、処刑人に付いてきた監視役の〔スチュワート家〕たち。囲まれている訳では無いが、王家直属の配下にある家系の者だ────囲まずとも、私のような子供一人、すぐに殺せてしまうだろう。


 王国は腐っている訳じゃない。それは分かっている。それでも、魔女の手に堕ちたであろうと言われてきた私を、話も聞こうとせずただ刃を向けるだけでは、私もされるがままにはなりたくない。


「……処刑人三十七番、ミウナ。魔女の子を殺しに来た」


「私は魔女の子供じゃない。私は、勝手に親の亡骸と弟から引き剥がされて、ここで生きてきただけ」


「なら、名前は覚えているだろう」


「…………」


 魔女に魔力を与えられた者は記憶を失っていく。最初に失うのは名前だ。“貴女は魔女に力を貸してもらっていない証明ができるのか”と聞かれた私には、応答できる記憶を持ち合わせていなかった。

 生憎、私は魔力を呪いとして秘密裏に埋め込まれていた。それに気付かず、しかし名前の言えぬことは同じで。口ごもった私の様子を見て、処刑人は溜息を吐く。刃の輝きがうねり、私の首元に当てられる。ビクリと肩をはねさせるも、私は処刑人を睨み上げた。

 でも一瞬、ミウナの瞳に迷いが垣間見え、私は息をのむ。


 目を反らした先、魔女が────シュニャーオが、私を見つめていた。

 嫌な予感がして、後退りする。しかしもう遅い。左目が痛み、夜空がそこに移る。星の光が差し込み、私は額ごと目を抑えて立ち上がった。ミウナが驚きながらも、こちらを伺ってくる。


「い゛っ」


「そこから動くな。魔女の呪いが発現した」


 何も知らされないまま、ミウナは私の手を取ると、両手で包み込んで横目で後ろを見る。灯りが揺らいでいる。


「聞いて」


 真っ直ぐな視線。揺らぐ視界の中、それがはっきりと私の目の前にある。足元のシュニャーオの体が、霧散して。顔が引きつった。


「今から殺したフリをして、君を逃がす。別の世界でなら、君を受け入れてくれる優しい人が居るはずだ。ここに居ても、迫害されてしまう。いつか殺される」


「────」


 逃げてどうなるの? 別世界に行って、弟を置き去りにして、どうすればいいの?

 焦りだけが溢れている。私は息が上がり、ミウナが当てた刃から血色の何かが流れていくのを見ている。そのまま暗闇へと抱えられて、ミウナは森の中を無我夢中で駆けた。


 投げ込まれた先は、星扉。

 そうして、私は幾年かの時間を虚実の世で過ごす事になる。


 星扉を潜り、振り返った先には、知らない道があった。花の吊るされた、“枯花之道”だ。それを通り向かいにある別世界への扉に手を掛けて、私は気付く。

 耳元に誰かの息がかかる。


「────シュニャーオから名の祝福を授けましょうね。愛しい子」


 やめて。


「貴女に名前を、祝福を」


 私は望んでいない。


「アリス・ウッド。私の、愛しい子。あぁ、いい名前でしょう? シュニャーオからの贈り物、大切にして頂戴ね。そして、二度と幸せになれなくなって頂戴ね。愛しい子、愛しい子。私はいつまでも貴女の絶望を心待ちにしている。不可思議な世界を渡り歩く少女の名を冠し、貴女は世界に叫び続ければいい。不条理を、不公平さを、愛すべき者たちを、宝物を、次々と奪われていく冷酷さを、運命を。呪って、呪って、許さないでね」


「……いや、っ──────やだぁ!」


 私は私でありたい。弟の笑顔を抱きしめたい。世界の中で包み込まれ、日常を一喜一憂する筈だったのに。

 お前が台無しにした。お前が引きずり込んだ。


「────許さない、殺してやるッ! お前だけは、私が──俺が、殺してやるッ!!」


 待っていればいい。指をくわえて。


「殺してやる、殺してやる……シュニャーオ、悪心の魔女──!」




 ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ ❇




「と、言う訳で……そろそろ元の世界の方に帰るが、大丈夫か?」


 あれから何年経ったろうか。復讐心が未だ俺の身を燃やし、それだけが俺を生かしている。

 虚実の世へと来た時から成長したのにも関わらず、彼女──親友であり西の魔女、アセリア・アタナシアは、この世界の不条理に文句も言わず、ただ弟と仲間の身を案じ、死を悲しんでいる。

 眼帯を貰った。アセリアの作った魔導具の一種だ。彼女は弟と魔導具や魔導書などを作り売っていて、旅が好きで……俺の世界の魔女とは違う優しい魔女であるアセリアには、沢山助けられた。


 呪いによりシャロームの死を覆し、アセリアの声を取り戻させた事に後悔は無い。が、心配はある。俺の呪いは現実を捻じ曲げる、運命として決まったものを覆すことができるが、代わりに代償が付いてくるのだ。

 死を覆した彼の代償は計り知れない。もしかすると、少しの延命にしかならなかった可能性もある。


 俺はここには居られない。居たとして、何もできやしないのだ。

 戦える刃を持たず、交渉の為の根回しも苦手で、立ち振る舞いも見た目にそぐわない。俺には、居たはずの親が付けてくれた愛のある名前が無い。あるのは、空になった身体だけ。

 虚しくなってくるこの心を振り払って、俺は庭の花を詰むアセリアに微笑みかける。彼女はとんがった帽子をかぶり直すと、花を二輪、俺に手渡した。


「……ありがとう。これ、何ていう花なんだ?」


「不滅の花よ。私がシャルから貰ったものと同じ、枯れない花」


 薄桃の花弁は揺れ、同じように風に吹かれたアセリアの髪が靡く。


 花言葉は確か────“旅路の幸福”、“故郷への愛”。といえど、専門家が付けたものでは無く、シャロームが初めて見つけ、俺達で考えた名と言葉だ。

 俺は不滅の花を髪の三つ編みに括りつけると、その長い薄紫の髪を一つに纏める。


「花は本数によって花言葉が変わることがあるのよ、アリス」


「…………二本だと、どうなるんだ?」




 それはいつか、図鑑の最後に明かされるのだと、彼女は悪戯っぽく笑い、花のように日を眺める。


 魔女の塔へと発つ。誰も居なくなったあの塔へと。




【ファミリアの唄】


 その後 私は貴女を送る

 心に刻まれた悲哀 共に生きた魔女の魂

 災厄は厄災と 共に民の心へ刻まれ

 いずれ最期には 光差す地に灰と化す

 信仰は一時 進行は永劫に

 我ら魔女の血引くものは

 魔女の血愛し故郷に馳せよ

 雪は愛留まらす注げよ

 火は想い焼き付けるために燃えよ

 水は形変え継ぎ続けよ

 風は緑の香讃えよ

 針を神雷の如く走らせ

 心を暗きから脱させ

 歌よ大地を巡れば

 闇はいずれ光と共に

 魔女の血愛し故郷に馳せる

 我ら魔女の血引くものよ

 塔は全てを見下ろす眼

 我ら魔女の血引くものは いずれ灰へ

 星々の下 灰へ



 ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ ❇


 塔は大体七階建て位の高さで、槍のような形をしている。扉は暗い色の気で出来ており、垂れ下がっている黒い金属のノブを、俺は掴む。開けて中にはいると、円形の内装の中心に、これまた円形の机があり、それを取り囲むように、十個の椅子が置かれていた。

 昔と変わらない。ここで塔の魔女が死に、印と時の魔女も破壊されたのか、疑念が生じてしまう。


 その静けさこそ、事実を主張しているというのに。


 階段を登り、半円を締める部屋────塔、印、時の魔女が共に使った部屋を通り過ぎて外に出ると、更に上へ行く階段が外壁に沿って続いている。それを登りきり、柱と屋根しかない一番上の床に足を付けた。

 そして、前方に感じられた気配に、俺は目を丸くする。絶句して、顔を微かに震わせながらも、ゆっくりと、上げて確認する。


「────アリス」


 赤い髪は短くふわりと靡いていて、碧眼は揺れることなく、真っ直ぐに俺を見つめている。眼前、立ち尽くす俺の顔を見て、責めるわけでも悲痛を表立たせて喚くでも無く、ただ静けさを纏わせてそこにいたのは────。


「旅立ちの為、星扉を探しているようだね。ポックの案内が必要かな」


「ポルックス、君、生きて……?」


「ポックは……ずっとここに居た。君が来ると思っていたんだ。……カットに予見された未来は、確実にやってくるから」


 硬いものがぶつかり合う音が鳴り、印の魔女──ポルックスの手から提げられたのは、古びた金属の鍵束だ。それを示し、淡々とついてくるよう言ってから、彼女は俺の横を通り過ぎ、階段を降りていく。

 ────そう。俺は星扉の位置を知らなかった。


 初めてこちらに来た時のことは、気絶していたものだから分からない。痛みに悶絶していたのか、魔女による記憶障害と似た現象なのか。


 ポルックスについていきながら、彼女の話す幾らかの昔話を聞く。ぽつりぽつりとこぼされていく言葉に、表にある顔とは違う心情の一面が見え隠れして、俺は改めて思うのだ。

 ────あぁ、俺は何もこの人達の事を知らないんだな。そう、思うのだ。

 アセリア達が俺の詳細を全て理解できる訳ではないように、俺も彼女達の内情を殆ど知らない。一緒に居た時間も短かかった。


 同じ魔女でも、世界が違えば認識ごと変わることはある。



 どうやら地下にあった星扉の前に着くと、数歩前でポルックスがこちらを振り返った。


「案内は……終わった。アリス、君は君の旅路を行くと良い」


「アセリアに無事を伝えなくて良いのか? あの子はずっと、皆の死に酷く傷付いている」


「……ラ・ヴァンドラは、二人で一つ。カットが生命活動が困難な状態ならば、それは生きているとは……言わない。それに」


 口を噤み、ひび割れている頬を撫ぜる。


「ラ・ヴァンドラは、アセリアに絶対的な信頼がある」


 自分の事を名前で呼び、双子である二人を“私達”でなくラ・ヴァンドラと称するのがポルックスとカストールの独特な所だ。


「……そうかい。俺からの報告も要らないか?」


「無論、魔女の事は魔女が請け負う。アリス、その言葉からするに、アセリアとの連絡方法はあるんだね」


 頷いて、俺は扉のノブに手を掛けた。

 大気中のマナが扉から弾かれるようにしてあるところからも、星扉が確かに世界との境界線であると感じられる。

 後ろを振り向けば、小首を傾げ薄ら笑むポルックスが居る。


「君の旅に、幸多からん事を……願ってる」


「…………君達こそ、どうにか幸せになってくれ」


 他力本願にもほどがあるかもしれない。実際命の恩人のようなものである彼女達に、何を返すでもなく帰ると言い放った俺の身勝手さは、誰とも比べられないほど、酷い行動なのではないかと。

 それでも、俺は帰らなければならない、という思考が振り払えない。復讐の炎は、未だ揺らぎ続けている。

 俺を焚き付けている。


 どこまでも卑怯だ。

 自らを呪われ、しかし自らを呪い、星空に恐怖しただ朽ちるよりも、復讐を見据えて呪いを振りまく方がお似合いだと結論づけたのは自分だ。他の誰でもない、────アリス・ウッドなのだ。


「じゃあ、行くよ」


「……あぁ」


 キィ、と古ぼけた音と共に、俺は花が垂れ並ぶ短い廊下に足を踏み入れる。後ろ手に扉を閉めると、先程まで感じられたポルックスの気配も、あの世界の空気も無くなった。

 不安が少しだけ渦を巻いて、波立たせた心の水面に俺は目を伏せる。


 ゆっくりと歩み、向こうに見える出口の扉へ手を伸ばして。




 現在の俺の故郷である世界は、どうなっているのだろうか。ずっと見ることの叶わなかった世界のすべては、どう歪んでいき、どう正されていったのだろう。



 ただし、俺の予想とは裏腹に、思わぬ歓迎が鼻先を突いた。


「あら、お客様? ……うふふ、何かこの司書に────いえ、星書庫に御用でしょうか?」


 真っ白な髪に、点々と落とされたような赤と青の色。こちらを見据える赤黒い目は宝石のようで、しかし残酷さを示しているような、棘のある瞳だ。司書と名乗る彼女は確かに本を片手に抱いており、もたれかかっている後ろのデスクのような机の上には、数札の本と筆ペン、それから呼び鈴のようなものが置いてある。

 空気の淀みは一切なく、しかし依然として眼前の女性は異物のように感じられた。


 文字通り鼻を指先で突かれ、いつの間にやら扉から離れていた俺は、彼女に見下される形になる。


「…………誰だ」


「誰とは? あぁ、扉を潜ったのは今回だけでは無いんでしたっけ。でもおかしいですね……ミーが客人を見逃してしまう筈ないのに」


「残念だけど、この空間自体身に覚えがないんだ。説明を求めたいが、話してくれるか?」


 俺が立ち上がると、女性はクスクスと微笑み、机上の呼び鈴を摘んだ。見せつけるように掲げたそれを鳴らすと、


「────な」


 机の周りに置いてあった椅子やスツール、小さめなクッションが次々と淡い光に乗せられて宙を舞う。螺旋状に連なったかと思えば、光が弾けると同時、地から離れた位置で固まった。

 家具を包んでいた光が今度は俺の足元に入り込み、浮かす。不思議と嫌な感じはせず、ふわふわと心地の良い感触が足元から頭へと流れてゆく。

 浮かんでいる椅子の一つに座らせられ、女性もふわりと浮かび、俺の向かいにある椅子へ腰掛けた。


「はじめまして。ミーはスピカ・フォス、ここ────星書庫の管理をしている司書です」


「……俺はアリス・ウッド。星書庫と言ったか?」


「ここは水鏡面之世にある一つの空間、鈴の岬と呼ばれる場所ですよ、アリス。星書庫は岬に位置する館の内部に存在しています」


 長い三つ編みを肩に流し、女性──スピカと名乗ったこの人型は、質問を待っているのか目を伏せて微笑んでいる。


「扉をくぐったらここに出たのは何でだ? 小さい頃にあの世界に渡ってきた時は、こんな所通らなかったんだ」


「それは当然でしょう。貴女が通ってきた扉は星扉、それは星書庫に繋がるよう細工された全世界に存在するゲートですからね」


 しかし、とスピカは付け加え顎下に手を添えて思案する様子を見せる。俺を横目で見つめ、それから指と爪の隙間から光を出したかと思うと、浮き出た光は一枚の紙になり、スピカの前に広がった。

 何が書いてあるのかは知らないが、彼女の能力の産物であることは確かだ。


 軽はずみに聞いていいものだろうか。しかし、今は情報を聞き知識を付けるべきだ。


「……それは?」


「ミーが書庫に来るのと同時、星扉が世界に出現し……星書庫と世界とを繋げました。それからミーは、世界を渡る──いわば星渡りというものの詳細を記録してきたのです」


「…………よく、分からないな」


「情報を操るのがミーの司書としての力ですから。難しい話に偏ってしまうのは、仕事柄……かもしれませんね。この情報の中には────」


 スピカが目を細めると、書庫の扉が開いた。

 パン、と乾いた音がなる。彼女は手を叩き椅子を元の床の上へと下ろすと、扉から入ってきた人型を出迎えた。


 入ってきたのは、青に近い髪と紫の瞳を持つ少女。スピカとそのそばに居る俺を見ては息を吐いて、お辞儀をする。


「カザミ、どうかしましたか?」


「どうかも何も、呼ばれたので来た次第です。見た感じ、その人関係の頼みごとですよね」


 面倒臭がっているというよりも、スピカに対して呆れたような声音で彼女は喋る。それを受けるスピカは、特に顔色も変えず、微笑を貼り付けたままだ。


「……その通りですよ。アリス、こちらはカザミ。管理室にて世界の状態を監視し、状況によっては館内の人員を世界に送るよう指示する役割を担っています」


「スピカは膨大な知識を持っていますが、全てを管理するのは困難です。故に、私が呼ばれたのは……」


「アリスの元いた世界を探してもらいたいのです」


「…………もう大体の検討はつきました。あとは条件に合うか確認していくだけですよ。ただ、それは彼女の目的にそいますか?」


 小首を傾げ、不思議そうにスピカはカザミを見る。しかし、カザミは俺を見て、俺自身に問いかけているようにも見える。

 目的は最初から決まっている。ここが俺の故郷の世界と違うのも、直であちらに飛べなかった理由も分かったし、ここに長居する意味は無くなった。


「あぁ、合ってるよ。俺は自分の世界に帰って、やるべきことを果たす。その為に、教えてくれるか?」


「最初からそのつもりです、アリスさん。貴女の意見も無視して、スピカが勝手に故郷に帰そうとしてるのか否かを確認したかっただけですから」


「……ミーを少しは信用してくれても良いんじゃないかしら?」


「────力と知識は認めますが、信用するのとはワケが違います。本当に信じてほしいのなら、今すぐにでもその薄っぺらい言葉に心を込める努力をしてください」


 カザミの言葉が刺さったのか、彼女は口を噤む。今の言葉が彼女の何を示しているのか、関係の浅い俺には何も分からなかった。


「さて、アリスさん。管理室から世界の名と座標をいくつかお教えします。座標とはいっても、星扉の位置ですが……────ハナミ」


「はいっ、お姉ちゃん」


 呼ばれた少女────カザミと瓜二つな少女が、再び書庫の扉を開く。今度は赤に近い色の髪をなびかせている。

 どことなくカザミとは対照的な性格や雰囲気の少女だ。ハナミと呼ばれた彼女はカザミと同じようにカーテシーをすると、その紫の目を丸くして、俺を見た。

 しかし何を言うでもなく、ハナミはくるりとカザミの方を向いて、持ってきた紙束を渡す。それは上の方を糸で繋がれていて、本のようにめくれるようになっている。


 カザミは短く感謝を述べると紙に書かれた文字列を眺め、それから俺に手渡してきた。受け取り、中を確認する。


 虚実の世はアセリア達の所だ。そこと関係性のある世界が幾つかまとめられている。

 その中で、俺がこれだと思ったものを指差して見せた。

 カザミとハナミが同時にそれを覗き、互いに顔を見合わせて確認する。そして頷き合い、紙を受け取って揃って後方に下がった。


「仕事は終えた。スピカ、この世界の扉に案内してください。私は管理室に戻りますから」


「えぇ、分かりました。アリス、行きましょうか」




 ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ ❇ ❇




「ここが貴女の世界に繋がっている星扉です」


 スピカは案内を終え、少し前のポルックスと同じように扉の前で俺に振り返る。


「……ありがとう」


「はて、何のことでしょう。ミーはただ、そうした方が面白くなると知っているゆえにしたまでですよ」


 少し雰囲気を変えて、スピカは俺の首に触る。それからするりと流し、髪に着けている花に触れた。


「…………急に、何だ?」


 細まる赤黒い双眸に、何か悲痛が見えた。しかしそれは、すぐさま隠されて微笑に覆い隠される。その様子に気味悪さを覚え、微かにシュニャーオの面影を感じて、恐怖と怒りに俺は彼女を突き飛ばした。

 スピカは驚きもせず、睨みもせずに静かに肩を払い、俺を見る。


「……首に触れたのが気に触ったのですか? 一応、貴女の体内に異常が無いか確認しました。ハナミは勘付いていたみたいでしたけど……」


「は…………」


 疲れて……いるのだろうか。行動を開始して、すぐもすぐだというのに。

 首を振り、雑念を払おうとする。


 スピカはその様子を不思議そうに見つめていて、俺が目線を合わせると三つ編みをくるりと回した。特に気にしている訳でもなく、白濁とした心を向けているだけだった。


「貴女は祝福を受けています。星扉を簡易的だけれど即席で生み出すことのできる祝福を。だから、星書庫を無視して虚実の世へと移動することができたのですね」


「…………」


「ミーの記録には一度も貴女がここにきたとは書かれていませんでした。不思議に思いましたが、こんなこともあるとは思わなかったです」


「それが、君がさっき言いかけていたことか」


「はい」


 俺の言葉に、淡々と頷いてスピカは肯定する。


「祝福か。どうせなら、呪いを打ち消してくれりゃ良かったのにな」


「呪いを消すのは祝福ではなく、異なる何か。それを見つけられると良いですね」


 呪縛を解き放つものが、復讐の先に存在しているのか────それは、やらなければわからない事だ。呪いが解けなくとも、俺は俺のやり方で復讐を成し、それで満足するだろう。

 もう、誰かを傷つけることのないように。

 誰かを絶望させることのないように。


 扉に手を掛け、スピカを見る。彼女は小さく手を振って、赤黒いその目を俺の眼球のそのまた奥へと向けて、口角を上げた。


「それでは、いってらっしゃいませ。次に会うころには……何か変化が貴女に起こっていることを期待します」


「……気に留めておこう」


 扉を開き、先ほどとは違った花が垂れ連なっている廊下へ────枯花之道へと踏み入る。

 思わず花を見回すと、スピカが俺の背中を軽く押した。


 振り返り顔を見る間もなく、パタリと扉が閉められる。俺は息を吐き、前を向いて、ただ前に歩く。向かいの扉に着くと、変に鼓動が高鳴ってしまう。

 恐怖ではない。心配も……無い。しかし、胸中に根ざした何かが、俺の何かを震わせていた。


 頭を振る。もう一度、そのドアノブを掴む。


「俺の故郷────『霊木の世』。どうか、悲惨なまま、俺に憎ませてくれ……」


 先に何が待っていようと。俺の心が揺らごうと。叩きのめされ、打ちひしがれ、枯らしたはずの涙が、また溢れても。

 もう戻れないのだ。それだけは理解しているのだ。

 そうでなければ、俺はこの場に立ち、因縁の場所へと帰ろうとはしなかっただろう。


 ドアノブを下へ回す。鍵の開くような音と共に、自然と体重を掛け、扉が少しずつ先の空間を表していく。

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