第76話 箱根湘南サイクルライド
「みんな乗り込んだね!」
「はい」
「はーい」
「はい、よろしくお願いします」
「それじゃあ、出発だ」
今回は怪我でサポートに回った秋野一平が、サポートカーの運転を任されていた。
「やっぱ、自転車集団が走り出さないと、サポートカーは交通規制で動けませんな。と言うことで、この時間を利用して、湘南ライドのルールについて解説しちゃいましょうか?」
「よく分からないので、分かりやすくお願いします」
「美涼さんだけでなく、君たちも分からないんだよね?」
「自信を持って、分かりません」
「私も分かりません」
「宜しい、それでは秋野一平による箱根湘南サイクルライド説明会を開催いたします。拍手!」
「パチパチパチパチ」
「では一平先生、お願いします」
と雫はパンフレットをクルクルっとして、うしろをチラチラっとしている一平の口元にエセマイクを向けた。
「雫ちゃん、どうも。それではまず、この自転車集団レースの勝負がどのように決まるかを、湘南ライドのルールに従って説明するよ」
先程までガヤついていたサポートカー内は、凪のように波風なく静かに傾聴する雰囲気に変わった。
「勝敗はただ一つ、出発地点の江ノ島に、誰よりも速く戻ってきた人が勝ちというシンプルなレースなんだ。ねっ、簡単でしょ?」
「簡単で分かりやすいね」
「そのコースには、二カ所のスプリントライン、一カ所の山岳ラインがあって、それぞれポイントラインを通過した順で得点が与えられるんだ。スプリントにおいてはセカンドポイントであるタイムアタックにトライできるのは、ファーストラインを五位までに通過した選手だけになるんだ。そして二カ所の合計ポイントが一番高い選手にスプリント賞が与えられるんだ。山岳賞はスプリント賞とは違い山岳ラインに最初に到達した選手に与えられます」
「じゃあ、一番にゴールしなくても、賞が取れるのね?」
「まあ、そういうことになるかな? そして、この大会ならではのチーム戦が行われます。そう、坂道くんが出てるアニメは見たことあるかな?」
「ありませんが?」
あると言って欲しかったが。
「実はそのアニメ、インハイのチーム戦が描かれていて、湘南ライドも同じようにチーム対抗方式を取っています。普通、レースでは、皆個人が勝つめにチームや仲間を利用するんだけど、この湘南ライドはチーム戦を重視しているんだ。だから、必然的にチームの誰を勝たせるかが戦略の鍵となるんだ」
「個人戦よりチーム戦の方がみんな盛り上がりますからね」
「湘南ライドは、坂道くんの出るレース方式が、大会組織委員会にリスペクトされ、現実になった大会なんだ」
「アニメは知らないけど、深いいわ」
「まだ、時間あるから、コースの紹介もしようかな?」
「お願いします」
「了解!」
「江ノ島からスタートして国道134号線を小田原方面に進み、平塚で国道1号線に乗り換える。ここまで続く平坦区間が終わり、次は標高874mまで一気に駆け上る箱根山岳区間に入ります。この山岳コースに入る前に食料や水分の補給物資を渡すポイントが小田原にあります。それから山を登り切ったあと、芦ノ湖(箱根駅伝ミュージアム前)を通過し、次は箱根新道を一気に下ります。下り切った平塚で国道一号線から一三四号線に乗り入れ、再び平坦区間を鎌倉方面に進み、ゴールである江ノ島まで走る、全長100キロに及ぶ公道コースでなのであります」
「ねえ、スタート地点が騒ついてるよ」
「それでは、箱根湘南サイクルライド、スタートして下さい!」
「パン、パパン!」
大会委員がスタートをコールした。
今回大会の参加チーム数は十八チーム、一チーム六名、総勢一〇八名からなる自転車集団は、両側二車線の江ノ島大橋を渡り、小田原方面に進路を取り、国道一三四号線を走り出した。
スタート地点から二キロまではパレード区間とされており、スタート時の集団事故や落車に配慮したレース外の仮走り区間となっている。
この区間には垂れ幕や団旗などが多く目に付き、第七回ともなると地域の応援以外にも、県外からの観戦者も増加しているように見受けられる。
そして、長く延びた自転車集団の先頭には昨年度の優勝チームで紫色のジャージ、箱根スパイラルRCTが、昨年の王者として貫禄を見せつけながら熱烈な沿道のファンたちに応えながら走っている。
二番手に陣形を構えているのが、昨年の準優勝チームで青色ジャージの南海大学であり、ガッチリと二番手のポジションを死守して行く算段であるようだ。
そして、春風の所属するERCは青色に白色の太めのストライプが入ったサイクルジャージで、中段やや前方にポジションをキープしていた。
パレード区間が終わり、各チームは、ポジションどりをはじめ、すぐ先に迫るスプリントラインに向けて、次々と選手を送り込んで行く。
今回スプリントラインの一つ目は、国道一三四号菱沼海岸交差点一〇〇メートル手前にあり、そのライン手前三キロあたりから、ポイントを狙う選手たちが動き出した。
南海大学の平良二路、ERCの最上阿良隆が先頭集団を作り、その後ろに箱根スパイラルRCTの天王寺尊、神奈川ジュニア選抜の浜島国久、南海大学付属高校の杉田哲らがあとに続く。
先頭から番手にポジションを落とした南大平良は、箱スパ天王寺の動きに細心の注意を払いながら、ERC最上を風除けにして二番手をキープし始めた。
「南大くん、勝手に風除けしんといてくれる?」
とERC最上は、ピッタリと後ろに張り付いた南大平良に探りの言葉をかけた。
「悪いな、そんな飛ばし方しとったら、最終局面でもたんのちゃうの? すぐ後ろに箱スパが来とるで!」
箱スパ天王寺は先頭の二人を追走しながら、最後四〇〇メートルスプリントに備え距離を徐々に縮める。
「ここなら戦況は丸見え、君たちの動きは手に取るように分かるよ」
と三番手につけた天王寺は余裕を見せた。
ジュニ選浜島と付属杉田は、最初から天王寺の動きに反応できなければ勝負にならないと真後ろにピタリと張り付き、天王寺が飛び出すタイミングで仕掛けようと、足を溜めることなくペダルを回した。
一方、鎌学OBの轟は、いち早くロングスパートをかけるつもりで、後方から先頭を一気に狙えるギリギリの位置から、ペダルを鬼踏みしていた。
これに続くように、チーム横須賀の谷山をはじめ他の選手たちも二・五キロ前あたりから先頭を捉えようとギアを上げてきた。