第7話 僕の大切な人
住み込み就労を決めたはるかは春風は、パーラーで翔子に助けられながら、お店の仕事をやり終えた。
さてさて、次は待ちに待ったランチタイム、では。
美涼が思い出したように声をかけた。
「あっ、そうだ、翔子ちゃん」
「はい……あっ、春風くんの部屋ですね。食後に案内します!」
「よろしくね。あとね、今日はデッキが空いてるから、そこでお昼いいわよ」
「えっ、いいんですか?」
「ええ、若い美男美女カップルは、お店のイメージにピッタリですものねっ!」
そう言うところ、なんか市川先生と似てる。
「了解しました」
さすが市川先生のお姉様。素直なところもそっくりね。
まかない昼食と名物パフェ
——本日のまかない——
むき海老入りクリームスープパスタにロールパン
「お疲れ様、さあ、食べましょ!」
「はい、いただきます」
「いただきます」
うん、パスタソース、美味い。まかないって食べたことなかったけど、これって、メニューにはないのかなぁ?
「春風くん、どうした?」
「まかないってこんなに美味しいのに、メニューにはないようですが?」
「確かに。これならメニューに載ってても不思議じゃないわね」
「ですです」
「でもね、お客さんに出さないのには訳があるのよ。なぜだか分かる?」
「分かる⁈ 美味しすぎるから?」
「クスッ、それは多分ね、きみが頑張って働いた後に食べたから、美味しすぎるって感じるんじゃないかな?」
「……そうですよね、だから、ですよね⁈」
「あははははは、春風くん可愛いね! あははは……」
「えっ⁇」
僕ってなんか可笑しなこと言うたかな?
翔子は涙目になって、
「ごめん、ごめん……ちょっとツボにハマっちゃったと言うか」と。
「えっ、ツボ?」
「まかないはね、いわゆるあり合わせで賄うからまかないなのよ。でもね、材料はお店で扱う食材な訳だから品質は確かで、簡単で美味しいはお墨付きなのよ」
「そうなんだ」
――翔子の包み込むような優しい声質と言葉使いが、まるで姉から諭されているような錯覚を起こし、それでいて妙に心地良く、春風はつい不安な心のうちを知ってもらいたくなり、初めて自分の思いを口にした――
「あの、話しても、いいですか?」
「何か話したいことがあるのね?」
僕は翔子さんの優しさに甘えて話し出した。
「家族と距離を置き、新たな人生を始めるため、進学先をわざわざ遠方の鎌倉学院にしました。しかし、寮生として入寮は叶わず、女子寮の寮長にあてがわれてしまったり。大人の都合に振り回され……この先、大丈夫なんだろうかって?」
「そうね、不安になるよね。大人になるとね、多分都合よく物事を考えたり、立ち振るまったりして、周りの人とぶつからないようにしてるんだと思うの。私たちから見るとね、それってズルしてるように見えるかも知れないことなんだけれど、大人にとっては欠かすことのできない処世術って言うか、マナーなの」
「そうなの?」
「そうよ、そうなのよ。だからね、若い私たちは、今、大人たちが用意してくれた目の前の道を、ただ真っ直ぐに信じて進むしかないのよ」
「そうか……ありがとう。そんな風に言ってもらえて、なぜだろう? 気持ちが落ち着いてきたよ」
僕は素直な気持ちを伝えた。
と突然、翔子さんが叫んだんだ。
「きゃっ!」
「えっ、どうしたんですか?」
「足下に、何かいる!」
翔子は身体をこわばらせた。
春風は足元を覗き込む。
「おい、お前どこから来たんだ?」
「何?」
と翔子も足下を、恐る恐る覗き込んだ。
「……ニャー」
「あれ、小さなお客さんだったのね。どうも、初めまして」
黒猫は首を傾げたまま、しばらくその場に佇み、そして去っていった。
「可愛いかったね」
「ええ、可愛い猫ちゃんだったわね」
翔子はそう話した後、
「そうだ春風、ラインのアドレス交換しよ?」
とスマホを取り出した。
「交換して下さい」
と僕は慌ててスマホを、翔子のスマホに重ねた。
「これでいつでも繋がるね!」
翔子はスマホを胸に当てながら、嬉しそうに微笑んだ。
そして、こう問いかけた。
「この後ね、春風が宿泊する部屋を案内するけれど、このパフェ、食べ切れそうかな?」
「さて……どうかなぁ?」
「春風! 出されたものはありがたくいただくものよ。いいわ、私も少し協力するから、残さず食べましょう!」
なんだろう? 翔子さんって歳一つしか違わないのに、こんなに頼れて温かな人。こんなに自然に話せた人はこれまで出会ったことない。
翔子さんは僕にとって大切な人だ。
「じゃあ、器は洗い場に持ってこうか」
「僕が持っていきますよ」
「流石、男の子ね。頼りになるわ」
「こう見えて、自転車で鍛えてますから」
「自転車で?」
「そう自転車で。競技してました」
「どんな競技? 競輪とか?」
「聞きますか?」
「聞くわよ、もちろん!」
「本当に? じゃあ話しちゃいます」
「どうぞ」
「トラック種目のスクラッチ、テンポ、ポイントレース、いわゆる高校生大会で言うところのオムニアムに出ていました」
「トラック? スク……オムニ? ちょっと分かんないかな?」
翔子は「競輪」と口には出したものの、全般的に自転車競技を理解してはいなかった。
春風は少し高揚気味に解説を始めた。
「トラックとは1周333メートルの周回用コースのことなんです。そして、その周りはすり鉢状のバンクと呼ばれる傾斜道でトラックが囲まれています。これらをまとめてトラックと呼ぶこともあります」
「バンクは壁を走るあれね。競輪で見たことあるわ」
「ですね。次は競技種目ですが、まずスクラッチです。これは単純で、自転車で10キロを走り切った時点での着順を争う競技になります」
「長距離走みたいな競技だね」
「そんなとこです。それからテンポレースですが、距離は10キロを走ります。スタートポジションが影響しないように5周目以降から実質的な争いになります。周回毎、1位通過者にのみポイントが与えらる競技で、走り終えた時点でポイントが多い人が勝ちます」
「熾烈ね」
「そしてポイントレースは、2周毎に着順ポイントがもらえる仕組みのレースで、ポイントの合計で順位が決まります」
「ふんふん」
「オムニアムは、正式にはこれらの競技にエリミネーションを加えた四種類の長距離競技の総合種目として扱われることが一般的です。4種類の合計ポイントで、順位が決まります」
「なるほどね」
「オムニアムは言うなればダッシュ力、持久力を前提とした頭脳戦であり、総合力が求められる競技なんです」
「ふん、なるほど」
「翔子さん……なんか、途中から流してませんか?」
「えっ、あっ、バレちゃったね、ゴメン。でも、言葉で聞いていてもイメージ湧かなくて。気を悪くしないでね」
春風は少しテンションが上がり過ぎたと一人我に返った。
「確かに競技ルールばかり聞いていてもワクワクはしないですよね。やはり見どころは……」
「春風のレースを応援に行くよ! それが一番の見どころになるものね」
「そうですね、観に来て下さい!」
翔子の気の利いた言葉で、春風の情熱は一旦静かに幕を引いた。
「じゃあ、これから部屋を案内するわね」
「よろしくお願いします」
春風 まかない飯、美味しかった!
翔子 じゃあ、毎日食べると来るといんじゃない?
春風 本当ですか?
翔子 パーラーは正社員募集中よ!
春風 次回「お泊まりはいかが?」
翔子 美涼さんには気をつけて! ではお楽しみに!