第68話 不器用な兄
夕食後のまったりした一人の時間、何も考えずに目を閉じ瞑想に耽った。
天音さんが有名人だとはつゆ知らず、翔子さんも詩織も百々のつまりはAMANE推し。
確かに、隣にいると、釣り合わない僕は弟に見られるだろうね。
加えてどうしても、彼女はなんて言うか、見た目も性格も出来上がっていると言うか、成長過程の僕が知らない世界で生きている、そう大人の事情の中で生きているみんなの憧れる存在なのだから、言わずもがな、僕とは釣り合いようがない女性だ。
あゝ紗矢香さんも、僕には釣り合わない程のお嬢さまになるのか?
そうそう、紗矢香さんの様子を見たいけど、部屋に行く訳には行かないし、どうしようか?
「ここは、詩織に頼むしかないか?」
そう腹を決め、春風はメッセージを送った。
——今、何してるの?
——天音さんの雑誌見てた。
——そんな君に申し訳ないんだが、寮長代行をお願いしたいが。
——ミッションを言って見てよ。
——実は神楽紗矢香って言う二年なんだけれども、体調が悪くて寝込んでいるんだ。
——天音さんや、学年長に事情を話したらどうなの?
——それができたら苦労はしないよ。
——分かった。
続けて春風は紗矢香にメッセージを送った。
——体調はいかがですか?
——ありがとう。熱は37・0度まで下がった。
——良かった。今、妹に御用聞きに向かわせるから。
——詩織ちゃん?
——そう。
詩織は早速兄からのミッションにより、紗矢香の部屋にやって来た。
「トントン、早乙女です」
——詩織ちゃん来たよ。
「はい、どうぞ」
「失礼します」
紗矢香はベッドから起き上がり、初対面の詩織に「初めまして」と少しこわばった表情で様子を伺った。
「初めまして、早乙女詩織です」
詩織も言われるがままやってきたが、実際はこのシチュエーションに少々戸惑っていた。
この神楽紗矢香さんは、兄が思いを馳せている人でなければ、私でなく学年長とかに話しているんじゃないか、とも思える状況だから、特別な感情の上に成り立つ関係があるの? と思考は巡る。
天音さんじゃないの?
「一つ質問してもいいですか?」
と詩織はあえて腑に落ちていないこのミッションに、詩織なりの意義を持たせるための問いかけを行った。
紗矢香は「いいわよ、言ってみて?」と食い入るように詩織の顔を見つめた。
中三の女の子でも「ドキッ」とするほどの美少女である紗矢香を目の前にした詩織は「ゴクッ」とツバを呑んだ。
透明感のある肌に加え、なんて澄んだ瞳をしてるの。
吸い付きたくなるような唇に、ボリュームがあり、かつワイルドで艶のある濃い目のミルクティーブラウンのストレートヘアは、まさにアニメから飛び出して来たキュートな誰もが憧れる女の子であると。
詩織はその瞬間、兄が紗矢香さんを気にしている理由が分かったような気がした。
詩織はなぜか紗矢香にまとはずれな問いかけをしていた。
「紗矢香さんは兄に興味があるのですか?」
「えっ?」
「あっ、すみません」
「どうしてそんなことを聞いたの?」
そう聞かれ詩織は「中学までの兄には女性友達はいなかったはずですが、高校生になった途端、兄の周りには次元の高い子たちが集まって来ているから」と質問の根拠が率直な思いからであることを伝えた。
紗矢香はベッドから足を下ろしながら「春風くんは一緒にいると心が穏やかになるのよね。それに、いつでも何かをする瞬間、全てをかけているような、その不器用さが彼の魅力じゃないのかな?」とハニカんで答えた。
「はっ」と何かに気づいたように
幼い頃の記憶が蘇って来た。
「しおり、待てよ!」
「やだよ! 返さないもん」
「いいよ、もうあげるから——あっ、危ない!」
三叉路から現れたスマホを見ながら運転をする車が、その先に私がいることに気付かず、曲がって来たんだ。
声を出す前に危険を察知した兄は、手に持った買い物袋を放りなげ、走り出しながら「早く逃げろー」と叫んでいた。
「やだよー」と私はふざけていて、身に迫る恐怖に絶望したのは、兄が私の前にはだかり、車を止めようとして「バーン」と跳ね飛ばされたその瞬間を見てしまったから。
私の目の前で車は「キュキューッ」と大きな音を立てて私の目の前で止まった。
この時兄は数メーター先まで飛ばされ倒れていた。
兄は救急車で病院に運ばれた。
そして、病院に駆けつけた父と母に私はどうして事故が起こったかと聞かれたけど、私がふざけていたことを怖くて話せなかったわ。
一命を取り留めた兄は、両親に私がふざけていたとは一切言わず、ただ、私を危険から守るため車を止めようと飛び込んだと説明してくれた。
兄は、紗矢香さんが気づいてくれたように、何かをする瞬間、全てをかけている不器用なところが、私も大好きなところなんです。