第63話 信頼
前回は使命感を持ちつつ、サウナで倒れた紗矢香さんのバスタオルを暗闇の中で巻き替えたのだが、そうした間柄と割り切って、この白昼にまた彼女を着替えさせようとする行為は、病弱に付け入った卑劣な行動に違いない。
もちろんあの時は、彼女のために無我夢中で介抱していたのだが、やはりやり過ぎだと、今になれば思われること。
仮に恋人同士であったとしても、相手は年頃の娘には違いないわけであるから許されるとも思えない
衣服を脱がせるのが当たり前の関係なら躊躇う余地もないが、僕らの関係は、そんな割り切れた間柄とは訳が違うじゃないか。
翔子さんの全裸を見た時にも思ったことだが、そう言うつもりで望んだ訳ではないのだから、この着せ替えは、僕が積極的に進めてしまうのはやはり辞めて、彼女に任せよう。
やましい気持はもちろんなかったけど。
春風はTシャツに着替えるよう紗矢香に話し、しばらくの間柄部屋の隅で待つことにした。
その間、どうすべきか考えた結論は、やはり病院に連れて行くことであった。
春風はネット情報から比較的近くにある湘南第一病院を見つけ、昨日利用したタクシー会社に迎えを依頼し、ここへ紗矢香を受診させようと決めた。
「紗矢香さん、具合はどう?」
「大丈夫、かな? でもどうしてもここに?」
「ん? さあ、どうしてだろう、君のことが気になってゴメン、部屋に入ってしまったんた」
紗矢香は「寮長は心配な女の子がいたら、規則を破っても部屋に勝手に入っちゃうの?」と熱った顔で僕を上目遣いに見ながらニヤリとした。
かと思いきや、彼女はまた、ベッドに倒れ込んでしまった。
「おい、大丈夫じゃないじゃないか!」
「……」
「やばいんじゃないの、これ」
あゝだこうだ言う前に、着替えさせなきゃな。
「濡れた下着の上からだけどゴメン」
と言いながら、彼女の両手をTシャツに通し、頭から被せた。
そして春風は周りを見渡し、ハンガーに掛かっていた柔らかそうなジーンズを手に取り、紗矢香の足元へ視線を移した。
あっ、この足の傷、どうしたんだろう? サウナの時には部屋が暗かったし分からなかったけど、ほんと痛々しいキズ痕だ。
僕は薄目にして「下履かせるね」と紗矢香の足先からジーンズを通し引き上げようとしたが、上手く足が通らない。
そこにスマホがバイブし、迎えのタクシー会社名が表示されていたため電話を取った。
到着したとの連絡に、少し慌てた僕は、仕方なく彼女の足先側に座り両足首を自身の両肩に掛け、膝をついたまま立ち上がり、ジーンズを下ろすように履かせた。
履かせ終えたあと、彼女の太ももに挟まれた自分の姿は、誰にも見せれない卑猥な光景以外の何者でもなく、赤面してしまった。
そして理性が吹っ飛ばないようギュッと目を閉じ、肩にかけた足を下ろした。
「さぁ、ともあれ起こさなきゃ」と春風は紗矢香の耳元で「病院に行くから……立てるかい?」と囁いた。
紗矢香はゆっくりと目を開け、「わかった」と春風の目を見て答えた。
そして、身体を起こし紗矢香は、春風の目の前で立ちあがろうとした。
がその瞬間、ふらつき膝を落としかけた彼女を、僕は抱きかかえるように支えた。
僕の顔を見上げながら紗矢香は「ゴメン」と言い残し意識を失い、体の力が急に抜けてしまった。
春風はかがみながら、彼女を背負い直した。
まあ、覚悟してたことだが、背負えば当たる感触に「ゴメンね」と断りを入れながら、僕はタクシーが待つ一階玄関に向かい歩き出した。
「どう、紗矢香さん、気持ち悪くない?」
彼女は「うん、春風くんの背中、安心だよ」と僕の背に顔を埋めて、そっと目を瞑った。
それで僕は彼女のその言葉に、それまでの感情をすべて祓い除け「任せてよ」といつもの冷静さを取り戻していた。
階段を降りきり、タクシーに乗り込み、ふたりは一路、湘南第一病院へ向かった。
「こんな時に尋ねるのもあれだけど、お客さんらは、あれかい? 恋人同士なのかな?」と後部座席で春風にもたれかかる紗矢香がルームミラーに映っているのをチラリと見た運転手に、春風は「恋人に見えますか?」と聞き返した。
「そうね、見えますね。違うんですか?」
「いや……」
「ですよね。あー参っちゃうな。彼女さんの寝顔が辛そうな顔つきにも見えるが、体つきがお兄さんを許してるって言うか、傍にいて安心してるって言うか……大事にしてあげないとね」
そうなら嬉しいよ。
そんな風に君が僕を頼ってくれてるいるのなら。
春風は紗矢香の肩にかけた腕を引き寄せ、頬で彼女の頭を撫でるように抱きしめた。
運転手は「俺も家帰ったらすぐ嫁に、愛してるって告りたくなっちゃったよ」と声を漏らした。
愛に溢れたふたりと、愛を渇望する運転手を乗せたタクシーは、病院へと直走るのだった。
しばらくしてタクシーは病院に到着した。
「ありがとうございました」
「また、必要な時は呼んでくれよ!
これ俺の携帯番号乗ってるから、じゃあ、お大事にな。おふたりさん」
ふたりはタクシーを降り、紗矢香を待合ロビーのベンチシートに寝かせた春風は、初心カウンターで病状を伝え、直ぐに見てもらえるよう交渉を始めた。