第60話 微熱の天使
4月9日 新学期が始まる。
「ハッ、ハクシュン!」
あー、やっぱ風邪ひいたかな?
校舎に向かう途中、少しふらついたように見えた春風を見つけ「おはよう? ねぇ、ちょっと調子悪いの?」と後ろから近寄った雪は、春風のうつむき歩く顔を覗き込んだ。
「おっ、雪か」
「おっ、ってなんかフラフラしてるよ」
「あゝ、疲れが溜まっているかもな」
なんて苦笑いをした春風に、
「保健室、先生に見てもらいなよ」
「あ、いや、大丈夫」
雪の心配をよそに、春風はヨタヨタと教室へ向かった。
このままで大丈夫なのかと心配気な雪は、春風の跡をついて部屋に入る所まで見守った。
「おっはよう! 雪」
と手を振って近づくも、雪の前を焦点が定まらない目つきでヨタヨタ歩く春風が目についた雪の親友・常盤結奈は、口を開けたまま立ち止まり、その姿をただ見過ごした。
「雪、今の彼って熱中症じゃない?」
「そうなの?」
「なんかね、うちの弟が熱中症の時に、あんな感じだったよ」
「だったら保健室へ連れてかなきゃ!」
「やっぱ知り合いだったの?」
「やっぱりって?」
「雪が彼を見守りしていたように見えてたから」
「結奈凄い、分かるんだね」
あのね、見てればわかるよ。彼の歩調に合わせて後ろから歩いていたからね 。
特段驚くようなことではないでしょ?
「まぁ、なんかヤバそうだから、保健室に連れて行くよ!」
雪は机に体を伏せながら眠り始めた春風を見て「スヤスヤ寝てるんだけど、保健室って、どうしたら?」
「……ようするに寝不足だったと」
「それならそれで、良かったじゃない」
ドクッ、ドクドクドクン……。
ちょっと待って待って……この寝顔、マジ天使。
どうしよう?
超かわいい!
見惚れちゃった!
「ねえねえ、彼は雪の知り合いなんだよね?」
「うん、前に結奈に話してた幼馴染の許嫁だよ」
そうなの?
雪が気になる訳か……私は一瞬で吸い込まれちゃったよ!
羨ましい!
「なるほどね、だから雪は鎌高に意地でも入りたかった訳なんだ?」
「そうだね。それも一つかもね?」
いーな、羨ましい……。
「彼は、この辺りに住んでる子なの?」
「元々は名古屋で生まれたらしいんだけど、大阪で中学時代を過ごして、この春、神奈川にやって来たんだよ」
「そうか、じゃあアパート暮らしなんだね」
「いいえ、何かあったみたいで、早乙女春風くんは学生寮の寮長しているらしいの。若いのに偉いなぁって思うの」
なんで寮長なの?
学生だから寮生でなくて?
それに男子寮ってあったかしら?
話がめちゃくちゃじゃない?
まぁ、いずれにせよ、訳ありっぽいわね。
雪は少し赤い顔をしていた春風の額を手のひらで触ると、微熱を感じた。
「結奈ちゃんどうしよう。熱あるよ」
「雪ちゃん、ちょっと待ってて、私、職員室に行ってくるから、あとでライン見てよ」
と結奈は教室を飛び出し、階段を駆け降りた。
しばらくしてラインのないまま、担任の香山先生と市川先生がやって来て「春風くん、意識はあるか?」と脇に体温計を挟み込みながら、しばし様子を伺った。
三八度五分の熱が確認され、市川が春風をお振りながら保健室へ向かった。
雪も結奈も春風のことが心配ではあったが、香山先生が点呼を始め、その流れで授業が始まってしまったのだ。
春風をベッドに寝かせた。
そして、保健師を待っていた市川のところへ、岩下聡子保健師が現れた。
「市川先生、熱発してる子は?」
「奥のベッドに寝かせてます」
聡子が奥のカーテンを「シャッ」と開けた。
「あっこの子、先生、名前は?」
「早乙女春風です」
「やはりどっかで見たことあると思ったけど、翔子の弟ぶんの子じゃない?」
聡子は春風に「早乙女くん、これ飲んで」と解熱剤を補水液で口の中に流し込んだ。
しばらくして春風は目を開けると、見覚えのある岩下先生が傍にいて、氷枕を変えているのが見えた。
「起こしちゃったかな?」
「あっ、サーフィン部の先生?」
「覚えててくれたんだね」
「もちろんです」
「さっき翔子にラインしたんだけど、今、まだ宮崎らしいの」
「そうなんですね」
「翔子はセミファイナルで終わって、ファイナルに進んだ風間鈴香のアドバイザーをしているんだとか」
「……仲間のサポートですね」
「そうよ、だから君の発熱のこと話せなかったよ」
「ご心配をおかけしました。大丈夫ですから」
春風は身体を起こしてはみたが、熱のせいなのか体がだるく、しばらく動けずにいた。
「早乙女くんの家族で近くにいるのは、寮生の妹さんだけだよね」
「ええ……まあ」
ちょっと考えた聡子は閃いたように「ちょっと待ってて」と言いながらスマホで電話をかけたのだ。
「聡子です」
「その早乙女くんが……」
「では、お願いしてもいいですか?」
電話を終えた聡子は「今からお迎えが来るから、病院に行きますよ」と「ニコッ」と微笑みながら、春風を身体を横たえさせた。
しばらくしてから「ガラガラ」と扉が開き、誰かが近づいてくるのを察知した。