第55話 朔弥ファン天野寛
紗矢香は気を利かし「あの、良かったら、ライメイ乗ってみますか?」と春風にサービスしてくれた、と言うより、朔弥のファンと言った天野の熱意に押された形で誘いをかけた。
「本当に嬉しいけど、このバイクのポテンシャルを街中ちょい乗りで引き出せる技術はないし、ぶつけかねないから、バイクに跨って、エンジンをかけて、ふかしたいんだけど、いいかな?」
「問題ないです」
紗矢香はバイクから降りた。
天野は手の汗をツナギの胸あたりで何度もぬぐい、いざシートに跨った。
そして、スタンドを上げ静止、目を閉じた。
目を見開きイグニションに刺さったエンジンキーを右に回し、左手でクラッチを握り、右手親指でスターターボタンを押してから、左足でギアをローに落とした後、再びニュートラルへ戻した。
そしてスロットルを回した。
ライメイは「ブロロロォーン」とマフラーから煙りを噴き上げながら、太い音を轟かせた。
天野は運転席からライメイを見下ろしながら「生きてて良かった」と一言溢した。
天野はエンジンを切り、キーを紗矢香に渡した。
「ありがとう、記念に一緒に写真撮ってもいいかな? お願い!」
春風は天野のスマホで、天野がバイクにまたがるシーンを撮った。
三人は店内のテーブルを挟み、二人が店を訪れた理由の一つが、レンタルサイクルができることを目当てにしていたことを伝えた。
「神楽さんには電動アシスト付きのグラベルバイクを、春風にはグラベルバイクをお貸ししましょう」
「電動って邪道では?」
「まあまあ、電動と言っても、踏み込んだ時に瞬間だけアシストするシステムだから、その電動は普段から自転車に乗っていない人のハンデを補う種の電動なんだ」
「なるほど、了解しました」
ふたりがサイクリングに行ってる間にRSのコンポーネントの付け替えをやっておくよ。
「よろしくお願いします」
ふたりは店先に用意されたグラベルバイクに跨った。
紗矢香が「タイヤがオートバイみたく太いですけど……」と聞いたことに対し、天野は「グラベルとは砂利道だから、タイヤの強度が太さになっているんだ」と説明をした。
「君たちがこのグラベルバイクで楽しめるコースはおよそ五十分コースだよ。地図渡しておくね」
「ありがとうございます」
「では行ってきます」
ふたりが向かったのは、丘陵地にある整備されていないワインディングロードを乗り越えるコースであった。
「ここから勾配が上がるよ、行くよ!」
気づいたらグングン登り始めている春風に遅れをとるまいと、紗矢香も座ったままペダルを踏み込んだ。
ええ、これ自転車じゃない「凄いよ、春風!」と紗矢香が叫ぶと、春風が振り返った。
「この坂道をシッティングで登るなんて、坂道くんならわかるけど、紗矢香さん、凄すぎるよ」
「続いては林道に入るよ!」
紗矢香はどう見ても余裕があるようだ。
紗矢香は普段から自転車に乗っていないが、二輪のバランス感覚は素晴らしかった。
春風は砂利に少し足を取られながらも、慎重にペダルを回し、なんなく切り抜けた。
春風の上げた砂埃を上手く交わしながら、紗矢香は最短のコースをイメージしながら、足下の砂利を掻い潜るように抜け出していった。
「そろそろ湘南が一望できる展望台がある公園だよ」と振り返りながら春風が紗矢香に声をかけるも見あたらない。
「春風くん、追いついたよ」と真横にバイクをつけながらも、息を切らしている様子もない紗矢香に、春風は感服せざるを得なかった。
ふたりは、展望台で一息入れた。
「あれが江ノ島だから、左側のあの辺りが学校ね」
春風が紗矢香に「あのさ、なんか、ありがとう」と口をついた言葉に、紗矢香は「特段何もないよ、本当」と繰り返した。
「そうだ、聞こうと思ってたことがあったんだ」
「ん? 何?」
「ライメイだよ。いつもどこに駐車しているの?」
「知りたい?」
「とても」
「簡単なこと。バイクは寮には停めてないから」
「それは分かってるよ、そうじゃなくてライメイの保管場所だよ」
「ねえ、このエリアに住む人の共通の悩み、知ってるかな?」
「いきなりだけど、それと関係があるんだね?」
「そう、あるの。錆だよ」
「潮風か」
「察しがいいわね」
「どうも」
「だからね、預けてあるの清掃を含めた保管をね」
「誰に?」
「学校近くに父の知り合いのモータースポーツ関係者がいてね、その方が持っているバイク専用の車庫を借りてるのよ。しかも週二の洗車付きでね」
「へー、あるんだね。洗車付きだなんて」
「バイク用のツナギは、どうしてるのさ?」
「車庫以外にも三畳くらいの部屋があって、そこにすべて用意してあるの」
「納得したよ。でも費用するんだよね?」
「そうね、私が払ってないから分からないんだけど、父の会社の経費から引かれてるみたい」
「そうなの?」
「さっきね、あの天野さんだったかしら、ライメイ650に凄く感動してたでしょう?」
「うん」
「私がライメイのテストドライバーで、ライメイは会社のデモマシン扱いなんだって」
「そう言うことなんだね。どおりでバイクの運転が上手い訳だ」
ふたりは「あははは」と笑いあった。
「さあ、戻ろうか」
「そろそろ、だね」
帰りは下りにつき、操縦性がものを言う。
紗矢香の自転車コントロールは、見ていて惚れぼれしてしまう程、美しかった。
「ねえ春風、もう少し足を伸ばして、江ノ島まで行かない?」
紗矢香さんからの提案、素直に嬉しい。
「天野さんに連絡するから待って」
とラインを入れようとした。
「春風くん、こんな時は、行っちゃえばいいのよ!」