第48話 テストライド
ふたりは平日の夕食、入浴、消灯、翌朝の朝食までの仕事について書き出しながら、入浴時に起こるトラブルなど男子では関わりにくい状況対応が必要な場合に、天音の協力を仰ぐことで話がまとまった。
「ねえ、寮長、さっき話していた『ここでは話しにくいこと』ってなんですか?」
「ねえ、五十嵐さん。その寮長はやめにしませんか?」
「あっ、ごめんね、ここで寮長はないよね」
「早乙女もどちらかと言うとあれだから、春風、でいいです」
キャッ、なんたる流れなの。
下の名前で呼んでいいなんて。
あゝパフェ食べに来てよかったわ。
「じゃあ、春風、ちょっと聞くけど、話しにくいことって何?」
「何と言われると、あれだけど、管理室は寮生の出入りも多いしね」
「学年長、特に総長の麗香のことでしょ?」
「五十嵐さん、鋭いね」
「まぁ、皆んなに煙たがられてる存在かな? それと、私も名前、天音さんでいいわよ」
「なら、天音さん」
キュンキュンしちゃうよ。もう、幸せって、こういう何気ないところにあるのね。本当にしあわせ!
「総長は、寮長であろうと容赦なさそうだし、寮内では彼女の指示は絶対的だから、僕が何かするにも彼女の許可が必要な感じになるしね」
「麗香に指摘され難いよう、私が上手くやるから、任せてみてよ」
「天音さん、頼りにしてます」
任せて!
頼りにしてね。
春風のためなら私、
なんだってやってあげられるわ!
ふたりはグータッチで気合いを入れあった。
でも、春風と一緒にいると、本当に自然な私でいられるの、春風は私の王子様よ!
キュンキュンしちゃうよ。
天音は春風に「好き!」って言わせるつもりが、自分から好きって言ってしまいそうになっている自身に、胸が張り裂けそうであった。
4月7日箱根湘南サイクルライドの下見当日
寮を学年長らに任せて、今日は自転車日和、五月に開催される湘南ライドの出発地点である江ノ島に、ERCメンバーは集められた。
昨晩は、今日のコンディションを整えるため、早くに就寝したのだが、これにより葉山翔子、神楽紗矢香、五十嵐天音、桜山カオリ、早乙女詩織と天野雫からのラインに、まったく気づくこともなく朝を迎えていた。
ラインに気がついたのは目覚めた午前五時であり、そこから春風は三十分程かけて鬼返信にふけった。
その後、学年長のグループラインに、春風が本日不在にする旨を載せ、寮の管理協力をお願いした。
顔を洗い歯を磨きながら、市川先生から送られてきたライン情報を基に、荷物の確認を済ませた。
その後、サイクルジャージに着替えてから、朝食は牛乳を飲み、食パンを一枚くわえチャージ完了、日課のストレッチをこなして、ようやく六時に寮から江ノ島へ向かう準備ができた。
「さあ、出発だ!」
四月に入った六時辺りの空は明るく、流れる風は冷んやりと春風の頬を撫でた。
休日の海岸線はまだ交通量も少ないが、こんな早い時間から海岸には、ストレッチしながら波のうねりを見ている人、インサイドからセットを伺い待つ人や、テイクオフからグーフィーでバックサイドターンを決める人など、湘南サーファーたちで溢れていた。
春風は海岸左に江ノ島を見ながら、ドンドン加速して行く。
そして、江ノ島大橋を渡り切る頃に、左手前に見える公園に自転車乗りを一人二人見つけた。
春風は自転車を虎柵に立てかけ、木陰に立つ市川の下へ向かった。
「おはようございます」
「おう、おはよう、昨日は寝れたかい? ラインの既読が朝方着いたようだから」
「あっ、分かりましたか。まあ、よく眠れましたよ」
「睡眠大事だからね」
気がつくとすぐ傍に、誰が歩み寄っていた。
「市川先輩、この子が例の関西ジュニアの子ですか?」
その男性はERCのメンバーであった。
「そうだよ。この子が早乙女春風くんだ」
「やあ、おはよう。初めまして、天野寛です。雫がお世話になってるね、よろしく頼むよ」
「あっ、早乙女です。こちらこそ妹の詩織が雫さんに良くしてもらってるみたいで」
「そうか、早乙女くんとは何かと縁がありそうだね。そうだ、ロードは初めてなんだって?」
「ええまぁ、トラックを中心に積み上げてきたので、自然の中で走るのとても楽しみにしてます」
「おお、頼もしいね。では楽しくも、粘り強くライドしてこうぜ!」
「はい、よろしくお願いします」
天野は少し離れたところで、ストレッチに入った。
「なんや、お前だったんか。ニューフェイスは……」
ん? そのアクの強い口調は確か……「あの時の……誰だっけ?」
「あれあれ、ガクッと来ちゃうわ。俺は東堂、東堂満や。名前くらい覚えておけよ!」
「顔だけは……見たことある」
「ズコッ、てまっええわ。風春くんやろ?」
風春って、風の春風の略なのか?
言うてくれるわ、東堂くん。
「春風です。ERCのメンバーだったんだね、よろしく」
「ああ、よろしくな」
そして、市川先生が号令をかけた。
「みんな、集まってくれ!」
これにメンバーは呼応するようにそれぞれが返事をしながら、市川の前に集合した。
「まず初めに、次の大会から参加してもらう新メンバーを紹介します。鎌倉学院高等部一年の早乙女春風くんだ。彼はトラック競技をやっていて、関西では名の知れた選手であることを、知人から聞いています。本格的なロードの世界は初めてらしいので、いろいろアドバイスをしてあげて下さい」
こいつ、何者入り感半端ないな。
確かにバトルした時、俺よりちょっとだけ前走らせてやったが、そうか、関西では名の知れた選手だったんや。
「早乙女春風です。本格的なロードレースは初めてですので、勉強させてもらいます。脚質はオールラウンダー向きだと言われてます。よろしくお願いします」
「では、それぞれ自己紹介だ。じゃあ、部長から」
「部長の天野寛、エースクライマーです。よろしく」
「桜山新一郎です。オールラウンダーでエースしてます。湘南ライド、頑張ろう!」
「最上阿良隆です。江ノ電の運転手してます。スプリンターです。よろしゅう頼みます」
「東堂満です。僕もスプリンターです。鎌倉学院の同級生になります。よろしくな」
更に、市川美涼、桜山カオリと天野雫がサポーターとして紹介された。
今日、集まったメンバーは、本番出場メンバーであることを市川は説明した。そして、今日はテストランのため、道幅、路面の状態、勾配やRなどを含めたコース確認を行いながらの走行であると付け加えた。
また、春風は全員とライン交換をした後、ERCグループラインにも加わった。
そして給水ボトルが二本渡された。
自転車六台にサポートカー一台で下見走行が始まる。
ERC一行は一三四号を直走り、小田原で一号に乗り換え、芦ノ湖へ向う。
箱根の山登りに入り、クライマーの天野さんが、春風に声をかけた。
「ここからの山登りを交代しながら引くよ」
「はい」
「よし、まずは僕が先に行くから、君も番手でついて来てよ」
「了解です」
天野に釣られるように春風は後方からスルスルッと前に出て、番手についた。
「さあ、行くよ。着いて来な!」
天野は春風にそう言い放ち、ギアを二段上げて加速し始めた。
「おおー」
この加速、速い!
登り勾配に入ったのに、平坦走ってるのと変わらないくらい、天野さん回しますね?
風を避けているとは言え、勾配って結構あるんじゃんか?
懸命にペダル踏んでも、天野さんについていくのがやっとだ。
このスピードで果たして僕はチームを引けるだろうか?