第36話 小悪魔の遊戯
——帰りの道中——
彼女の腰に手を回し、小さな背中に身体を預け、湘南海岸を東へ走る。
僕はバイクに乗る直前に話していた会話を思い出していた。
「早乙女くんは高校生なんだよね?」
「今月に高校一年生になったばかりです」
「そっか、私の方が一つ年上になるんだ」
と言うことは、翔子さんとタメなんだ。
でも、この不良娘のことは、なぜか気になって仕方がないんだ。
「早乙女くんは、鎌倉学院なんだよね?」
「えっ」
また、どうして知ってるの?
まだ、話してないのに?
「鎌高って頭の良い子ばかりでしょ? 自尊心が強くてわがままな子が多いから、苦手と言うか、私はあまり好きじゃない」
自尊心が強くてわがまま——まあ、まさにそうかも知れないが。
そんな風に思っている紗矢香さんだから、おそらく鎌高生の僕なんかには、自身の通う学校名なんか恥ずかしくて話したくない、と思ってるはずだ。
例え、学力の低い高校であったとしても、僕にとってはまったく気にすることでもないし、ここは忖度するのが最善ってことになるな。
けれども、鎌高生だからって一括りに見られるのって、嫌だな。
「鎌高のことはまだよく分からないけれど、鎌高生がみんなそんな風だって見られるの、嫌だな」
と思いを押さえられず、僕は呟いてしまった。
「そんなつもりじゃ……そうだね、確かに早乙女くんは違うもんね。ごめんね」
良かった。そんな風に言葉が返って来て、僕はホッとしたのだ。言葉一つで、幸せな時間なんて簡単に壊れてしまうものだから。
紗矢香さんとのそんなやり取り一つ一つが、僕にとっては彼女を知ることのできる唯一の手がかりであり、幸せそのものであることには間違いなかった。
「そうだ紗矢香さん。ライン交換しませんか?」
波音が騒ぎ出し、潮風が少し冷たく感じる国道一三四号線。
その海岸線を行き交う車のヘッドライトが、僕らの姿を照らしてはまた消して行く——
「ヴヴォーン……ヴォーン、ズズズ、カシャッ」
メットのシールドを上げ、紗矢香が声をかけた
「早乙女くん、着いたよ」
暖かだった彼女の背中でしばし夢心地だった僕は、辺りを見渡した。
「あああ、ニコニコマート、着いてしまった」
「ええ?」
この上ない幸せに満たされた時間は、終わってしまった。
「遅くまで付き合ってくれて、サンキュー」
「こちらこそ……サンキューでした……」
なんとなく別れ惜しそうにしている春風に、紗矢香はこう誘いを入れた。
「ねえ、このあと食事でもどうかな?」
食事の誘い? 本当?
喉から手が出るレベルの、千載一遇のチャンスじゃないか!
でも……それはダメなんだ!
やっぱり、僕は、できるだけ早く寮に帰るべきじゃないのか?
こんなに遅くなって言えた義理じゃないが、彼女のことも気になる! 寮長だからじゃなくてさ。
昨日の後遺症は出ていないかとか、気になる!
「あの……ほんと、ごめんなさい。これ以上遅く帰るのは、気になることもあるし、できないんです!」
春風の表情からも見て明らかなほど、苦渋の決断をしているのが、紗矢香には分かった。
「早乙女くんて、優しいんだね」
「えっ」
「彼女のことが心配なんでしょ?」
ん? 紗矢香さん? 彼女が心配って?
「どうして? 彼女のことが心配だなんて分かるの?」
「あっ、いや、早乙女くん、神楽さんに何か話してたでしょ?」
「あ、ええ」
でも、なんで? 神楽さんとは仲が悪そうに聞こえてたけれど、違うの? しかも、彼女なんて言ってないんだけど?
「まっ、これは、女の勘かしらね? 春風くん顔に心配ですって書いてあるから」
「そうなんですか?」
と言いながら、春風は顔をあちこち触ってみせた。
「クスッ」と紗矢香は笑い、優しく春風に伝えた。
「食事はまたの機会にしましょう。また、何度でも機会はあるはずだから。だから、心配な彼女のために早く帰ってあげて、事情を話してあげて、安心させてあげたらいいんじゃないかな?」
なんと言う女の勘。すべてお見通しじゃないですか?
「そうですね……えっ? 紗矢香さん? 事情を話してあげたらって、まさか?」
「そう、女の直感よ!」
真っ向から否定されては、次の言葉が続かない。
「ですよね。女の直勘って鋭いですね。驚かされます。とにかく、ありがとうございました」
春風は、紗矢香にも早く帰るよう促し、走り出す紗矢香を見送った。
———紗矢香は結局、真実を何も語ることなく、春風と別れた。
紗矢香が真実を語らなかったのは、記憶を辿ると、何度か春風と電話で話すうちに、神楽を信奉するようになった事に端を発する。
そうした関係を単純に面倒に思った紗矢香は、自分自身でもある神楽を別人に仕立て、春風を避けようとしたのであった。
そんなところから積み上げた偽りであるが故、あえて春風との関係ができつつあるこの状況に、紗矢香の方からは波紋を投げかけにくくなっていたのが正直なところでもあった。であれば、小悪魔的発想に至り、バレるまで知らないふりをしてみようと遊び心で開き直ったのも事実であった———
春風は紗矢香を見送ったあと、自転車に乗りライトをつけ、ペダルを回し始めた。
さっきまでの幸せな時間は、シンデレラの幕引きと共に去っていった。
いざ、自転車での帰路に着き、現実の世界が甦る。
「サウナの彼女、体調崩してないといいけど」
と言いながら、春風は夜の帳に消えて行った。
紗矢香 次回「神楽」
春風 神楽さん会いたかったです。
紗矢香 春風には気になる人がたくさんいるね?
春風 神楽さんは神ですから。
紗矢香 きっと神なんかじゃないから!
春風 いいえ、神です!
紗矢香 信じる者は救われる、ですね。
春風 そう言えば、春休み篇も残りわずかですね。
紗矢香 気づいてたんだ?
春風 次章はきっと楽しくなるよ!
翔子 私もまた参戦するわ、よろしく!