第35話 隠された過去
「えっ、何?」
「このハーバリウムは誰かへのプレゼントなんですか?」
と紗矢香が二本買ったことの真相が気にかかり、それとなく聞いてみることにしたのだ。
その時の僕の頭には、不良娘が誰か好きな人へのプレゼントを買い、自身用にもペアで揃えたのだと思い込んでいた。
冷静な顔をしたその面の下に、嫉妬と呼べるほどの抑えられない気持ちが、僕の宇宙で大きな渦を巻き始めた。
二人は花屋を出たあと、バイクに乗った。
「じゃあ、次へ向かうから、お付き合いよろしくね」
「……はい」
「ねぇ? バイクで気分悪くなったの?」
「いや、大丈夫。ゴメン」
僕は、なんか勘違いしていたよ。
君に彼氏がいてもおかしくないのに、勝手に自分が気になり出して、近づいたんだけど、君が僕を拒まなかったから、僕は君には彼氏がいないものだと決めつけていたのかも知れない。
あー、胸が痛い。
こんな思いやっぱり辛いや。
普段の僕を完全に見失ってしまった。
どんな自分だったかすら、思い出せないよ。
辛すぎるよ。
そんな気持ちを乗せてバイクは動き出し、平塚市内を更に北上して行く。
十分か十五分か。時間の経過すらもう存在しない冥界の住人に成り下がった僕と言う生花は、今にも崩れ落ちてしまいそうなドライフラワーなのかも知れない。
——紗矢香と、気持ちが折れた春風を乗せたライメイ650号は、紗矢香が目的地として選んだ場所まで二人を運び込んだ——
ここは……。
二人を乗せたバイクは、平塚国際医療センターに到着した。
「早乙女くん、ここから先は私一人で行くから、センター一階のロビーで待っていてくれないかな?」
紗矢香さんがそうして欲しいと頼まれたことだから、僕はそうすると決めた。
紗矢香さんがこの医療センターに隠し持つ秘密は、嫉妬や勘ぐりなんかで荒らしてはいけない領域にある世界なんだ、と僕は僕に強く言い聞かせるようにした。
なんだか眠たくなって来た……。
「チン」
紗矢香は入院病棟十三階でエレベーターを降りた。
そして、いつものように詰所で一三〇七号室の面会申し込みを済ませた。
右手にはお見舞いのハーバリウムを下げて、紗矢香は「コンコン」とノックをしたあと、ゆっくりと扉を引き、部屋を覗き込んだ。
ベッドの上には、一人の若い女性が眠っていた。
その周りには、ファンからの寄せ書きや花が飾られていた。
紗矢香は彼女に頭を下げたあと、お見舞いに持って来たピンクと紫のハーバリウムを、湘南が一望できる窓辺に飾り、『お見舞』と書かれた封筒をテーブルに置いた。
そして彼女に語りかけた。
「また来ました、橘さん。あれからもう一年と二ヶ月が経つんですね。あれから何度もあの時の接触事故の夢を見ては、あなたのことを思っています」
紗矢香は、彼女の手を拾い上げるように両手で握り、少し俯き加減に、「私があの時、もう少し早く気づけていたなら……」と呟くと、幾つもの涙が頬を伝い落ちた。
暫く彼女と話をしたあと、紗矢香は涙を拭いながら、「また来させてもらいます」と言って部屋をあとにした。
紗矢香は一階ロビーまで来ると、春風を見つけ近寄った。
「ねぇ、早乙女くん!」
要件を済ませて戻ってきた紗矢香は、寝入っている春風を起こそうとした。
「ねえ、早乙女くん!」
そんな春風の姿を見ていると、昨晩の出来事を紗矢香は思い出した。
「少しだけこのまま寝かせてあげるよ」
と優しく呟いた。
そして、春風の前髪を指で梳かしたあと、春風の隣の席に座り、春風の肩に頭をもたれさせ、紗矢香も目を閉じた。
僕は、そんな仕草をみせたあとで隣に座り、頭をもたれてきた彼女に気づいていたんだ。
彼女はどんな事情があって、この医療センターに立ち寄ったかは知らないけれど、僕はそれがどんなであっても構わない。
二人は、しばらく各々の思いのままに眠りについた。
また、眠ってしまっていたのか?
あれ、彼女がいない?
「取り、残された?」
僕はスッと立ち上がったあと、バタッと椅子に腰かけた。
すると後ろから、
「起きたね、早乙女くん」
と、右手に持った天然水のキャップをひねって、春風の目の前で手渡した。
「ありがとう」
「春風くん、何か気づいたことは?」
「えっ?」
君が僕の髪に触ったこととか?
もたれかかって来たこととか?
僕が気づいていたことを知ってたのか?
「あははは」
と笑ってごまかそうか?
「あはははは」
早乙女寮長、的が外れてますよ?
そこへ通りかかった婆さんが、
「お宅らみたいな健康そうな若者は、こんなところにいちゃいかんよ!」
と言って去って行った。
春風 次回「小悪魔の遊戯」、お楽しみに!
紗矢香 小悪魔って誰のことなのかな?
春風 小悪魔はどちらかと言うと可愛いイメージ?
紗矢香 じゃあ、うぶな春風くんかな?
春風 おいおい、なんでよ?