Q78 ライブハウス《タルティ》
出水中瀬市は久形が住む三日槻市から電車で二時間ほどの距離にある。
ベースの保坂がまだバンドにいた頃、彼の地元が近かったため出水中瀬のスタジオでよく練習をしていた。その際にはギター担当である吉川が運転を買って出ていた。
本当は車で行くと三十分ほど短縮できるのだが、あいにく久形は運転が大の苦手なので今回は鉄道一人旅というわけだ。
ライブハウス《タルティ》にも実は何度か久形はライブ出演をしている。
今回トワリーズから誘いを受けたイベントライブも同じ箱でやるようなので、彼にとってみれば馴染みのある場所だった。
ただなぜ久形のバンド《クランキークレーム》がタルティでライブをすることができたのか――それは久形にとっても未だに謎なのだ。
強いていえばきっかけはタルティのオーナー兼ブッキングマネージャ―である堤さくらの目にたまたま留まったことだろうか。
久形がオリジナル楽曲を作り試しにネット上でアップしたところたまたま堤に見つけられて、彼女が「ライブに出てみませんか?」というメールを久形に送ったのがそもそもの始まりだった。
その時の驚きと喜びは今も鮮明に覚えている。
まあしかし当然のごとく現実は甘くなく、音楽は残酷だということをこれでもかというくらいに思い知らされることになるのだ。
ライブが終わり、堤は開口一番に「お疲れさま――ってか、へっただねえ」とほぼ初対面同士だが遠慮なく言い放った。
久形も自分ではわかってはいたものの、正面向かって手加減なしに指摘されてしまうと恥ずかしくて死んでしまいそうになった。へたっぴすぎな自分がなぜこんなレベルの高い箱でライブをやっているのか、お門違いにもほどがあるだろうに――しかし、だからこそなのだろう。その後で堤が添えた「けど、なーんか惜しいんだよねえ。やっぱ楽曲は良いしね」という言葉に救われたし、次回チャンスがあれば絶対に見返したいという気持ちになれた。
スタッフでPAを担当している白沙一貴も「いやあ、久形さんたちの音楽やっぱいいっすよねえ。いい線いってると勝手に思ってます。でもなあ、やっぱり下手っすよねえ、うん。まあそれも俺からしたらプラス要素ですけど‥‥万人受けは諦めましょ」とにやにやしながら言った。
彼は久形より五歳下だが音楽歴は遥かに上で、スタッフ業をやりながら今でも精力的に《ロノジ》というバンドで活動を行っている。トワリーズほど有名ではないものの、バンド激戦区である出水中瀬で常日頃最前線で音楽に向き合っている彼にそう言われると悪い気はしなかった。
いつもライブ終わりに堤からの査定を聞いている時に、黙ってありがたく頷いているのがベースの保坂とドラムの小塩で、逆に場の空気に水を差すというか引き締めも兼ねて「でしょう、本当にこいつ下手っすよねえ。ギターも歌も!こんな箱でライブさせてもらってるだけでありがたく思わないとね」とはっぱをかけるように吉川は久形の肩を何度も叩くのだった。
そういったことを繰り返していく上でちょうどタルティで十回目のライブの時、トワリーズのツアーライブに呼ばれたのだ。
そのブッキングは異例中の異例で、久形たちのバンドの実力だと通常では実現しえないことだった。しかしながら堤はあえてそのブッキングを行った。もちろん事前にトワリーズには許可を得ていたし、トワリーズも久形たちの音楽を実際聴いて納得した上でのことだった。
音楽に対しての向き合い方、ひたむきさ、情熱、そして反骨心を学んでほしいという堤の口では言わないが親心だと思った。少なからず期待をかけてもらっていることが何よりもありがたかったのだ。
だからこそだ。
現況をこれから彼女に報告するのが忍びなかった。バンド活動の休止、音楽から遠ざかり、挙句の果てには廓にのめり込んでしまった体たらくぶり。
どのツラ下げて会えばいいか――記憶を辿れば辿るほど情けなくなってしまい、このまま帰ってしまいたいとさえ思い始めていた。
だが今日は帰るわけにはいかないのだ。タルティに挨拶しに行くことよりも重要案件があるからだ。
出水中瀬駅から十分ほど歩いたところにタルティはあるのだが、箱自体が地下に建てられているので一見するとどこにあるのかがわからない。ただ代わりといっていいかわからないが、マスコットキャラである《ヨッくん》の像が目印のごとく歩道に面して立ってある。
ヨッくんはちょっと不気味で一風変わったいでたちをしている。
細身だが筋肉質で高身長、丸刈りで目は虚ろで分厚い唇。そしてなぜか真っ黒いボクサーパンツを履いて、「ヨッ、お久しぶり」的な、敬礼するような格好で右手を額に当てている。
何とも異様な風貌とポージングだが、これがタルティの看板キャラなのだ。初対面で面食らうのは必然だが、慣れてくれば意外と愛らしいというネットの感想も見受けられるのだが‥‥久形にとっては全くもって理解に苦しむ感情だった。
失礼だが気持ち悪いとしか思えなかった。
それはさておき――。
久形は流し目で《ヨッくん》を見ながらタルティの向かいの通りにある「天使も涎が止まらない、幸せ絶頂パンケーキ」という看板がある店の前に立った。
――えっ本当にこのお店?
明らかに三十を過ぎた男が一人で入っていくようなお店ではなかったため、急激に不安になったのでもう一度メッセージを確かめる。
合っていた。指定してきた場所は間違いなくこのお店だった。
店内にはやはり十代の女性で埋め尽くされていた。木のぬくもりと可愛らしい家具が店内の天使なイメージをさらに広げている。
今からこの空間に入るのがとてもいたたまれなくなったが覚悟を決めて久形は店内に入った。
「こっちこっち、久形君」
入るやいなや、すぐさま声をかけられたので久形は内心安堵した。もし探し回ってもまだ相手が来ていなかったらさらに居辛い気持ちに苛まれることになっていただろう。
ちょうど店の壁沿いの席にトワリーズのボーカルは座っていた。
彼のイメージとはかけ離れた、カリカリのベーコンが添えられたふわふわのパンケーキを食べている最中だった。
「‥‥まさか一人でパンケーキとは。僕のイメージとかけ離れてるんだけどなあ――ってそんな風に言いたげな顔やなあ、ええやん好きやねんから甘いもん。ははは、久形君、久しぶりやな」
「いや、うん、まさに言い当てられたからびっくりした。本当、えっと、久しぶりだね、神木君、うん、本当に」
あのライブ以来の再会。
正直言って一度しか会ってない相手ということもあり、加えて人見知りな久形はしどろもどろになりながら、トワリーズのボーカルの顔をしばらくちらちら窺うことしかできなかった。




