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Qub  作者: ソノ
《ナカセエリア》編
78/80

Q77 あれやこれやと

 久形は約一か月ぶりに崎邪見温泉郊外にある《三つ葉のクローバー 珈琲館》ですきっと爽やかな水出しアイスコーヒーを飲んで、あるバンドのSNSページを閲覧していた。


 彼は基本的にアイス派でホットはほとんど飲まない男であった。真冬の凍てつく寒さの中でもアイスコーヒーを頼む強者でもある。

 「所詮、お前の口はお子ちゃまなんだ」と周りから揶揄されても、それはどうでもいいことだし、ホットよりアイスのほうがおいしいんだから、そればっかりは議論しても仕方ないことだと割り切っている。


 ふっと束の間、久形は携帯から目を離し、店内を見渡してみる。


 あわよくばもう一度、松苗夏音に会えるのではないかという淡い希望を抱いていたのだが、それは叶いそうになかった。

 邪な思惑が無いとは言い切れなかったものの、やはり残念な気持ちは否めなかった。

 

 ただそれよりもちゃんと顔を突き合わせて喋りたかった――ダビィや監視者のこと、そして何よりも松苗夏音の本当の目的は何なのかを直接本人から訊き出したかった。


 最悪、彼女が出勤している時を狙って会いに行けばいいのだが、HPで確認すると元々レア出勤ということもあり、今月の予定は無いようだった。

 仕事用のアドレスにメールを送るのも一つの手だが、あくまでも仕事用なのでおそらく返信はないだろう。彼女はそのあたりは徹底しているように見える。


 ついでに久形は垂水寝しとね、もとい《真宵あめ》のキャストページも確認してみるが、彼女も同様にこれからの出勤予定は入っていない。


 あれからもう二か月近く、しとねにも会えていなかった。

 当然だ、彼女は今絶賛勉強中で長期休みを取っているのだから。


 大好きなしとねに会えなくなってしまったという事実を受け入れるのにショックが大きすぎて、しばらくは何かをする気力が湧かなかった。


 ただそんな時にスリーマンイベントへのライブオファーがあったのだ。しかも誘ってくれた対バン相手がプロではないものの、人気と実力は引けを取らないものがあり、出水中瀬の老舗タルティがホームグラウンドのバンド、《トワリーズ》なのだからさすがの気力ゼロな久形でもテンションが上がったのだった。


 トワリーズのジャンルはオルタナティブ・ロックで、たまにポップスなんかもやったりしている。ベースボーカルとギター、ドラムからなるスリーピースで、観る者を圧巻するパフォーマンスと三人が一体となって出す厚みのあるグルーヴ感が何とも心地良い音の壁となってリスナーたちを魅了する。


 曲調もガツガツしているロックではなく、ポップな感じとどこか懐かくもあり、かつ斬新で新しいものを提供してくれるロック。


 そんなトワリーズだが、最近はあまり活動をしていなかったようだ。SNSの更新も約半年前からされていない。これ見ると久形は本当に十周年ライブをするのだろうかと懐疑的になってしまう。


 久形はアイスコーヒーを口に含みながらトワリーズのボーカルにどうメッセージを返そうか悩んでいた。

 まずは感謝の言葉、あと出たいのは山々だがベースが不在だということ。また出演するにあたって自分たちがそのイベントに見合った実力なのかどうか不安になっていることも含めて、何度も拙い文章を消しては打って、送信することを逡巡すること三十分、ようやくメッセージを送った。


 《こういうやりとりは苦手なんだよな》。

 久形は一つ役目を全うしたことに胸を撫で下ろした。


 それから鞄からダビィ端末機を取り出し、起動させる。

 トップ画面に現れる横向きの兎のようなシルエットがぼんやりと浮かんでは消えて、自分が所属するエリアの詳細と隣接する別エリアの場所がわかるようになる。


 彼が所属するサキヤミエリアにはマスター名しとねと彼女を模したユニットが表示されている。一方で隣に位置するヒコツエリアはまだ空席のままだった。周囲には他の見知らぬエリアも多数あったが、エリア名もマスターも???となっていた。


 あの時の記憶がまざまざと蘇ってくる。


 奇妙な面を被った兎型のモンスター、ダービットとの戦いや、終始寒い世界の中のあの手作りうどんがあったかくて美味しかったこと。ヒコツエリアの連中が手ごわすぎたこと。そして何よりもマスターである冷矢笥ゆあのQubに歯が立たなかったこと――。


 思い出せば思い出すほど生々しい恐怖と痛みが久形の脳内を侵食していく。特にあの大男、雅楽代うたしろによく勝てたもんだと我ながら感心する。

 ‥‥まあ、最後は一瞬でゆあのβ版の前に気絶してしまったから、ほぼ戦力にはなれなかったのだが。


 ――Qubというものを使うといつも我を忘れるというか、絶体絶命になると記憶がなくなってしまう。そして我に返ると相手は倒れている。


 それについては彼にとって助かっている半面、実体のないものにすがっているようで不安しかなかった。どう戦って勝利したのか全くわからないとなると今後最悪の状況が想定されるからだ。

 

 つまり、いつ自分が殺人者になってもおかしくない状況になっているということであり、逆もしかり、自我が戻ることのないまま殺される可能性だってあるということだ。


 正直、久形は内心ほっとしていた。あのまましとねがエリア拡大へ乗り気だとついていく自信がなかった。最初は本当にゲーム感覚でヒコツエリアへと臨んだのだが、死というものを初めて間近で感じてしまった。生きている間にはほぼ味わうことのない死を想起させる痛み。それがやっぱり自分は絶対死にたくないんだと改めて思い知らされることに繋がり、恐怖と絶望で精神を破壊されそうになる。いくら頭の中でポジティブなイメージをしてみてもすぐさま目を塞ぎたくなる。

 できればもうダビィの世界には行きたくない――。


 そう思い至ると、必ず冷矢笥姉妹の顔が浮かんでくる。

 所詮は敵同士だし、赤の他人だ。


 けれどもしとねの何とかしてあげたいという気持ちも十分わかる。彼女たちの境遇や人となりを知れば、当然の感情だ。だが、命の危険を承知の上で行動に移すようなことなのかどうか、彼は決めかねていた。


 久形は苛立ちを取っ払うかのように激しく頭をかきむしった。それから「情けないな」と呟いてダビィの電源をOFFにする。


 ――どちらにせよ、しとねが動き出すのを待つしかないか。


 すると先ほどメッセージを送ったトワリーズから早速返信が来たので、彼は慌ててメッセージを開く。

 文章全体を読む前にある一文が真っ先に視界を占領し、彼の思考は完全停止した。

 それは「一度、出水中瀬に来ないか、ライブハウスにも案内するし。あと、ベースの保坂君の行方についても話したい」という内容だったからだ。

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