Q74 行方
《三つ葉のクローバー 珈琲館》では、朝の六時から九時までがモーニングの戦場と化す。
マスターである和久井誠也の形相もそれと比例して鬼の形相となり、終始無言でワンオペを淡々とこなしていく。いつもの客層はそんなことはお構いなしと彼へ話しかけたり小言などを聞いてほしいのだが、和久井は完全無視でプロのスパイのごとく業務を遂行していく。
午前十時以降になれば徐々に客足はまばらになっていき、ようやくクローバーには平穏がもたらされていくのだ。
時刻は十三時ごろ。
店内の奥まった席には二人の若い女性が何やら神妙な面持ちで店の看板メニューである水出しアイスコーヒーを飲んでいる。それ以外の客はカウンターで二人ほどいるだけだった。
マスター和久井は思う。
《うちの客層には今までいなかった人種だ。以前も来ていたけれど、もしかすると昨今の純喫茶ブームがついにうちにも到来したのか――いや、ないない》。
彼はふぅ~と小さく息を吐いたのち、すぐさま通常運転に戻ってコーヒー豆の焙煎作業に移った。それから同時に頭の中で明日への仕込み手順も組み立てていった。
「――にしてもねえ、あの百舌子ちゃんともあろう方がねえ、あの体たらくじゃ話にならないわよねえ~」
松苗夏音は目を閉じてストローを咥えたり、咥えなかったりと、ちょびちょびコーヒーを飲んでは真向かいに座っている百舌可奈子に愚痴を漏らすように話しかけていた。
「だから百舌子じゃねえって。わーかってるよ、はいはい、あたしが全部悪うございましたって何度も言ってるだろうに」
百舌は何度か長い足を組み直しては紙煙草をふかすが、苛々した感情は一向に収まりそうにはなかった。
「あ~あ、そんな態度取るんだ、百舌子ちゃんって。まっ昔から知ってますけどねえ」
松苗は軽蔑するように思いっ切り目を細めてみせた。
「けっ、お前も昔からいやらしさ変わってないよなあ。てかな、お前だってあの場にいたんだからわかってるだろ、あの大雪じゃいくらあたしでも視界不慮で無理だって」
「ほっほう。態度悪いだけじゃなくて、言い訳も見苦しくなっちゃうんだ。ほ~そうですかそうですか。百舌子ちゃんが力自慢せずに一気に片づけてしまったらこんなことにはならなかったんじゃないかしら?」
「あ~わかってるわかってるって言ってるだろ‥‥ったく。しつこい女は客に嫌われるぞ。‥‥けどまあ、冷矢笥ゆあの力を見誤ったのは事実だしな。けど、どうしてあいつはサキヤミの連中を助けたりしたんだろな」
百舌は頭の後ろで手を組んで、天井に向かって煙の輪っかを吐いた。
「うーん、それはどうでしょうねえ、詳しくはわからないけど、心境の変化でも起こったんじゃないの?相手はしとねちゃんだったし」
「心境の変化、ねえ」
「そんなことよりも報告してよね、ちゃんと。エリアハンターのその後の動き、百舌子ちゃんのせいでまた追っかけないといけなくなっちゃったんだから。せっかくおびき寄せる形は成功したのに。で、一網打尽にしてこの案件は終わってたのになあ」
再びストローに口をつけた松苗は残ったコーヒーを一気に飲み干す。
「しつけえ、まじしつけえなお前はよぉ。はいなはいな、私が責任負えばいんだろ。追っかけてますよ、ちゃんと。あの後、やはり海星会病院から冷矢笥のあが拉致されたようだ。行方はまだはっきりとは掴めていないが、おそらくは出水中瀬か、あるいは普喜野生市のどっちかに潜んでいるはずだ」
「普喜野生――フキエリアが絡んでるって見解?」
「あくまでも可能性って段階だ。けど、そのどちらかでほぼ間違いないんじゃねえかな」
「ふう、百舌子ちゃんの勘は当たるからねえ。わかった、引き続き迅速にお願いね。で、肝心のゆあちゃんの行方はどうなのよ」
「それなあ、氷芴沢にいることは間違いないと思うんだが、なかなか尻尾を掴ませないんだよ、あいつら。おそらく五六っていう刑事が匿っているんだろうけどな。まっ、迅速に対応させていただきますよ」
「そうよね、そうしないと百舌子ちゃんのお給料無しになっちゃうしねえ」
「鬼と悪魔の混合種だな、お前は」
「殺気だだ洩れになってるわよ~百舌子ちゃん。その殺気をエリアハンターに向けてよね」
「けっ、至極真っ当なご意見だこと。はいはい、ちゃっちゃと仕留めればいいんだろ」
吐き捨てるように言い放った百舌は立ち上がって吸っていた紙煙草を灰皿に押し合てた。
「がんばってね~」
「応援より金くれ。はあ~‥‥お、そういえばもう一つだけ報告があったんだった」と百舌は控え目に不敵な笑みをみせ話を続ける。
「あくまでもまだ目撃レベルだがな。同業の中で《異形》を見たっていう奴がいる」
「‥‥へえ、そうなんだ」
「へえって、おいおい、お前のほうこそありえねえ殺気が抑え切れてないっつうの」
百舌は呆れた様子で頭を振った。それから乾いた声で一笑し、そのまま店をあとにした。
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ふと我に返ったような反応だったと思う。
あとになって少しだけ不思議な感覚になったものの、よくよく考えてみたら当然のことだろうと妙に腹落ちした五六は、目の前で怪訝そうにこちらを見つめているゆあの存在をしっかりと認知し、ようやく喜びと安堵が体中に染み渡ってくるのを味わうことができた。
「‥‥ゆあ、よかった」
「よかったって――、さっきから何度も呼びかけしてるのに、ぼけっとしちゃって、目も虚ろだし‥‥逆に大丈夫?私もさっき目覚めたところ。――ごめん、迷惑かけたようだね。私のことはいいから、休んでよ」
「僕は大丈夫だから。それよりゆあはまだ絶対に安静にしてないと駄目だからね。ゆあのことだから今にもヒコツエリアへ戻りたいとは思うけど、重ねて駄目だからね――のあのことは気がかりだけど」
五六は両手をわなわなと振って、ゆあを制した。
「わかってるよ。今の状態のまま向かっても、あいつらに狙われて二の舞になりかねいってことくらい。けどまあ、そんなに不調っていうわけでもないけど。ちょっと頭が痛いくらいだしね。――のあはまだ大丈夫。ユアドームにいるのあはまだ現存しているようだし‥‥どうせあの女の私への嫌がらせに過ぎないだろうし。最後は切り札として使うんだろうけど」
ゆあはそう答えて前髪を手のひらで押し上げた。
「それでも一週間は動かないほうがいい。エリアハンターもそうだけど、監視者にも目をつけられている気がする。理由は定かじゃないけど見つかってしまうと厄介だしね」
「そういう渉だって同じでしょ。気をつけて行動しないといけないし、体調だって辛そうだ――というか、さっきから訊いているけど、今の誰だったの?」
「え‥‥今の?誰って?」
ぽかんとする五六の反応にゆあは顔を強張らせた。
「いや誰って‥‥ほんと大丈夫?今誰かが来てたんでしょ?呼び鈴で私も目が覚めたんだから」
「呼び鈴‥‥ああ、ごめんごめん、そうだった。うん、大したことないよ。ムホウの会に入りたいっていう人が来たんだ。この会館は閉めているのにたまに来るんだよ。断っておいた」
「そうなんだ。やっぱり休みなよ。私は大丈夫だし。というかさ、ムホウの会って大丈夫なの?なんかきな臭い噂も聞いたりするし、最近」
「うん、心配はいらない。けど警察からも目をつけられてしまったからね。僕がムホウの会に所属していることもばれてしまったようだし‥‥実は呼ばれているんだ、上司に。だからちょっと行ってくる」
「そういう意味で言ってるんじゃないよ、私。てか、その上司に会うのも危なくない?」
「それも大丈夫だよ。ムホウの会に所属しているだけの話だし。別に犯罪に手を染めたりもしてないしね。だから僕の上司は理解してくれると思う。だから何の心配もないよ。じゃあ行ってくる」
五六が部屋を出ると、ゆあは納得いかない表情を浮かべて、もう一度ベッドに体を預けた。
それから枕元に置いてある写真に手をかける。
笑顔のゆあとのあが写っている。
ゆあは苦笑いをしながら思う。
《どうして、こうなっちゃったのかな》。




