Q72 またね②
久形は計三百グラムのハンバーグ&ステーキのコンボを頼んだが、ほとんど手を止めて、時折目の前の光景をしっかり焼きつけようと、眼鏡を何度も拭きながら垂水寝しとねの豪傑な食いっぷりを鑑賞していた。
彼女はものの二十分で二キロのステーキを平らげたのだった。
しかも途中にサラダバーでてんこ盛りになるまで皿に盛ったサラダの山を三回も減らした上でのことだった。
食べ終わると、周りの客からどよめきと拍手が巻き起こった。
しとねはそれに軽く手を振って応え、おしぼりで口元を整えて「ふう~」と胸を撫で下ろした。
「あ~食べたわ~。けどまだちょっと足りないかな。あと五百グラムくらい食べたいけどなあ、勿体ないしやめておこっと。あれ?久形さん全然食べてないですよ?ちゃんと食べないと、あれだけ動いたんだし」
「え、いや、食べるけど‥‥さすがだなってちょっと圧倒されて、つい見惚れてしまってたよ」
「へっへっへ、そうでしょう?けど、こんなの通常運転ですよ。もっと食べる時もあるし。今日はこれ以上食べちゃうと眠たくなっちゃいそうだから」
「ううん、しとね恐るべし、だなあ。‥‥それにしてもだけど、これからどうしよっか」
「うーん、ねえ、どうしましょう」
五六渉が冷矢笥ゆあを連れてポッツンドームに戻り、恐らくダビィ端末機のリターンボタンを押したのだろう。
しとねと久形は気がつくと崎邪見温泉駅の前に立っていた。
二人とも出発当初の大きなリュックを背負った格好に戻っていた。
お互いの顔をしばらくじろじろと見やった後、怪我や異変がないことを確認できると、安堵のあまり肩に手を置き合ってその場で崩れ落ちるようにしゃがみ込んだのだった。
ただプモの、いやタニーの姿はどこにも見当たらなかった。
「にしても、プモの奴、どこに行ったんだろう」
しとねはドリンクバーで取ってきたクリームソーダを飲みながら呟く。
「そうだよね、いつもならあの変態おじさんの格好で蠅のように飛び回っているのに。やっぱりやられちゃったのかなあ。あの氷の槍、強烈だったもんね。俺も意識吹っ飛んじゃって、ずっと気絶状態だったもん。ごめん、力になれずで」
「いえいえですよ、私だってぎりぎりでしたもん。当たり所が良かったんですよきっと、ふふふ。プモは当たり所が悪かったのかも。でもあのド変態兎が簡単に死ぬとは思えないけどなあ」
「うん、同感。まあそのうち出てきそうだしね。今は待つしかないか――あっ、ちなみにヒコツエリアはどうしようっか。今ダビィで確認したら、ほら、マスターがいない状態だから。恐らく今攻めると無条件で獲ることができるんだろうけど」
松苗からもらったダビィの画面には確かにヒコツエリアの場所が空席になっていた。逆にサキヤミエリアにはしとねを模したアバターが陣取り、《マスター名 しとね》と表記されている。
「本当だ。ゆあちゃんのことだから速攻で取り戻すんだろうなって思ってたけど‥‥まだもしかしたら体調が悪いのかも。いくら天才だといっても、あれだけ無茶してたからなあ。本当にすごかったもん。β版を同時に二種類も使えるんだから。私には無理ですね、腹ペコで死んじゃいます、途中で」
「うん、あれはすごかった。俺は使えないからわからないけど、あれだけ巨大なものを操ろうとするんだもん。それを二体も。‥‥あの、しとねさんが使うぬんさんもすごかったんでしょ、ゆあちゃんと戦った時」
「そうなの!ぬんさん、ヘッドバッドもできちゃうんだよ。あれはなかなか迫力あった。ますますぬんさんのファンになっちゃった。うーんでも、あのままやってても多分勝ててなかったと思う。まだ私だと力不足ってとこかなあ。ゆあちゃん、強いよね。‥‥だからね、私、今はヒコツエリアに攻めたくないんだ。ちゃんともう一度真っ向からゆあちゃんに挑みたい。そういう約束もしたしね。それに、なんか変な人たちもいっぱい出てきたでしょ?厄介事に巻き込まれたくもないし」
「そっか。じゃあ待つしかないね。けど、その間に他の奴らに取られちゃうかもね」
「そうなっても大丈夫ですよ。ゆあちゃんならすぐに取り返しちゃうだろうから」
「確かに、あの子ならやってのけそうだね。まあ正直、俺もちょっとというか、かなり怖かったのも事実だし」
「うん、私もです。次から次へと敵がいっぱい襲ってくるし、変な兎の化け物もたくさんいるし、なんか命の危険ってものを再認識しちゃったですよね。のあちゃんのことは助けたいけど、ちょっと気持ちの整理が必要っていうか、情けないですね、我ながら」
「いやいや、俺のほうこそ役立たずなくせに怖がりで、ごめん。だけどさ、怖いのは当たり前だし、自分の身の安全を最優先に考えるのは大切だよ。だって死んじゃったら元も子もなくなるから――」
そうは言ったものの、久形はそのあとの言葉が見つからず、しばし場にはいたたまれない空気が流れ始めた。
ところがしとねが思い立ったかのように口を開いたので彼は少しほっとした。
が、彼女が話す内容に彼は驚愕するのだった。
「あっつ、そうだそうだ。そういうのも含めてなんですけど、お伝えしないといけないことがあったんだった。ほら、お店でもお話ししたと思うんですけど、私、理学療法士になるために勉強してて、その資格試験が来年の二月にあるからそろそろそれに向けて集中しようかなって。今までほとんど手を抜いてたから、てへへ。まだ四か月ほどあるから、全然私にとったら余裕なんですけど。どっかでけじめつけないと、いつまでたってもやらないから‥‥。なので、ごめんなさい。来月からモンシェールの出勤を一旦お休みとさせてもらおかなって。ふふふ、しばしのお別れですね」
「‥‥え、うそ」
「ごめんなさい。私もモンシェールに行きたいのは山々なんですけど、いっぱいむふむふしたいし、えへ。でも、のあちゃんのことも併せて考える時間がほしいんです。だから来年までお互い我慢、ということで」
しとねはちょっとだけ照れながらも寂しげな表情をしたのを彼は見逃さなかった。
そしてすっと立ち上がり「もろみがおうちで待ってるんで。またね」と言って店を出ていった。
取り残されるような格好となった久形は、魂を刈りもがれたみたいにしばらく思考回路が破壊されその場から動くことができなくなったのだった。
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ベッドで寝ているゆあの容態は一向に回復の兆しが見えなかった。
ここはムホウの会の氷笏沢支部の一室。
いざという時のため隠れ蓑として内装を改築し、無人にしておいた甲斐があったというものだ。
――やはり防衛側があの状況でダビィ端末機のリターンを押すべきではなかった。
通常エリアを守る側がリターンを使うということは勝負を放棄すると同義であって、その時に使用したQubによる体への負担は蓄積されたまま現実世界へと戻されてしまう。エリアを明け渡すのであれば無傷の状態で使うのが定石であり、あるいは敗北するのであればそのまま無傷の状態で戻ることができる。だが今回はイレギュラーなことが発生したため、やむを得ず途中でリターンを押してしまった――ゆえにペナルティを受けてしまったわけだ。
全部僕の落ち度だ。
タラレバになってしまうことだらけだが、今考えても後悔の念が押し寄せてくる。
エリアハンターの襲来を予期できなかったこと。
サキヤミエリアの実力を見誤ったこと。
あとは――。
垂水寝しとねという人間を侮った。
――否、彼女のQubの実力はもとより、人間力の大きさに気づけなかった、という表現のほうが適切だろうか。
まさか、ゆあが自分の目的のためではなく、赤の他人の、しかも敵に対して自ら盾となるなんて想像もし得なかったことだ。
彼女と何を話したかわからないけど、おそらくは馬が合ったのだろう。
ゆあは人付き合いが極度に苦手だ。だからこそ信じ難いのだ。
でも現実としてゆあは垂水寝しとねのことを守った。
あのままゆあが垂水寝しとねのことを無視して、一気にエリアハンターの連中を倒せば結末はまた違ったものになっていたかもしれない。
しかしそれでは彼女に危害が及ぶかもしれない。もしそうなってしまったら最悪の場合、ダビィの世界で死ぬことになる恐れだってある。それはイコール現実世界に帰れなくなることを意味している。
ダビィ内のルール上、エリア攻防戦ではエリアに属していない人間の参戦は禁じられている。なぜならゲーム設定の枠外になってしまうからだ。もし仮にそういった人間がエリア内で相手に危害を加えた場合、ルール適応外となり、相手へのダメージは現実世界でも同じく反映されることになり、殺人も可能になる。
だが逆もしかり。部外者側にも殺されるリスクはあるし、違反行為に手を染めた者には《監視者》からの重い罰則が待っている。
だからこそあの場面でも《監視者》が現れたわけだが――。
そんなリスクを承知でゆあは彼女のことを守りながら戦ったというわけだ。
不思議だ。
のあの事件以前であれば理解できる。
けど、今のゆあからは考えられない。
それほど垂水寝しとねには推し量れない何かがあるのだろうか。そうであれば今後も手強い相手になるに違いない。
ゆあの夢のため、僕の夢のために今のうちに――。
チャイムが鳴った。
大きな会館ではないものの、人気のない広めの空間に響き渡るその音は不気味でしかなかった。
五六は手元に置いてあった拳銃を取り、まばたきを一切しないまま口も閉じ、部屋を静かに出た。




