Q71 そののち
「淡口君、淡口君、起きるんだ」
‥‥ああ、この声はわかる。
目覚ましにはしたくない部類の声だな。せめて、女性の声であってほしいよなあ、こういう時は。
「ん?何ぶつぶつ言ってるんだよ。ほら、もう目が覚めてるんだろ?」
「‥‥もうなんすか!俺は入院してるんですよ?患者を無理やり叩き起こすだなんて、警察はひどい組織だこと!好感度アップは一生見込めないね!」
淡口は喚き散らして布団でやけくそ気味に顔を覆った。
ここは海星会病院の西棟にある一般病棟の入院室。
淡口はそこの空いていた個室で一時的に点滴処置を施されていた。
「相変わらずうるさいねえ。それだけ元気があれば逆に病院側が可哀そうに見えてくるな。早く退院したほうがいいね」
「けっ、それがお見舞いに来る態度かなあ、丹羽さん。というか、お見舞い品すらないのかね」
丹羽はベッドの横に置いてある椅子に腰かけ、額の汗をハンカチで拭きながら肩をすくめる。
「見舞いなんて君には必要ないだろう?それに君のために出張費用なんて出ないしなあ。これは君への事情徴収だよ。その経費は出るみたいだから良かった」
「良くないわ!あ~あ、職業を間違えたかなこりゃ」
「大丈夫だよ、その馬鹿元気があれば。ほら、さっさと体を起こして。話をしてもらおうじゃないの、何があったかをね」
「‥‥というかさ、なんで丹羽さんなのさ」
そう言った淡口は口を尖らせて渋々体を起こした。
「そうなんだよ、なんで俺がわざわざこんな遠いところまで来ないといけないのかって話なんだよな。全く、たまったもんじゃないよなあ、田尻も人使いが悪くて困るよ」
「ひどい言われよう。要するに、田尻管理官にお願いされたってわけだ。信用ないなあ、俺って」
「信用というよりかは、貴重な情報源としか彼は見てないと思うよ。淡口君はいつも先走ってでしゃばるけど、動物的カンが人並外れているからね、うんうん」
「かあ~良き先輩方たちに恵まれて俺は幸せ絶頂者だね、ほんとに!」
「はいはい、ここは病院だからもう少しトーンを落とそうか。んで、何があったんだい?」
「そうねえ‥‥ってかそうだ!冷矢笥のあは?」
その問いに対して丹羽は首を振るだけだった。
「そう、ですか。くそ」
「その連れ去られてしまった女性のことも含めて話してくれ」
その後、淡口は面倒くさそうに今までの経緯を丹羽に話した。
どうして氷芴沢市へ赴いたのか、ムホウの会の支部のこと、その支部長は出水中瀬署の五六渉だったということ、五六が今回連れ去られた冷矢笥のあと知り合いで医療費などを支援していること、そして彼女を連れ去ったとされる男に襲われたこと――。
「ううむ、なるほどなあ。しっかし、君は本当に無鉄砲なのか推理に長けているのかわからない男だなあ。まあ、そういうのも含めて刑事に向いているんだろうがな」
「あのね、ちょっとは素直に褒めてもいい時があるんじゃないんすかね」
「褒めてる、褒めてるよ。五六君と言えば、神木君の部下だろ?捜査本部にもいたし。彼がムホウの会と繋がっているっているってことは、里崎とも何かしら――」
「あくまでも可能性はあるって段階ですけどね。でもそうなると――」
「君を襲った男は誰だということになるね。しかも冷矢笥のあを連れ去った人物と恐らく同一人物だろうから、五六君とは別軸で考えないといけないだろうな。しっかし、またややこしくなってきたもんだねえ。これだと何を追っかけていいか‥‥まあとりあえずは拉致された女性を最優先で追わないと、だな。監視カメラの映像から見てもかなり危険な相手のようだし」
丹羽は顎に手をやり思慮深げに頷いた。
「というか、あのグラサン男が拉致ったところは映ってなかったんですか?」
「ああそうなんだよ。彼女の病室に入るところまでは記録として残っていたんだが、そこから出てくる様子が全く映ってないんだよ。不思議だよねえ、窓から降りるしか方法がないんだけど、人ひとりを抱えながら降りるのは不可能に近いと思うんだがなあ」
「丹羽さん、その病室って何か光りませんでした?一瞬でもいいので」
「光る?また妙なことを訊くね。うーんそうだなあ、俺が見ている映像にはそういった変化は見られなかったようだが‥‥病室の中から仮にそういったものが起こったとしても外からだとわからないかもなあ。けど、なんでだい?」
「いや、ならいいんです」
「なんだよ~そりゃ。まっ確かに憶測だけが乱立するような捜査にはしてはいけないな。よし、じゃあ俺は一旦帰るよ。田尻に報告しなきゃいけないし。それに、ムホウの会のこともね、もっと深堀りしないといけなくなったようだしな。淡口君はどうするのかな?もう退院できそうだしねえ、首に麻酔針刺されただけだろうし」
「丹羽さんさあ、もうちょい相手のことを慮ることできないわけ?はいはい、もうぴんぴんしてますんで。働きますとも!働きゃいいんでしょ!ったく。とりあえず俺は神木と直接連携取りに行きますよ、出水中瀬はここからだとまだ行きやすいし。あと、五六渉とのあの姉も絶対まだ氷芴沢にいるはずだしね。そこも睨みながらしばらくはこの辺りを拠点に――」
その時だった、病室のドアが開いたのは。
「あっ!雄基!ここにいたんだ。というか大丈夫なの‥‥うん大丈夫か。じゃあさっさと着替えて出るよ!」
「げっ、ちな。なんでここに」
「ちな?ほう、そうかそうか。この素敵な女性が噂の淡口君の彼女さんというわけだね」
丹羽の目に今日一番のぎらつきが宿った。
「あら、ありがとうございます。そういうダンディなあなたは、丹羽さんですか、もしかして?」
現れた女性はちなという名前で、淡口の彼女だった。
小柄で素朴な印象を与えるが、飄々として芯の強さが表情には溢れており、初対面でも安心して喋りやすそうな雰囲気がある女性だった。
「お、そうそう。丹羽だ。初めましてだね。いやあ淡口君には全くもって勿体ない女性だなあ、これは」
「あらあら、さすがよくおわかりで。やっぱりそう思いますよね。私だけ損して苦労してるんですよね、考え直したほうがいいかなあ」
「うーん、考え直したほうがいいなそれは。ちなちゃんだともっと良い男に巡り合えると思うよ?」
「本当ですか?よし、じゃあ新しく探そっと」
「こらこら~誹謗中傷反対!訴えてやるぞ~。というか、ちな、不倫は駄目だぞ、うん」
淡口は両手を何回も振って二人の会話を制した。だがそんなことはお構いなしにちなは続ける。
「違う違う。ちゃんと別れてから探すから。それなら健全でしょ。あ、でも別れたら今までに貸してあるお金、ちゃんと利息付きで返してもらいますからね」
「え、ああ、そうねえ。ははは、うん、そろそろ冗談ばっかり言ってないでさっさと身支度しよっと。ほら丹羽さんも早く捜査に戻らないとね。ほらほら」
慌てたように淡口はベッドから立ち上がり、丹羽の肩を揺すって退室を促したのだった。
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一方で、崎邪見温泉街の国道170号沿いにある《一発ステーキ 崎邪見店》では、ちょっとしたざわめきに包まれていた。
なぜなら身長150cmほどしかない小柄でほわんとした女性が、二キロの巨大サーロインステーキを一人で齧りついていたからだった。
そして固唾をのんでそれを見守るっているのが向かい席に座る久形柊斗だった。
久形は思う。
それでこそ、垂水寝しとねだ、と。




