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Qub  作者: ソノ
《ヒコツエリア》編
42/80

Q41 条件

 久形がダビィのチャット機能を使って、垂水寝しとねにメッセージを送ってから約三十分が過ぎようとしていたが、未だに返信はなかった。


 「やっぱり来ないですね」


 「ですねえ、そもそもダビィを持って出かけているかどうかもわからないですもんね。仮に今持っていたとしても、チャットに気づくかどうか‥‥。一応メッセージを受信すると携帯と同じでブルブルするんですけど。しかも確認をしない限り、十分置きにブルブルするんで、結構わかりやすいけど」

 松苗夏音はそう説明して、残っているアイスコーヒーを飲み干した。


 「俺、一旦帰ります。で、いつでも確認できるように待機しようかなって、今日は」


 「そのほうがいいかも。ごめんなさい久形さん、せっかくの休みなのに、こんなこと頼んじゃって‥‥」


 「いや、逆に嬉しかったというか、あんまり頼られること普段ないから。俺に何ができるか、全く自信もないけど、しとねさんのこと心配だから」


 「ありがとうございます。久形さんに相談してよかった。今はまだ詳しく話せないこともあるけど、しとねちゃんのことが落ち着いたら絶対に話しますんで!」


 「うん。このダビィ借りていきます。また何かあったらメールするので」


 久形はダビィを鞄に入れてお勘定を済ませ、喫茶クローバーを出た。


 それとほぼ同じタイミングで、一人の女性が入れ替わる形で店に入ってきたが、久形はさほど気にせず横目で一瞥した程度で、急ぎ崎邪見温泉駅へ向かった。


 

 店に入ってきた女性は大きくまん丸いレトロ風な眼鏡をかけており、身長は高くはないものの、落ち着いたダークグリーンのシャツの上から上等な黒の革ジャンを羽織り、青のタイトなパンツ姿で、黒のブーツを履いていた。

 物静かな格好とは裏腹にどこか存在感は際立っていた。

 鼻筋は通っており、暗めのブラウン色の髪は短く束ねてある。


 女性は迷わず奥のテーブルに向かい、松苗のいる席の真向かいに座った。そして紙煙草を豪快に吹かして、マスターにアイスコーヒーを頼んだ。


 「それにしても百舌子もずこちゃん、相も変わらず、おっさん化がひどくない?」

 松苗は息を吐いて、便乗するように「あ、私もアイスおかわりで」とマスターに言った。

 マスターは動じず、平常運転で「かしこまりました」とすぐさま二杯分のコーヒーを二人に提供した。


 「あんたのぶりっこさ加減に比べたら幾らかマシだとは思うけどね?」と言いながら百舌子と呼ばれた女性はアイスコーヒーを一気に飲み干した。


 「うーん、うまいじゃないか。つうか、百舌子じゃねーし、百舌可奈子もずかなこだし!略すなっつーの」


 「いいじゃない、そっちのほうが可愛いと思うけど。あだ名に制約はないのよ」


 「あ~うっさいうぜえ。というかさ、さっきの男が本当にそうなの?」


 「ええ、そうよ」


 「まじか?やばいっしょ、あれは。完全に落ちぶれた感じじゃない?それに自立した感じもしねえなって」


 「ひどいこと言うわね。男は中身よ、中身」


 「何の中身のことやら」

 百舌という女性はかぶりを振って新しい煙草に火をつけた。


 「ふふ、月のQubが使えるんだから」

 松苗はコーヒーにフレッシュを少し入れてストローでかき交ぜる。

 氷がグラスに当たる音が涼しげに店内に響く。


 「それが信じられねーんだよね。あんな奴に使えるとは思えねーけどね。ふん、どうでもいいけどさ、あたしにしてみれば」

 そう言って百舌可奈子は両手を頭の後ろで組みながら椅子の背もたれに、横柄な態度のまま身を預けた。


 この店内ではお目にかかれない異質な存在、しかもそれが若い女性、かつ大きな声で喋っているので、中高年の常連客たちはそわそわし始め、横目でちらちらとその様子を窺っていた。


 「もう、がさつよ、百舌子ちゃん。お店に迷惑でしょ?」


 「百舌子じゃねえ。はいはい、わかってますよ。んで、お前は一緒に行かなくてよかったのかよ。どう考えても勝てないっしょ、ヒコツの連中には。死亡フラグ立ちまくりじゃね?」


 「まあねえ、現状だと厳しいでしょうね。だけど、まだ私が彼女たちを手伝うわけにはいかないのよねえ」


 「あの連中のことか」

 

 松苗は軽く頷き、ストローを口に含んだ。



 ********************************

 いつのまにやら、垂水寝しとねは駐車場の端に追い込まれていた。

 じりじりと相撲取りがすり足で迫ってくるかのような威圧感を感じながら、しとねは後退せざるを得なかった。


 《とほほ、やっぱり生理的に無理だわ~》


 「まあ怖がるなお嬢ちゃん。用件をまずは聞いてほしいだけなんだよ」

 雅楽代うたしろは分厚い両腕を上に上げて、「俺に敵意はないよ~」というジェスチャーを作っていた。


 「それは、無理ですよ。だって、こんな弱っちい女子を大の強面大男さんがまさに今暴漢でもしような勢いなんだから、身構えるに決まってます」

 しとねは両手で体臭がとめどなく臭い人に対してやるような、追い返すジェスチャーをした。


 「おお、そうか。なあ、俺ってそんなに怖いか?」

 雅楽代は若い刑事に顔を向けて訊いた。

 しかし刑事は肩をすくめて無言で何度か頷くだけだった。


 「そうかいそうかい、そりゃ悪かったな。まあ気合いで怖がんなって。でだ、俺らの用件ってのは一つだけ、無血降伏をお嬢ちゃんにお願いしに来たんだよ」


 「へ?おけつ?幸福?新手のいかがわしいサービスか何かですか?」


 「違う違う!どんな耳してんだ。おけつじゃなくて、無血!要は血を流さず、抵抗はせずに降参してくれってことだ」


 「はあ、降参ですか。では降参するので早く家に帰してください」


 「あのなあ、意味わかってるのか?お嬢ちゃんはエリアマスターなんだぞ?俺が言っている意味はだな、エリアを明け渡せって言ってるんだよ?意味わかる?それをしてくれたら、あんたの身の安全は保障するってこと」


 そこで若い刑事は手で口を覆って笑いを押し殺そうとした。


 「あのエリアですか!サキヤミですね?どうぞどうぞ、すぐにでももらってやってください。私には全くもって必要のない代物ですので」


 その時だった、こういう状況下で絶対に聞きたくない声がしたのは。

 というか、デジャブだわ、前にもあったわね‥‥。

 しとねはうんざり気味に項垂れた。


 「駄目よ、そんなことしたら!」


 声と同時に現れたのは裸におむつ姿、背中から白い羽が生えた禿げのおっさんだった。


 「‥‥もうお腹いっぱいだよ。このまま現実を放棄して眠ってもいいかしらねえ」

 しとねは膝を曲げて頭を上げないまま押し出すように言った。


 「こらこら、それも駄目よ、しとねちゃん!もう、ちょっと目を離すとこうなんだから。もっと自覚持ってしっかりしてもらわないと」


 「げ、なんだこの変態は」

 常にガツガツした態度だった雅楽代でさえ、飛んでいる禿げおやじの姿を見ると思わずたじろいでしまったようだ。


 「あなたにも見えるんですね、タニーが」


 しとねはいっそハエ叩きを使ってタニーを叩き落とし、早く雅楽代との話を終わらせて寝床につきたかった。しかしそうはタニーが許してくれない。


 「そりゃ見えるわよぉ。この醜い男もQubが使えるみたいだし。あっちの若いやつも同じね」

 タニーは持ち前の人を苛立たせる口調で答え、手に持っている星型のステッキをくるくると回した。


 「ああ?醜いやつに醜いと言われる筋合いはないな。何だお前、何者だ?」


 「あたしはタニーよ。《監視者》と言えばわかるかしら?」


 そこで男二人の表情に余裕の色がなくなった。

 タニーはお構いなしに続ける。


 「いい?しとねちゃん。仮にここでこいつらにサキヤミエリアを明け渡したとて、あなたの安全が確約されるなんて思っちゃいけないわよ。だってあなたはもうQubの力に目覚めちゃってるんだから。ほら思い出してもみなさいよ。里崎に襲われた時、あなたは別にエリアなんて持っちゃいなかったでしょ?要は相手にとって危険かどうか、寝首を搔かれるかもしれないって思われちゃった時点で安心なんてできないのよぉ。むしろエリアマスターになっていれば《特権》もあるし、ダービットも使える。そういうのも加味するとエリアを攻め落とすのって結構大変でしょ?だからエリアを統治してたほうが安心なのよ。だから騙されちゃ駄目よ」


 「あのね、そんなことごたごた言われなくてもわかっとるっちゅーの。私は何でもいいから平穏な生活に戻りたいだけなの、わかる?この腐れ禿げ。いいじゃない、大切なのは人と人の信頼関係でしょ?このおじちゃんが約束さえ守ってくれたらそれで私は平和になれるんだから」


 「はあ、相変わらずしどいわねえ。それに情けない。そんなんじゃ――」


 そこで雅楽代は割り入るように苛立った声で「うるさい」と叫んだ。


 「まさか監視者がそっちについてるとは思わなかった。悪いが、さっきの話は少し変わる。お嬢ちゃんとの契約が成立しても、まだ足りないな。監視者にも条件を飲んでもらう必要がある。エリアを明け渡した後は、俺たちのエリアに所属してもらう。それが条件だ」


 すると刑事の男も先程とは打って変わり、いつでも戦えると言わんばかりの体勢を取っていた。


 「ふうん、それは無理な相談だわねえ。あたしがあんたたちの仲間になんてなるわけないじゃない」


 「こらあタニー!もう、何でぶち壊すのよぉ。私はあんたがどこに行こうが構わないんだからね!さっさと私を帰してよ~」


 「あ~しどい、しどいわあ。泣いちゃうわよ!いい加減!」

 タニーは腕を組みながらツルツルな頭皮をふるふるさせた。

 

 しとねはそれを見て感情を一切込めずに、「永遠に消えろ」と呟いた。


 「はいはい、そこまで」と刑事は手を叩き、話をついだ。


 「とっさにこんなことをお願いされても困惑するだろうし、どうだろう、一週間待つからその間で結論を出してもらえないかな。一週間経っても結論を聞けないようなら、サキヤミエリアを攻めることになるし、もちろん断っても同じことになる。ルール上、ダビィの世界でエリアマスターを倒さないとエリア獲得にはならないからね。だからこそ降伏を勧めていたんだが‥‥そこの監視者さんも考えてもらえるとありがたい」


 「へーんだ、考えるまでもないわよぉ」

 タニーは気持ち悪い舌を出して応対した。


 しとねは思う。

 これこそ無理ゲーじゃん、と。


 「雅楽代さん、今日は引きましょう」

 

 「お前はまとめるのが上手いのか、下手なのかわからん奴だな」


 「雅楽代さんには言われたくない台詞ですね」


 そう言われて雅楽代は何度も舌打ちして踵を返し、「一週間だぞ!それ以上は待たねーからな。また一週間後のこの時間帯にこの場所で返答をしてもらう」


 生理的に無理な大柄男と、地味で常識ありそうな刑事は去っていった。


 その後だった、彼女がリュックに入れているダビィ端末機がブルブルしているのにようやく気づいたのは。

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