Q40 強襲
「えっと‥‥」
久形はそのあとの言葉が上手く繋げることができずにいた。
見かねたのか、松苗夏音が穏やかに目を細めて言葉をついだ。
「あ、ごめんなさい。どういう意味で、ですよね?それは、これを渡せば一番わかりやすいかと‥‥」
松苗がおもむろに鞄から取り出したものに久形の表情はすっかり凍りついてしまった。
「これ、見たことありますよね?」
テーブルに置かれたのは小型の液晶タイプで、ハンドバッグのような取っ手がある端末機、《ダビィ》だった。
「驚くのも無理ないと思います」
松苗は眉を斜めにして軽く頭を下げた。
「夏音さんが、どうしてこれを?」
そう訊き返すだけで自分がそれを認知していることを証明することになってしまうのだが、久形は居てもたってもいられない気持ちになって我慢できなかった。
「それは、まだ秘密です。ふふふ、ただこれを渡しておかないといけないって思ったので。これからあめちゃんはかなり危険な身にさらされると思います。だから絶対に久形さんの力で助けてあげてほしいんです。その時にはこの端末機が役に立つと思うし。なので、渡しておきますね」
まるで「はい、チョコです、義理ですけど」みたいな感じで、松苗があっさりと両手でダビィ端末機を差し出すもんだから、久形は慌ててそれを制した。
「いやいやいや、ごめん夏音さん。すんごくあっさりしてて逆に深く複雑に考えなくてもいいかなあって一瞬思ってしまったけど、やっぱりだめだめ」
「え~、もう。そんなに疑り深かったでしたっけ?」
そこで松苗は初めてあざとい笑みを作って見せた。
「疑り深いっていうか、ごめん、色々と混乱してしまってて。まず質問していいかな」
「はい、いくらでも」
「えっと、まずは、しと‥‥じゃなかった、あめさんがどうして危険な目に合うんですか?」
「それは‥‥久形さんも薄々気づいていることかもしれないけど、彼女、エリアマスタ―を倒しちゃったじゃないですかあ。だからね、狙われる対象になったってことですね。そのことは久形さんも何となく聞かされてるんじゃないかしら」
「うん、というかやっぱり夏音さん、知ってるんですね、あの世界のこと」
「そうですね、あんまり詳しくは喋れないんだけど、知ってます」
「わかりました、まだ混乱は収まらないけど、続けてください」
「ありがとうございます。でね、いよいよそれが本格的になってきちゃったようで。ほら、タイムリーというか、タイミング良いというかだけど、ついさっき会ったんでしょ?冷矢笥ゆあっていう女性に」
途端に松苗の表情が曇った。
見たことのない彼女の表情に久形はたじろぎながらも黙って頷いた。
「やっぱりね。あの子が動くとなると、結構やばいの。《ヒコツエリア》っていうところのエリアマスターなのよね、あの子。あ、ヒコツエリアっていうのは、氷笏沢市の裏の世界のことです」
「それって、あの氷のお祭りが有名なところよね?」
「そうです!あそこの温泉とか海産物も最高なんですよねえ、えへへ。あ、ごめんなさい、脱線しちゃって。で、その子、めちゃくちゃ強いの。天才ってやつかしら。Qubっていう力も知ってますよね?久形さんも使ったんじゃないかしら、無意識な感じで」
「はい、ってか、そんなことまで知ってるんですか、いや驚いたな、どこかで見てたとか?」
「ううん、今のは完全に勘です。本当ですよ?私の勘、結構鋭いので、気をつけたほうがいいかもです、ふふ。まあ、あとは私がちょっとQubの力を感じられる体質だからかもですね、傍に寄らないとわからないけど。久形さんからもそれが感じ取れたから」
「そんなことがわかるんですね。けど、俺自身もまだ全然わかっていないのに」
そう言って久形は自分の手のひらを手相占いでもするかのように見たが何も異変などはなかった。
「《感知》する能力ね。で、その冷矢笥ゆあっていう子にもそれが備わっているみたい。だからあなたのことを突き止められたんじゃないかな。しかも私なんかに比べてもっと感度の高い能力だから、離れていてもサーチされてしまう」
「それって、あめさんの存在もばれてしまうってことですか、つまり」
「はい、その通りです。だからあめちゃんの命が危ないんです。そこで久形さんの力が必要ってわけです!」
「しとねさん‥‥あ、いや、あめさんが危ない‥‥」
「ふふ、もう本名でいいんじゃないですか?私も知ってるんで大丈夫ですよ。しとねちゃんでしょ?」
「ああ、そうですか。じゃあそれで。でもそれじゃすぐにでもしとねさんに伝えないと駄目なんじゃ」
「まさしく!」
「でもどうやって。連絡先知らないし‥‥」
「ですよね、教えるのは禁止だし。私みたいに仕事用のメールとかがあればいいんですけど。だから、これが必要なんです」
「これって、ダビィが?」
「はい。これってチャット機能もあるんですよね。しとねちゃんと同じエリアに久形さんは所属しているから繋がることができるんです」
「え、俺も?」
「そう、《サキヤミエリア》所属です」
「なんか、複雑だな、それ。入った覚えはないけど」
「もうそんなこと言わずに。だって久形さんはしとねちゃんと協力してエリアを獲得したんだから、そりゃそうなるよねえ。いいじゃないですか、しとねちゃんと同じなんだから嬉しく思わないと。てな感じで、同じエリア内にQubが使える仲間を増やすことだってできるんですよ。人数が多い分、そのエリアも強くなれるし、いいでしょ?」
松苗はダビィ端末機に頬を寄り添わせるような形で言った。
「上手く丸め込まれてる気が‥‥まあとりあえずやばいですよね、早く知らせないと。これどうやるんですか?」
「右下のメニューバーに吹き出しマークがあるから、それをタッチしたら打てますよ。打ったメッセージは同じエリア内の仲間同士ならいつでも見られるので。逆にエリアに所属していない人はメッセージは打てないの。指紋認証、というか、その人が持つQubで登録認知されている感じかしら」
「ふうん、よくわからないけど、打ちますねとりあえず」
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結局のところ、しとねのディナーはモンシェールクレアから車で二十分ほど離れた場所にある、「徒月寺」近くにあるすし屋「うを助」に決定した。
この店もいつかは行きたいお店リストに入っていたが、どちらかといえばお酒メインで入りたい店だったので仕事終わりに行くのは無理かなあと思っていた。
が、ネットで調べてみると裏メニューであなご重があったので、しとねは迷わずそのお店に決めたのだった。
結果は上々だった。甘辛さの塩梅が絶妙なタレに染み入った穴子は食べると溶けながらほどけていくような最高の舌触りと旨味、香ばしさが一体となっていてしとねは思わず唸ってしまった。
それから彼女はおかわりをして、店の職人を驚かせた。
値段は張ったものの、彼女は大満足で店を出た。本日のもやもや感もどこ吹く風になっていた。
《さてと、家に帰って洗濯して、勉強しないとねえ》。
彼女は目下、理学療法士になるべく勉強中で夜間学校にも通っているが、出席数は半分にも満たない。
それでも彼女には自信があった。自分でも容量の良さは把握していたし、誰にも言わないが、勉強すればすぐに理解できる頭の良さを持っていると自覚していたからだ。
現にちょっと集中して勉強したテストでは全国二位を取ったこともある。
だからといって絶対にそのことを他人には喋らない。
だって、嫌な女に見られてしまうと確信しているからだ。
学生時代の頃もそうだった。
あまり学校にも行かず自由奔放だった彼女は出席日数が足りるか否かの瀬戸際女子高生だった。
しかしいざ中間テストなどをすると高得点を叩き出すし、性格は穏やかでのほほんとしていたため、教師からもあまり咎められない存在だった。
だからこそ周囲からの評判も真っ二つに分かれていた。隠れた羨望の的で見られることもあれば、疎ましく思われることも少なからずあった。
けれどもしとねはそういった外野の声を完全に無視できるタイプだったので、彼女は一切のストレスを抱えることもなく、ただひたすらやりたいことに身を任せていたのだった。
店を出るとすぐにひっそりと人気のない国道が目の前に現れる。
時折トラックが通るだけで、その音と遠くで聞こえる烏の鳴き声がより寂し気な印象を作り出していた。
辺りはすっかりと薄い暗がりに包まれており、店の灯りだけがこの辺りに唯一の安堵感を与えてくれていた。
砂利が撒かれた石畳の玄関先を抜けて、駐車場に着いた時だった。
しとねの《いや~な感じ》が背筋から察知し始めたのは。
「夜分失礼いたします。私、出水中瀬警察本部の刑事をしているものです。垂水寝しとねさんで間違いないでしょうか?」
そう言ってちらっと警察手帳を見せた男の名前は夕闇でよくわからなかったが、比較的若い印象を受けた。
ただそんなことはどうでもよく、ただただしとねは嫌な予感と、なぜ一日に二度も事情徴収を受けないといけないのかと憤りすら感じていた。
《というか出水中瀬ってここと全然違う場所じゃん!何でそこまで私を疑うのさ、ただのしがない大食い巨乳女子なのに。まるで重要参考人の扱いではないかい、これは。くそぉ、せっかくの穴子重さまの余韻が消えてしまうじゃないか、不服ぷんぷん丸が黙っちゃいないからね!》
「‥‥はい、そうですが。あの、どういったご用でしょうか?実はついさきほども別の刑事の方からこういう形でお話を聞きに来られたので。確か、高前警察署の刑事さんだったと思います。同じ内容でしたら、その方に聞いていただけないでしょうか?」
「ほう、そうでしたか。へえ、それでしたら重複してしまうかもしれませんね。ちなみに、どういった要件を訊かれましたか?」
そこでしとねはふっと線香花火が消えたかのような静寂が脳裏によぎり、彼女は唾をのみ込み、冷静になることができた。
よくよく目を細めて確認すると、若い刑事の少し奥、駐車場の一番奥の壁に偉そうに腕を組んでこちらを見つめている人物がいた。
それは大柄な男でレスラーのように首から腕にかけての筋肉が大木のように太かったが、腹回りは鏡餅のような三段腹でだらしなく飛び出ている。
しとねは思う。
こいつあ、一番嫌いな異性のタイプだわ、と。
絶対にむらむらしないよね。太ってるとかぶちゃいくとか関係ないのよねえ、ただ何か雰囲気がガツガツしてるのは生理的に無理なの。
「あの、失礼ですけど、本当に警察の方でしょうか?向こうにいる方はどう見てもそう思えないんですけど、あなたのお連れですよね?それに、どうして私がここにいることがわかったんですか?誰にも言ってないですけど」
その時、若い刑事の動きが止まるのを彼女は見逃さなかった。しとねは瞬時に身の危険を察知し、愛車が停まってある場所は諦めて店のほうへ後ずさりを始めた。
若い刑事はじっとしとねの様子を無表情で見つめた後、額に手を当てて軽く息を吐いた。
「ほら、だから言わんことない。雅楽代さん。僕が指示するまで出てこないほうがいいって言ってたのに。ただでさえ目立つ図体なんだから」
「ふふん、俺は細々した小細工が苦手だって再三言ってるだろう?さっさとこういうのは真正面から片づけたほうがいいんだよ。さてと、まずはお嬢ちゃんの問いかけに対しての答えだったな」
生理的に受けつけない男は不敵な笑みを浮かべて、ぶっとい両腕をぐるんぐるんと回しながらしとねに近づいてきた。
しとねはすぐさま携帯を片手に「近づかないで!」と叫んだ。
「警察に通報しますよ、それ以上近づいたら」
「そうか。じゃあ残念だが、警察はもうここにいるんだよ。お嬢ちゃんの問いかけ一つクリアだな。ちなみに俺は警察じゃないがな、ははは」
「はあ、まったくべらべらとおしゃべりな。ま、そうですね、垂水寝さん、僕は本当の刑事です」
「いやいや、そう言われても信用できませんね」
「おいおい、お前の人相にも問題があるんじゃないか」
「雅楽代さんに言われたくないですね、てか、そもそもそっちに問題がありますよね、その図体に妙な雰囲気」
「かあ~、可愛くない若者だ。ったく、まあいいや。で、もう一つの答えだったな。なぜあんたがここにいるのかがわかったか。そりゃもちろんのろんで、俺とその刑事がダビィ端末機を所持しているからだよ」
鼻息荒くにやにやするこの男の脂ぎった鼻に向かって、渾身のせいけんづきをお見舞いさせてやりたかった。
そして同時にしとねは絶望した。
《うげええ、最悪だわ。もう、何でこんなことに巻き込まれるのよお》
そんな可哀想な彼女を余所に、雅楽代という男は無神経に続ける。
「さあて、じゃあ今度はこっちの要件を単刀直入に伝えようか」




