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Qub  作者: ソノ
《サキヤミエリア》編
32/80

Q31 またね

 はっと我に返った淡口あわぐちは呼吸を整えて拳銃を手に取った。


 閑散として物騒な出来事とはかけ離れた路地裏は突如として似つかわしくない緊張感に包まれた。


 じりじりと追跡するように淡口は中腰になって、歩を進める。

 だが見えない犯人を追っているかのような奇妙な感覚に陥り、どうこれから起こることを想定すればいいかわからなくなり、彼は頭を掻き毟った。



 もう一度息をついて、冷静さを取り戻そうとした矢先だった。


 前方から誰かの声が複数したのだ。何やら揉めているような印象を受けた。

 それで淡口は少しほっとした。

 奇怪な現象は単なる杞憂に終わりそうだと思ったからだった。ちゃんと人間がその先にいるという事実が彼を勇気づけた。

 

 ――ところがだ、ややするとまたもや驚くべき事態が彼を襲う。

 光のお次はピンク色のガスが奥から充満してくるのがわかり、淡口は目ん玉が飛び出しそうになった。


 《おいおい、どうなってるんだ。もしかすると毒ガスか?テロか?こんな場所で?くそう》

 淡口はハンカチを取り出して口と鼻を押さえた。


 《早く片づけたほうがよいな、こりゃ》


 意を決して淡口は高校の時に野球部で鍛えた脚力の貯金を使い、猛スピードで路地裏のどん突きまで走って、曲がり角の壁に背中を預けた。


 ピンクの靄がしだいに薄れていく中、淡口はハンカチを捨てた。


 拳銃の引き金に指をかけ、そのまま右手に体を押し出し、銃口を路地裏の行き止まりに向けて「動くな!」と叫んだ。


 ――だがそこには犯罪組織やテロ集団、もしくは悪ガキグループが待ち構えていることもなかった。

 当たり前のことだが、そこには路地裏の行き止まりに相応しい、何一つ面白味もないコンクリートの壁があるだけだった。


 ただ一つ違ったのは、ガスが晴れて行く中で、路上に仰向けで倒れている男の存在だった。

 信じられなかったが、それは彼が探していた殺人事件の重要参考人、里崎清春さとざききよはるだった。



 **********************************

 空中を自らの力で浮かんでみるとすると、きっとふわふわとした感覚が残り、いつまでも地に足が着かないような不安が体中に染みつくかもしれない。


 そんな気持ち悪い感覚がしとねを包んだが、すぐさま両足は地面を捉えることができて、彼女は安心した。


 目を開けるとモンシェールクレアの裏口にあるスタッフ専用駐車場に、しとねと久形は立っていたのだった。

 

 「帰ってきたの?」

 しとねは訝しながらも辺りを確認する。


 駐車されてあるのはどれも店のスタッフたちの車やバイクだった。

 その中でも一際目立つ巨大な黄色のボディ輝く高級ジープがあった。その所有者は店長である田原の愛車だった。


 しとねは田原のことが苦手だった(何ともいえない冷酷な目でキャストたちを見てくるのが耐えられないから)からよく覚えている。

 

 それに極めつけはしとねの愛車もちゃんと停まってあるのを発見し、、しとねは雄たけびを上げて喜んだ。


 「すごいすごい!本当にワープしたんだ。タニー、あんたやるじゃん」


 「すごいな‥‥やはり理解が追いつかないというか、現実にこんなことが起こるなんて信じられないよ」

 久形も頭を抱えて目をぱちぱちさせて言った。


 「でしょでしょ?でもねえ、これは禁断、というかあんまし使っちゃ駄目なのよねえ、怒られちゃう。高いから。‥‥それはさておき、一旦はここでお別れねえ。あたしも表の世界だと活動時間が限られるのよぉ、残念だけど」


 「全然残念じゃないけどね。ま、感謝はしてあげるわ‥‥てか、あのナイフおじさん置いてきちゃったの?」


 「最後まで素直じゃないわねえ。それでこそしとねちゃんだけど!ああ、あいつなら置いてきたわ。連れてきちゃややこしいでしょうに。大丈夫よ、両手を紐できっつきつに縛っておいたから。誰かが近づいてきてたし、通報なり何なりするでしょ。‥‥さてさて、これからも会う機会がより増えるとは思うけどねえ。じゃ、またね~」

 そう言ってタニーは気持ち悪い笑みを浮かべながら消えていった。


 「会う機会なんて増やすなってーの。絶対無視してやるんだから。ふう、でも、終わったって感じ。ね、久形さん」

 しとねは覗き込むように久形の顔を下から見つめて言った。


 「え、ああ、何かずっと白昼夢を見ているような感覚だったから、今も頭の整理ができてないけど、現実だったんだよね、あれは。それに今消えた変態も‥‥」


 「うん、変態も含めて現実ですよ。だってあれから丸一日経っちゃってるんだもん。あ~あ、今から私はお店に行って謝罪してきますね。許してもらえるといいんだけど‥‥あ、久形さんはよくよく考えたら大丈夫かと。だって私がまず無断欠勤なんだし、お客さんから連絡がなかっても問題ないですよ」


 「確かに、それはそうだね」


 「じゃあ、またね、久形さん」


 しとねは大きく手を振って小走りでモンシェールクレアの中へ入っていく。


 久形も手を振って彼女を見送る間、今度はいつ出勤なんだろうかとお預けになってしまった想いをどう処理していいか悩んでいた。



 しとねはその日の夜九時に家に帰ってきた。


 モンシェールクレアのボス、田原の無言の圧力に対して頭を下げ続けた結果、かろうじて彼女はお咎めなしで無断欠勤という罪を逃れることができたのだった。


 ついでに心象が悪くなるのをちょっとでもカバーするべく、すぐさま来月の出勤予定を告げていそいそと店を後にした。


 帰りの道中、あまりの空腹に耐えられず国道沿いにあるハンバーガー店で「崎邪見トリプルチーズバーガーデラックス」をニ個も平らげて、なおかつチキンナゲットを三ケースも食べ切ったのだった。


 家の玄関を開けて電気をつける。

 すると愛しのもろみが不機嫌そうな真顔でのっしのしと近づいて、しとねの足首にそっともたれるように顔をすりすりした。


 しとねはそれを見て涙をぽたぽたと流し、もろみを抱きしめた。

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