Q30 リターン②
目を開けて頭を上げると、「ゴミの不法投棄はやめましょう!」というポスターが目に入ったので、しとねはついに現実の世界に戻ってきたのだと実感し、何やら涙が溢れそうになった。
起き上がろうとしたが、体中に部活動をしていた頃ぶりの筋肉痛が襲い掛かってなかなか身動きが取れなかった。
しかしよく自分の体を見てみると、あの激闘でついた傷や汚れ、あと久形の血などは一切消えていたのは何より嬉しかった。
何とか体を起こして三角座りになったしとねは横で同じように苦しんでいる久形の姿を認知できて安堵した。
だがプモの姿は見当たらなかった。
里崎は気絶したまま路上で倒れ込んでいる。
「久形さんや、大丈夫ですか?私は大丈夫ですよ~、体はばっきばっきのうぎゃぎゃぎゃぎゃ~と悲鳴を上げておりますが」そう言ってしとねは両肩をぐるんぐるん回したが、針を刺すような激痛が再び襲い、彼女は顔を歪めたまま氷漬けにされたように静止した。
「しとねさん?ああ、どうやら元に戻れたみたいだね。というか、大丈夫?何かやばそうだけど」
「ううう、大丈夫じゃない!もう、ボロボロですよ、こりゃ三日はかかるね、全回復するのに‥‥というか、お腹空いたんですけど、めちゃくちゃ」
しとねは両腕をさすりながらお腹の虫が鳴るのを我慢できずに少し恥ずかしそうだった。
久形も「確かに、俺もお腹減ってる。やっぱりあの不思議な力を使ったからかな?」と同調した。
「それは間違いないですねえ。あ!それよりも、今何時だろ、えっと携帯携帯」
慌ててしとねはポケットから取り出し時間を確認する。
時刻はこの路地裏で里崎に襲われた時間帯からほとんど進んでいなかった。
が、日付は丸一日進んでおり、日曜日になっていた。
「がーん、最悪だあ、やっぱりねえ、あれだけ何か濃い時間を過ごしてたらとは思ってたけど、はあ、お店になんて言おう、無断欠勤だわあ‥‥あ、久形さんもですね、こうなりゃ一蓮托生ですね」
しとねはもう吹っ切れた様子で高らかに笑った。
久形も笑いたかったが、突如としてしとねとのむふむふな時間を失ってしまった現実に直面し、絶望して泣いてしまいそうになった。
「ふふふ、そんなにがっかりしちゃって。かわいい。大丈夫、そのうちまた会えますよ」
しとねはけらけら笑う。
その姿を見て久形は抱いてはいけないと思いつつも、恋心を感じずにはいられなかった。だからこそ余計に彼は落胆しつつも、また彼女の争奪戦に向けて頑張らねばと決心を固めたのであった。
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淡口雄基は《三つ葉のクローバー》店を出て、右手に曲がり、そのまま人気のない路地道を真っ直ぐ歩いていた。
彼の勘が喧しいほどのサイレンを鳴らしていた。
《若い女がこっちに歩いていくことなんてないだろう?この先は確か行き止まりだったはずだ。じゃあなぜそいつはそこに向かうんだ?怪しいしかないよなあ》
もうすぐどん突きが近づく。それを右手に曲がれば行き止まりだ――。
その時だった、目の前に光が瞬いて、それが膨張していく様が目に映った。
ややあって光はシャボン玉のように割れて散っていった。
淡口はしばらく動けずにいた。
彼にとってはそれほど今まで生きてきた中で、異常な現象だったのだ。
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「あ、そういえば、この端末機とナイフおじさん、どうしたらいいのかしら。端末機はもう途中にある川にでも捨てちゃおうかな。あんな体験ニ度と御免だし」
しとねが嫌々しく呟くと、「駄目よ、そんなことしたら」と声がして「きゃっ」と小さく彼女は飛び跳ねた。そして「うげええ」と汚物を発見した時にしか発しない声を出した。
蠅のように鬱陶しく飛び回るプモ‥‥ではなく、タニーが姿を現したからだった。
「うわ、何だ、この、変態は」
久形も思わず吹き出してしまった。
「ま!久形さんも失礼な男ね!このハートフルでチャーミング&ピースフルなあたしに対して!」
プモは毎度のようにブリーフ姿と星のステッキを握りしめて、わざと円を描きながらしとねたちの周りを迂回した。なので彼女たちの気分を害したのは言うまでもなかった。
「プモ、あのね、何でその格好になるわけ?」
しとねは空腹と疲れでいらいらした口調で訊いた。
「え、あの兎なの?‥‥何で?」
久形もやや軽蔑するような視線を送った。
「かあああ。これだから表の人間どもは字のごとく、表面しか見ないんだから。しとねちゃん、言ったでしょ?この世界に来る時は、この設定にしたの!だから変更ができないのよぉ。ほらゲームでも最初に決めた名前とかは後で変更できないでしょ?それと一緒!あ、久形さん、タニーって呼んでね、この世界だと」
プモ、ではなくタニーはツルツルな頭をふりふりさせてより一層、二人のテンションを下げた。
しとねは大きなため息と胸焼けを覚えて、げっぷをもよおした。空腹だったので、みぞおち部分が痛くなった。
「プ、じゃないのか、面倒臭いわ。タニー、で、どうしてこれ捨てちゃ駄目なのよ。つうか、返すわ。それなら文句ないでしょ?私も早く手放したいんだから」
「それも、だ・め。あなたは晴れて《サキヤミ地区》のエリアマスターを襲名したんだから、それはしっかり落とさずなくさず持ってないといけないことになりました」
「‥‥は?」
「んでもって、それをさっきみたいに捨てようものなら、あなたには《ペナルティ》が課されちゃう可能性があるから気をつけないと!マスターになるとエリアを統治する責務が生まれるんだから。それを放棄すると《ダビィ》から制裁を受けるわ。内容は言えないけどねえ」
「はい?」
「さらにはね」
「まだあるの?」
「そうよ、あなたはエリアマスターになったっていうことを忘れてはいけないわねえ。なぜなら、あたしたちがやったことと同じようなことが起こる可能性があるってことよぉ?」
タニーの薄汚い眼鏡が光ったように見えたので、しとねははたき落としたくなったがぐっと堪えて訊き直した。
「同じことって何よ」
「あなたを倒そうとする輩が出てくるってこと!あの世界に居座る奴らは野心に満ちた曲者ばかりよぉ。だからねえ、少しでも自分のエリアを拡大したいって思ってるわけ。それが本来、ダビィ内での主旨だからよ。エリアを拡大すればより恩恵を得られるし、各々の理想に近づくってわけ」
「ノーノー、そんな物騒な機械、絶対いらない!私はのほほんと生きたいだけなんだからあ。これ返す!というか、エリアマスター降ります、誰かに譲るからあ」
しとねは急いでダビィ端末機を差し出したが、タニーは星のステッキを横に振ってそれを制した。
「ダメって言ってるでしょ?手放すことはルール違反なの。ま、安心しなさいって。そのナイフ男も倒したことだし、しばらくは安心だと思うわよぉ。別のエリアを攻め込むのはかなりリスキーなことだしねえ。《特権とテリトリー》を攻略しないといけないし‥‥仮に挑んで負けちゃったら自分のエリアも失ってしまったり、最悪の場合死んじゃうし。だからそんな馬鹿はなかなか現れないから安心しなさい」
「安心できるかあ!もう、嫌だあ。騙されてるよぉ私は、とほほ、こんなド変態な兎親父に振り回されるなんてえ!しかもそんな馬鹿って私も含まれてますやん?じゃあ挑んでくる人がいる可能性もなくはないじゃない‥‥ぐすんだわ」
久形は話の流れについていけなったし、理解も追いつかなかったが、しとねを何とか励ましてやりたかった。しかし怒って嘆いている彼女を見てかわいさのあまり、どぎまぎして何もできなかった。
「さてと、こうやってぺちゃくちゃお喋りしている時間もなさそうよ。誰かがこちらに近づいてくるようだし」
「え!誰よ、こんなところに来るって、は、まさかエリアマスターを狙った馬鹿ですか?」
「違うと思うけど、でもナイフ男のこともあることだし、ここで誰かに見られちゃうと色々と詮索されるし、あらぬ疑いもかけられちゃうかもねえ」
「確かに、それはまずいかもね」
久形はようやくそこで会話に参加した。
「相手は確か殺人を犯してるんだよね。そいつを俺たちがやっつけたって言っても怪しいだろうし、何でまだ表沙汰にもなっていない犯人を知ってるんだってことにもなるし‥‥しかもこいつのことをまだ警察が犯人として目星をつけているかどうかもわからないしね」
「その通り。だから見つかるのは得策じゃないわ。なので、ワープします。いくわよぉ~」
「はい?」
しとねと久形は同時に顔を見合わせた瞬間、ピンク色のガスが辺りに立ち込めた。




