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Qub  作者: ソノ
《サキヤミエリア》編
29/80

Q28 ぬんさん

 人の笑顔は相手をほっとさせる力がある。

 ましてやそれが気の知れた人だったり、波長が合う人だったりするとよりその効果はてきめんだ。


 垂水寝しとねが描く水のイメージが意識の最も奥底に辿り着いた。

 そこは干からびたダムの跡のような場所。

 たんまりと堰き止められていた水がそこに向かって一気に放水される。

 あっという間に水は満タンになる。


 しとねは水の中に潜ってすいすいと底を目指していく。


 しばらくすると月の光に照らされた水の結晶がふわふわと浮かんでいるのを発見した。

 その形はとてもきれいな雫の形をしており、古代文明のオーパーツのような神秘性とロマンを感じることができた。


 おそるおそる彼女はそれを手に取る。

 

 《ふわーん、お、来たの。眠たいけど、仕方ないか。これから、よろしく~》

 伸びやかで何だかほっこりする声がした。


 そしてあらゆる水がしとねの右手に集まっていく――。



 里崎はダビィの世界で初めて人間相手に恐怖を感じていた。


 殺したはずの男が蘇ったこともそうだが、さっきまで捨て猫のように怯え震えていた女はすっかり元の飄々とした表情に戻っていて、里崎が見て取れるくらい、膨大なQubのエネルギーが女の右手に集まっていくのがわかった。

 

 まずい、まずい、あれは、やばいだろうが――。


 里崎は恐怖で動けない右手を、声を荒げて強引にその縛りから解放させた。


 「あああああああ」

 怒号を上げた里崎は《α版》のQubを発動させて次から次へとナイフを作り出しては、しとねたちに向けてなりふり構わず投げつけた。

 

 しかしナイフが届くことはなかった。


 見えない壁でもあるかのようにお得意の五色に輝くナイフは全部はじかれては地面に砕け散ったのだった。


 少し我を忘れてしまってたせいか、現状把握能力が低下してたようだ。

 里崎は遅れてあの男の右手に気づいた。

 

 「‥‥のやろう、Qubじゃねえか」


 久形は自分で理解してやったわけではなく、知らぬ間にQubの形を作っていた。

 

 守りたい。

 その気持ちを右手に乗せて、しとねの前に月の光を作り出した。

 それは瞬く間に大きな壁となって里崎の攻撃を簡単に防いだのだった。


 「‥‥月のQub、まさかねえ」

 プモは小さく呟いた。


 「久形さん、ありがとね。もう大丈夫だから」

 しとねはそう言って里崎が《β版》を発動させた際にやっていた「Q」を両手で作った。


 「おい、このクソナイフやろうめ。見てなさいよ、これが私のお怒りなんだからね!」

 

 しとねは左の人差し指に力を込めて、おもくそ真下に振り下ろした。


 割れた立方体から現れた水の螺旋がしとねの周りを取り囲み、意識の底にあった水の権化が彼女の背後に姿を現す。


 それはぶよぶよと太ったサンショウウオに、ナマズの髭をたくわえたような生き物だった。


 しとねは叫んだ。

 「うわあ、かわいいじゃん!さっきのオニさんよりかわいいわねえ、うん、こりゃ勝ったな。ね、さっきの声、あなたでしょ?お名前は?」


 「ふわーん、ぬん、だよ」

 生き物は眠たそうに野太い声でゆっくりと返した。


 「ぬんさん!良いお名前!よろしくぅ」


 久形は思った。

 《何が起こってるか、未だにわからんけど、うん、なんか彼女っぽいかも》と。


 プモも叫んだ。

 「しとねちゃん、それよそれえ!いっけ~!」

 

 しとねは深々と頷いて、里崎にアッカンベーをしてみせた。


 「よいかい、ナイフおじさん。あなたみたいな歳になると、バクバクすることってなくなるでしょ?ほら、例えば受験前とか、相手に告白しちゃう時とかだね。そういうのって今思えば良い思い出かもしれないけれど、その時の心情はめちゃくちゃ嫌でしょ?だからね、今からあなたをバクバクさせちゃいます」


 「ああ?何を言ってやがる、さっきから‥‥うん?」

 

 水の立方体がくるくると回転しながら里崎を取り囲むように回り始めた。


 次の瞬間には水面が弾けるように、立方体は粉々に砕け散った。無数の水の玉が宙に浮かんだままになり、静止画のようにそのまま止まったように映った。


 誰もが呆気にとられていた矢先、水の玉は一斉に里崎を覆い尽くす。そして水の立方体の中に里崎は閉じ込められる格好となったのだった。


 里崎はまさに水の箱の中で必死に脱出しようともがき苦しんでいるエセマジシャンのようだった。


 「むりむり~。それはあなたには壊せない箱」

 

 「ふわーん」

 ぬんさんがそれに応えるように長い長い髭を震わせて声を出した。


 里崎を閉じ込めた水の温度がどんどんと上昇していく。

 箱状になった水は密閉されたまま圧力も同時に増していく。


 気体と圧力の融合。


 「さ、バクバクしちゃえ。《バク水バースト》!」


 逃げ場を奪った水の立方体は宙に浮かび、瞬く間に限界を迎える。

 凄まじい水蒸気爆発が起き、里崎の全身は煙まみれになってそのまま落下した。


 しとねはバクバクする胸の鼓動を押さえつつ、久形とプモに向かって渾身のVサインを披露した。

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