Q19 里崎清春
垂水寝しとねが《ダビィ》を起動して翌日のこと――。
すっかりアイスコーヒーの氷は溶け切って、茶色く滲んだ水に成り変っていた。
淡口刑事は捜査に疲れて行きつけの喫茶店、《三つ葉のクローバー》で眠りこけていた。
「ふぁあああああ」と遠慮なしに大あくびをした淡口は口元にへばりついた涎のあとを袖で拭った。
辺りを見渡せば客は彼だけになっていて、マスターがじっとりと睨んでいた。
「あのう、ここは仮眠室じゃないんですけどねえ、淡口デカ」
マスターはカップを拭きながら嫌みを投げつけたが、淡口はそんなことでは全くこたえない性格なので、鼻で笑った。
「はん、そりゃすいませんでしたね。いいじゃんかマスター、俺だって歩き疲れてるんだからさあ」
「それが仕事でしょうに。税金の無駄使いだ、投書してやろうか」
「お、おお。まあそろそろ仕事再会するかなっと」
そうして淡口は手帳を取り出して事件の整理をすることにした。
一週間前に彼の知り合いであるコンビニの店主、田村淳矢が殺害された事件。
死因は内部から刺されたという科学では説明できないほど異常な手口。
かつ類似の事件がここ数カ月で二件起こっている。
最初は印刷工場の社長で、次の犠牲者は少年野球チームのコーチだった。
殺され方が同じで、死体発見現場もこの崎邪見温泉街近郊で起こっている。
同一犯でまず間違いないだろう。
淡口はすでに目星をつけていた。
里崎清春、四十歳。現在は無職。
三件の事件に関わっているのはこの辺りではその男だけだった。
しかも現在は行方がわからない状態だった。
男が住んでいる借家にも訪れてみたものの、窓は開けっぱなしでかれこれ三週間は不在が続いていると借主は言っていた。
里崎の経歴を辿ってみるとその関係性が浮き彫りになってくる。
印刷工場では元々、現場責任者として働いていたようだ。
しかし二年前に自己都合で退職している。
少年野球は里崎自身とは無関係だが、彼の息子が所属していた。
それも同じ頃に辞めていることもわかっている。
その後は崎邪見温泉駅前にあるコンビニで働いていたが、それも三カ月前には辞職している。
何故、淡口が里崎清春という男に辿り着いたかといえば、実際コンビニで数回見かけたからだった。とはいえ淡口も通い始めてから間もなかったため、里崎が辞めるまでの僅かな間くらいだけだったし、一度も会話をしたことはなかった。
ただ店長が殺されてピンときたのだ。
ピンとくるとは、単なる勘でしかない。
人は見た目で8割方決まる、というのが淡口の薄っぺらい刑事としての見識だった。
ただし、彼の勘は意外とよく当たるほうで、検挙率も彼の幅広い社交性もあいまってか、高前警察署内では上位に食い込んでいる。その事実だけであれば田尻管理官や丹羽も彼を一目置いている。
その一点だけだが‥‥。
里崎がもつ雰囲気はどこか奇妙で不気味だった。
淡口も長身だが、それ以上に細身で長身な里崎には病的なまでの鬱性を感じられた。
目のくまも深く、接客業にしては小汚すぎるほど無精髭は放置されていたし、何より瞳孔には生きる希望がないようにも見えた。
見た目で判断してはいけないことはないだろう。
むしろ犯人探しには必要不可欠なスキルだ。
そこに私情を入れたら駄目なだけであって。
《俺に理屈や倫理観を説いても無駄無駄》。
ピンとくりゃそれを最優先で行動に移す。だから今回も目星をつけることができたわけであって‥‥まあそいつがビンゴかどうかはわからないけどねえ、と淡口は煙草を一つ咥える。
「あの、仕事するんじゃなかったんでしょうかね」
マスターのいつもの嫌みが聞こえたが彼には通用しない。
「へーんだ、煙草吹かしながら仕事するんですぅ~。ったく、これだから素人は嫌だ嫌だ。このくそ暑い中、一日中駆け回っている優秀な刑事の身を案じる優しさはないのかなあ」
「いや、だから仮眠室じゃないのに、今の今まで見逃してあげてたんでしょうに。それが優しさだとわからない刑事は、今後出世の見込みなしだね」
「はん、そんなんわかりきってること今更言う?いいの、出世なんて。そんじゃね~」
そう言って淡口はお代を置いて煙草に火をつけた。
「全く。あ、そういやあ昨日だったかな、珍しく若い女性が一人で来たなあ」
「へえ、ジジババばっかりなお店なのにね。どうせ風俗嬢かなんかじゃない?この界隈だし」
「あんたもまだ十分若いでしょうが。はあ、まあそういう雰囲気もあったかなあ。けど、何か不思議な佇まいの子だった。えらくうちのコーヒーをべた褒めしてくれたから思わず無料にしてしまいそうになった、可愛かったしね」
「おうおう、この差はなんだろうね。常連客だよこちらは」
「人格かなあ、徳というか、人柄というか。常連よりも遥かに魅力的なワードだもんで」
「あ~そっ!もう腹立った。今後は来ないからね!」
「はいはい、じゃあまた明日」
「全然人の話聞いてねえし!」
淡口は煙草をぷかぷかさせながらいきり立って店を出た。
そこで彼はふっと思い立つ。
慌て気味にもう一度店に入った。
「いらっしゃいませ、コーヒーでいいですか?」
マスターが半笑いで出迎えたので、いらんいらんと彼は右手で追い払うようにした。
「忘れ物でもないからね!マスター、その子って、ちなみに店を出たあと、どっちに向かったかとか覚えてる?」
「え、まさかその子がいるかもしれないお店を突きとめて、遊びに行こうとか?」
「するか、そんなこと!」
「えっと、どっちだったかなあ、うーん出て右だったかな。‥‥うん?右手、ねえ‥‥」
「右、ね。サンキュー」
淡口は再度急いで店を出た。




