Q17 ダビィ④
垂水寝しとねは通常、兎とはどんな感じで人間に愛されていただろうかと思い返していた。
ぴょんぴょんとコミカルに跳ねながらこちらにやってきて、人参を渡してあげるとぽりぽりとスナック菓子を齧るように前歯がリズミカルに動く光景。
あるいは毛づくろいの直前、前足を使って勢いよく土を掘る動作とか、耳の毛づくろいの際、片耳を両前足で挟んで撫でる仕草なんかあるよねえ。
たまらんじゃないか。
でも今こちらにやってくる兎ちゃんにはコミカルさがない。
跳ねてはいるけど、どちかといえば猪のような猪突猛進型で品がない。
んでもって可愛らしい前歯なんかまるで刃物のようにぎらついていて、それが顔の輪郭からいっぱい生えているのはさすがに理解不能で気持ち悪いしかないじゃん。
てか、口はどこにいったのだ!
目は確かに兎だから赤いイメージでいいんだけど、これは気が狂っているような赤さだよね、狂気しか感じない。
極めつけは鳴き声だよね。あんなに叫び回っているのは、あり得ないよね。
兎ちゃんは本当は静かな生き物なのに。
「こら、しとねちゃん、来るわよ!ぼさっとしてないで避けないと!」
何でタニー、いやプモに命令されなきゃいけないのよぉ。わかってるってば、でも、がくがく膝と腰がなっちゃって、動けないの!
一角兎と表現すべきか、奇怪な兎は高く飛び跳ね、鋭利な前歯らしきものでしとねを斬りつけようとした。が、寸前でしとねは屈み込みながら地面に倒れて避けることができた。
兎も勢い余ってそのまま着地できずにスケーターのように滑りながら転んでしまった。
だが、すぐさま兎は立ち上がり再びしとねに照準を合わせる。
肩と胸の奥で息をしたのはいつぶりだろうか。過呼吸が続けば貧血にもなりかねない、
早く息を整えないと‥‥。
「‥‥痛い!」
しとねはようやく左肩の傷に気づいた。かすり傷程度ではあったものの、血が滲んでいた。
「うわあ、最悪だ。キズものになっちゃったじゃない!こら、プモ、どうしてくれるのこれ、いたた」
しとねは泣きそうに訴えたが、プモは呆れた様子でかぶりを振るばかりだった。
「いい加減にしないと私死んでやるからね!だから早く助けてよ!」
「無茶苦茶な交渉術ね、ま、確かにあたしもあなたに死なれちゃ困るしぃ。さて、じゃあこの状況を打開できる術を教えましょうね。しとねちゃん、右手の親指と人差し指をこうしてみて」
「はい?」
プモはふわふわとした指を二本使ってOKサインの「O」を作ってみせた。
しとねはそれを見て正直終わったと思った。
「こらこら、そんなにげんなりしないで。教える甲斐がなくなっちゃうでしょ。いい、こうやってこの形を作る。丸に見えているかもしれないけど、ちょっと角度をつけてね。そう、立方体を斜め真上から見たような形ね。ほら、早く作る!」
くそお、もう知らんわい!
やけくそでしとねはその形を作った。
「よし、んでもってえ、残りの三本の指を人差し指に合せるようにしてひっつけてね。優しくしないと駄目よぉ。形が崩れちゃうから。立方体の空間に指が重ならないように注意ね!」
ああ、何をやっとるんだ、私は。
選択肢を間違えなきゃ今頃、ニヒルな殿方たちとむふむふな時間を過ごせてたのに‥‥。
‥‥久形さん、だったかなあ。あの人にも悪いことしちゃった、予約してくれてたのに。
しとねは覚悟を決めて言われたとおりの形を作った。
そうこうしている内に、兎は体勢を整えて再びしとねに突撃してくる。
「うわ、もう来たよ!どうすんの!」
「あとは脳みそで練りなさい、あなたが持つ色を」
「あ~もうわかんないわかんない。詰んじゃったね、私」
「諦めたら駄目じゃない。あなたは今日むふむふしにお勤めがあるんでしょ」
「あんたに言われたくない!くそぉ‥‥」
「大丈夫、目を閉じたら感じるから」
しとねは死んじゃうことを意識して、半ば諦めムードで目を閉じた。
するとプモが言うようにある色が浮かんできた。
それは水のように透き通った色。
透明であって立体的であって、それでいて海のような深遠なる青さが溶け入った、言葉では捕獲できない色が彼女の中で膨張していき、それは満たされ、やがて音もなく弾け飛んだ。
色のかけらはきらきらと紙吹雪のように舞い散り、それらは意志を持ったかのように激しく脳内を暴走した。
無限のような色がピンボールのように跳ね返ってはそれを繰り返す。
人間の動体視力では決して追えないスピード。
だが彼女はそれはゆっくり見ることができた。
星と星がぶつかって閃光を放ち爆発していくような、宇宙空間にでもいるような感覚に襲われる。
やがて粉々になった色のかけらは磁石に引き寄せられる砂鉄のごとく、一つの集合体へ昇華するためにどんどん集まっていく。
そして全ての色が集まった。
それは巨大な水の立方体だった。
しとねは誘われるようにそれに触れる‥‥。
‥‥長い夢を見ていたような気分だった。
でも現実では何も時は進んでいなかった。
一角兎はまだ彼女のやや手前の位置。
しとねの右手で象られた小さな立方体の中から《水の勢い》が加速する。
プモが叫んだ。
「それよぉ!しとねちゃん!そのままそいつで薙ぎ払っちゃえ!」
しとねは襲い掛かった兎に右手を素早く振り上げた。
立方体の空間から溢れんばかりの水がまるで鞭のようにしなり、ホースから放水されるような凄まじい勢いをもって一角兎の体めがけて攻撃した。
水の鞭は兎を温泉街の看板まで運び、かなりの勢いをもって直撃させた。そのまま兎は地面に落ちて動かなくなった。
「‥‥何、これ」
しとねは自分の右手にうごめく水の勢いをしばらく見つめていた。




